一クラス三二人。
黒板に貼られたA4のプリントに従って、窓際の列から出席番号で座る。
俺は二列目の一番後ろになった。
教壇に目を向けると、三列目の前から二番目に座る岳人の背中が視界に入る。
岳人を見るたびに過去を思いだす席だけれど、岳人からは少し離れているのは救いだ。
岳人が席につくと、さっそく女子が七人ほど集まってきた。
はしゃぎながら高い声で岳人に話しかける女子たちは、全員バラエティーに富んでいた。黒のストレートなロングヘアが清楚そうな印象なのに、目のギラついた子がいれば、スカートが短すぎな子、オカッパを赤く染めた子、化粧が厚すぎる子……。
俺とは住む世界が完全に違う陽キャ集団に囲まれ、岳人は机に突っ伏した。そして、ピクリとも動かなくなる。
「眠いんだってさ」
「いつもじゃん」
「カッコいいから許せるけど」
「ノリが悪すぎるの、いい加減に直してほしいよね」
「こっちはクラスが別れて、チャンス減ってるんだけど」
「え~っ。一緒でも塩対応すぎてチャンスなかったじゃん」
愚痴なのか諦めなのかを隠しもせず、女子たちが不貞腐れながら散っていく。
そのうち三人が教室から出ていったから、違うクラスなんだろう。
俺がよく知る岳人は、小学一年生の時だけだ。屈託なく笑い、面倒見が良くて、まわりを明るくする人だった。
今のところ、岳人に小学一年生の頃の面影はない。
本当に、岳人も俺みたいに変わってしまったんだろうか。
信じられないまま、岳人の背中を見つめた。
朝のショートホームルームは、クラス担任の短い自己紹介で終わった。
見覚えのない中年だった。ギョロ目で白いものが混じったグレーぽい短髪に、頬骨が目立つ瘦せ型。担当教科は化学。
名字は辻井。
下の名前は忘れた。
顔と苗字さえ覚えておけば、どうにでもなるだろう。
そうして、新学期の一時限目から通常授業が始まった。
休憩時間のたびに女子たちが岳人に近づくが、声をかける前に岳人が机に突っ伏す。その繰り返しだった。
岳人を観察しているうちに、午前中の授業が当てられることなく終わり、昼休みに入った。
物語のボッチなら、ここで人気のないところに移動してご飯にするんだろう。
けれど、現実はそんなに甘くない。屋上のドアは施錠されているし、人気のないと思われる場所には大概カップルなど誰かがいる。
だからといって、教室で食べるにしても気は抜けない。近くにグループで食べたい人たちがいる場合、無暗に席を立てば椅子を奪われ、戻ってきた時には気まずくて取り返しづらくなる。
俺は鞄から弁当と飲みかけのペットボトル、百均で買ったポケットタイプの濡れティッシュを取りだした。
ティッシュで手を拭いていると、女子に囲まれた岳人が立ちあがるのが見えた。
「一緒に食べよう?」「そうしよう」と、勝手に岳人の席に他の席をくっつけようとした女子の三人が止まる。
女子に人気なのは知っていたけれど、まさか休憩のたびに群がってくるほどとは思わなかった。
クラス替えしたばかりで、自分をアピールしたい女子もいるだろう。岳人をずっと狙ってきた女子だっているだろう。
遠巻きの女子たちも、視線は岳人に向いている。
岳人がリュックを持って歩きだした。
こちらに近づいてくる。
俺は慌てて目を逸らすと、弁当の蓋を開けた。
作ってもらっている分際で文句は言えないけれど、卵焼き以外のオカズは昨日の残りの筑前煮と漬け物だけって、相変わらず手抜きすぎる。
俺が期待されていない証拠だと思えば気が楽なるけれど。
営業の父さんは弁当を持っていかないし、四歳年下の弟は給食があるから弁当は必要な時だけになる。
その時は、余ったオカズで俺の弁当も豪華になるが、年に数回だけだ。
ダメすぎる俺を見て育った弟は優秀なんだろう。親とも極力会話をしない俺と、食卓で話を弾ませる弟。
親が弟を可愛がるのは当然だ。
「ねえ、同じクラスなんだから、仲良くしたいし一緒に食べよ?」
岳人の後を、女子たちが縋るようについていく。
ハイスペックな人間は大変だなと思っていると、岳人がよりにもよって俺の席の横で足を止めた。気怠そうに振り返るのが、視界の端に映る。
女子たちの視線は岳人に一直線とはいえ、なんで俺の横で足を止めるんだよ。
俺は空気だ。
そう、ただの空気。
自分に念じながら、筑前煮の人参をオドオドと口に運んだ。
ああ、やっぱりだ。一発触発な空気に飲まれて、人参の味がほとんどしない。
「前から言ってるけど、一生無理だから。あと、俺の席を勝手に使わないで。マジで萎える」
顔を見なくても、声だけで侮蔑しているのがわかる容赦ない岳人に、空気が読めないのか女子たちが「え~っ」と声をあげた。
岳人が変わった理由がわかった気がする。
少しでも甘い顔をしたら、ヤバめな女子たちの餌食になるだろう。
女子たちに返事をすることなく、岳人が向きを変えたのが視界の端でわかる。
ええっ⁉
ちょっと待って。
岳人の体が俺に向いているのは、どうしてなんでしょうか?
