「そしたら、兄貴が男三人を次々と放り投げて、俺はすごく感動しちゃって、帰りは俺がバイクを押したんだ」
「待って待って、何その話。ツーリングしたのと同じ金曜日の話だよね? 家までバイクに乗らなかったの?」
「兄貴は優しいから一緒にバイクを押してくれて、俺を家まで送ってくれた」
「……なんか、すごく無意味じゃない?」
「だって、兄貴にしがみつくなんてさぁ、恥ずかしいじゃん」
頬を染めてそう言うと、飛鳥は目を伏せて「へへっ」とはにかんだ。和樹は唖然とするのみだ。飛鳥のバイトが終わる時間、サイダーが好きなこと、翔が好きなバイクにも興味がありそうなことを教えてやったのに、その集大成が「兄貴」呼び。せっかくタイミングよくモブのチンピラも絡んでくれたのに、翔の強運も飛鳥相手には上手く作用しないらしい。
朝のホームルームまでの間に事態をきちんと整理しようともう一度口を開こうとすると、廊下の外に翔の姿を見つけた。明らかに和樹に向かって手招きしている。和樹は溜息をついて、飛鳥に「課題、わかるところやっててね」とだけ言うと廊下へと出た。
「兄貴、お疲れ」
労いの気持ちも込めてそう言うと、翔は綺麗な睫毛を伏せて「参ったよ、マジで」と囁いた。
「本当に、途中まで最高の王道青春ラブストーリーをたどってると思ったんだよ。そしたら、いつの間にか兄貴になってた」
慰めようとその顔を覗き込むと、ふわりと瞼が開く。その目は、意外なほど力強く見えた。
「なんか、あれ? もしかして嬉しかった?」
「よくわかるじゃん! バイクの後ろに喜んで乗る飛鳥くんも、逆に恥ずかしがる飛鳥くんも、すげえ可愛いくて」
「あ、そう」
「少なくともさ、ちょっとくらいは特別になったはず」
「まあ、それはそうだな。傷ついてないならいいよ。じゃあな」
心配するのもくだらなくて適当に流してみると、翔は全く気にしていないようでわざわざ四組の教室を覗き込んだ。女子生徒の湧き立つ声が聞こえてくる。
「飛鳥くん」
「兄貴!」
和樹としては心底驚いた。わざわざ目立つようなことをしない翔が、飛鳥のためならホームルーム前の教室に顔を出せるらしい。
「お昼休み、また会おうね」
「え? ……うん」
いつもより少し大人しい飛鳥を気にしつつも、和樹は「さっさと教室もどれ」と翔に伝えるにとどめた。
翔を見送ってから教室に戻ると、飛鳥は課題のプリントを手元に置いたまま、宙をぼんやりと眺めていた。
「飛鳥?」
「……お昼休み、緊張しちゃうな。でもさ」
飛鳥はそこで賑わっている教室を見回して、内緒話をするように和樹に顔を寄せた。
「きっと今日こそは占って欲しいってことだよね。好きな人のこと」
「……好きな人?」
「兄貴の恋、俺が全力で応援しなくちゃ」
小声で息巻く飛鳥に何も言えず、和樹は少し考えて「そうだね」とだけ言っておいた。
◆
「兄貴、今日こそは占いしましょう」
「兄貴、お相手の生年月日わかりました?」
「兄貴、占いしてないのにゴールデン弁当を恵まれたら困ります。でも、ゴールデン弁当っておかずが日替わりですごいですねぇ」
これはここ三日間、昼休みになると真っ先に占い部屋を訪れるようにしている翔に飛鳥がかけた第一声である。翔はその度に少し落ち込んで、でもその後は恋占いの使命など忘れさせるように一緒に弁当を食べる。すると飛鳥は見事に使命感を忘れ、楽しそうにおしゃべりをして、予鈴の音に新鮮に驚いてみせるのだ。
