岳人のことを考えていたら、帰ってきた格好のまま寝落ちしてしまった。
慌てて着替え、空の弁当箱をキッチンに持っていた時には、食事がほぼ終わっていた。
俺の分のコロッケ二つとキャベツの千切りが載った皿が、すでにラップされている。
「洗い物するから、食べるならとっとと食べちゃって」
苛立ちを隠さない母さんに軽く頭を下げて、何も言わない父さんには触れず、弟とも会話をしない。
食欲のない俺は、自分で茶碗に二口分のご飯をよそい、席に着くと、お茶が置かれていた。
俺は母さんに軽く頭を下げてから、「いただきます」と小声で合掌した。
ラップを半分まで捲り、一個のコロッケにソースをかける。
箸でコロッケを割きながら、さっきまで夢で見ていた過去を思いだした。
小学校に入学しても、イジメはなくならなかった。
クラスで一番小さくて、女の子と間違われる容姿の俺は、威張りたい男子にからかわれたり、女子の一部からも「弱すぎ」「なんで出来ないの」と馬鹿にされていた。
でも、俺は学校生活が楽しかった。
入学したすぐ、出席順ですぐ後ろの岳人と仲良くなったからだ。
当時の岳人は、とにかくヤンチャだった。背はクラスで真ん中くらい。ヤンチャすぎて、中年の中肉中背の女性担任が毎日手を焼いていた。
岳人は他の誰でもなく、いつも俺を選んでくれた。遊び相手はもちろん、授業で二人一組を作る時も、体育館や音楽室に移動する時も、帰りも、帰ってから遊ぶ相手も、岳人は俺を選んでくれた。正確には、俺だけを選んでくれた。
それだけじゃない。
俺が給食を食べきれずにいると、こっそり食べてくれた。俺一人が一番低い鉄棒での逆立ちが出来なくても、馬鹿にしなかった。「ハルカも俺くらい大きくなったら、簡単にクルッてまわれるよ」と、放課後に自分のランドセルを踏み台にして、俺に鉄棒を教えてくれた。初めて回れた時、岳人は誕生日やクリスマスが一遍に来たかのように喜んでくれた。
岳人はワンパクなだけでなく、勉強が大好きだった。だから、わからないところがあると一生懸命教えてくれて、解けると頭を撫でてくれたり、ハイタッチしたり、いっぱい褒めてくれた。
運動会のリレー練習で、足が遅くてクラスのみんなに嫌な顔をされても、岳人は「遅れた分、俺が早く走るから大丈夫」と笑ってくれた。
アガリ症で挙手したがらない俺は、担任によく当てられた。そのたび、俺は緊張で体を熱くしながら、早口の小声で答えた。岳人はすぐに「俺もそう思います」と声をあげてくれた。
保育園では保育士に叱れて、まわりに疎まれてばかりいた俺は、小学校に希望を持っていなかった。
けれど、岳人のお陰で学校に行くのが楽しくて仕方がなかった。今まで休みは家にいた俺が、休みのたびに岳人と遊ぶようになった。
岳人の家にいけば、年上のお兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんも優しくて、ただただ楽しかった。
そうして、三学期が終わりに近づいてきた時だった。
一年生全員が集められて、クジ引きが始まった。
それは、卒業式に盛り込まれている『在校生の言葉』の代表者を選ぶものだった。各学年の代表者数名がステージ上に並び、一年生から順に卒業生とのエピソードを語るというものだ。一年生は一言二言で済むが、高学年になるにつれて発表は長くなる。
当時の俺は、たった二名しか当たらない一年生代表に当たってしまった。
もう一人、当たりクジを引いたのは、クラスのイジメの主犯格である体格のいい木村良一だった。
俺は恐怖で半泣きになりながら、一生懸命首を横に振って無理だと抵抗した。
けれど、担任と他の一年生担当の教師たちは一緒になって「ちょっと喋るだけだからやりなさい」「公平に決めたんだから、文句言わないの」「学年の代表なんて、凄いことなのよ」と俺の気持ちを無視て、全員が集まっている前で俺と木村が代表に決まったと告げた。
木村と一緒というだけで怖くて萎縮するのに、一学年の集まりの前に立たされた俺は震えながら俯いた。