絶対に今、上から見られている。
俺は、コンニャクを箸で挟んだまま動けなくなった。
岳人が見ているということは、まわりも見ているということで……。
喉が詰まり、体感温度が一気に下がっていく。
時間にして、どれくらい硬直していただろうか。
岳人が何も言わずに去っていった。
一気に力の抜けた俺は、「岳人って煮物が好き?」「卵焼きじゃない?」と俺の弁当を勝手に覗き込んで推理する女子たちに気づかれないように、ゆっくりと息を吐いた。
さっきの岳人の沈黙はなんだったのか。
女子たちの言うとおり、筑前煮が好物で目に留まっただけなのか。
それを知るのは岳人一人。
もしかしたら、俺が嫌いすぎて文句を言いたかったけれど、あまりに貧相な弁当を見たら哀れになって、その気が失せたとか。
岳人に嫌われている俺は、岳人の一声で簡単にクラスにいられなくなるだろう。
それが今日なのか明日なのか……。
すべては岳人にかかっている。
間近で聞こえたシャッター音に、思わず顔をあげた。
「こんなん撮って参考になる?」
「マジでありえなくない、これ」
「アタシだったら、ママと絶交する。こんなお弁当、恥ずかしくて見せられないもん」
勝手に俺の弁当を撮影して、謝りもせずに馬鹿にしながら去っていく女子三人組に、俺は呆気にとられた。
コイツら、いくらなんでも常識がなさすぎだろ。
食欲が完全に失せた俺は、溜め息を殺しながら弁当を持ち上げた。
ツンケンな母親に残した言い訳はしたくないから、愛情のない弁当だろうが、みすぼらしい弁当だろうが、用意してもらったからには完食しなければならない。
今日はもう誰とも喋りたくないな。
箸で掬ったご飯は、漏れた筑前煮の汁を吸って、下の色が変わっていた。
黒板に貼られたA4のプリントに従って、窓際の列から出席番号で座る。
俺は二列目の一番後ろになった。
教壇に目を向けると、三列目の前から二番目に座る岳人の背中が視界に入る。
岳人を見るたびに過去を思いだす席だけれど、岳人からは少し離れているのは救いだ。
岳人が席につくと、さっそく女子が七人ほど集まってきた。
はしゃぎながら高い声で岳人に話しかける女子たちは、全員バラエティーに富んでいた。黒のストレートなロングヘアが清楚そうな印象なのに、目のギラついた子がいれば、スカートが短すぎな子、オカッパを赤く染めた子、化粧が厚すぎる子……。
俺とは住む世界が完全に違う陽キャ集団に囲まれ、岳人は机に突っ伏した。そして、ピクリとも動かなくなる。
「眠いんだってさ」
「いつもじゃん」
「カッコいいから許せるけど」
「ノリが悪すぎるの、いい加減に直してほしいよね」
「こっちはクラスが別れて、チャンス減ってるんだけど」
「え~っ。一緒でも塩対応すぎてチャンスなかったじゃん」
愚痴なのか諦めなのかを隠しもせず、女子たちが不貞腐れながら散っていく。
そのうち三人が教室から出ていったから、違うクラスなんだろう。
俺がよく知る岳人は、小学一年生の時だけだ。屈託なく笑い、面倒見が良くて、まわりを明るくする人だった。
今のところ、岳人に小学一年生の頃の面影はない。
本当に、岳人も俺みたいに変わってしまったんだろうか。
信じられないまま、岳人の背中を見つめた。
朝のショートホームルームは、クラス担任の短い自己紹介で終わった。
見覚えのない中年だった。ギョロ目で白いものが混じったグレーぽい短髪に、頬骨が目立つ瘦せ型。担当教科は化学。
名字は辻井。
下の名前は忘れた。
顔と苗字さえ覚えておけば、どうにでもなるだろう。
そうして、新学期の一時限目から通常授業が始まった。
休憩時間のたびに女子たちが岳人に近づくが、声をかける前に岳人が机に突っ伏す。その繰り返しだった。
岳人を観察しているうちに、午前中の授業が当てられることなく終わり、昼休みに入った。
物語のボッチなら、ここで人気のないところに移動してご飯にするんだろう。
けれど、現実はそんなに甘くない。屋上のドアは施錠されているし、人気のないと思われる場所には大概カップルなど誰かがいる。
だからといって、教室で食べるにしても気は抜けない。近くにグループで食べたい人たちがいる場合、無暗に席を立てば椅子を奪われ、戻ってきた時には気まずくて取り返しづらくなる。
