――――七年前。
魔王討伐の成功と勇者の霊魂を鎮めるための慰労パーティーの日、殿下とミレーヌの秘密の逢瀬を目撃した。
あれは偶然だった。国王が挨拶を終えてしばらく、用事があるからと殿下に断られ会場に残されたセレスティーナだったが、その日はいつもより締め付けのキツいコルセットの影響で立ちくらみを感じ、殿下の少しあとに会場を出たのだ。
ドレスを直したらすぐに戻るつもりだった。
しかしドレスを直した直後に偶然ミレーヌと殿下が二人連れ立って会場とは違う方向へ向かっているのを見てしまった。
――また花雫の乙女か。
以前からちらほらと二人の関係を噂する小鳥が存在し、その対処には手を煩わされていた。
手を出すなら婚姻後に堂々と側妃に迎えればよいものを、とあの頃のセレスティーナは常に斜に構えていた。
貴族なら愛のない結婚は当然。
王族なら尚更。
恋愛は家の外でする者が多いなか、セレスティーナも“そういうもの”と理解しており、特に王家ならば側室に迎えることは珍しくない。
もしもミレーヌが側室に迎え入れたならば、干渉する気などまったくなかった。
だからこの時は、然るべきタイミングまで待てない二人に対し、ひとこと苦言を呈するため声をかけようと覗いただけだったのだ。
しかし扉の隙間から見えたのは汚物。
絡み合う二人の姿に吐き気が込み上げ、この世で一番薄汚いものに見えた。
恋も肉欲も外で満たしてくればいい。
好きにしてくれ。
そんな考えはただの教育上の学びであって、自分の根底にあるものはそれを受け入れられないのだと自覚した瞬間だった。
――でも大丈夫、まだ大丈夫。ちゃんとやれる。
パーティーに戻ったセレスティーナだったが、しかしそのあと一刻程して現れたミレーヌは信じられない予言を残した。
『あんたは悪役令嬢なの。大人しく殿下を譲ってくれないと天罰が下るわよ』と。
その夜、父に相談して頭を冷やすためセレスティーナはヴァレリア領へ戻ることを決めた。
これは戦略的撤退だ。
王太子妃教育も終えていて、公務の手伝いさえあれど療養を理由に一時的に戻る事に問題はない。
王都から少し離れればきっといつもの自分に戻れる、そう信じていたのだ。
「しかし結局、愛想がつきたのです。一度や二度ならず王太子殿下と雌猫……いえ、花雫の乙女は、何度も浮気されていたようで……ならば似合いの二人でお幸せに、と」
セレスティーナの息のかかった王城の侍女頭は殿下の動向を正しく伝えてくれた。
当時王都に勤めていた兄にも探ってもらった結果、真っ黒。
しかもセレスティーナが領地へ下がれば、白いところを探す方が難しいほどに配慮のへったくれもない状況となっていたのだ。
散々迷った末に家族の同意を得て、婚約の辞退を願い出ることにした。
「けれどそこで判明したのです。領地から出られないこと……障壁のようなものに阻まれ私はそれ以上進めなかった。さらに帰りの道中で馬車の事故に遭い、我々ヴァレリア家は一度死にました。しかし御者も同行した者も死んだのに、私達家族は生き返ったのです。それから私は、自分の人生について深く考えるようになり……」
そこで言葉を切り、セレスティーナはチラリと隣に座るステラを見て微笑んだ。
「この有望なデザイナーを躾けることにしたのです」
――――セレスティーナ自身が王城へ向かう事は叶わなかったが、王太子との婚約辞退のための謁見は父だけが行い、代わりに話をつけてくれた。
大義名分としては、病に伏し王太子妃としての責務が真っ当できないというやむを得ない状況を考慮した結果。
国王は資源が潤沢な領地を持つヴァレリア家との縁戚を惜しむ様子が見られたが、父は余計な言葉を並べず一歩も外へ出られないの一点張りをしたという。
世継ぎはおろか公務は一切出来ないと言われれば国王も頷くしかない。
『そのような状態では嫁ぎ先もなく苦労するであろう』
絞り出された国王の言葉は、息子との婚姻を辞退するほど病弱ならば淑女として社交の場に立つことは出来ないだろうといった、実質セレスティーナに対する烙印だった。
かくしてセレスティーナは社交界から遠ざかる事となった。
けれどそれは全く問題でなく、むしろ不可解な現象が起きた後では深層の令嬢としてひっそり暮らす方が良いとさえ思えていた。
しかし、退屈は突然やってくる。
