エタってしまった小説の世界で、ヤンデレ化した勇者が離してくれません。~聖女と呼ばれ執愛されていますが……読者です!~

今から一年前。
五歳年上の長兄、サイラス・ヴァレリアが精霊王を奉る神殿の神官を連れ領地に戻ってきた。

兄は王城で文官をしていたはずだが、身に纏っていたのは白い神官職の衣。
セレスティーナよりも深い色の深紅の髪は以前見た時よりも長く伸びていて、暖炉の炎のように静かに力強く燃えていた美しい瞳は輝を失っていた。

それだけでも不安を胸に抱いたというのに、あろうことか兄は、ヘーゼルブラウンの短髪に銀縁の眼鏡をかけた男を恍惚と見つめ「手紙に書いていた僕の親友だよ」と紹介し薄く微笑んだのだ。

二人の後ろには神殿騎士と思われる重厚な装備の騎士達。
異様な雰囲気を醸し出していた。

「精霊王の名の下に参上いたしました。神官のオルガと申します。この度はヴァレリア家の皆様方が祝福者として認められましたことをご報告に参りました。心よりお祝いを申し上げます。よろしければ中でお話させていただいても?」

眼鏡の奥で歪な笑みを浮かべるオルガに、セレスティーナの肌は粟だった。

――――祝福者。それは精霊王から力を授かったとされる者。
神殿がそれを認めれば神殿の管轄に下り、生涯を神殿に捧げることとなる。

この国で神殿の権威は高い。先ぶれもなく現れた相手だったが、しかし無礼だと言って追い返すことも出来なかった。

並大抵のことでは動じない父も流石に瞳を揺らしていたが、しかし邸に来ていたステラを速やかに別室に移動させ、兄とオルガを客間に通し最低限の者だけを集めた。

父は自分一人で対応すると申し出たが、しかしオルガによって全員揃うよう拒否され、家族は客間に集まった。
変貌した兄に怯える弟のウィルを抱きながら話を聞いたあの日を、セレスティーナはけして忘れることはないだろう。

「一体これは……サイラス、神殿に話したのか?」

父は怪訝な瞳をオルガの隣に座る兄に向けていた。

兄は王都で家族の身に起きたことを密かに調査しており定期的に手紙のやり取りをしていたのだが、「親友が神殿に仕えているから探ってみる」という連絡を最後に暫く連絡が取れなくなっていた。

二日後には父が王都に向かうはずだった。

「彼は私の友人でしたので、貴方達の秘密を精霊王に打ち明けて下さったのですよ。サイラスは家族の身に降りかかった現象を解決するため随分と奔走し、そして憂いていました……だから私は手助けをすることにしたのです……ですので責めないでください」

オルガは感情の読めない笑みを父に向けながら言って兄の肩を抱き寄せた。
潔癖症な兄が、友人といえど誰かに触れられるのを許すはずがないのに、兄はオルガの手を一向に払いのける素振りはなかった。
それどころか興奮気味にこう言ったのだ。

「父上、もう大丈夫ですよ。精霊王は我々を認めて下さいました。これからのことは、このオルガに任せればセレスもウィルもみな救われるのです」

「救われる……?」

父の口から零れたのは、唸るような低い音だった。

「そうです。あなた方には祝福と異端の両方の疑いがかかっておりましたが、サイラスを褒めてやってください。彼が代表して試練を受け、そして祝福者として認められたのです。家族に試練を施すぐらいなら自分が身代わりになると言って私と共に証明してくれたのですから、なんと素晴らしいご子息でしょう」

「試練……っ、サイラスに……そんな」

オルガの言葉に母は卒倒した。

無理もない。試練とは拷問だ。

魔法の範疇を超える不思議な力を持った人間が見つかった場合、精霊王に対する反逆者、つまり異端者でないことを証明するため、数多の拷問を長期に渡って受けることを試練と呼ぶのだ。

その試練を乗り越え、精霊王への忠誠を証明できた時に、晴れて祝福者となれる。

セレスティーナは胡乱な眼差しで尋ねた。

「結局、オルガ様はお兄様の親友ではなかったのですね。兄が神殿を直接頼るわけがありませんし、秘密を打ちあけたとも思えません。兄を裏切ったというわけでしょう?」

兄からの手紙には探ると書いてあった。
オルガを頼るつもりならそんな風には書かないから嘘だろう。
そしておそらく……拷問によって兄は彼と得体の知れない恐ろしい絆を結ばされたのだ。

拷問とは肉体と精神の両方を支配するための行為、今の兄がどんな言葉を発しようが彼の本心とは思えなかった。

兄はいつだってセレスティーナを過保護なくらい大切にしてくれて、だからこそ領地から出られなくなった不可解な現象も含め調査をしてくれていた。

危険なことはやめてほしいと何度頼んでも聞く耳を持たず、領地から出られないことなど大したことでないと伝えても『たかが領地?馬鹿を言うな。お前の自由は何者にも奪わせない』とセレスティーナよりも憤っていたのだから。

――そんな兄に、神殿は、この男は……許せない。

しかし兄はオルガを庇うようにセレスティーナを叱咤し、そして信じられないことを言った。

「セレス、口を慎みなさい。オルガは精霊王にお仕えする素晴らしい人間だ。行き違いは確かにあったが些末なことだ。それに喜べ、お前と婚姻を結んでもいいと言ってくれている」

嬉しそうに告げる言葉はとても兄のものだと思えなかった。

「……兄妹共々大切にしますから」

舐めるような眼差しを向けてくるオルガに、あの時に似た吐き気が込み上げてくる。

――気持ち悪い。ひどすぎる。どうしてこんな事になってしまったのだろう。

ミレーヌの言っていた“天罰”は未だに続いているのだろうか。
悔しさと悲しさに震え、セレスティーナは唇を噛み締めた。

「今日からこの屋敷を拠点に神殿の支部を建てます。精霊王の祝福者としてあなた方のことは神官の私が面倒を見るよう大司教様より仰せつかりましたので、今日からよろしくお願いします」

理不尽な内容だった。
しかし神殿に刃向かうなど、国に背を向けるも同然。

ヴァレリア領ならば敵対しても、それに耐えうる力を持っているが、しかし領民を巻き込むことは別の話だ。

『潔く、自立し、よき人間となれ』そう日頃から謳う父が領民を巻き込むことは絶対にあり得ない。セレスティーナ自身もそれは望んでいない。

「こちらにも都合がある。あなたの滞在は許すが、今後についてサイラスとよく話し合いたいので家族の時間には配慮してくれ」

やはりというべきか、すべからく父はそう言ってガルドのヴァレリア家滞在を許した。

実質的、降伏宣言みたいなものだ。