店先の騒動にもっと早く気付くべきだったとセレスティーナは密かに後悔していた。
街の人たちの多くはステラの気性を分かっているが、相手の女性はさぞかし驚いたことだろう。
商談室の扉の傍に護衛騎士であるケイオスを待機させ、隣に座るステラを一瞥したあとセレスティーナは不自然さを最大限に削いだ乾いた笑みを張り付けた。
最愛の恋人であるステラは如何せん血気盛んと言うべきか、勢い任せなところがある。
出会った当時と比べれば随分と大人しくなった方だが、稀に狂犬の如く好戦的に噛みつくのは彼女の性なのか、どうにもなかなか治らない。
とはいえセレスティーナが嗜めればこうして隣で粛々と反省し縮こまる。その姿は愛らしく、地位や権威に媚びない向こう見ずな姿勢は存外嫌いではないのだが。
しかし今回はまた大層な相手に喧嘩を売ったものだ。
正確には喧嘩を売った直接の相手は別に居る。
しかし、目の前で両腕を組んで不満そうに座る相手――勇者バルトレッドらしき人物が当事者の代わりに怒りを露わにしていた。
しかしセレスティーナは目の前の男の口から直接事情を聞くまで本人と信じたわけではない。
なぜなら彼は冷徹無慈悲で女を寄せ付けない氷の勇者として有名だったのだ。
唯一の例外は彼の幼馴染である”花雫の乙女”と呼ばれる令嬢ミレーヌ。
氷の勇者も乙女には絆されるのだろうと揶揄られていたのを知っている。
そんな一癖ある男が、ミレーヌでない女性を連れていた。
それだけでも他人の空似を疑う理由にはなる。
彼が連れて現れたのは、ミレーヌと遠くかけ離れた理性的な印象の異国の女性だった。
黒い髪はまるで黒曜石のように神秘的で、同じ色をした猫目からは静かな意志の強さを感じる。
改めて腰を据えて見つめると彼女が纏う神職のような装いにステラが反応したことは理解しつつも不思議で仕方ない。神殿の人間のような狂信的な空気は一切感じられなかった。
ーーーーどこかヒリついた空気を割って口火を切ったのはバルトレッドだった。
「――おっしゃる通り、俺は魔王討伐部隊にいたバルトレッドです」
セレスティーナは僅かに目を見張った。
聞き間違いではないだろうが、俄かには信じられない言葉だったのだ。
まさか自分と同じ人間が居るとでもいうのだろうか。
「では、死んだというのは?」
「魔王城に取り残されたため、そのような報告となったのでしょう。しかしようやく出てくることができました」
問えばバルトレッドは迷いなく答え、店先で紗希と名乗った女性を一度見た。
その視線は一瞬だったが、しかしかつて見たことのない優しさを秘めている。
これがあの氷の勇者かとセレスティーナのバルトレッドを見つめる瞳は剣呑な眼差しとなっていた。
「勇者様の功績は存じておりますが、凱旋から七年ですよ。普通に考えて魔王城で七年も生きているわけがない。そう考えるのが妥当かと思いますけれど……仮に本当だとして、どうして今になって?」
七年前、確かに魔王討伐部隊は国王に勇者の訃報と共に魔王消滅の報告をした。
尊い犠牲の上に平和が訪れたのだと、勇者の霊魂を鎮めるという名目を加えた慰労パーティーが盛大に執り行われた事は昨日の事のように覚えている。
しかし目の前の彼は、その前提を覆す発言をしたのだ。事実だったとして、疑問は次々と浮上し選別すらも惜しい。
慎重に吟味した結果、根本的なところを聞くべきだと思い尋ねると、返ってきたのはなんとも予想し難い新たな衝撃的なもの。
「俺が彼女を……聖女様を異なる世界から召喚したからです」
言葉を咀嚼するのには時間がかかった。
“異なる世界”その単語には馴染みがあったが、まさかこの場で出てくるとは。
眉を顰めセレスティーナが扇子で口元を隠したのは殆ど無意識だった。
「セレスティーナ様」
落ち着いた声音で紗希に呼びかけられハッとしたセレスティーナは続く言葉を待つ。
彼女は何を発するのだろう。
「改めまして、紗希と申します。バルトさんは七年間、魔王城に取り残され肉体の時が止まっていました。私達はあなたにも何か同じような事が起きているのではないかと思って状況を調べにきたんです」