病に倒れた令嬢として過ごす日々はやはり息苦しい。分かってはいた事だが一日一日を実際に重ねてみれば誰だってそう思うはずだ。
面倒な設定を作ってしまったセレスティーナは変装して領地内を周るようになっていたが、それでも変哲のない日々はやはり無機質だった。
そんな時に見つけたのがステラだ。
「何よ、はっきり言ってやった方がいいじゃない!」
最近気に入って訪れていた洋裁店、その店の裏から甲高い声が聞こえた。
歳は十四、五歳ぐらいだろう。いつも手際のいい仕事をする自分より年下の針子の少女が店主らしき女性に噛みついていた。
「趣味悪すぎでしょ。ピンクのごてごてフリル付きリボン?あんなの似合わないわよ。ちゃんと自分の子供の顔を見た方がいいわ!もっとクールでキレのあるドレスの方が絶対いい、あの親ぜんっぜん分かってない!!希望を通したら子供が恥かくわよ!」
まるで眩い稲穂の髪を逆毛を立てる獣。
暗がりの影響からか明るい緑だったはずの瞳が薔薇の棘のような色に見えた。
「なんで私が咎められなきゃなんないわけ?手助けしてあげたのに、あの子だって嫌がってたっ!」
いつも不満そうな顔で無言で働いていた彼女が激しく憤っているのを見て、セレスティーナの口端は思わず持ち上がっていた。
彼女はどうやら曲げられない想いがあるらしい。
さて、感情任せの主張は通るのか。
無理だろうと予想したと同時に、店主の女は言い放つ。
「あんたの意見なんか必要ないんだよ。うちの上得意様を怒らせてどうしてくれんのさ!もう堪忍袋も切れたからね、あんたはクビ。もう来なくていいよ」
セレスティーナは店主の言葉に“やっぱり”と感じていたが、少女の方は理解出来ない様子で唖然としている。
「は?どうして……ていうか待ってよ、私……あんたのとこに住み込みだったじゃないっ」
「だから出て行けって言ってんのよ。あんたの持ち込んできた服がまぁまぁ出来が良かったから雇ったけどね、お客様に喧嘩売るときちゃ損でしかないの。むしろ今日まで置いてやったことに感謝して欲しいぐらいさ!」
すると少女は呟いた。
「……返して……」
「はぁ?」
「だったら私が作ったドレス返してよ!!私の作品よ!私のおかげで店も繁盛してたじゃないっ」
「つくづくバカね。そのドレスを作る材料代は誰が工面してると思ってんだか」
――可哀想に、もう少し行儀良く愛想を振りまけばいいのに。
お客の望みを叶える仕事に着きながら、彼女は自分の意見を折れず、雇い主の機嫌すらもまともに取れない人間だったらしい。
そのことがどうしようもなくおかしくて、自分と同じだと思った。
だから、という言うわけではないがセレスティーナは路地裏に取り残された少女に声をかけることにした。
なにせ退屈だったのだ。
「――ねぇ、そこのあなた。なぜ今クビになったか理解されてる?」
呼びかけられた少女は大きな瞳を一層丸くした後、不審者を見る目つきでセレスティーナを睨みつける。
それはそれは野良犬さながらだった。
「私、時間が沢山あるの。せっかくだから教えて差し上げてもいいわ。私の家にいらっしゃい」
どうせ行く宛がないのでしょう、と護衛騎士のケイオスに指示して半ば強引に馬車へ連れ込ませ、そしてセレスティーナは野良犬の躾をすることに決めたのだ。
少女は名をステラといった。
「あんたこれ犯罪だからね!?」
文句はいろいろと言われたが、巡り巡って彼女のためになるのだから将来的に許してくれるだろう。
当時のセレスティーナはそう思っていたが、今になって思えば領地から出れない憂さ晴らしも混じっていたかもしれない。
「口を閉じなさい。不用意に囀らず周りを眺めれば分かるはず。私はヴァレリア家の令嬢で、あなたは行く宛のない無力な少女。私があなたに何を求めているか一度考えてみては?仮にただの人攫いだとしても、相手の目的を見抜けなければ死んだも同然でしょう」
「意味分かんないっ、目的もクソもないわよ。早くおろして!!家がなくてもね、私は針と糸があれば生きていけるのよっ」
これほどの啖呵が切れるなら間違いないだろう。
セレスティーナは喚くステラをますます気に入った。
なにせあの店は繁盛していた。
それがステラが現れてからだというのは噂に聞いていたので容易に予想は立つ。
彼女はきっと素質を持っているのだろう。おそらく、生まれながらに与えられたのだ。
