飛鳥はこの三日ほど、昼休みは扉もカーテンも締め切り、一人で翔を待っていた。和樹は何かと用事があるらしく、なぜだか翔と昼食を食べるように念を押すだけで一緒にはいてくれない。だから、少しだけ秘密の質問をしたくなったのだ。相手はもちろんタロットカードである。
「翔が想う相手はどんな人ですか」
そう言って、カードをノックした。ずっと気になっていたのだ。カードはなんと答えるだろう。ところが純粋な気持ちで並べたカードをめくった時、飛鳥の胸は急に痛んだ。胸をおさえつつ、ファーストインプレッションが正しいのか深くリーディングしていく。
「明るい感じだな。無垢で、可愛い感じ。ちょっと浮世離れ? でも、相性は良さそう」
そこから数秒間その結果を眺めて、飛鳥はさっとカードをまとめた。なんだか相手のことを想像すると、モヤモヤして嫌な感じだ。それに加えて、勝手に占ったことに対する罪悪感も湧いてくる。
「まあ、占いは占いだからな」
そう自分に言い聞かせて、飛鳥は立ち上がった。翔がいつもより遅い気がする。でも、そもそも毎日来るとも限らないのだ。今日は約束したわけでもない。ただ、今更他の人を占う気にもなれなくて、飛鳥は久方ぶりに購買へと足を向けた。
ところが、その途中に翔の姿があった。綺麗な女子生徒に囲まれて、何やら楽しそうに話している様子に唇を引き結ぶ。
「純粋で優しくて、とびきり可愛い人です」
「それって、私たちより?」
「……俺にとっては一番です」
漏れ聞こえてくる声。これは、恋バナと言うやつだろうか。やっと静まったと思った心臓がドクドクと嫌な音を立てる。なぜショックを受けているのか、まったくわからない。でも真っ先に思ったのは、やはり翔には心から想う相手がいるということだ。
「やばいね。多分彼女のこと超好きなんだよ」
気がつけば翔の姿はなく、女子生徒たちが楽しそうに談笑しながら飛鳥の横を通り過ぎていく。
「彼女大事にするなんて、逆に株上がるってやつだよね」
気がつけば、「彼女……」と呟いていた。そうだ、すでに結ばれている可能性もある。そうなると、兄貴だなんて追いかけ回している飛鳥は邪魔ではないだろうか。気が遠くなって、頭がふらりと揺れた。なんだか、もう全部嫌になった。
◆
「飛鳥」
和樹の声に、恐る恐る目を開けた。保健室のベッドの横に立っているのは紛れもなく和樹一人で、飛鳥はほっと息を吐き出した。
「和樹、一人だよね?」
「そうだけど、なんで?」
「いや、なんでもない」
先ほどまで翔がベッド脇にいる気配があった。でも直接話すのが怖くて、飛鳥は一時間くらいずっと寝たふりをしていたのだ。
「倒れるなんて、やっぱり働きすぎなんじゃないの。もうちょっとで救急車騒ぎだよ」
「うん」
「本当に頭打ってないの?」
「ふらっとして転んだだけだから。それで立つのが面倒でそのまま寝てたら大惨事になった」
きっと呆れられるだろうと思ってちらりと和樹を見上げると、思った通り眉尻を下げて溜息をついた。
「疲れすぎて動けなかったんじゃないの。普通は恥ずかしくてすぐに立つもん」
そうかなと首を傾げて、確かになと頷いた。何もかも辞めたくなったのも、疲れすぎているからだろうか。
「飛鳥さあ。この前から思ってたんだけど、ツーリングの日にさ」
「……なに?」
「……いや、なんでもない。自分で気づかなきゃ意味ないし」
「なんだよ、それ」
「でも、自分のことって案外わからないものだよね」
「はあ? 俺はわかってるよ。馬車馬だし、居眠り小僧だし、相談屋。馬車馬以外は今日からやめるつもりだけどさ」
「ふふっ、無理無理。飛鳥はどうせどこでも寝るし、昼ご飯のために占いもするよ。それで、恋占いをするたびに心がざわつくんだ」
まだそんなつもりはないけれど、和樹の言うことは多分図星で、反論もできずに目を瞬かせる。
「自分のことって本当にわからないんだよ。家族と限られた世界でずっと生きられるとは限らない」
「うん」
「俺もさ、最近知ったんだよ。もしかしたら、手のかかる幼馴染のことが特別好きなのかな、とか」
「……え?」