木村が俺だけに聞こえる小声で「なんでお前とだよ。死ねよ」と言われ、気持ちが追い詰められた俺は、その場にしゃがみ込んだ。
「先生、遥の代わりに俺がやります」
岳人のハッキリと大きな声に、俺は溢れる涙を拭って顔をあげた。
全員が体育座りする中、岳人が立っていた。
目で岳人に縋ってしまう俺に、岳人が頷いた。
「やる気があるのは嬉しいけど、公平に決まったことだから諦めてね」
担任が明らかな作り声で、キッパリと岳人の意見を跳ね除けた。
「遥は緊張しやすいから、俺がやります」
それでも岳人は食らいついた。
「一言二言だから、緊張もないだろ」
隣のクラスの教師が俺を一瞥して、小馬鹿にした物言いをした。
それでも岳人は「俺がやります」と言い張った。
結局、俺と木村の代表は変わらなかった。
岳人は俺の発表練習に親身になって付き合ってくれた。
そうして、卒業式の練習で、俺は持ち慣れないマイクを両手で握り、なんとか担任たちに言われた言葉を噛まずに発表することができた。
一年生代表が発表する間、一年生全員が起立する。
起立した集まりの中、スクッと一本の腕が上に伸びて、手を振ってきた。
舞台から岳人の手がハッキリ見えたから、手足が震えて心臓が飛び出そうなほどドキドキしたけれど、練習と同じだと自分に言い聞かせることができた。
何より、練習に付き合ってくれた岳人に喜んでもらいたかった。
そうして、卒業式当日を迎えた。
卒業式が始まる直前に、岳人から「お前ならできる」と頭を撫でてもらえたけれど、紅白の垂れ幕と、教師たちのいつもと違う服装に加え、卒業生の保護者という大勢の大人がプレッシャーに追い打ちをかけた。
俺と木村は、前に出やすいように端の席に座らされた。
本番が始まり、ステージに上がった俺は、練習とは全然違う景色に飲まれて、頭が真っ白になった。
卒業生は中学校の制服を着ていて大人みたいだし、保護者のフォーマルな装いは教師たちが大量に並んでいるように見えた。
それに、練習では前がスカスカだった体育館は人で埋め尽くされていた。
無数のスマホやカメラで撮影されるのも、練習ではなかった。
『在校生の言葉』で、最初に発表するのは俺だ。
練習の時は振られた岳人の手が、今日はない。
俺のセリフは「卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。一年間だけでしたが、一緒にいられて楽しかったです」だけ。
そのセリフが思いだせなくなって、俺は立ち尽くした。
両手でマイクを強く握り、言わなきゃと焦れば焦るほど、体中が熱くなり、涙が溢れた。
俺の隣に立つ木村から、鋭い小声で「早くしろよ!」とせっつかれた。
俺は震えながら俯いた。
首から下が冷たくなっていくのがわかる。
逆に、顔は燃えそうなほど熱い。
それをフォローしてくれたのは、なぜか壁側で教師の間に立っていた岳人だった。
岳人が体育館中に響くハキハキとした大声で、俺が言うべきセリフを口にした。
体育館中の視線が岳人に集中する。
木村が俺の手からマイクを力任せに奪い、岳人に続いて自分のセリフを発表した。
岳人に人生最大の恐怖から救われた安心感と、岳人との練習をムダにした申し訳なさと不甲斐なさに、俺は声が漏れないように歯を食いしばってポタポタと涙を零した。
慌てた担任に、俺だけステージから降ろされた。
そのまま体育館から連れだされ俺は、ステージから一番遠い体育館入口前まで引っ張られていった
そこで、担任は頭ごなしに説教を始めた。
いや、あれは説教じゃない。感情のまま、ヒステリックに怒鳴り散らされた。
担任はいつもより赤い唇を歪めてギャンギャン喚き、いつの間に現れたのか違うクラスの男の教師と学年主任が、腕組みをして怖い顔をしていた。
「出来ないなら最初から出来ないと言えばいいだけだろう!! 恥をかいたのはこっちだぞ」
剥げかけた恰幅のいい学年主任の容赦ない声に、俺はただただ体を竦め、涙を零しながら声を殺して耐えるしかなった。
