馬車馬眠り姫は、きっとキスでも起きてくれない

 春川飛鳥の人生には、春川飛鳥自身もわからないことがたくさんあるらしい。たとえば、あだ名とか。

「馬車馬、……居眠り小僧、あとなんだって?」
「馬車馬、居眠り小僧じゃなくて眠り姫、それから相談屋」
「なんだよそれ。本当に俺のこと?」
「紛れもなく全部、飛鳥のあだ名」

 北校舎の一番隅にある空き教室で、飛鳥の後ろに控えた和樹は平然と答えた。

「確かに馬車馬は認めるよ。今日も新聞配達してきたし、夜はコンビニだし」
「そのせいで授業中寝てばかりいるから眠り姫なんじゃないの」

 なんだか釈然としない。高校男子相手に姫はないだろう。これは絶対に揶揄われているやつだ。

「あと、相談屋ね。これは自分でもわかるでしょ?」

 飛鳥は適当にこくりと頷いた。
 廊下を歩く足音が聞こえてくる。この足音と特有の気配は、多分女子生徒が数人。目当ては飛鳥だと言えば聞こえは良いけれど、彼女たちの目的は別にある。

「飛鳥の占い、よく当たるらしいからね」 
「本当に当たるかは知らないよって、言ってるんだけどね」
「勝手に学校で占い館開いておいてよく言うよ」
「でも、頑張るよ。今日の昼ご飯とおやつのために」


 
 飛鳥の占いは祖母に鍛えられたものである。占術は、タロットと数秘術、手相と人相占い。でも、学校ではほとんどタロットと人相占いだけをしている。もちろん、教師にバレたら怒られるだろう。それでも占いをするのは、単に昼食代を浮かせたいがためだ。

「友達が当たるって教えてくれて来てみたんです」
「そうなんだね。一人あたり原則週一回までで、先払いが必須です」
「もちろん! これ、幕の内弁当とお茶と、おやつはクッキーです」
「ありがとうございます。それで、今日は?」

 長机を挟んだ先に並んで座った女子生徒たちは、顔を見合わせて覚悟を決めたように頷いた。
 
「私たち三人のなかで、誰が清瀬翔先輩と付き合えますか?」

 おそらく一年生の彼女たちは、無垢なまでにきらきらと目を輝かせている。でも、飛鳥は内心溜息をつきたくなった。また「清瀬翔」のことか。
 相談に来る女子生徒の三分の一が、飛鳥と同じ二年の「清瀬翔」とやらに夢中なのだ。彼の次に人気なのは、トラブルが心配だと言っていつもベランダに控えていてくれる深代和樹である。他にも男子生徒はたくさんいるのに、女子たちはまるで眼中になさそうだ。
 でも、対価を受け取っておいて半端な答えを出すわけにはいかない。飛鳥は彼女たちの顔を一人ずつ見つめて、それからタロットカードを手に取った。

「まず、三人とも人相が良いです。明るい恋に恵まれそうだな」
「えっ!」
「嬉しい!」
「明るい恋だって!」

 これは本心と願望と、多少のリップサービスも兼ねている。それはタロットの結果がある程度想像できるからだ。
 そうして三十分ほど。結果をオブラートに包みながら説明し、散々話を聞いて、飛鳥はなんとか占いを終えることができた。これでやっと弁当にありつくことが出来る。弁当箱の蓋を開けると、腹がぐうっと鳴った。

「さすが飛鳥だね。普段はただの頓珍漢のくせに、占いは本当に上手」
「まあね。……それにしてもさあ」
「何? また清瀬翔のことで何か?」
「いや、なるべく勝手に占わないようにしてるけど、清瀬翔って絶対好きな子も彼女もいないと思うんだよな」
「そうなの?」
「あくまで占いではね。でも、同じ年の男として、モテてるのに彼女作らないなんて」
「あり得ないって?」
「いやぁ。人間は色々いるからあり得るとは思うけど、単純にもったいない。俺にちょっとくれ!」

 そう言ってご飯を頬張ると、和樹は面白そうに笑った。



 今日の体育は学年合同授業らしい。女子生徒がいつも以上に湧き立っているのは、三組の清瀬翔、四組の深代和樹を一度に拝めるからだとか。柔軟体操のためにペアになった和樹は集まる視線を平然と受け流し、飛鳥に「ん?」と微笑んできた。

「いいなあ、イケメンは」
「なに、どうしたの」
「しかも、人相からして優しいし、誠実だし、人徳を積んできたね」
「勝手に鑑定しないでよ」
「おまけに生命線も長いしな」

