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「先生!」
事務所へ戻るなり、玲は武蔵のところへ駆け寄った。
「どうだった」
「認められました!」
「うん」
「かなり認められました!」
「よかったな」
「はい!」
玲は満面の笑みを浮かべる。
その笑顔は、弁護士になっても昔とほとんど変わらない。
武蔵が思わず笑った。
「依頼人には?」
「今から連絡します」
「じゃあ先にして」
「あ」
「僕への報告より依頼人が先」
「すみません!」
玲は慌てて自分のデスクへ戻った。
すぐに電話をかける。
「もしもし。神城です」
『先生』
「今日、判決が出ました」
一瞬。
電話の向こうが静かになった。
「裁判所は、こちらが請求した損害について、かなりの部分を認めました」
『……本当ですか』
「はい」
『……』
「婚約指輪や、結婚式関係の実損。それから、慰謝料も認められています」
男性は何も言わない。
玲は少しだけ待った。
やがて。
『……よかった』
震えた声が聞こえた。
『本当に……よかった……』
「はい」
『僕……』
すすり泣く音がする。
『ずっと、自分が馬鹿だっただけなんじゃないかって思ってたんです』
「……」
『勝手に信じて。勝手に舞い上がって。結婚できると思って……』
「違います」
玲は思わず言った。
すぐに。
少しだけ言葉を選ぶ。
「少なくとも、裁判所は、あなたが単に勝手な思い込みをしていたという前提では判断していません」
『……』
「結婚するつもりだったことも。そのためにお金を使ったことも。そして、被告が既婚者であることを隠していたことも。提出した証拠に基づいて判断されています」
『……はい』
「だから」
玲は声を柔らかくする。
「あなたが信じたことそのものを、責める必要はないと思います」
電話の向こうから。
長い息が聞こえた。
『ありがとうございます』
「……はい」
『神城先生にお願いして、本当によかった』
その言葉に。
玲は、一瞬何も言えなかった。
「……ありがとうございます」
電話を切ったあと。
玲はしばらくスマートフォンを見つめていた。
武蔵が声をかける。
「どうした」
「先生」
「ん?」
「……嬉しいですね」
「何が?」
「依頼人に、お願いしてよかったって言われるの」
武蔵は微笑んだ。
「そうだね」
「なんか……」
玲は自分の胸元を押さえた。
「弁護士になったんだなって、初めて思いました」
「登録した日じゃなくて?」
「あの日は、弁護士バッジ見てニヤニヤしてただけなんで」
「知ってる」
「見てたんですか!?」
「デスクで十五分くらい眺めてたよね」
「先生!」
「写真も撮ってたなぁ」
「やめてください!」
武蔵が笑う。
玲は顔を赤くして抗議した。
けれど。
その日の夕方。
もう一つ連絡が入った。
「神城先生」
事務スタッフから声をかけられる。
「はい?」
「例の件ですけど、相手方――婚約者のご主人側の代理人から連絡が来ています」
玲の表情が変わった。
「……慰謝料請求の件ですか?」
「はい」
「代わります」
玲は受話器を取った。
「お電話代わりました。代理人の神城です」
『――先生。先日は資料をご送付いただきありがとうございました』
「はい」
夫側には、すでに証拠を送っている。
依頼人が、女性を独身だと信じていたこと。
結婚するつもりだったこと。
女性が依頼人の両親へ挨拶していたこと。
結婚式場まで予約されていたこと。
そして。
依頼人自身もまた、女性から欺かれていたこと。
そのすべて。
『当方依頼人とも協議いたしました』
「はい」
『結論から申し上げます』
玲は姿勢を正した。
『当方依頼人とも協議した結果、貴依頼人に対する慰謝料請求は撤回することとなりました』
「……!」
思わず声が出そうになる。
玲は寸前で堪えた。
「その理由を確認してもよろしいでしょうか」
『送付いただいた資料を検討しました』
相手方弁護士は淡々と話す。
『少なくとも現時点で、そちらの依頼人が当方依頼人の妻を既婚者だと認識していたと裏付ける資料は確認できませんでした』
「はい」
『むしろ、婚姻予定者として行動していたことを示す資料が多数あります』
玲は黙って聞く。
『当方としても、責任を追及すべき相手を誤るべきではないと判断しました』
「……ありがとうございます」
『礼を言われることではありません。こちらも事実関係を確認した結果です』
「はい」
電話を切る。
玲は、しばらく受話器を握ったまま動かなかった。
「玲?」
武蔵がこちらを見る。
「……先生」
「どうした」
「夫側の請求」
「うん」
「撤回するって」
武蔵の表情が緩んだ。
「そうか」
「……はい」
「よかったね」
「はい」
玲はすぐに依頼人へ電話をした。
数回の呼び出し音。