代わるがわるに説教が続いた。
気が遠くなりかけた俺を、学年主任が突き飛ばした。
学年担任は尻餅をついた俺に鼻で笑うと、「教室に戻ってなさい!」と言い捨てて、他の教師たちに目配せをした。
教師たちが笑いながら俺に背を向けて、来た道を戻っていく。
ようやく解放されたことに、俺はただただホッとした。同時に疲れ果てて、動く気が起きない。
体育館から歌声が聞こえてくる。
項垂れたまま途方にくれた。
やっと、小さくだけれど殺していた泣き声が口から漏れた。
声を漏らしても、もう怒られない。
そう思った瞬間、我慢の糸がプツリと切れた。
小さな泣き声で押さえるつもりが、激しい嗚咽に変わってしまう。
俺は両手で大粒の涙を何度も拭った。
拭っても拭っても零れて止まらない。
いつまでそうしていたのだろう。
指の隙間から見えたのは、怖い顔で立ち尽くす岳人だった。
俺は息を飲んだ。
唯一の親友を怒らせて嫌われたんだと、瞬時に覚った。
一緒に練習したすべてを無駄にして、岳人に全部を任せてしまった。
許されないことをしてしまった罪悪感と、嫌われた悲しみと絶望に、俺はその場から駆けだした。
それからの俺は、岳人から目を逸らして逃げる日々だった。声も聞きたくないだろうと、挨拶すらしなくなった。
俺を嫌う岳人の視界に極力入らないように、これ以上岳人の迷惑にならないように、俺に出来る岳人への精一杯なお詫びはそれしかなかったから……。
卒業式の出来事は俺のトラウマとなった。
あれ以来、アガリ症は急速に悪化して、集団生活に支障をきたすようになった。
二年に上がり、新しい担任が二者面談で母さんに俺の異常さを伝えた。
母さんに連れられて精神科へ通うようになった頃には、俺と家族の関係は今と同じくらい希薄なものになっていた。
成績だけまあまあいいのは、岳人が伸ばしてくれた成績を落とすのが申し訳ないという義務感があったからだ。
そうして、いつしか勉強と読書は、これといった趣味も特技もない俺の有意義な時間を潰す方法になっていた。
慌てて着替え、空の弁当箱をキッチンに持っていた時には、食事がほぼ終わっていた。
俺の分のコロッケ二つとキャベツの千切りが載った皿が、すでにラップされている。
「洗い物するから、食べるならとっとと食べちゃって」
苛立ちを隠さない母さんに軽く頭を下げて、何も言わない父さんには触れず、弟とも会話をしない。
食欲のない俺は、自分で茶碗に二口分のご飯をよそい、席に着くと、お茶が置かれていた。
俺は母さんに軽く頭を下げてから、「いただきます」と小声で合掌した。
ラップを半分まで捲り、一個のコロッケにソースをかける。
箸でコロッケを割きながら、さっきまで夢で見ていた過去を思いだした。
小学校に入学しても、イジメはなくならなかった。
クラスで一番小さくて、女の子と間違われる容姿の俺は、威張りたい男子にからかわれたり、女子の一部からも「弱すぎ」「なんで出来ないの」と馬鹿にされていた。
でも、俺は学校生活が楽しかった。
入学したすぐ、出席順ですぐ後ろの岳人と仲良くなったからだ。
当時の岳人は、とにかくヤンチャだった。背はクラスで真ん中くらい。ヤンチャすぎて、中年の中肉中背の女性担任が毎日手を焼いていた。
岳人は他の誰でもなく、いつも俺を選んでくれた。遊び相手はもちろん、授業で二人一組を作る時も、体育館や音楽室に移動する時も、帰りも、帰ってから遊ぶ相手も、岳人は俺を選んでくれた。正確には、俺だけを選んでくれた。
それだけじゃない。
俺が給食を食べきれずにいると、こっそり食べてくれた。俺一人が一番低い鉄棒での逆立ちが出来なくても、馬鹿にしなかった。「ハルカも俺くらい大きくなったら、簡単にクルッてまわれるよ」と、放課後に自分のランドセルを踏み台にして、俺に鉄棒を教えてくれた。初めて回れた時、岳人は誕生日やクリスマスが一遍に来たかのように喜んでくれた。
岳人はワンパクなだけでなく、勉強が大好きだった。だから、わからないところがあると一生懸命教えてくれて、解けると頭を撫でてくれたり、ハイタッチしたり、いっぱい褒めてくれた。
