人気が少なくなってきた表道。
そこを三人の少年少女が駆け抜ける。
「大天狗かただの天狗か、それは分かりませんでした。もしかしたらどちらでもない可能性も…」
「……というと…?」
「烏天狗の可能性もあります。でも普通の天狗の下につくとは考えられないし……」
セオと麗子は着物を軽く上げつつ走り、セオと速真はその妖怪について話していた。
だが、その内容は何一つ麗子の耳には届かない。
(今までそんな話、二人から全く聞いたこともない…)
妖怪。
見える、聞こえる。
天狗。
そしてそれを語るセオ。
麗子はそれらを悶々と考えていた。
「その…天狗が、颯太を攫ったとは言い切れるの?」
「はい。夕暮れ時。若い男。あちら側に近い者。条件は揃っています。あと私の直感です。」
セオは動じることなく言葉を並べる。
彼女の落ち着き様に速真は驚かされる。
「天狗は山にいるのでしょう?なら日が暮れると探すのは難儀しますね。」
速真は的を射た内容を口にする。
それに対してセオは頷きを見せた。
***
「______行き止まり、ですね。」
セオは呟く。
先程まで続いていた道は段々と草木に覆われていき、最終的には山に入る前に、高く聳える草によって行く手を阻まれる。
「警察に頼んだ方が早いんじゃないの。」
セオは顔を顰める。
『それはダメだ』とでも言いたげに。
速真は顔を横に向けてセオのその顔を見ると、その草の前に立ちはだかる。
「僕が草を踏んで前を歩きます。二人はそれに着いて来て下さい。」
振り返ってそう言ってから、速真は躊躇うことなく草むらの中へと入る。草を横から踏み倒して行く。踏んだ後に草が起き上がろうとしないのを確認しつつ、速真は黙々と進む。
セオは速真の背を呆然と眺めていた。
(懐かしい……真っ直ぐなところ。
__________え?)
セオは目を見開いた自分の頬を手の平で叩く。
自分がどうしてそんなことを考えたのか、何を考えたのか、セオ自身、何も分からない。
セオは軽く頭を横に振り、目の前の速真の後へと続く。
そしてそんなセオの後ろを麗子が。
草の中から現れる小さな住者たちを見下ろしながら、やっとその彼等の住処を抜けた。
その先には立ち並ぶ竹藪。
空気がそう言っている。
この先は、天狗のいる山だと。
「行きましょう。天狗は、此処にいます。」
確かな確信を持って、セオは断定した。
***
「そもそもどういった妖怪なの?天狗は顔が赤くて鼻が長い、ってぐらいなら知ってるけれど。」
「その通りです。烏天狗の天狗との違いは嘴があること、その程度です。」
速真は前を走るセオの横顔を盗み見した。
慌てる様子が一欠片も滲み出ていない、彼女の顔を。
「セオさんは天狗に会ったことがあるのですか?」
「________分かりません。」
「大体、彼等の目的は何?颯太を攫ってどうしようっていうの?」
速真と麗子の頭には悪い想像が浮かび上がる。
竹藪の中、彼等の先にて光が差し込む地ありけり。
「見れば分かります。」
「て言ったって私は」
「貴方ももうこの山に足を踏み入れ、関わってしまった。もう、戻れません。」
傾いていたはずの太陽。
それがその場所にだけ光を注いでいた。
光がギリギリ当たらない場所まで辿り着いた三人は足を止める。
目の前の光景を、五感で感じた。
自然を感じさせる匂い。
竹藪をすり抜けてくる清々しい風。
山独特の新鮮な空気。
翼を持つ、両腕を大きく広げた青年と、その前で頭を抱える颯太。
颯太の隣に立つ、翼を持ったまた違う青年。
そして、
「ほら!読め!読むんだ!俺の心を!」
「ん〜〜〜」
「無理だってさ。」
