俺を嫌っている男と同じ委員になりました

 ドアをノックされる音に、暗記に集中していた俺はビクッと肩を竦めた。
 メモをポケットに入れて、深呼吸をする。
 施錠が解かれる音がして、ドアが開いた。
 片手に二本のペットボトルを抱えた岳人が素早く入室して、ドアを閉める。
「あの二人は?」
 岳人が鍵を戻しながら訊いてきて、俺は危うく窓に視線を向けそうになって堪えた。
「次が移動教室なの忘れてたって、教科書とか一式取りにいってる」
 頭をフル回転して嘘をでっちあげた俺に、
「人をパシリに使っといてマジかよ」と岳人が軽く笑い、持っていた無糖紅茶のペットボトルをおにぎりの前に置いた。もう一つのウーロン茶は自身の席に、ポケットから取りだしたイチゴ豆乳のパックはパンの前に、そして反対側のポケットにツッコまれていた薄ピンクの炭酸飲料のペットボトルが俺の席に置かれた。
「えっ?」
 俺のまであるとは思わず、つい声が出てしまった。
「俺、いらないって言ったよね。曽根崎、わかったって……」
「ああ。あれは、いらないのはわかったって意味で、アイツらのお題に挑まないって意味じゃないから」
「そうなんだ。お金、払うね」
 俺はリュックに手を伸ばした。
 それを、岳人が体を盾にして邪魔をした。
「いらない。遥の好きなジュースじゃないかもだし、お題をクリアしてないから」
 岳人が唇を少し尖らせて、ぶっきらぼうな言い方をした。
「ありがとう。じゃあ、今度お礼に何かお菓子を持ってくるね」
 俺は薄ピンクの炭酸飲料を手に取った。
 なぜだろう。俺のイメージじゃないんだと思ったら、心臓が軽く抑え込まれたように苦しくなった。
「甘すぎるジュースは苦手だけど、スッキリ系とか微糖は好きだよ。初めて飲むジュースだけど、多分好きだと思う」
 俺はジュースをテーブルに戻した。
「そうだよね。薄ピンクで桃の炭酸飲料って、可愛い女の子イメージだよね」
 俺はなんでもない振りをして笑顔を作った。
「言い方間違えた」
 岳人がテーブルに両手をついた。
「これも遥のイメージだけど、全部じゃない。お題をクリアしようと思ったら、ここの自販機にある種類だけじゃカバーしきれないから、代表でこれを買ってきた」
「そっそうなんだ」
 なんだこれ。
 俺のイメージだと言われただけで、苦しみが取れた心臓がちょとドキドキしてきたんだけれど。
「あのさあ」
 岳人が顔を下に向けた。
「話が変わるんだけど、このパイプ椅子は何?」
 うわっ!