――この子は美の精霊に愛されている。
その後はセレスティーナの目論見通り。
ステラは裁縫が得意で独自の美学を持ち、顧客の特徴に合わせたドレスを作ることに命をかけている。
美容に目がないセレスティーナはファッションにも目が肥えており、やがて彼女を育てる事に意義を感じるようになった。
マナーを教え、淑女としての立ち振る舞いを学ばせる。
ヴァレリア家の家庭教師と共に、実力だけでは生きていけない世界の歩き方を彼女に教えてやったのだ。
そして関門都市ステルダムで店を持たせた。
凶暴な牙を隠す術を教え、借り物の笑みの価値を分からせた。
ただ、目論見から外れたことが一つ。
セレスティーナがステラに惚れたことだ。
その技術とセンスだけでなく、ステラという星そのものに。
歯に衣着せぬ物言いはセレスティーナの水底に置いてきた感情を大きく揺さぶった。
そして彼女は存外義理固く、深窓の令嬢が嘘であることをけして他言しなかった。
まぁ、ヴァレリア家に留め置いているため告げる相手もいないのだが、街に出て生地の買い出しなどの自由を与えた後もセレスティーナについて問われても彼女が応じることはなかったのだ。
「セレス様って全然老けませんよね。私がここに来たのが私が十四の時だから……私も今日であの時のセレス様と同じ歳になったでしょう?てことは二十四歳?まぁ、そんなもんか」
ステラを連れ帰って五年が経過したころだ。
そろそろ気付くのではないかと思ったが意外と気付かれないもので、ヴァレリア家の事情は家族とごく近しい人間だけの公然の秘密となっており、しかしその中にステラは入っていなかった。
ヴァレリア家は食事の必要がない。腹も減らず眠る必要もなかった。形式上、人間らしく生活を送るが馬車の事故以降、空腹を感じたことがない。
髪も伸びず、爪を切る必要もなかった。
まるで綺麗な死体が動いている。そんな風に思っていた。
奇怪な現象……――しかしそれを騒ぐ方が身の危険だと家族で話し合い秘密にしていたのだが、どこからか情報が洩れ、ある日神殿の人間がヴァレリア家を訪れた。
王都に居るはずの兄、サイラスと共に。
魔王討伐の成功と勇者の霊魂を鎮めるための慰労パーティーの日、殿下とミレーヌの秘密の逢瀬を目撃した。
あれは偶然だった。国王が挨拶を終えてしばらく、用事があるからと殿下に断られ会場に残されたセレスティーナだったが、その日はいつもより締め付けのキツいコルセットの影響で立ちくらみを感じ、殿下の少しあとに会場を出たのだ。
ドレスを直したらすぐに戻るつもりだった。
しかしドレスを直した直後に偶然ミレーヌと殿下が二人連れ立って会場とは違う方向へ向かっているのを見てしまった。
――また花雫の乙女か。
以前からちらほらと二人の関係を噂する小鳥が存在し、その対処には手を煩わされていた。
手を出すなら婚姻後に堂々と側妃に迎えればよいものを、とあの頃のセレスティーナは常に斜に構えていた。
貴族なら愛のない結婚は当然。
王族なら尚更。
恋愛は家の外でする者が多いなか、セレスティーナも“そういうもの”と理解しており、特に王家ならば側室に迎えることは珍しくない。
もしもミレーヌが側室に迎え入れたならば、干渉する気などまったくなかった。
だからこの時は、然るべきタイミングまで待てない二人に対し、ひとこと苦言を呈するため声をかけようと覗いただけだったのだ。
しかし扉の隙間から見えたのは汚物。
絡み合う二人の姿に吐き気が込み上げ、この世で一番薄汚いものに見えた。
恋も肉欲も外で満たしてくればいい。
好きにしてくれ。
そんな考えはただの教育上の学びであって、自分の根底にあるものはそれを受け入れられないのだと自覚した瞬間だった。
――でも大丈夫、まだ大丈夫。ちゃんとやれる。
パーティーに戻ったセレスティーナだったが、しかしそのあと一刻程して現れたミレーヌは信じられない予言を残した。
『あんたは悪役令嬢なの。大人しく殿下を譲ってくれないと天罰が下るわよ』と。
その夜、父に相談して頭を冷やすためセレスティーナはヴァレリア領へ戻ることを決めた。
これは戦略的撤退だ。
王太子妃教育も終えていて、公務の手伝いさえあれど療養を理由に一時的に戻る事に問題はない。
王都から少し離れればきっといつもの自分に戻れる、そう信じていたのだ。