「いや出来る!お前なら!俺が腹が減っているということを!」
「答え言ってんじゃん。」
「分かった!腹減ってる!」
「大正解花丸満点!」
「へへっ」
「意味分かんね。」
・・・・・・
「「_______え?」」
「えっ、どういうこと?颯太何してんのよ。」
「それにあの人たちは?もしかして…」
竹の影に隠れたまま、二人は小声で動揺しながら話す。
落ち着いた顔立ちだったはずの麗子は顔にそのまま感情が現れている。
速真も落ち着いているかのように振る舞う。
「はい。天狗です。」
「一体何を…」
「それは……まぁ、本人達に聞きましょうか。」
セオは分かりきっているかのような口調でそう言い、光が当たる土を踏む。
「あの、お取り込み中の所御免なさい。
そちらの方、返していただけませんか。私の恩人の友人なのです。」
セオの声を聞いて、三人はこちらを振り返る。
(あ、速真ん家にいたあの女の子じゃん。)
一人の青年は血相を変え、口を開いては閉じと繰り返す。
何とか絞り出した言葉は、
「やっべ顔、顔見られちまった…!どうしよどうしよ!」
「落ち着け。」
両腕を広げていた青年はあたふたし始め、腰の後ろに手を回す。
地面に落としながらも取り出したそれはお面。
赤い顔に高い鼻。
それを自身の顔に付けようと奮闘していた。
「だぁから落ち着けってば。よく見ろ。あいつ人間じゃねぇ。」
「は?!」
それを聞いて、青年はセオのことを訝しげな視線で頭の先から足の先まで這わせていく。
「どっからどーみても人間じゃん。」
「それを言ったら俺たちだって翼無けりゃ人間だ。
というか、妖怪でもない、だろ?」
鋭い視線を感じ、セオはゆっくりと頷いた。
すると、
二人の青年の空気は一瞬にして変わる。
それを感じ取った颯太はセオの元へと走り出し、竹影から見守っていた麗子の手招きに気付いた。
柔らかな風は一風変わり強くなる。
暖かな光も、まるで雲が遮ったかのようなものに変わる。
「人間でも、妖怪でもない。」
「それって、つまり……
───────────────神か。」
あの陽気そうだった青年は手に持っていた面を頭の横で結ぶ。
もう一人の青年も嘴のついた面を取り出し、頭の横に結ぶ。
「お偉い様が俺様達の山に何のようだ。」
「ただ彼を返して欲しかっただけです。もう用はないので」
「いーや。俺様の山に足を踏み入れたんだ。生きて帰れると思うなよ。」
青年はセオを強く睨む。
沈黙が続いた後、羽が羽ばたく音が響き渡る、
突如として彼は、セオへと一直線に小刀で切り掛かっていた。
だがそれはセオには届かない。
「天!お前のその落ち着きのなさ、悪い所だぞ。」
「どけ烏。神が俺の陣地に入って来たんだぞ。生かして返すわけにはいかねぇ。」
烏と呼ばれた、嘴の面を付けている青年。
彼はセオの前で小型を指先で受け止めていた。
セオは何一つ動かない。
まるで遮られることを分かっていたかのように。
「おいてめぇ。何の神だぁ?大山津見神か?月読命?木花?」
「バチ当たんぞ。名前略すな。」
セオは視線を下に向けた。
彼等は、現役の神だと信じて疑わないらしいから。
「私は、________もう神なんて名乗れません。」
天と呼ばれたおそらく天狗であろう青年は力を緩め、小刀を地面に落とした。
烏もセオへと振り返り目を見開く。
「そうか、_____禍津神か。」
烏は辿り着いた答えを口にする。
天は身体を起こし、セオへと向かい合う。
「謝れ天。功労者だぞ。」
「えっ?ご、ごめん。禍津神とは知らなかった。」
心なしか天の跳ねた髪の毛が萎んでいるように見える。
彼等から感じられるのは、
(同情…?)