驚きで目を見開く。
「和樹、幼馴染いるの? 俺以外に? 嫉妬するんだけど」
飛鳥が矢継ぎ早に尋ねると、和樹は優しく目元をゆるめて「そうだね」と答えにならない答えをくれた。
「そんなことはどうでもよくて。ずっと付き添っていた翔がどうしていないと思う?」
「先に帰ったから」
「惜しい。バイクを取りに帰ったから。そろそろくるよ」
同時に、控えめに保健室の扉を開ける音が聞こえてくる。
「和樹」
翔の声に、あわてて目を瞑った。和樹が少しだけ笑った気配に、心底恨めしく思う。幼馴染の和樹が誰かに恋をするなんて、それはそれはとんでもない衝撃だ。後できちんと問い詰めようと決意しつつも、心臓は翔の登場に戸惑ってドクドクと脈打っている。
「翔、入っていいよ。まだ寝てる」
カーテンが揺れる音に、翔がベッドの横まで来たことがわかった。
「そろそろ目覚めのキスでもすべきかなって思うんだけどさ、俺は遠慮しておきたくて。翔、する?」
「……するわけない」
今の一言で心臓から血が出たんじゃないだろうか。それほどまでに痛くて、悲しくて、同時に「はて?」と疑問符が浮かんだ。和樹に拒否されてもどうだって良いのに、翔の拒絶には流血騒ぎだなんて、飛鳥は何かおかしいのだろうか。ふと肩に触れた体温に、思わず瞼が反応してしまう。
「飛鳥くん」
「そろそろ起きろー」
瞼を開けるだけでギギギッと音がしそうだ。それでもなんとか目を開くと、翔の顔が思ったよりも近くにあって驚いた。
「起きられてよかった。バイクで送るから帰ろう」
断ろうと思った。それなのにどうしても首を横に振れない。その代わり差し伸べられた翔の手を、飛鳥はゆっくりと取った。
◆
春川飛鳥の人生には、春川飛鳥自身もわからないことがたくさんあるらしい。たとえば、本心とか。
飛鳥は今日やっと自分が疲労困憊であることを知った。バイトは苦ではないけれど、馬車馬というあだ名がつくだなんて考えものだ。週に一度くらいはゆっくり寝たいのかもしれない。その本心に、今やっと気がついた。それよりも大きな発見は、翔にしがみつくと高鳴る鼓動だ。そばにいられることが嬉しくて、やたらとにやけそうになる口元は誤魔化しようがない。でも少し考えると、心はしゅんと萎んでしまう。今まで恋について占ってきた生徒達に謝りたい気分だ。女心はそこそこ弁えているつもりだったし、男心も理解しているつもりだったけれど、一方通行の恋がこんなに辛いとは思わなかった。
あっという間に飛鳥の家に着いてしまうことが惜しくて、無駄に長くくっついてからゆっくりとバイクを降りた。ヘルメットを外してもらい、照れ隠しで頭を振る。するとふらりと眩暈がして、翔が慌てたように身体を支えてくれた。
「大丈夫?」
「ごめん、ごめん」
「頑張りすぎたんだね」
「うん、そうなのかな」
早く家に入るべきなのに、別れの言葉を口にしたくない。聞き分けのない子どもみたいな自分は初めてで、飛鳥は唇を引き結んだ。
「飛鳥くんは、可愛い」
「……え?」
「すごく可愛い。それに、明るくて純粋で、無垢に俺の心を救ってくれた。ちょっと変だけど」
変なのは翔の方だ。それなのに、それ以外の言葉が嬉しくて頬がゆるんでしまう。
「俺、飛鳥くんの兄貴辞めたいんだよね」
「えっ……」
天国から一転して大地獄だ。翔と飛鳥の唯一のつながりが、今失われそうになっているらしい。焦って言葉を探すけれど頭が回らなくて、結局こくりと頷いた。
「そんな顔しないでよ。これからだってゴールデン弁当もサイダーも俺が買うし、飛鳥くんだけをバイクに乗せる。飛鳥くんを守りたい気持ちだけで、どんな相手も背負い投げしてみせるよ」
「それは……」
「俺は飛鳥くんのことが好きってこと。この世の誰よりも」
翔は自分のヘルメットを被り直すと、飛鳥に向かって華麗にウィンクを決めてみせた。
「早くお家入って。何かあったら連絡して」
「う、うん」
戸惑いながらも玄関に向かうと、「飛鳥くん」と呼ばれる。
「今度嘘寝したら本当にキスするからね」
「キ、キス!?」
「絶対落としてみせるから」