今日も同じ展開が待ち構えているのだろう。そう予想して、楽しみ半分、気合い半分でいたのに、貢物を買いに購買へ行く前に上級生の女子生徒たちに捕まってしまった。最悪だ、と心の中で呟く。早く行かないと、飛鳥がお腹を空かせているのに。もしかしたら誰かが占ってくれだなんて依頼をして、飛鳥を独り占めしてしまうかもしれない。
「翔くん、最近お昼はどこ行ってるの?」
「今日は私たちと食べようよ」
「……今日はもう一緒に食べる人がいるので」
「うそ、誰? もしかして彼女?」
「最近お弁当を二つ買ってるって噂は本当?」
ちょっと面倒だけれど、彼女たちの気持ちはわかるのだ。翔も飛鳥のことになると、本当は何もかも質問責めしたくなる。どんな人が好きなのか、翔には望みがあるのか、一体いつになったら好きになってくれるのか。だから、翔は真っ直ぐに彼女たちを見つめてなるべく柔らかく微笑んだ。
「噂は本当です。好きな人のために今日も弁当を買わないといけないので、そろそろ行きます」
ぺこりと頭を下げて購買へと向かおうとすると、見事に通せんぼされてしまう。これはどうしたものか。
「翔くんに貢がせるなんて、その子大丈夫なの?」
「ちょっと変なんじゃない?」
「大丈夫ですよ。純粋で優しくて、とびきり可愛い人です」
「それって、私たちより?」
「……俺にとっては一番です」
これ以上は時間を使いたくないのに、この展開は泣かれるやつだろうか。でも、翔も飛鳥に好きな人がいるなんて言われたら、それこそ泣くかもしれない。
ところが、彼女たちは一斉にキャアキャアと言い始めた。
「さすが翔くん!」
「そんなに可愛い人なんだ?」
恐る恐る頷くと、もう一度キャアキャア騒がれる。
「じゃあさっさと行って。私たちにかまってる場合じゃないじゃん」
「そうだよ。なんか邪魔して申し訳ない」
「はあ。それじゃあ、お言葉に甘えて」
これ以上面倒なことにならないうちにと、早歩きでその場を後にする。所詮、翔を本気で好いてくれている人なんてごく少数なのだ。基本的に好意はありがたいけれど、今の翔は飛鳥の気持ちにしか興味がない。飛鳥に等身大の自分でいたら良いのだと言ってもらえたあの日から、翔は少しだけ変わった。翔は飛鳥に夢中な今の自分が好きだ。自然と口角を上げながら購買へ入り、良い気分のままにサイダーと自分用のお茶を手に取った。あとは弁当を二つ。
「あ、あの」
ふと聞こえた声に、心臓がわかりやすく跳ねた。でもこの声は確かに、と振り返る。
「飛鳥くん」
飛鳥が目をキョドキョドさせながら、ぎこちなく引き結んだ唇をゆっくりと開いた。
「兄貴、どうしよう」
「……どうかした?」
「俺、兄貴とはもう一緒にいられません」
「え?」
「もう俺は占いも辞める。兄貴とはさよならです。それだけ言いに来たんだ」
目に涙を溜めながらそう言った飛鳥は、ぎゅっと目を閉じて涙を拭うと駆け出した。驚いて追いかけようにも、商品を手に持っているせいで飛び出せない。急いで商品を棚に戻して購買から出ると、北校舎へ続く渡り廊下に人だかりができていた。その少し異様な光景に、嫌な予感がして駆け寄ってみる。
「誰かー! 先生呼んできて。生徒が倒れちゃった」
「この子、北校舎で占いしてる子じゃない?」
職員室へと走り出す生徒の姿を見送って、翔は人だかりを覗き込んだ。そこにうつ伏せで倒れていたのは紛れもなく、先ほど別れたばかりの飛鳥だ。慌てて人をかき分ける。
「飛鳥くん!」