俺は鞄から弁当と飲みかけのペットボトル、百均で買ったポケットタイプの濡れティッシュを取りだした。
ティッシュで手を拭いていると、女子に囲まれた岳人が立ちあがるのが見えた。
「一緒に食べよう?」「そうしよう」と、勝手に岳人の席に他の席をくっつけようとした女子の三人が止まる。
女子に人気なのは知っていたけれど、まさか休憩のたびに群がってくるほどとは思わなかった。
クラス替えしたばかりで、自分をアピールしたい女子もいるだろう。岳人をずっと狙ってきた女子だっているだろう。
遠巻きの女子たちも、視線は岳人に向いている。
岳人がリュックを持って歩きだした。
こちらに近づいてくる。
俺は慌てて目を逸らすと、弁当の蓋を開けた。
作ってもらっている分際で文句は言えないけれど、卵焼き以外のオカズは昨日の残りの筑前煮と漬け物だけって、相変わらず手抜きすぎる。
俺が期待されていない証拠だと思えば気が楽なるけれど。
営業の父さんは弁当を持っていかないし、四歳年下の弟は給食があるから弁当は必要な時だけになる。
その時は、余ったオカズで俺の弁当も豪華になるが、年に数回だけだ。
ダメすぎる俺を見て育った弟は優秀なんだろう。親とも極力会話をしない俺と、食卓で話を弾ませる弟。
親が弟を可愛がるのは当然だ。
「ねえ、同じクラスなんだから、仲良くしたいし一緒に食べよ?」
岳人の後を、女子たちが縋るようについていく。
ハイスペックな人間は大変だなと思っていると、岳人がよりにもよって俺の席の横で足を止めた。気怠そうに振り返るのが、視界の端に映る。
女子たちの視線は岳人に一直線とはいえ、なんで俺の横で足を止めるんだよ。
俺は空気だ。
そう、ただの空気。
自分に念じながら、筑前煮の人参をオドオドと口に運んだ。
ああ、やっぱりだ。一発触発な空気に飲まれて、人参の味がほとんどしない。
「前から言ってるけど、一生無理だから。あと、俺の席を勝手に使わないで。マジで萎える」
顔を見なくても、声だけで侮蔑しているのがわかる容赦ない岳人に、空気が読めないのか女子たちが「え~っ」と声をあげた。
岳人が変わった理由がわかった気がする。
少しでも甘い顔をしたら、ヤバめな女子たちの餌食になるだろう。
女子たちに返事をすることなく、岳人が向きを変えたのが視界の端でわかる。
ええっ⁉
ちょっと待って。
岳人の体が俺に向いているのは、どうしてなんでしょうか?
絶対に今、上から見られている。
俺は、コンニャクを箸で挟んだまま動けなくなった。
岳人が見ているということは、まわりも見ているということで……。
喉が詰まり、体感温度が一気に下がっていく。
時間にして、どれくらい硬直していただろうか。
岳人が何も言わずに去っていった。
一気に力の抜けた俺は、「岳人って煮物が好き?」「卵焼きじゃない?」と俺の弁当を勝手に覗き込んで推理する女子たちに気づかれないように、ゆっくりと息を吐いた。
さっきの岳人の沈黙はなんだったのか。
女子たちの言うとおり、筑前煮が好物で目に留まっただけなのか。
それを知るのは岳人一人。
もしかしたら、俺が嫌いすぎて文句を言いたかったけれど、あまりに貧相な弁当を見たら哀れになって、その気が失せたとか。
岳人に嫌われている俺は、岳人の一声で簡単にクラスにいられなくなるだろう。
それが今日なのか明日なのか……。
すべては岳人にかかっている。
間近で聞こえたシャッター音に、思わず顔をあげた。
「こんなん撮って参考になる?」
「マジでありえなくない、これ」
「アタシだったら、ママと絶交する。こんなお弁当、恥ずかしくて見せられないもん」
勝手に俺の弁当を撮影して、謝りもせずに馬鹿にしながら去っていく女子三人組に、俺は呆気にとられた。
コイツら、いくらなんでも常識がなさすぎだろ。
食欲が完全に失せた俺は、溜め息を殺しながら弁当を持ち上げた。
ツンケンな母親に残した言い訳はしたくないから、愛情のない弁当だろうが、みすぼらしい弁当だろうが、用意してもらったからには完食しなければならない。
今日はもう誰とも喋りたくないな。
箸で掬ったご飯は、漏れた筑前煮の汁を吸って、下の色が変わっていた。