運動会のリレー練習で、足が遅くてクラスのみんなに嫌な顔をされても、岳人は「遅れた分、俺が早く走るから大丈夫」と笑ってくれた。
アガリ症で挙手したがらない俺は、担任によく当てられた。そのたび、俺は緊張で体を熱くしながら、早口の小声で答えた。岳人はすぐに「俺もそう思います」と声をあげてくれた。
保育園では保育士に叱れて、まわりに疎まれてばかりいた俺は、小学校に希望を持っていなかった。
けれど、岳人のお陰で学校に行くのが楽しくて仕方がなかった。今まで休みは家にいた俺が、休みのたびに岳人と遊ぶようになった。
岳人の家にいけば、年上のお兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんも優しくて、ただただ楽しかった。
そうして、三学期が終わりに近づいてきた時だった。
一年生全員が集められて、クジ引きが始まった。
それは、卒業式に盛り込まれている『在校生の言葉』の代表者を選ぶものだった。各学年の代表者数名がステージ上に並び、一年生から順に卒業生とのエピソードを語るというものだ。一年生は一言二言で済むが、高学年になるにつれて発表は長くなる。
当時の俺は、たった二名しか当たらない一年生代表に当たってしまった。
もう一人、当たりクジを引いたのは、クラスのイジメの主犯格である体格のいい木村良一だった。
俺は恐怖で半泣きになりながら、一生懸命首を横に振って無理だと抵抗した。
けれど、担任と他の一年生担当の教師たちは一緒になって「ちょっと喋るだけだからやりなさい」「公平に決めたんだから、文句言わないの」「学年の代表なんて、凄いことなのよ」と俺の気持ちを無視て、全員が集まっている前で俺と木村が代表に決まったと告げた。
木村と一緒というだけで怖くて萎縮するのに、一学年の集まりの前に立たされた俺は震えながら俯いた。
木村が俺だけに聞こえる小声で「なんでお前とだよ。死ねよ」と言われ、気持ちが追い詰められた俺は、その場にしゃがみ込んだ。
「先生、遥の代わりに俺がやります」
岳人のハッキリと大きな声に、俺は溢れる涙を拭って顔をあげた。
全員が体育座りする中、岳人が立っていた。
目で岳人に縋ってしまう俺に、岳人が頷いた。
「やる気があるのは嬉しいけど、公平に決まったことだから諦めてね」
担任が明らかな作り声で、キッパリと岳人の意見を跳ね除けた。
「遥は緊張しやすいから、俺がやります」
それでも岳人は食らいついた。
「一言二言だから、緊張もないだろ」
隣のクラスの教師が俺を一瞥して、小馬鹿にした物言いをした。
それでも岳人は「俺がやります」と言い張った。
結局、俺と木村の代表は変わらなかった。
岳人は俺の発表練習に親身になって付き合ってくれた。
そうして、卒業式の練習で、俺は持ち慣れないマイクを両手で握り、なんとか担任たちに言われた言葉を噛まずに発表することができた。
一年生代表が発表する間、一年生全員が起立する。
起立した集まりの中、スクッと一本の腕が上に伸びて、手を振ってきた。
舞台から岳人の手がハッキリ見えたから、手足が震えて心臓が飛び出そうなほどドキドキしたけれど、練習と同じだと自分に言い聞かせることができた。
何より、練習に付き合ってくれた岳人に喜んでもらいたかった。
そうして、卒業式当日を迎えた。
卒業式が始まる直前に、岳人から「お前ならできる」と頭を撫でてもらえたけれど、紅白の垂れ幕と、教師たちのいつもと違う服装に加え、卒業生の保護者という大勢の大人がプレッシャーに追い打ちをかけた。
俺と木村は、前に出やすいように端の席に座らされた。
本番が始まり、ステージに上がった俺は、練習とは全然違う景色に飲まれて、頭が真っ白になった。
卒業生は中学校の制服を着ていて大人みたいだし、保護者のフォーマルな装いは教師たちが大量に並んでいるように見えた。
それに、練習では前がスカスカだった体育館は人で埋め尽くされていた。
