捕食者は爪先立ちで、

 依弦は小さい。男子高校生の平均身長が大体170cm程度くらいらしいから、それよりは8cmも小さいことになる。本人も最初の頃はかなり気にしていたらしいけど、今となっては開き直ってその小ささを活かして全力で悪さをしている。

 授業中。俺達が大人しく問題を解いている間、依弦が教壇に呼び出されていた。当てられた人が課題で出されていた演習問題をみんなの前で解くことになっている。今日の日付が依弦の出席番号だったから仕方ない。

「というか木爪、お前だろ。教室の後ろのペットボトル」

 依弦が問題を解いている横で、突然教師が口を挟む。化学教師はうちのクラスの担任で、このクラスで発生する大抵の悪戯や余計なことの原因は依弦だと知っている。

 教室の後ろ側、少し空いているスペースのところにペットボトルがボウリングのピンに見立てて置かれているのを見つけたらしい。その近くには新聞紙で作られた歪な形のボールが投げ捨てられている。

 教師の鋭い視線に対して、犯人は呑気にも、何がダメなんですかとでも言いたげな顔をしている。

「オレと木下、まだ決着ついてないの! だからまだ片付けられない」

 いつもの話し声より少し高くて、口調を柔らかく仕上げた媚びるための話し方。こいつが悪戯を許してもらう時に使う常套手段だ。

「ちゃんと後で片付けるから!」
「あんまり教室に私物置くなよ。特例を許したら他の人はどうなんだってなるからな」
「はーい。あ、じゃあさ先生、オレあとで切れてる蛍光灯替えるよ。それで許してほしいデス」
「お前ひとりじゃ無理だろ」
「泰斗も一緒にやるよ!」
「まぁ、なら頼む」

 勝手に巻き込まれている。
 依弦の反省の意を示すための行動に勝手に巻き込まないでほしいし、先生もそれで納得しないでほしい。ちょうど教室の一番うしろの蛍光灯が切れている。別に誰も困りはしないから放置されていたけれど、それだけで説教を回避できるなら確かに安いものかもしれない。

 教師の顔を下から覗き込んで、するりと懐に入る。俺みたいなデカい男は教師すらも上から見下ろす形になってしまって、誰がどう考えてもかわいくはない。小さいということは、こういう時には役立つのかもしれない。

 まぁでも、少なくとも、俺には縁のないことだ。

 答えを出し終えて自分の席に戻ってきた依弦が、後ろから俺の背中を叩く。

「昼休みに替えよ」
「やだよ。お前だけでやれ」
「とか言いながら一緒にやってくれるくせに」

 べぇ、と依弦が舌を出す。これで本当に俺が協力しなかったら、こいつはどうするつもりなんだろう。まぁきっと他の誰かの手を借りるんだろうけれど、それはそれで少し面白くない。

 こいつの世界は、俺ありきで回っている。
 誰かにあてにされているという事実で、自分の中の何か小さな欲求が満たされていく気がする。

「今回だけな」
「やりぃ」

「そこー、うるさいぞ。あとで蛍光灯渡すからな。ケガだけはするなよ」
「ういー」



 実は何度も教室の蛍光灯を替えたことがある。
 やり方はいたって簡単。俺が依弦を肩車して、依弦が蛍光灯を交換する。
 机の上に乗るだけでは微妙に届かない高さだけれど、この方法が一番はやくて簡単だとクラス中が味を占めてからは高所作業専門員のような立場に収まっていた。

「うし、やるか」
「さっさと終わらせろ」

 俺がしゃがむと、わし、と頭を掴まれる。肩に脚がかけられて依弦がしっかりと乗ったのを確認してからゆっくりと立ち上がる。

「うおーたけー。でけー」
「無駄口叩いてないではやくしろ」

 クラス中の視線を総ナメしている。さすがに恥ずかしい。
 取り外した蛍光灯はペットボトルボウリングで敗北した木下が受け取ってくれる。代わりに新しいものを渡して、依弦が手早く嵌める。作業を終えたのを確認したところで、入口付近にいたクラスメイトに電気をつけてもらうよう頼む。念のため全ての電源スイッチをオフにしていたから、ぱっと明るくなった部屋に目が眩む。

「泰斗ー。おろしてくれー」
「おう」

 俺の髪をぐしゃりと掴んでいた依弦が軽い足取りで地面に降りる。一仕事終えた依弦はすっきりとした顔をしていた。

「いい仕事したわ」
「その前に悪いことしてるけどな」
「悪いことっていうほどじゃないだろ」


 その後、弁当を食べながらやいやい話していたら急に窓際に人が集まって騒がしくなり始めた。最初は女子数人だけだった見物客が、近くにいた男子、教室の反対側にいた友人、といった風に増えていく。

「なんだァ?」
「さぁ? 気になるなら見てこいよ」

 依弦が席から立ち上がる。クラス中のほとんどの人が窓際に集まっているせいで、乗り遅れた依弦は背伸びをしても何がなんだかよくわからないようだった。

 箸を置いて自分も窓際に寄る。胸元あたりでクラスメイトの頭が動いているが依弦と違って何の支障もない。俺の方をみて悔しそうに顔をくしゃくしゃにしている依弦を無視して、窓の外に目を遣る。