速真は遠目にその様子を観察していた。
そして隣にいた麗子も、一筋の汗を垂らす。
「どうして謝るのですか。功労者って…」
「は?知らねぇのか。」
「待て天。禍津神に堕ちた神は記憶を失う。どうして堕ちたのかも、覚えてないはずだ。」
「あっ、あぁ、そっか。悪ぃ。
あと人間も。」
天は身体を傾け、竹に隠れた颯太へと話しかけた。
セオは速真と視線を合わせ、首を縦に振る。
「颯太を…人間を攫って何をしようとしていたんですか。」
速真は立ち上がり、セオの元へと歩いていく。
速真の背を見て、麗子と颯太も続いた。
「俺たち何百年って生きてるけど、まだ他の天狗みてぇに取ったことがねぇんだ。
──────────────弟子。」
「「_________は?」」
速真と麗子の声。
それは何とか捻り出した一言だった。
「天狗は才能がある者を攫って育てます。そしてその子供が人の居住地に返された時に偉業として後世に継がせるのだとか。」
「あんた禍津神なのに詳しいな。」
「他の天狗は本に書かれてたりしてんのに俺だけ出遅れてんだよぉ…」
「_______まぁ、もう分かってるだろうけどこいつが天狗。天でいい。俺は烏天狗、烏だ。」
烏は颯太へと身体を向ける。
「改めて、悪かったな。こいつの我儘に付き合わせて。」
「ああいや。俺も楽しかったからいいよ。神通力も何も使えなかったけどな。」
「それは天の教え方が悪かっただけで」
「おい!」
「君はちゃんと才能はあると思うよ。」
颯太はその言葉に驚いてから「へへっ」と笑った。
「神隠しをしたがるのは天狗の習性みてぇなもんなんだ。」
頭の横で結んだ面の紐を一生懸命に解こうとする天を、烏は一瞥した。
そんな烏に、速真は先程から引っ掛かっていたことについて質問した。
「烏さんは、禍津神について何かご存知ですか。」
「少しだけ。神よりは浅いけどな。」
「教えて、いただけませんか。」
烏と速真の会話。
それにセオも加わった。
「知りたいのです。自分のこと。」
セオは自分の胸に手を当てる。
思いつつも言葉にしていなかったそれを、今此処で口にした。
「______禍津神は堕ちた時にそれまでの記憶が封印される。だからまだお前の中に記憶はある。」
烏はセオの胸の中心を指差した。
ここに、自身の記憶はあるのだと、
消えてはいない、ここに眠っているのだと。
「なら、その封印を解けば」
「いややめとけ。解いたらどうなるのか、俺は知らない。けどそれは、運命に逆らう事になる。天罰が下るぞ。」
念を押すかのようにセオに言い聞かせた。
「会ったばかりの元神様の手助けでこっちにも火の粉が飛ぶなんて、俺は御免被るね。」
烏の言い分は尤もで、セオにそれを責める意思なんて微塵も無かった。
自分のことを知りたいのに、知ってはいけない。
「禍津神から、元の神様に戻ることは出来ないのですか?」
胸を衝かれるセオの隣で、速真は希望を見出すかのように口にした。
彼女の悲しみを、少しでも軽くする為に。
「悪ぃけど、俺はそんなに詳しくねぇ。神のことだって年の割に知らねぇし。こいつのせいで。」