ひらりと手を振って、バイクのエンジンをかけ、颯爽と去っていく後ろ姿を見送る。
今の、なんだろう。もうとっくに落ちているのに。
「翔って、鈍感だ」
「翔が想う相手はどんな人ですか」
そう言って、カードをノックした。ずっと気になっていたのだ。カードはなんと答えるだろう。ところが純粋な気持ちで並べたカードをめくった時、飛鳥の胸は急に痛んだ。胸をおさえつつ、ファーストインプレッションが正しいのか深くリーディングしていく。
「明るい感じだな。無垢で、可愛い感じ。ちょっと浮世離れ? でも、相性は良さそう」
そこから数秒間その結果を眺めて、飛鳥はさっとカードをまとめた。なんだか相手のことを想像すると、モヤモヤして嫌な感じだ。それに加えて、勝手に占ったことに対する罪悪感も湧いてくる。
「まあ、占いは占いだからな」
そう自分に言い聞かせて、飛鳥は立ち上がった。翔がいつもより遅い気がする。でも、そもそも毎日来るとも限らないのだ。今日は約束したわけでもない。ただ、今更他の人を占う気にもなれなくて、飛鳥は久方ぶりに購買へと足を向けた。
ところが、その途中に翔の姿があった。綺麗な女子生徒に囲まれて、何やら楽しそうに話している様子に唇を引き結ぶ。
「純粋で優しくて、とびきり可愛い人です」
「それって、私たちより?」
「……俺にとっては一番です」
漏れ聞こえてくる声。これは、恋バナと言うやつだろうか。やっと静まったと思った心臓がドクドクと嫌な音を立てる。なぜショックを受けているのか、まったくわからない。でも真っ先に思ったのは、やはり翔には心から想う相手がいるということだ。
「やばいね。多分彼女のこと超好きなんだよ」
気がつけば翔の姿はなく、女子生徒たちが楽しそうに談笑しながら飛鳥の横を通り過ぎていく。
「彼女大事にするなんて、逆に株上がるってやつだよね」
気がつけば、「彼女……」と呟いていた。そうだ、すでに結ばれている可能性もある。そうなると、兄貴だなんて追いかけ回している飛鳥は邪魔ではないだろうか。気が遠くなって、頭がふらりと揺れた。なんだか、もう全部嫌になった。
◆
「飛鳥」
和樹の声に、恐る恐る目を開けた。保健室のベッドの横に立っているのは紛れもなく和樹一人で、飛鳥はほっと息を吐き出した。
「和樹、一人だよね?」
「そうだけど、なんで?」
「いや、なんでもない」
先ほどまで翔がベッド脇にいる気配があった。でも直接話すのが怖くて、飛鳥は一時間くらいずっと寝たふりをしていたのだ。
「倒れるなんて、やっぱり働きすぎなんじゃないの。もうちょっとで救急車騒ぎだよ」
「うん」
「本当に頭打ってないの?」
「ふらっとして転んだだけだから。それで立つのが面倒でそのまま寝てたら大惨事になった」
きっと呆れられるだろうと思ってちらりと和樹を見上げると、思った通り眉尻を下げて溜息をついた。
「疲れすぎて動けなかったんじゃないの。普通は恥ずかしくてすぐに立つもん」
そうかなと首を傾げて、確かになと頷いた。何もかも辞めたくなったのも、疲れすぎているからだろうか。
「飛鳥さあ。この前から思ってたんだけど、ツーリングの日にさ」
「……なに?」
「……いや、なんでもない。自分で気づかなきゃ意味ないし」
「なんだよ、それ」
「でも、自分のことって案外わからないものだよね」
「はあ? 俺はわかってるよ。馬車馬だし、居眠り小僧だし、相談屋。馬車馬以外は今日からやめるつもりだけどさ」
「ふふっ、無理無理。飛鳥はどうせどこでも寝るし、昼ご飯のために占いもするよ。それで、恋占いをするたびに心がざわつくんだ」
まだそんなつもりはないけれど、和樹の言うことは多分図星で、反論もできずに目を瞬かせる。
「自分のことって本当にわからないんだよ。家族と限られた世界でずっと生きられるとは限らない」
「うん」
「俺もさ、最近知ったんだよ。もしかしたら、手のかかる幼馴染のことが特別好きなのかな、とか」
「……え?」
驚きで目を見開く。
「和樹、幼馴染いるの? 俺以外に? 嫉妬するんだけど」
飛鳥が矢継ぎ早に尋ねると、和樹は優しく目元をゆるめて「そうだね」と答えにならない答えをくれた。
