腰が抜ける、という感覚を。
俺は初めて理解した。
立っているつもりだった。
だが気づけば、そこに座り込んでいた。
――違法越権行為の債務者。
――引きこもりの果ての殺人自殺者。
そして。
――俺。
「……ふざけるなよ」
喉の奥から、声が漏れた。
「なんで……俺が」
「同列なんだよ」
ただ、バスを少し遅らせただけだ。
誰にでもあるだろ。
ほんの数分。
たった、それだけのことだ。
「そんなことで……」
「いちいちこんな結果になるなら」
「……何もできないだろ」
アリだって踏めない。
呼吸するたびに、誰かに影響があるじゃないか。
それを全部、“因果”だと?
「あなたに“罪”があるわけではありません」
天使の声が、落ちる。
「問題は――」
ほんのわずかな間。
「あなたの“在り方”です」
在り方?
「他人の状況を想像しない」
「自分の視点からしか世界を見ない」
「それ自体を“罪”と呼ぶ者はいないでしょう」
静かに。
だが、逃げ場なく。
「しかし」
「あなたは“人がいる”という前提を、常に抜かしている」
――
心臓に、何かが刺さる。
「結果として」
「あなたは“事故が成立する世界”を選び続けた」
選んだ?
そんなつもりはない。
だが。
「……」
否定する言葉が、出てこない。
思い当たることは――ある。
他人に期待しない。
関わらない。
余計なことを考えない。
それが楽だった。
それが安全だった。
傷つかないための方法だった。
だが。
その積み重ねが。
いつの間にか――
「……他人を見ない」
それが、当たり前になっていた。
「……」
「違う……」
言葉が、弱い。
「それは……」
「俺だって……ちゃんと……」
――見ていたつもりだ。
だが。
本当に、見ていたか?
バスの後ろに並んでいた人間。
急いでいた運転手。
その先にいる、無数の生活。
「……」
考えたことがあったか?
――ない。
「……っ」
胸の奥で、何かが軋む。
「あなたは、何も悪くない」
天使が言う。
「だからこそ、自覚がない」
その一言で。
何かが、決定的に崩れた。
「あああああああああああああ!!」
叫びだったのか。
それとも、ただの破裂音だったのか。
分からない。
ただ。
今までなかったものが――
“流れ込んできた”。
――
俺は、学校を卒業したと言った。
だが、それは大学じゃない。
専門学校。
調理師の資格を取るための。
つまり。
中卒だ。
働いていたのは、酒を扱うチェーン店。
だから、出勤は遅い。
あの時間のバスに乗っていた理由だ。
あの席に座る理由も。
タイヤの上で不安定でも、腿を伸ばせるからだ。
長時間立ちっぱなしの仕事。
それだけで、足は限界だった。
給料は安い。
上がらない。
「転職すればいい」
簡単に言うやつはいる。
だが。
俺には“何もない”。
資格はある。
だが、技術がない。
現場で使えない。
どこが欲しがる?
そんな人間を。
気づけば。
世界が嫌になっていた。
誰の言葉も信用できない。
全部、裏があると思っていた。
だから。
見ないことにした。
関わらないことにした。
「……」
その結果が。
これだ。
俺は承認欲求に支配されたコンプレックスの塊
何も見ない様にすることで薄っぺらいプライドを守っていたんだ
「――あなたに足りないものが」
天使の声。
「理解できましたか?」
答えは、出ない。
出したくない。
だが。
理解はしてしまった。
その時。
視線を感じた。
顔を上げる。
崩れていたはずの女性が。
こちらを見ていた。
泣きながら。
明確な“何か”を。
俺に向けて。
逃げ場は、もうなかった。