 和樹の右手を持ち上げて何度も見慣れた手相を指で辿ると、和樹は「ははっ!」と笑った。

「四組にはこんなに元気な居眠り小僧もいるのに、みんな和樹に夢中。幼稚園の頃からずっとだけどさ」
「もしかして、拗ねてるの?」
「まさか。とっくに拗ね飽きてる。それに何度でも言うけど、俺は和樹の顔が好き」
「……はいはい、ありがとう」

 ふわりと笑った和樹の顔は、やっぱり端正だ。心底羨ましいけれど、生まれ持ったものは仕方がない。
 雑談をしながら柔軟体操を続けていると、クラス委員の和樹に集合がかかった。

「なんだろう。ごめんね、飛鳥」
「いいよ。適当にやっておくから」
「いや、ちょっと待って。あっ、翔! お前も一人?」

 和樹の視線を辿ると、男子生徒が一人歩み寄ってくるところだった。心の中で「うわあ」と感嘆の声が漏れる。間近で見るのは初めてだけれど、彼こそが女子の憧れ第一位、清瀬翔だ。

「和樹も一人なの?」 
「俺じゃなくてこの子、春川飛鳥。知ってるだろ? 俺の幼馴染なんだけど、ちょっとペア組んで柔軟してて」
「え?」

 驚いた様子の翔に、和樹は手を振って行ってしまう。残された初対面同士、どうしたら良いものか。しかも、和樹って清瀬翔と仲が良かったのか。なんだか裏切られた気持ちでぼんやりしていると、右の肩をポンポンと軽く叩かれた。ちらりと見上げると、思ったよりも近くに翔の綺麗な顔がある。

「飛鳥くん。俺、清瀬翔」
「あぁ、うん。よろしく」
「……飛鳥くんってさ、占いできるんだよね?」
「まあ、できるけど。よく知ってるね」
「結構有名だよ。一度受けてみたいと思ってたんだ」

 自然と翔の顔を凝視する。嘘つきではなさそう。でも本音は少し隠すタイプ。何よりも気になるのは。

「もしかして、結構疲れてるんじゃない?」
「……え?」
「人と関わるのは得意。でも好きじゃないって感じ?」
「……」
「あっ、ごめん。いや、つまりさ、無理して初対面の俺と柔軟なんてしなくても良いよってこと。各々好きにやろう」

 それが言いたかっただけだけれど、そもそも勝手に鑑定するだなんて最低だ。最後に笑顔を向けて、なんとなく一歩距離を空ける。すると、翔はその距離以上に近づいてきた。

「当たってる! すごいね」
「あっ、そう?」
「他には?」
「他? うーん、そうだなぁ。基本的には綺麗な人相だし、すごく真面目。割とオタク気質っていうか、何事も好きになったら一直線だね」
「うん」

 今度はそれとなく翔の手を掬い取って、じっくりと観察する。大きくて温かくて、繊細さを感じる綺麗な手だ。

「あぁ、すごくラッキーな手相だ。ずっと運気は良いと思う。健康面では、胃腸のあたりが弱いかも。やっぱりストレスが溜まってる」

 最後に優しく手のひらを包み込んだ。想像していたよりも、ずっと一生懸命に頑張っていることが表れている手相だ。

「あんまり無理しないことだよ。人間なんてさ、等身大の自分でいたら良いんだ」

 そこでハッと気がついた。慌てて手を離す。

「やば!」
「えっ! 何?」
「普段は親しい人の手相しかみないからさ、うっかり手握っちゃった。セクハラすぎるね」
「そんなことない」

 今度は飛鳥の手が掬い取られる。気がついたら両手を両手で握られていて、飛鳥はその手と翔の顔を交互に見た。これは一体、どういう展開だろう。
 
「えっとぉ。……ということで、千円です」

 ひとまず冗談で乗り越えようとしたところで、翔の目が大きく見開かれた。
 
「千円で良いの?」
「えっ? 嘘だよ。俺が勝手に鑑定したんだからいいんだ。でも、昼休みならタロットもできるから、もし来るならその時弁当とか買ってくれたら嬉しいな」 

 どうせ来ないだろうと踏んでそう言うと、翔はこくりと頷いた。そのことに満足して手を引き抜こうとすると、まだがっしりと握りしめられている。

「あの、清瀬く——」
「あのさ、飛鳥くん」
「何?」
「さっきの占いの対価なんだけど……。たとえばね、俺とか、どうかな?」
「へ?」

 俺というのは、つまりは清瀬翔のことか。おそらく、たっぷり十秒はその言葉の意味を考えたと思う。そして、パチパチと瞬きをしながら、飛鳥は口を開いた。

「それは、やだよねぇ」