「そんなことはどうでもよくて。ずっと付き添っていた翔がどうしていないと思う?」
「先に帰ったから」
「惜しい。バイクを取りに帰ったから。そろそろくるよ」
同時に、控えめに保健室の扉を開ける音が聞こえてくる。
「和樹」
翔の声に、あわてて目を瞑った。和樹が少しだけ笑った気配に、心底恨めしく思う。幼馴染の和樹が誰かに恋をするなんて、それはそれはとんでもない衝撃だ。後できちんと問い詰めようと決意しつつも、心臓は翔の登場に戸惑ってドクドクと脈打っている。
「翔、入っていいよ。まだ寝てる」
カーテンが揺れる音に、翔がベッドの横まで来たことがわかった。
「そろそろ目覚めのキスでもすべきかなって思うんだけどさ、俺は遠慮しておきたくて。翔、する?」
「……するわけない」
今の一言で心臓から血が出たんじゃないだろうか。それほどまでに痛くて、悲しくて、同時に「はて?」と疑問符が浮かんだ。和樹に拒否されてもどうだって良いのに、翔の拒絶には流血騒ぎだなんて、飛鳥は何かおかしいのだろうか。ふと肩に触れた体温に、思わず瞼が反応してしまう。
「飛鳥くん」
「そろそろ起きろー」
瞼を開けるだけでギギギッと音がしそうだ。それでもなんとか目を開くと、翔の顔が思ったよりも近くにあって驚いた。
「起きられてよかった。バイクで送るから帰ろう」
断ろうと思った。それなのにどうしても首を横に振れない。その代わり差し伸べられた翔の手を、飛鳥はゆっくりと取った。
◆
春川飛鳥の人生には、春川飛鳥自身もわからないことがたくさんあるらしい。たとえば、本心とか。
飛鳥は今日やっと自分が疲労困憊であることを知った。バイトは苦ではないけれど、馬車馬というあだ名がつくだなんて考えものだ。週に一度くらいはゆっくり寝たいのかもしれない。その本心に、今やっと気がついた。それよりも大きな発見は、翔にしがみつくと高鳴る鼓動だ。そばにいられることが嬉しくて、やたらとにやけそうになる口元は誤魔化しようがない。でも少し考えると、心はしゅんと萎んでしまう。今まで恋について占ってきた生徒達に謝りたい気分だ。女心はそこそこ弁えているつもりだったし、男心も理解しているつもりだったけれど、一方通行の恋がこんなに辛いとは思わなかった。
あっという間に飛鳥の家に着いてしまうことが惜しくて、無駄に長くくっついてからゆっくりとバイクを降りた。ヘルメットを外してもらい、照れ隠しで頭を振る。するとふらりと眩暈がして、翔が慌てたように身体を支えてくれた。
「大丈夫?」
「ごめん、ごめん」
「頑張りすぎたんだね」
「うん、そうなのかな」
早く家に入るべきなのに、別れの言葉を口にしたくない。聞き分けのない子どもみたいな自分は初めてで、飛鳥は唇を引き結んだ。
「飛鳥くんは、可愛い」
「……え?」
「すごく可愛い。それに、明るくて純粋で、無垢に俺の心を救ってくれた。ちょっと変だけど」
変なのは翔の方だ。それなのに、それ以外の言葉が嬉しくて頬がゆるんでしまう。
「俺、飛鳥くんの兄貴辞めたいんだよね」
「えっ……」
天国から一転して大地獄だ。翔と飛鳥の唯一のつながりが、今失われそうになっているらしい。焦って言葉を探すけれど頭が回らなくて、結局こくりと頷いた。
「そんな顔しないでよ。これからだってゴールデン弁当もサイダーも俺が買うし、飛鳥くんだけをバイクに乗せる。飛鳥くんを守りたい気持ちだけで、どんな相手も背負い投げしてみせるよ」
「それは……」
「俺は飛鳥くんのことが好きってこと。この世の誰よりも」
翔は自分のヘルメットを被り直すと、飛鳥に向かって華麗にウィンクを決めてみせた。
「早くお家入って。何かあったら連絡して」
「う、うん」
戸惑いながらも玄関に向かうと、「飛鳥くん」と呼ばれる。
「今度嘘寝したら本当にキスするからね」
「キ、キス!?」
「絶対落としてみせるから」
ひらりと手を振って、バイクのエンジンをかけ、颯爽と去っていく後ろ姿を見送る。
今の、なんだろう。もうとっくに落ちているのに。
「翔って、鈍感だ」



