空間の“密度”が変わった気がした。
何もないはずの場所が、重く沈む。
空気なんて存在しないはずなのに、
息苦しさだけが確かにあった。
それでも――
俺の中に、感情はない。
冷静とかじゃない。
それが“普通”になっている。
隣では、チャラ男が明らかに動揺していた。
目は泳ぎ、口は乾き、さっきまでの余裕は欠片もない。
女性は――
逆だった。
壊れている。
自暴自棄に近い、張りつめた不安定さ。
……なるほど。
これが、“人間らしさ”か。
そう、他人事みたいに考えている自分がいる。
「あなた方の事故を作ったのは――あなたです」
天使が、チャラ男を指し示した。
「そして」
すぐに、その指が移る。
「その事故の“原因”は――あなたです」
女性へ。
……どういうことだ?
あの女性は、バスには乗っていなかった。
じゃあ、チャラ男の車に?
――いや。
それなら、あの男の反応が軽すぎる。
「順を追って説明しましょう」
天使の言葉が、思考を横切る。
「まずは、あなたから」
チャラ男へ。
「あなたは、あの日――非常に急いでいました」
間。
「理由は、ご理解されていますよね?」
……この言い方。
わざとだ。
「そんなの事故と関係ねえだろ!」
チャラ男が、苛立ち混じりに吐き捨てる。
だが天使は、無視した。
「あなたは、自身の親の会社の名を利用し」
「いわゆる“地上げ”に近い行為を行っていた」
チャラ男の顔色が変わる。
「会社が計画していた国道整備の用地に」
「ただ一件――立ち退きを拒む家がありました」
静かな声。
だが、逃げ場がない。
「そこには、高齢の母親と」
「長年、引きこもりを続けている娘が住んでいた」
……。
チャラ男が、うつむく。
「あなたはその母親に接触し」
「“娘の婚約者”を名乗った」
空気が凍る。
「偽のSNSを用い、関係性を捏造し」
「現代の常識を利用して信用を得た」
「やめろ……」
チャラ男の声は弱かった。
「娘が家に籠っていることを逆手に取り」
「接触の機会を完全に断ったまま、関係を構築した」
淡々と。
ただ事実だけを、積み上げていく。
「そして“将来三人で暮らすため”という名目で」
「立ち退きを承諾させた」
……最低だな。
そう評価している自分がいる。
だが、それ以上は何も感じない。
「あなたは、ほぼ無償で権利書を手に入れ」
「父親に成功を報告した」
沈黙。
そこで終わっていれば――
まだ“汚い仕事”で済んでいたのかもしれない。
「しかしあなたは――」
わずかに、間が落ちる。
「その権利書を担保に、闇金融から借入を行った」
……終わってる。
完全に。
「数か月で利息は膨らみ」
「返済不能」
「会社に知らせることもできず」
「利息だけを払い続ける延命状態」
チャラ男の手が震えている。
「そして――」
天使の声が、ほんの少しだけ低くなる。
「返済期限が、あの日だった」
静寂。
「その時間に遅れれば、あなたは“失う”」
「だから、急いでいた」
俺の脳裏に、あの瞬間がよみがえる。
――バスを追い越した車。
「その時、あなたの前にあったのは」
「発車したばかりのバス」
「……遅く見えたでしょうね」
吐き気がするような話だ。
現実に、こんなことがあるのかと。
いや――
あるんだろう。
そうやって、人は壊れる。
だが。
「……」
まだ終わっていない。
これは、まだ“片方”だ。
天使は、ゆっくりと視線を移した。
女性へ。
次に語られるものが。
今までより遥かに重いと――
なぜか、確信していた。