 パイプ椅子を戻すの忘れていた。
「えっと……それはその……」
 しどろもどろになる俺に、岳人が溜め息をついた。
「アイツらから変なこと吹き込まれなかった?」
「いえ、全然。楽しく会話していました」
「ならいいんだけど。で、なんで立ってるの?」
「これは、二人が戻ってきたのなら、鍵を持ってないからドアを開けようかと思って」
「いいよいいよ。開けなくて」
「でも、さすがにそれはご飯もまだだし可哀想かと」
「遥は俺といるより、ヤツらといた方が楽しそうだもんな」
 岳人が自嘲気味に笑って顔を反らした。
 今だ。
 このチャンスで呪文を唱えれば不自然じゃない。
 早く唱えないと忘れてしまう。それに、俺がモタモタしていたら、昼休みが終わってしまう。そしたら、灰田たちもご飯を食べ損なって、更に迷惑をかけてしまう。
 俺は両手を握り、勇気を振り絞った。
「えっと……あの……それは俺じゃなくて、曽根崎くんなんじゃないかなと……」
「俺?」
 岳人は意外そうに俺を見つめてきた。
「だって、そうでしょう」
 声が大きくなってしまう。
 ここからが魔法の言葉なのに、同じ気持ちだから感情が籠ってしまう。
「あの日、俺を嫌いになったから捨てたんでしょう? 話すのも、顔を見るのも嫌で、捨てたんでしょう? なのに、なんで今更構うの? 曽根崎くんの考えてることわかんないよ!」
 最後、叫んだ俺は、魔法の言葉を言い切った達成感なんてなく、ずっとずっと一人で胸に押し込めてきた感情の爆発に飲み込まれた。
 鼻の奥がツンとする。
 涙腺が緩み、目頭が……頬が……全身が熱くなる。
 本当は、もうとっくに耐え切れなくなっていた。
 学校生活に支障をきたすようになり、俺は精神科に連れていかれた。医師と母さんの話を聞きながら、感情が少しずつ壊れだしているんだって知って、ストンと腑に落ちた。
 好きなものが減っていった。
 ゲームや玩具がいらなくなった。
 アニメも観なくなり、見たい番組がなくなった。
 行きたい場所も食べたい物もなくなった。
 嫌いな食べ物は嫌いなまま、好物が減っていった。食欲が減ることあっても、高まることはなかった。
 そして、あらゆることに鈍感になっていった。嫌なことはやり過ごせばいつかは終わるし、多少の暴力や軽い怪我で騒がなくなった。
 嫌われたところで、一生の付き合いではない。一年我慢すればクラス替えがあるし、卒業すれば会うことがなくなる人もいる。
「嫌いならもう二度と優しくしないでよ! 少しは心許していいのかなって期待させないでよ! これ以上惨めにさせないで。なんとか一人で立って生きているのに、立てなくなったら俺……」
 溢れる涙を拭おうと両手をあげた瞬間、岳人に強く抱きしめられた。
「だから、そういうのやめろよ。今更やりすぎましたって同情でもした? それとも、期待させて突き落とすつもりだった?」
 突き放さなきゃいけないのに、岳人の体温と強い力に心が急速に脆くなっていくのを感じながら、両手を岳人の背中にまわし、ブレザーを掴んだ。
 唯一、俺に集団生活を楽しいと思わせた岳人。
 岳人に嫌われて、世界が輝いて見えたのは岳人のお陰だってわかった。
 岳人がいないと、世界は輝かない。
 だから、これ以上傷つかないように感情を壊してきたのに……。
「……なんだよそれ。俺は一瞬も遥を嫌いになったことなんかない。違うだろう。遥が俺を嫌いになったんだろう? あの日、俺がステージで困ってる遥を助けるのが遅くなったから……。センセーに連れていかれる遥をすぐに追いかけて守れなかったから……。いざって時に何もできない俺に失望して嫌いになったんだろう? 顔も見たくなくて、体育館前で走り去ったんだろう? 次の日、挨拶しようとしたら逃げられて、ああ完全に嫌われたなって落ち込んで、学校行くのも嫌になった。けど、嫌われても遥に会いたくて、会ったら会ったで嫌われてるのが苦しくて……」
 岳人の熱い吐息が耳や髪、首にかかる。
 俺にとって都合が良すぎる言葉の羅列が信じられなくて、脳内がクラクラする。
「あれは、岳人が物凄い怖い顔をしていて、いつも足を引っ張ってる俺が、ついに努力をムダにして許せなくなったんだと思って……嫌われたんだって思って逃げた。……ごめん…な…さいっ」
「俺こそゴメン」
 岳人の左手が、俺の背中から肩に移動した。右手が腰に下がって、完全にホールドされる。
 我慢できずに嗚咽を漏らす俺の後頭部を、岳人の左手が優しく撫でてくれる。
「遥を泣かせたすべてが許せなくて、凄い形相になってたと思う。入学してすぐ、誰よりも小さい遥がとっても可愛くて、弟ができた気分だったんだ。遥の見本になりたくて、遥に頼られたくて、遥に凄いと言ってほしくて……。けど、その思いはいつだか恋に変わってたんだって、嫌われてから気づいた」
 フワフワした感覚と信じたい気持ち、信じられない気持ちが綯い交ぜとなる俺の額に、岳人の額が触れた。
 岳人が俺に恋?