「え?俺?てか烏これ外してくんね?」
烏の言う天は未だに面の紐を解けていなかった。
何なら先程までよりも乱雑な結び目になっているような。
「こいつが前の山で大山咋神と喧嘩しちまったんだ。あっちの方が先住だったのに天が俺の山って言い出して…」
「だってあいつより俺の方が強いし!俺がいる山は俺の山なんだっ!」
「いつまでそんなこと言ってんだよ。」
烏は腹が立ちながらもその紐を解いてあげる。
「あんたらの名前は?」
「私は天津速真と申します。」
「俺は白石颯太。」
「柳田麗子。」
そして、烏と天の視線はセオへと注がれる。
天の視線はどこか申し訳なさのようなものを感じる。
セオが答えられないと思っているような。
「私はセオ、です。」
その二文字と彼女の表情から、烏は察したかのような顔をする。
「分かった、覚えておく。
こいつには神隠しも程々にするよう言い聞かせとくから、もう帰れよ。日が暮れちまった。人間にとっては危ねぇだろ。」
彼等のいる場所は変わらず光が当たっている。
だが、もう外は陽のない刻と言うのだ。
俄には信じがたいはずなのに、信じてしまう。
烏の視線は速真へ。
速真も頷いて身体を横に向けた。
「帰りましょうか、セオさん。」
「_______はい。」
速真は麗子と颯太にも視線で伝える。
「何かあったらまた来いよ!」
「お前の助けなんか微力にもならねぇだろうがな。」
四人は軽く頭を下げてから再び影の落ちる竹藪の中へと戻って行く。
来た道は、案外帰る時の方が早く感じられた。
残された二人の天狗は彼らの背が変えてからもその方向を見据えていた。
「可哀想だな。禍津神って。」
「んなこと言うなよ。
可哀想かどうか決めるのはあいつ自身だ。」
「_________そっか。」
暫く時間が経った後。
風が一際大きく揺れた。
「山から去ったな…?」
「無事出れたみてぇでなにより。」
「まっ!俺様の山に入るやつなんていねぇよ!」
「はははー。」
「あ?!何だよ烏!」
その天の口が閉じると同時に、山の気温が冷めた。
竹藪の影がより一層黒さを増し…
──────────ポンッ
突如としてその場に響き渡った高い音。
天狗達は動きを止め、竹の揺れる音が止む。
訪れる静寂。
重たい面持ちで口を開いたのは天だった。
「烏、今の。」
「あぁ、何の音だ。気配も何も無かった。」
音が鳴ったのが何処からか、
何の音か、
何が奏でたものか、
何も分からない。
ただその二体の妖怪は視線だけで周囲を探るだけだった。
そこを三人の少年少女が駆け抜ける。
「大天狗かただの天狗か、それは分かりませんでした。もしかしたらどちらでもない可能性も…」
「……というと…?」
「烏天狗の可能性もあります。でも普通の天狗の下につくとは考えられないし……」
セオと麗子は着物を軽く上げつつ走り、セオと速真はその妖怪について話していた。
だが、その内容は何一つ麗子の耳には届かない。
(今までそんな話、二人から全く聞いたこともない…)
