エタってしまった小説の世界で、ヤンデレ化した勇者が離してくれません。~聖女と呼ばれ執愛されていますが……読者です!~

「――俺は聖女様を裏切りません」

「あ、あの……恥ずかしいので下ろしてください」

人が行き交う道。幾つかの視線が紗希達に集まっていた。ある意味そのおかげで言い訳が立つと紗希は感じながら、バルトの肩を押し返しす。

これが二人きりだったなら、この話を真正面から受けるのを避けるのは難しかっただろう。

バルトはまだ物言いたげな顔をしていたが渋々と紗希の身体を下ろした。

やはり足は地面に密着している方がいい。
恋愛も同じだ。

他人に心を掬い上げられるよりも、自分の意思で確実なものだけを確かめながら一人で歩く方が安心する。

一度だけ他人に預けた心は、意外なほどあっさりと落とされてしまったから。

割れはしなかったが、失望して泣いたことを紗希は思い出していた。

男という存在にはいつだって父の影が付き纏い、勇気を出しても痛い思いしか出来なかった。

しかし完全に憧れが消えたわけではなく、ロマンス小説だけが安全基地だといつも逃げ込むのが早乙女紗希という人間である。父と既に縁が切れ、母も祖父母も失った今、もう二度と辛い思いはしたくない。

だからこそ創作物である他人の幸せは美しく、ただの読者として純粋に楽しむことが出来て心地よかった。どれだけページを捲っても自分が傷つく事はないのだ。

お裾分けしてもらえるだけで十分だった。

――だから引き摺り出そうとしないでほしい。

目の前の”生身のバルトレッドをどう思うか?”という質疑の舞台に立つには、やはり荷が重すぎるのだ。

それに紗希は言ったはずだ。ハッピーエンドを一緒に探すが、結婚はできないと。

加えて、流石ロマンス小説のヒーローに据えられた男というべきか、リップサービスのように口をついて軽快に流れ出てくるバルトの言葉を紗希は鵜呑みにするような少女でもない。

感情はそのまま表情に出ていたらしく、バルトは紗希を見て少し悲し気な顔をしていた。

「すみません……ですが、俺は聖女様を……――」

――あぁ、またか。

紗希は穏やかな声音で遮った。

「バルトさん。あまり強引過ぎるとミレーヌさんと一緒ですよ」

刹那、バルトの表情が強張り、戸惑いの視線が宙を彷徨う。

自覚がなかったのだろうか。

紗希はこれまで口に出して指摘するつもりはなかったが、言わせたのはバルトだ。

「そもそもバルトさん、私の名前ちゃんと覚えてます?いい大人ですし……口説きたいなら相手の名前ぐらい照れずに呼べた方が、好感持たれやすいですよ」

紗希は口を開閉し狼狽えるバルトを前に双眸を細めては、吐息を零して冷静に尋ねた。

「そろそろ宿に戻りましょうか?」

思いつめたように唇を薄く開きかけたバルトだったが、しかし幾許かの間を置いたあと諦めたように言った。

「はい……聖女様」