僕が書いた世界の果てで、君の幸せを問う

 灯りのない部屋は、空っぽというより放置された形をしていた。

 閉め切ったカーテンの向こうから差し込むのは、淡い青い月光だけ。家具の輪郭がそれに縁取られ、薄く沈んで見える。

 床には畳まれない衣類、開きっぱなしの段ボール、そこかしこに散らばった飲みかけのペットボトル。けれど、その中心に置かれた真っ白な入院用ベッドだけは違う。

 まるで高級ホテルにチェックインしたばかりみたいに、過剰なほど整えられている。皺一つないシーツが、ひとりの身体を丁寧に(おお)い隠している。

 シュウゥ……ッ、――カツ。

 その静けさの中で、チューブを通って空気が出入りする規則正しい音だけが部屋を満たす。

 ウウゥゥン……

 普段なら気にも留めないはずの、色を失ったおやすみモードの空気清浄機が、微かな唸りを残している。その振動が鼓膜をゆっくり這ってくる。

 鼻を淡く刺す冷たいアルコール臭。さらにその奥には、どこか酸っぱくて、それでも妙に甘ったるい――果物が腐りかけた匂いが混じっている。

 そして、その静寂を一瞬で()ぎ払ったのは、部屋の隅に黙って座る男のスマートフォンの光だった。

 小さな四角が点いた途端、闇が壁際へ押しやられていく。

 ほどなくして、スピーカーから穏やかなピアノの旋律が零れ出した。

『あなたは、この世界が気に入っていますか?』

 赤いサンタ服の、長い髪の美少女キャラクター。そして、玉のように澄んだ若い女の声が、透明に響く。

 次の瞬間、静かな旋律は壮大なオーケストラへと急変する。画面が爆ぜるように明るくなり、極彩色(ごくさいしき)の景色が雪崩れ込んだ。

 まず映るのは――血の気を含んだ土の匂いまで錯覚しそうな、どこまでも広いエメラルドの草原。風に波打つ草の一本一本が、作り物のくせに本物以上に見える。

 画面の端で、女の子がパン、と手を叩く。すると今度は――

 紫の月がふたつ、ぬくもりを帯びて世界を照らす。果ての見えない森の海。木々の影が水面みたいに揺れ、奥へ奥へと誘ってくる。

 ナレーションが続く。

『想像できるすべてを、現実へ――夢見るすべてが叶う、魔法みたいなユートピア。あなたの幸せに責任を持つ、カスタムVRワールド制作専門〈スタジオ・ジェネシス〉。今すぐアクセスして、お見積もりを!』

 やがて赤い画面がせり上がり、残るのは文字だけ。

 ――クリスマスセール

 スマホを握る男の指が、そこへ向かう。迷いのない軌道で、ボタンの上へ。

『今すぐお問い合わせ!』