抱え上げながら声をかけると、少しだけ瞼が動いた。
「待って待って、何その話。ツーリングしたのと同じ金曜日の話だよね? 家までバイクに乗らなかったの?」
「兄貴は優しいから一緒にバイクを押してくれて、俺を家まで送ってくれた」
「……なんか、すごく無意味じゃない?」
「だって、兄貴にしがみつくなんてさぁ、恥ずかしいじゃん」
頬を染めてそう言うと、飛鳥は目を伏せて「へへっ」とはにかんだ。和樹は唖然とするのみだ。飛鳥のバイトが終わる時間、サイダーが好きなこと、翔が好きなバイクにも興味がありそうなことを教えてやったのに、その集大成が「兄貴」呼び。せっかくタイミングよくモブのチンピラも絡んでくれたのに、翔の強運も飛鳥相手には上手く作用しないらしい。
朝のホームルームまでの間に事態をきちんと整理しようともう一度口を開こうとすると、廊下の外に翔の姿を見つけた。明らかに和樹に向かって手招きしている。和樹は溜息をついて、飛鳥に「課題、わかるところやっててね」とだけ言うと廊下へと出た。
「兄貴、お疲れ」
労いの気持ちも込めてそう言うと、翔は綺麗な睫毛を伏せて「参ったよ、マジで」と囁いた。
「本当に、途中まで最高の王道青春ラブストーリーをたどってると思ったんだよ。そしたら、いつの間にか兄貴になってた」
慰めようとその顔を覗き込むと、ふわりと瞼が開く。その目は、意外なほど力強く見えた。
「なんか、あれ? もしかして嬉しかった?」
「よくわかるじゃん! バイクの後ろに喜んで乗る飛鳥くんも、逆に恥ずかしがる飛鳥くんも、すげえ可愛いくて」
「あ、そう」
「少なくともさ、ちょっとくらいは特別になったはず」
「まあ、それはそうだな。傷ついてないならいいよ。じゃあな」
心配するのもくだらなくて適当に流してみると、翔は全く気にしていないようでわざわざ四組の教室を覗き込んだ。女子生徒の湧き立つ声が聞こえてくる。
「飛鳥くん」
「兄貴!」
和樹としては心底驚いた。わざわざ目立つようなことをしない翔が、飛鳥のためならホームルーム前の教室に顔を出せるらしい。
「お昼休み、また会おうね」
「え? ……うん」
いつもより少し大人しい飛鳥を気にしつつも、和樹は「さっさと教室もどれ」と翔に伝えるにとどめた。
翔を見送ってから教室に戻ると、飛鳥は課題のプリントを手元に置いたまま、宙をぼんやりと眺めていた。
「飛鳥?」
「……お昼休み、緊張しちゃうな。でもさ」
飛鳥はそこで賑わっている教室を見回して、内緒話をするように和樹に顔を寄せた。
「きっと今日こそは占って欲しいってことだよね。好きな人のこと」
「……好きな人?」
「兄貴の恋、俺が全力で応援しなくちゃ」
小声で息巻く飛鳥に何も言えず、和樹は少し考えて「そうだね」とだけ言っておいた。
◆
「兄貴、今日こそは占いしましょう」
「兄貴、お相手の生年月日わかりました?」
「兄貴、占いしてないのにゴールデン弁当を恵まれたら困ります。でも、ゴールデン弁当っておかずが日替わりですごいですねぇ」
これはここ三日間、昼休みになると真っ先に占い部屋を訪れるようにしている翔に飛鳥がかけた第一声である。翔はその度に少し落ち込んで、でもその後は恋占いの使命など忘れさせるように一緒に弁当を食べる。すると飛鳥は見事に使命感を忘れ、楽しそうにおしゃべりをして、予鈴の音に新鮮に驚いてみせるのだ。