「あ、犬か」

 校庭に迷い犬がやってきたようだった。恐らく犬種はビーグル。首輪をしてリードを引きずっているから、散歩中に逃げ出したのだろうか。

「え、なに! 犬!? 見たい!」
「ちょ、おま、なに……」

『犬』の言葉を聞きつけた依弦が遠慮もなしに俺の背中によじ登ってくる。肩に手を置いて、反動をつけて器用に俺の背中に飛び乗る。脚を勢いよく腰回りに巻きつけられたせいで食べたばかりの弁当が飛び出してきそうだった。

「犬だ!」
「だから言ったろ」

 耳元で「おあぁぁぁ……いぬだ……」とよくわからない声を漏らしている。小さな吐息が耳にかかってこそばゆい。

「うわ、びっくりした。てか、木爪くんそんなとこにいたの」
「おん。見えなかったし。ここならばっちりだったわ」

 目の前にいた女子が振り返って驚いたと言わんばかりの声をあげたが、俺の背中にいた依弦に気づいて顔を綻ばせた。

「木爪くん、犬好きなんだね」
「え、なんでわかったの」
「すごい嬉しそうな顔してるよ」
「恥ず。犬、ガチのマジで大好きなんだよな。永遠の犬派」
「外行って捕まえてきなよ。今なら間に合うんじゃない?」
「そうしよっかな。捕まえたらクラス犬にしよ」

 依弦が俺の背中に乗っていることには誰も疑問を持たなくなってしまったせいで、ごく自然に会話が進んでいくが、その内容派いただけない。
 依弦なら本当に捕獲しに行きかねない。頼むからこいつに余計なことを吹き込むことはやめてくれと心の底から願う。
 犬が一匹で校庭をうろうろ歩くというあまり変わらない状況のせいで関心が薄れてしまったのか、窓際の人は散り散りになってしまった。背中の依弦は変わりなくいつまでも犬を見ている。
 女子との会話が終わってもまだ尚降りる気は微塵もないらしい依弦の脚を軽く叩く。

「降りろって」
「やだね」

 脚を引き剥がそうとしても抵抗してくる依弦をどうにか落としてやろうとジャンプをしたり身体を勢いよくひねったりしても、びくともしない。
 そうこうしている間に校庭に犬捕獲部隊が派遣され、見事に教頭が勝利を収めた。迷い犬が教頭の方へ誘われるように歩いていったところは、さながら歴戦の犬使いのようだった。これから教頭には逆らわないのが吉かもしれない。

 事の顛末を見届けても、依弦は動こうとしない。もうダメだと諦めて、依弦を背中に引っ付けたまま自分の席に座る。ひとつの座面に男2人で座るのはさすがにきつかったけれど、背もたれと俺に挟まれた依弦はひとつも文句を言わない。

「お前さぁ『ヘイ! マックス!』って観た?」

 背面で依弦がもぞもぞと動いている。そのまま返事をせずに放置していたら頭頂部で頭突きをされた。ピンポイントで背骨の突起部分を攻撃されてさすがに鈍痛が走る。いくら俺でも筋肉のないところは弱い。

「んだよ……あのデカくて白いぷよぷよのやつ? みてねぇけど」
「あれさ、白いやつの背中に乗れるらしいんだけど、高速で飛んでも落ちないように手と足ひっかける場所あるらしい。お前もつけたらいいんじゃね?」
「意味わからん。つかこんだけしがみつけんならいらんだろ」
「それもそうか」

 一通り遊んで満足したらしい依弦がようやく離れる。

「てかお前、ほんとにデカいのな。クラスのやつら全員小人じゃん」
「小人だよ。前からそう言ってんだろ」

 依弦がふはっと吹き出す。自分の席に戻るがてら、俺の弁当から卵焼きが一つ奪われていった。

「んま! なにこれ!」
「卵焼きだよ。海苔入り」
「お前が作ったの?」
「いや、母さん」
「天才だな。お礼言っといて」

 勝手に食べられて勝手にお礼を言われたら母さんも驚くだろう。仮に言ったとしても「よかった」としか言われなさそうだけれど。

「オレもお前んとこのメシ食ってたらデカくなれたんかな」
「いや無理だろ。遺伝だって。うち爺さんも父さんもデカいし。なんなら母さんも平均よりはちょっとデカい」
「羨ましいこって」
「その代わり腹減って仕方ねぇよ」
「あれ、オレいま貴重な食料奪った感じ?」
「おう」

 黙々と箸を進める俺を見て少し悩んだ風な素振りを見せた依弦が、自分の鞄の中を漁って何かを差し出してきた。

「これあげる」
「こんにゃくまみれじゃん。サンキュ」

 卵焼きが小さなゼリーになった。
 まぁ、良しとしよう。