「しかし結局、愛想がつきたのです。一度や二度ならず王太子殿下と雌猫……いえ、花雫の乙女は、何度も浮気されていたようで……ならば似合いの二人でお幸せに、と」
セレスティーナの息のかかった王城の侍女頭は殿下の動向を正しく伝えてくれた。
当時王都に勤めていた兄にも探ってもらった結果、真っ黒。
しかもセレスティーナが領地へ下がれば、白いところを探す方が難しいほどに配慮のへったくれもない状況となっていたのだ。
散々迷った末に家族の同意を得て、婚約の辞退を願い出ることにした。
「けれどそこで判明したのです。領地から出られないこと……障壁のようなものに阻まれ私はそれ以上進めなかった。さらに帰りの道中で馬車の事故に遭い、我々ヴァレリア家は一度死にました。しかし御者も同行した者も死んだのに、私達家族は生き返ったのです。それから私は、自分の人生について深く考えるようになり……」
そこで言葉を切り、セレスティーナはチラリと隣に座るステラを見て微笑んだ。
「この有望なデザイナーを躾けることにしたのです」
――――セレスティーナ自身が王城へ向かう事は叶わなかったが、王太子との婚約辞退のための謁見は父だけが行い、代わりに話をつけてくれた。
大義名分としては、病に伏し王太子妃としての責務が真っ当できないというやむを得ない状況を考慮した結果。
国王は資源が潤沢な領地を持つヴァレリア家との縁戚を惜しむ様子が見られたが、父は余計な言葉を並べず一歩も外へ出られないの一点張りをしたという。
世継ぎはおろか公務は一切出来ないと言われれば国王も頷くしかない。
『そのような状態では嫁ぎ先もなく苦労するであろう』
絞り出された国王の言葉は、息子との婚姻を辞退するほど病弱ならば淑女として社交の場に立つことは出来ないだろうといった、実質セレスティーナに対する烙印だった。
かくしてセレスティーナは社交界から遠ざかる事となった。
けれどそれは全く問題でなく、むしろ不可解な現象が起きた後では深層の令嬢としてひっそり暮らす方が良いとさえ思えていた。
しかし、退屈は突然やってくる。
病に倒れた令嬢として過ごす日々はやはり息苦しい。分かってはいた事だが一日一日を実際に重ねてみれば誰だってそう思うはずだ。
面倒な設定を作ってしまったセレスティーナは変装して領地内を周るようになっていたが、それでも変哲のない日々はやはり無機質だった。
そんな時に見つけたのがステラだ。
「何よ、はっきり言ってやった方がいいじゃない!」
最近気に入って訪れていた洋裁店、その店の裏から甲高い声が聞こえた。
歳は十四、五歳ぐらいだろう。いつも手際のいい仕事をする自分より年下の針子の少女が店主らしき女性に噛みついていた。
「趣味悪すぎでしょ。ピンクのごてごてフリル付きリボン?あんなの似合わないわよ。ちゃんと自分の子供の顔を見た方がいいわ!もっとクールでキレのあるドレスの方が絶対いい、あの親ぜんっぜん分かってない!!希望を通したら子供が恥かくわよ!」
まるで眩い稲穂の髪を逆毛を立てる獣。
暗がりの影響からか明るい緑だったはずの瞳が薔薇の棘のような色に見えた。
「なんで私が咎められなきゃなんないわけ?手助けしてあげたのに、あの子だって嫌がってたっ!」
いつも不満そうな顔で無言で働いていた彼女が激しく憤っているのを見て、セレスティーナの口端は思わず持ち上がっていた。
彼女はどうやら曲げられない想いがあるらしい。
さて、感情任せの主張は通るのか。
無理だろうと予想したと同時に、店主の女は言い放つ。
「あんたの意見なんか必要ないんだよ。うちの上得意様を怒らせてどうしてくれんのさ!もう堪忍袋も切れたからね、あんたはクビ。もう来なくていいよ」
セレスティーナは店主の言葉に“やっぱり”と感じていたが、少女の方は理解出来ない様子で唖然としている。
「は?どうして……ていうか待ってよ、私……あんたのとこに住み込みだったじゃないっ」
「だから出て行けって言ってんのよ。あんたの持ち込んできた服がまぁまぁ出来が良かったから雇ったけどね、お客様に喧嘩売るときちゃ損でしかないの。むしろ今日まで置いてやったことに感謝して欲しいぐらいさ!」
すると少女は呟いた。
「……返して……」
「はぁ?」
「だったら私が作ったドレス返してよ!!私の作品よ!私のおかげで店も繁盛してたじゃないっ」