無数のスマホやカメラで撮影されるのも、練習ではなかった。
『在校生の言葉』で、最初に発表するのは俺だ。
練習の時は振られた岳人の手が、今日はない。
俺のセリフは「卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。一年間だけでしたが、一緒にいられて楽しかったです」だけ。
そのセリフが思いだせなくなって、俺は立ち尽くした。
両手でマイクを強く握り、言わなきゃと焦れば焦るほど、体中が熱くなり、涙が溢れた。
俺の隣に立つ木村から、鋭い小声で「早くしろよ!」とせっつかれた。
俺は震えながら俯いた。
首から下が冷たくなっていくのがわかる。
逆に、顔は燃えそうなほど熱い。
それをフォローしてくれたのは、なぜか壁側で教師の間に立っていた岳人だった。
岳人が体育館中に響くハキハキとした大声で、俺が言うべきセリフを口にした。
体育館中の視線が岳人に集中する。
木村が俺の手からマイクを力任せに奪い、岳人に続いて自分のセリフを発表した。
岳人に人生最大の恐怖から救われた安心感と、岳人との練習をムダにした申し訳なさと不甲斐なさに、俺は声が漏れないように歯を食いしばってポタポタと涙を零した。
慌てた担任に、俺だけステージから降ろされた。
そのまま体育館から連れだされ俺は、ステージから一番遠い体育館入口前まで引っ張られていった
そこで、担任は頭ごなしに説教を始めた。
いや、あれは説教じゃない。感情のまま、ヒステリックに怒鳴り散らされた。
担任はいつもより赤い唇を歪めてギャンギャン喚き、いつの間に現れたのか違うクラスの男の教師と学年主任が、腕組みをして怖い顔をしていた。
「出来ないなら最初から出来ないと言えばいいだけだろう!! 恥をかいたのはこっちだぞ」
剥げかけた恰幅のいい学年主任の容赦ない声に、俺はただただ体を竦め、涙を零しながら声を殺して耐えるしかなった。
代わるがわるに説教が続いた。
気が遠くなりかけた俺を、学年主任が突き飛ばした。
学年担任は尻餅をついた俺に鼻で笑うと、「教室に戻ってなさい!」と言い捨てて、他の教師たちに目配せをした。
教師たちが笑いながら俺に背を向けて、来た道を戻っていく。
ようやく解放されたことに、俺はただただホッとした。同時に疲れ果てて、動く気が起きない。
体育館から歌声が聞こえてくる。
項垂れたまま途方にくれた。
やっと、小さくだけれど殺していた泣き声が口から漏れた。
声を漏らしても、もう怒られない。
そう思った瞬間、我慢の糸がプツリと切れた。
小さな泣き声で押さえるつもりが、激しい嗚咽に変わってしまう。
俺は両手で大粒の涙を何度も拭った。
拭っても拭っても零れて止まらない。
いつまでそうしていたのだろう。
指の隙間から見えたのは、怖い顔で立ち尽くす岳人だった。
俺は息を飲んだ。
唯一の親友を怒らせて嫌われたんだと、瞬時に覚った。
一緒に練習したすべてを無駄にして、岳人に全部を任せてしまった。
許されないことをしてしまった罪悪感と、嫌われた悲しみと絶望に、俺はその場から駆けだした。
それからの俺は、岳人から目を逸らして逃げる日々だった。声も聞きたくないだろうと、挨拶すらしなくなった。
俺を嫌う岳人の視界に極力入らないように、これ以上岳人の迷惑にならないように、俺に出来る岳人への精一杯なお詫びはそれしかなかったから……。
卒業式の出来事は俺のトラウマとなった。
あれ以来、アガリ症は急速に悪化して、集団生活に支障をきたすようになった。
二年に上がり、新しい担任が二者面談で母さんに俺の異常さを伝えた。
母さんに連れられて精神科へ通うようになった頃には、俺と家族の関係は今と同じくらい希薄なものになっていた。
成績だけまあまあいいのは、岳人が伸ばしてくれた成績を落とすのが申し訳ないという義務感があったからだ。
そうして、いつしか勉強と読書は、これといった趣味も特技もない俺の有意義な時間を潰す方法になっていた。

