リーガルウェポン

 遺産相続に関する相談は、珍しくない。
 中でも多いのが、親が亡くなった後の遺産分配についてだった。

 今回の依頼者は、四十代の女性だった。
「先日、私が二歳の時に両親が離婚して、それ以来一度も会っていない父が亡くなったと、先方の弁護士事務所から連絡がありまして。私と妹が法定相続人であると書かれています」
 女性は、一通の通知文書を差し出した。

「私としては、父とはほとんど関わりがありませんし、遺産相続の話し合いのために、見ず知らずの家族と顔を合わせるのも気が重くて……。そもそも、遺産なんていらないんです。そちらで勝手にやってください、という気持ちで」
「相続放棄をご希望なんですね」
「はい。できれば、先方とは顔を合わせずに」
 妹も同じ意向だという。

 玲は通知文書に目を通した。
「なるほど。亡くなられたお父様とは、あなたが二歳の頃にご両親が離婚されて以来、交流がなかった。それでも実子であるため、法定相続人であると通知が来た、ということですね」
「はい」
「ただ、今後も先方のご家族とは直接関わらずに、相続放棄をしたい、と」
「はい」
「相続放棄そのものについては、お父様のご親族と直接お会いしなくても手続きできます」
「本当ですか?」
 女性の表情が、わずかに緩んだ。

「相続放棄は、ほかの相続人と話し合って決めるものではありません。お父様の最後の住所地を管轄する家庭裁判所に、相続放棄の申述をします。ですから、遺産分割協議に参加したり、先方のご家族と顔を合わせたりする必要はありません」
「じゃあ、私は何もしなくても……」
「いえ。そこだけは少し違います」
 玲は通知文書を机に置いた。

「『遺産はいりません』と先方に伝えるだけでは、法律上の相続放棄にはなりません。正式に放棄するのであれば、家庭裁判所で手続きをする必要があります」
「そうなんですね……」
「それと、確認しておきたいことがあります。この通知を受け取ったのは、いつですか?」
「一週間くらい前です」
「それ以前に、お父様が亡くなったことは知っていましたか?」
「いいえ。この手紙で初めて知りました」
「わかりました」
 玲は手元のメモに日付を書き込む。

「相続放棄には、原則として、自分のために相続の開始があったことを知った時から三か月以内という期限があります。今回のお話だと、この通知を受け取って初めて、お父様の死亡と、ご自身が相続人であることを知ったということですね」
「はい」
「でしたら、まず期限を確認しながら、必要な戸籍などを集めて申述の準備を進めます」
「妹も一緒にできますか?」
「手続き自体は、お二人それぞれが行うことになります。ただ、必要書類の収集などは並行して準備できますよ」
「よかった……」
 女性は、ようやく小さく息を吐いた。

「先方の人たちと会わなくて済むなら、それだけでも安心です」
「そうですね。ただ――」
 玲は、もう一度通知文書に目を落とした。

「相続放棄をする前に、最低限確認しておいたほうがいいことがあります」
「確認、ですか?」
「はい。お父様にどの程度の財産や負債があるのか。それから、この通知を送ってきた弁護士が、誰の代理人として連絡してきているのか」
「……重要なんですか?」
「かなり重要です」
 玲は静かに答えた。

「もちろん、相続放棄をするというお気持ちが固まっているのであれば、その意思自体を変える必要はありません。ただ、手続きを進める前に、少なくとも、どんな財産や負債があり、誰が相続人なのかは確認しておいたほうが安全です」

「どういう相続か……」

「はい。相続の対象になるのは、預金や不動産だけではありません。借金などのマイナスの財産も含まれます。それに、先方がどのような前提で連絡してきているのか、相続関係に漏れがないかも確認しておく必要があります」

「なるほど……」

「相続放棄するから何も知らなくていい、というわけではないんです。むしろ、放棄するからこそ、余計な書類に署名したり、相続財産に手をつけたりしないよう、状況を整理しておいたほうがいいです」

 女性は少し考えるように通知文書を見つめた。
「……わかりました。お願いします」
「承知しました」
 玲は頷く。

「こちらで受任すれば、今後の先方との連絡窓口は、基本的に僕に一本化できます。できる限り、ご本人が直接やり取りをしなくても済むように進めましょう」

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