 ないないない。
 絶対に聞き間違いだ。
 けれど、胸が恋に反応して痛いほど高鳴ってしまう。
 男同士なのに、なんで恋の言葉にときめいてしまうの?
「ずっと、リベンジ出来る日が来るのを待ってた。中途半端に守りたくないから、遥と一緒のクラスになれる日を待っていた。それまでに、誰よりも優れた男になろうと決めて、頑張ってきた。今度こそすべてから遥を守れると思った。だから……」
 岳人の顔が更に近づいてくる。
 俺は高鳴りすぎて破裂しそうな心臓の痛みに、呼吸を止めた。
「はい、ストープ‼」
 館川の明るく大きな声に、俺はビックリして肩を竦めた。
 岳人が「マジかよ」と俺の肩に額をのせた。
 大きな窓から館川と灰原が陽気な顔で入ってきた。
 俺は岳人に抱きしめられたまま、二人の存在を忘れていた申し訳なさと恥ずかしさに、どんな顔をしていいかわからず、口を引き締めようとしたが締まらない。
「そこのムッツリスケベさん。ハルちゃんが流されてるのをいいことに、告白の返事を聞かずにチューしようとしましたね。大罪です。今すぐ腕の中のハルちゃんをこちらに渡しなさい」
「それより、もう時間ないからメシにしようぜ」
 館川が何事もなかったようにパイプ椅子に座り、ペットボトルのキャップを外した。
「早食いって体に悪いの知ってる?」
 館川は放置していたパイプ椅子を戻して座ると、アンパンの袋を破った。
 俺を抱く岳人の腕が緩んだ。
 俺は慌てて岳人から離れると、こけそうになりながらパイプ椅子に座り、熱すぎる顔をを両手で覆った。
「ハルちゃん」
「はっ、はい」
 恥ずかしすぎて声が高くなった俺に、館川がニンマリした。
「力になったんだから、この一年、そこのドスケベのハルちゃんストーキングに付き合った話、今度いっぱい聞いてね」
「ストーキング?」
 胸がいっぱいすぎて、岳人に色々言われたことすら理解しきれてないのに、これ以上は受け止めきれないよ。
「俺らもタケに色々悩み聞いてもらってたから、ここで恩返しができて良かったよ」
「話を聞きながらおかしいとは思ってたんだよね。核心に変わったのは、ハルちゃんと接触した時だけど。タケちゃんを避けまくってるのはわかってたけど、嫌ってるようには見えなかったもんね」
 二人は喋りながら、手をつけた一個を平らげると、出していた物を仕舞い始めた。
「そんじゃ、俺らはもう行くわ。遅刻すんなよ」
 僅差で先に席を立った灰田と、
「鍵、返しといてね」
 イチゴ豆乳にストローを刺した館川が、あわただしく出ていった。
 岳人が開いたままの窓を閉めた。
「もう食事は無理だね」
 俺はリュックを背負うと、岳人が買ってくれたペットボトルを両手で握った。
「そういうとこ、ホント、マジで可愛すぎる」
 岳人が深刻そうに呟くと、近づいてきてリュックを手に取った。
「このままエスケープしたいけど、また部屋を借りたいからなあ。俺、走って鍵を返してくるから、遥は先に戻ってて」
「うん。リュック、持っていこうか?」
 伸ばした俺の手に、「うん」と爽やかで甘い笑顔の岳人がリュックを渡してくれた。
 それだけで、俺は幸せで満たされてしまう。
 ドアが開いた。
 施錠して駆けだした岳人に手を振って送りだしてから、俺も駆けだした。