妖怪。
見える、聞こえる。
天狗。
そしてそれを語るセオ。
麗子はそれらを悶々と考えていた。
「その…天狗が、颯太を攫ったとは言い切れるの?」
「はい。夕暮れ時。若い男。あちら側に近い者。条件は揃っています。あと私の直感です。」
セオは動じることなく言葉を並べる。
彼女の落ち着き様に速真は驚かされる。
「天狗は山にいるのでしょう?なら日が暮れると探すのは難儀しますね。」
速真は的を射た内容を口にする。
それに対してセオは頷きを見せた。
***
「______行き止まり、ですね。」
セオは呟く。
先程まで続いていた道は段々と草木に覆われていき、最終的には山に入る前に、高く聳える草によって行く手を阻まれる。
「警察に頼んだ方が早いんじゃないの。」
セオは顔を顰める。
『それはダメだ』とでも言いたげに。
速真は顔を横に向けてセオのその顔を見ると、その草の前に立ちはだかる。
「僕が草を踏んで前を歩きます。二人はそれに着いて来て下さい。」
振り返ってそう言ってから、速真は躊躇うことなく草むらの中へと入る。草を横から踏み倒して行く。踏んだ後に草が起き上がろうとしないのを確認しつつ、速真は黙々と進む。
セオは速真の背を呆然と眺めていた。
(懐かしい……真っ直ぐなところ。
__________え?)
セオは目を見開いた自分の頬を手の平で叩く。
自分がどうしてそんなことを考えたのか、何を考えたのか、セオ自身、何も分からない。
セオは軽く頭を横に振り、目の前の速真の後へと続く。
そしてそんなセオの後ろを麗子が。
草の中から現れる小さな住者たちを見下ろしながら、やっとその彼等の住処を抜けた。
その先には立ち並ぶ竹藪。
空気がそう言っている。
この先は、天狗のいる山だと。
「行きましょう。天狗は、此処にいます。」
確かな確信を持って、セオは断定した。
***
「そもそもどういった妖怪なの?天狗は顔が赤くて鼻が長い、ってぐらいなら知ってるけれど。」
「その通りです。烏天狗の天狗との違いは嘴があること、その程度です。」
速真は前を走るセオの横顔を盗み見した。
慌てる様子が一欠片も滲み出ていない、彼女の顔を。
「セオさんは天狗に会ったことがあるのですか?」
「________分かりません。」
「大体、彼等の目的は何?颯太を攫ってどうしようっていうの?」
速真と麗子の頭には悪い想像が浮かび上がる。
竹藪の中、彼等の先にて光が差し込む地ありけり。
「見れば分かります。」
「て言ったって私は」
「貴方ももうこの山に足を踏み入れ、関わってしまった。もう、戻れません。」
傾いていたはずの太陽。
それがその場所にだけ光を注いでいた。
光がギリギリ当たらない場所まで辿り着いた三人は足を止める。
目の前の光景を、五感で感じた。
自然を感じさせる匂い。
竹藪をすり抜けてくる清々しい風。
山独特の新鮮な空気。
翼を持つ、両腕を大きく広げた青年と、その前で頭を抱える颯太。
颯太の隣に立つ、翼を持ったまた違う青年。
そして、
「ほら!読め!読むんだ!俺の心を!」
「ん〜〜〜」
「無理だってさ。」
「いや出来る!お前なら!俺が腹が減っているということを!」
「答え言ってんじゃん。」
「分かった!腹減ってる!」
「大正解花丸満点!」
「へへっ」
「意味分かんね。」
・・・・・・
「「_______え?」」
「えっ、どういうこと?颯太何してんのよ。」
「それにあの人たちは?もしかして…」
竹の影に隠れたまま、二人は小声で動揺しながら話す。
落ち着いた顔立ちだったはずの麗子は顔にそのまま感情が現れている。
速真も落ち着いているかのように振る舞う。
「はい。天狗です。」
「一体何を…」
「それは……まぁ、本人達に聞きましょうか。」
セオは分かりきっているかのような口調でそう言い、光が当たる土を踏む。
「あの、お取り込み中の所御免なさい。
そちらの方、返していただけませんか。私の恩人の友人なのです。」
セオの声を聞いて、三人はこちらを振り返る。
(あ、速真ん家にいたあの女の子じゃん。)
一人の青年は血相を変え、口を開いては閉じと繰り返す。