今日も同じ展開が待ち構えているのだろう。そう予想して、楽しみ半分、気合い半分でいたのに、貢物を買いに購買へ行く前に上級生の女子生徒たちに捕まってしまった。最悪だ、と心の中で呟く。早く行かないと、飛鳥がお腹を空かせているのに。もしかしたら誰かが占ってくれだなんて依頼をして、飛鳥を独り占めしてしまうかもしれない。
「翔くん、最近お昼はどこ行ってるの?」
「今日は私たちと食べようよ」
「……今日はもう一緒に食べる人がいるので」
「うそ、誰? もしかして彼女?」
「最近お弁当を二つ買ってるって噂は本当?」
ちょっと面倒だけれど、彼女たちの気持ちはわかるのだ。翔も飛鳥のことになると、本当は何もかも質問責めしたくなる。どんな人が好きなのか、翔には望みがあるのか、一体いつになったら好きになってくれるのか。だから、翔は真っ直ぐに彼女たちを見つめてなるべく柔らかく微笑んだ。
「噂は本当です。好きな人のために今日も弁当を買わないといけないので、そろそろ行きます」
ぺこりと頭を下げて購買へと向かおうとすると、見事に通せんぼされてしまう。これはどうしたものか。
「翔くんに貢がせるなんて、その子大丈夫なの?」
「ちょっと変なんじゃない?」
「大丈夫ですよ。純粋で優しくて、とびきり可愛い人です」
「それって、私たちより?」
「……俺にとっては一番です」
これ以上は時間を使いたくないのに、この展開は泣かれるやつだろうか。でも、翔も飛鳥に好きな人がいるなんて言われたら、それこそ泣くかもしれない。
ところが、彼女たちは一斉にキャアキャアと言い始めた。
「さすが翔くん!」
「そんなに可愛い人なんだ?」
恐る恐る頷くと、もう一度キャアキャア騒がれる。
「じゃあさっさと行って。私たちにかまってる場合じゃないじゃん」
「そうだよ。なんか邪魔して申し訳ない」
「はあ。それじゃあ、お言葉に甘えて」
これ以上面倒なことにならないうちにと、早歩きでその場を後にする。所詮、翔を本気で好いてくれている人なんてごく少数なのだ。基本的に好意はありがたいけれど、今の翔は飛鳥の気持ちにしか興味がない。飛鳥に等身大の自分でいたら良いのだと言ってもらえたあの日から、翔は少しだけ変わった。翔は飛鳥に夢中な今の自分が好きだ。自然と口角を上げながら購買へ入り、良い気分のままにサイダーと自分用のお茶を手に取った。あとは弁当を二つ。
「あ、あの」
ふと聞こえた声に、心臓がわかりやすく跳ねた。でもこの声は確かに、と振り返る。
「飛鳥くん」
飛鳥が目をキョドキョドさせながら、ぎこちなく引き結んだ唇をゆっくりと開いた。
「兄貴、どうしよう」
「……どうかした?」
「俺、兄貴とはもう一緒にいられません」
「え?」
「もう俺は占いも辞める。兄貴とはさよならです。それだけ言いに来たんだ」
目に涙を溜めながらそう言った飛鳥は、ぎゅっと目を閉じて涙を拭うと駆け出した。驚いて追いかけようにも、商品を手に持っているせいで飛び出せない。急いで商品を棚に戻して購買から出ると、北校舎へ続く渡り廊下に人だかりができていた。その少し異様な光景に、嫌な予感がして駆け寄ってみる。
「誰かー! 先生呼んできて。生徒が倒れちゃった」
「この子、北校舎で占いしてる子じゃない?」
職員室へと走り出す生徒の姿を見送って、翔は人だかりを覗き込んだ。そこにうつ伏せで倒れていたのは紛れもなく、先ほど別れたばかりの飛鳥だ。慌てて人をかき分ける。
「飛鳥くん!」
抱え上げながら声をかけると、少しだけ瞼が動いた。