「つくづくバカね。そのドレスを作る材料代は誰が工面してると思ってんだか」
――可哀想に、もう少し行儀良く愛想を振りまけばいいのに。
お客の望みを叶える仕事に着きながら、彼女は自分の意見を折れず、雇い主の機嫌すらもまともに取れない人間だったらしい。
そのことがどうしようもなくおかしくて、自分と同じだと思った。
だから、という言うわけではないがセレスティーナは路地裏に取り残された少女に声をかけることにした。
なにせ退屈だったのだ。
「――ねぇ、そこのあなた。なぜ今クビになったか理解されてる?」
呼びかけられた少女は大きな瞳を一層丸くした後、不審者を見る目つきでセレスティーナを睨みつける。
それはそれは野良犬さながらだった。
「私、時間が沢山あるの。せっかくだから教えて差し上げてもいいわ。私の家にいらっしゃい」
どうせ行く宛がないのでしょう、と護衛騎士のケイオスに指示して半ば強引に馬車へ連れ込ませ、そしてセレスティーナは野良犬の躾をすることに決めたのだ。
少女は名をステラといった。
「あんたこれ犯罪だからね!?」
文句はいろいろと言われたが、巡り巡って彼女のためになるのだから将来的に許してくれるだろう。
当時のセレスティーナはそう思っていたが、今になって思えば領地から出れない憂さ晴らしも混じっていたかもしれない。
「口を閉じなさい。不用意に囀らず周りを眺めれば分かるはず。私はヴァレリア家の令嬢で、あなたは行く宛のない無力な少女。私があなたに何を求めているか一度考えてみては?仮にただの人攫いだとしても、相手の目的を見抜けなければ死んだも同然でしょう」
「意味分かんないっ、目的もクソもないわよ。早くおろして!!家がなくてもね、私は針と糸があれば生きていけるのよっ」
これほどの啖呵が切れるなら間違いないだろう。
セレスティーナは喚くステラをますます気に入った。
なにせあの店は繁盛していた。
それがステラが現れてからだというのは噂に聞いていたので容易に予想は立つ。
彼女はきっと素質を持っているのだろう。おそらく、生まれながらに与えられたのだ。
――この子は美の精霊に愛されている。
その後はセレスティーナの目論見通り。
ステラは裁縫が得意で独自の美学を持ち、顧客の特徴に合わせたドレスを作ることに命をかけている。
美容に目がないセレスティーナはファッションにも目が肥えており、やがて彼女を育てる事に意義を感じるようになった。
マナーを教え、淑女としての立ち振る舞いを学ばせる。
ヴァレリア家の家庭教師と共に、実力だけでは生きていけない世界の歩き方を彼女に教えてやったのだ。
そして関門都市ステルダムで店を持たせた。
凶暴な牙を隠す術を教え、借り物の笑みの価値を分からせた。
ただ、目論見から外れたことが一つ。
セレスティーナがステラに惚れたことだ。
その技術とセンスだけでなく、ステラという星そのものに。
歯に衣着せぬ物言いはセレスティーナの水底に置いてきた感情を大きく揺さぶった。
そして彼女は存外義理固く、深窓の令嬢が嘘であることをけして他言しなかった。
まぁ、ヴァレリア家に留め置いているため告げる相手もいないのだが、街に出て生地の買い出しなどの自由を与えた後もセレスティーナについて問われても彼女が応じることはなかったのだ。
「セレス様って全然老けませんよね。私がここに来たのが私が十四の時だから……私も今日であの時のセレス様と同じ歳になったでしょう?てことは二十四歳?まぁ、そんなもんか」
ステラを連れ帰って五年が経過したころだ。
そろそろ気付くのではないかと思ったが意外と気付かれないもので、ヴァレリア家の事情は家族とごく近しい人間だけの公然の秘密となっており、しかしその中にステラは入っていなかった。
ヴァレリア家は食事の必要がない。腹も減らず眠る必要もなかった。形式上、人間らしく生活を送るが馬車の事故以降、空腹を感じたことがない。
髪も伸びず、爪を切る必要もなかった。
まるで綺麗な死体が動いている。そんな風に思っていた。
奇怪な現象……――しかしそれを騒ぐ方が身の危険だと家族で話し合い秘密にしていたのだが、どこからか情報が洩れ、ある日神殿の人間がヴァレリア家を訪れた。
王都に居るはずの兄、サイラスと共に。