何とか絞り出した言葉は、
「やっべ顔、顔見られちまった…!どうしよどうしよ!」
「落ち着け。」
両腕を広げていた青年はあたふたし始め、腰の後ろに手を回す。
地面に落としながらも取り出したそれはお面。
赤い顔に高い鼻。
それを自身の顔に付けようと奮闘していた。
「だぁから落ち着けってば。よく見ろ。あいつ人間じゃねぇ。」
「は?!」
それを聞いて、青年はセオのことを訝しげな視線で頭の先から足の先まで這わせていく。
「どっからどーみても人間じゃん。」
「それを言ったら俺たちだって翼無けりゃ人間だ。
というか、妖怪でもない、だろ?」
鋭い視線を感じ、セオはゆっくりと頷いた。
すると、
二人の青年の空気は一瞬にして変わる。
それを感じ取った颯太はセオの元へと走り出し、竹影から見守っていた麗子の手招きに気付いた。
柔らかな風は一風変わり強くなる。
暖かな光も、まるで雲が遮ったかのようなものに変わる。
「人間でも、妖怪でもない。」
「それって、つまり……
───────────────神か。」
あの陽気そうだった青年は手に持っていた面を頭の横で結ぶ。
もう一人の青年も嘴のついた面を取り出し、頭の横に結ぶ。
「お偉い様が俺様達の山に何のようだ。」
「ただ彼を返して欲しかっただけです。もう用はないので」
「いーや。俺様の山に足を踏み入れたんだ。生きて帰れると思うなよ。」
青年はセオを強く睨む。
沈黙が続いた後、羽が羽ばたく音が響き渡る、
突如として彼は、セオへと一直線に小刀で切り掛かっていた。
だがそれはセオには届かない。
「天!お前のその落ち着きのなさ、悪い所だぞ。」
「どけ烏。神が俺の陣地に入って来たんだぞ。生かして返すわけにはいかねぇ。」
烏と呼ばれた、嘴の面を付けている青年。
彼はセオの前で小型を指先で受け止めていた。
セオは何一つ動かない。
まるで遮られることを分かっていたかのように。
「おいてめぇ。何の神だぁ?大山津見神か?月読命?木花?」
「バチ当たんぞ。名前略すな。」
セオは視線を下に向けた。
彼等は、現役の神だと信じて疑わないらしいから。
「私は、________もう神なんて名乗れません。」
天と呼ばれたおそらく天狗であろう青年は力を緩め、小刀を地面に落とした。
烏もセオへと振り返り目を見開く。
「そうか、_____禍津神か。」
烏は辿り着いた答えを口にする。
天は身体を起こし、セオへと向かい合う。
「謝れ天。功労者だぞ。」
「えっ?ご、ごめん。禍津神とは知らなかった。」
心なしか天の跳ねた髪の毛が萎んでいるように見える。
彼等から感じられるのは、
(同情…?)
速真は遠目にその様子を観察していた。
そして隣にいた麗子も、一筋の汗を垂らす。
「どうして謝るのですか。功労者って…」
「は?知らねぇのか。」
「待て天。禍津神に堕ちた神は記憶を失う。どうして堕ちたのかも、覚えてないはずだ。」
「あっ、あぁ、そっか。悪ぃ。
あと人間も。」
天は身体を傾け、竹に隠れた颯太へと話しかけた。
セオは速真と視線を合わせ、首を縦に振る。
「颯太を…人間を攫って何をしようとしていたんですか。」
速真は立ち上がり、セオの元へと歩いていく。
速真の背を見て、麗子と颯太も続いた。
「俺たち何百年って生きてるけど、まだ他の天狗みてぇに取ったことがねぇんだ。
──────────────弟子。」
「「_________は?」」
速真と麗子の声。
それは何とか捻り出した一言だった。
「天狗は才能がある者を攫って育てます。そしてその子供が人の居住地に返された時に偉業として後世に継がせるのだとか。」
「あんた禍津神なのに詳しいな。」
「他の天狗は本に書かれてたりしてんのに俺だけ出遅れてんだよぉ…」
「_______まぁ、もう分かってるだろうけどこいつが天狗。天でいい。俺は烏天狗、烏だ。」
烏は颯太へと身体を向ける。
「改めて、悪かったな。こいつの我儘に付き合わせて。」
「ああいや。俺も楽しかったからいいよ。神通力も何も使えなかったけどな。」
「それは天の教え方が悪かっただけで」
「おい!」
「君はちゃんと才能はあると思うよ。」
颯太はその言葉に驚いてから「へへっ」と笑った。
「神隠しをしたがるのは天狗の習性みてぇなもんなんだ。」
頭の横で結んだ面の紐を一生懸命に解こうとする天を、烏は一瞥した。
そんな烏に、速真は先程から引っ掛かっていたことについて質問した。
「烏さんは、禍津神について何かご存知ですか。」
「少しだけ。神よりは浅いけどな。」
「教えて、いただけませんか。」
烏と速真の会話。
それにセオも加わった。
「知りたいのです。自分のこと。」
セオは自分の胸に手を当てる。
思いつつも言葉にしていなかったそれを、今此処で口にした。
「______禍津神は堕ちた時にそれまでの記憶が封印される。だからまだお前の中に記憶はある。」
烏はセオの胸の中心を指差した。
ここに、自身の記憶はあるのだと、
消えてはいない、ここに眠っているのだと。
「なら、その封印を解けば」
「いややめとけ。解いたらどうなるのか、俺は知らない。けどそれは、運命に逆らう事になる。天罰が下るぞ。」
念を押すかのようにセオに言い聞かせた。
「会ったばかりの元神様の手助けでこっちにも火の粉が飛ぶなんて、俺は御免被るね。」
烏の言い分は尤もで、セオにそれを責める意思なんて微塵も無かった。
自分のことを知りたいのに、知ってはいけない。
「禍津神から、元の神様に戻ることは出来ないのですか?」
胸を衝かれるセオの隣で、速真は希望を見出すかのように口にした。
彼女の悲しみを、少しでも軽くする為に。
「悪ぃけど、俺はそんなに詳しくねぇ。神のことだって年の割に知らねぇし。こいつのせいで。」
「え?俺?てか烏これ外してくんね?」
烏の言う天は未だに面の紐を解けていなかった。
何なら先程までよりも乱雑な結び目になっているような。
「こいつが前の山で大山咋神と喧嘩しちまったんだ。あっちの方が先住だったのに天が俺の山って言い出して…」
「だってあいつより俺の方が強いし!俺がいる山は俺の山なんだっ!」
「いつまでそんなこと言ってんだよ。」
烏は腹が立ちながらもその紐を解いてあげる。
「あんたらの名前は?」
「私は天津速真と申します。」
「俺は白石颯太。」
「柳田麗子。」
そして、烏と天の視線はセオへと注がれる。
天の視線はどこか申し訳なさのようなものを感じる。
セオが答えられないと思っているような。
「私はセオ、です。」
その二文字と彼女の表情から、烏は察したかのような顔をする。
「分かった、覚えておく。
こいつには神隠しも程々にするよう言い聞かせとくから、もう帰れよ。日が暮れちまった。人間にとっては危ねぇだろ。」
彼等のいる場所は変わらず光が当たっている。
だが、もう外は陽のない刻と言うのだ。
俄には信じがたいはずなのに、信じてしまう。
烏の視線は速真へ。
速真も頷いて身体を横に向けた。
「帰りましょうか、セオさん。」
「_______はい。」
速真は麗子と颯太にも視線で伝える。
「何かあったらまた来いよ!」
「お前の助けなんか微力にもならねぇだろうがな。」
四人は軽く頭を下げてから再び影の落ちる竹藪の中へと戻って行く。
来た道は、案外帰る時の方が早く感じられた。
残された二人の天狗は彼らの背が変えてからもその方向を見据えていた。
「可哀想だな。禍津神って。」
「んなこと言うなよ。
可哀想かどうか決めるのはあいつ自身だ。」
「_________そっか。」
暫く時間が経った後。
風が一際大きく揺れた。
「山から去ったな…?」
「無事出れたみてぇでなにより。」
「まっ!俺様の山に入るやつなんていねぇよ!」
「はははー。」
「あ?!何だよ烏!」
その天の口が閉じると同時に、山の気温が冷めた。
竹藪の影がより一層黒さを増し…
──────────ポンッ
突如としてその場に響き渡った高い音。
天狗達は動きを止め、竹の揺れる音が止む。
訪れる静寂。
重たい面持ちで口を開いたのは天だった。
「烏、今の。」
「あぁ、何の音だ。気配も何も無かった。」
音が鳴ったのが何処からか、
何の音か、
何が奏でたものか、
何も分からない。
ただその二体の妖怪は視線だけで周囲を探るだけだった。