「状況を調べに……?」
これはまた突拍子のない話である。
突拍子のないことには慣れた気でいたが、しかし全くの他人に打ち明けられた内容はセレスティーナの身体を強張らせた。
なにせ、肉体の時が止まる――神殿の言葉では“状態回帰”と名付けられた現象にヴァレリア家はこの七年散々振り回されてきたのだから。
「王都には行かれたの?」
「いいえ、まだ行っていません」
「ではわざわざヴァレリアに……なぜ私なのでしょう?」
勇者バルトレッドがヴァレリア家と同じ状態回帰をする不死者であるとして、しかし自分を訪ねてきた事は謎である。
隣りに着座するステラは叱責後のしおらしさは既に霧散していたものの、口を挟む余裕がないほどに衝撃を受けているようだ。
一方、紗希はセレスティーナの問いに対し何か考えあぐねているようだった。
そんな彼女の躊躇を断つようにバルトレッドが言う。
「それは、この世界が物語の一部だと聖女様がおっしゃるからです。その筋書きでは俺とあなたは惹かれ合うとか……だからこそ物語の因果によって俺が魔王城に幽閉されていたなら、あなたの身にも同じことがあってもおかしくないという理屈です」
淡々と語る。
その表情はまるで他人の話をしている様だった。
それはセレスティーナも同じで、告げられた言葉をひとつひとつ丁寧に飲み込みながらも、けして自分ごととは思えない。
ーー自分と勇者が惹かれ合う?あり得ない。ステラという麗しい一番星が居るのに?
ステラは明らかに動揺していた。
「物語……?惹かれ合うって、あなたとセレスが?何言ってるの……?」
彼女がやっと発した言葉は震えていた。
セレスティーナの七年をずっと間近で見ていたステラはもしかすると真面目に受けているのかもしれない。
動揺するステラを無視してバルトレッドは更に面白いことを告げた。
「つまり、彼女もまた花雫の乙女の予言に似た知識を持っているのですよ」
忌々しい女の代名詞である花雫の乙女。
ミレーヌは以前から何度か予言をアデル王国にもたらした。
その内容は大小様々だが外れたことはなく、七年前の慰労パーティーで王太子の婚約者を辞退するよう迫られた時にも予言をしていた気がする。
「あの雌猫と同じ力を……?」
セレスティーナは紗希を見遣った。彼女があの女と同じ?
「そうです」
確信めいたバルトレッドの言葉に、嫌な記憶が蘇る。
『あんたは悪役令嬢なの。大人しく殿下を譲ってくれないと天罰が下るわよ』
あのパーティーの日にミレーヌに言われた言葉だ。
街の人たちの多くはステラの気性を分かっているが、相手の女性はさぞかし驚いたことだろう。
商談室の扉の傍に護衛騎士であるケイオスを待機させ、隣に座るステラを一瞥したあとセレスティーナは不自然さを最大限に削いだ乾いた笑みを張り付けた。
最愛の恋人であるステラは如何せん血気盛んと言うべきか、勢い任せなところがある。
出会った当時と比べれば随分と大人しくなった方だが、稀に狂犬の如く好戦的に噛みつくのは彼女の性なのか、どうにもなかなか治らない。
とはいえセレスティーナが嗜めればこうして隣で粛々と反省し縮こまる。その姿は愛らしく、地位や権威に媚びない向こう見ずな姿勢は存外嫌いではないのだが。
しかし今回はまた大層な相手に喧嘩を売ったものだ。
正確には喧嘩を売った直接の相手は別に居る。
しかし、目の前で両腕を組んで不満そうに座る相手――勇者バルトレッドらしき人物が当事者の代わりに怒りを露わにしていた。
しかしセレスティーナは目の前の男の口から直接事情を聞くまで本人と信じたわけではない。
なぜなら彼は冷徹無慈悲で女を寄せ付けない氷の勇者として有名だったのだ。
唯一の例外は彼の幼馴染である”花雫の乙女”と呼ばれる令嬢ミレーヌ。
氷の勇者も乙女には絆されるのだろうと揶揄られていたのを知っている。
そんな一癖ある男が、ミレーヌでない女性を連れていた。
それだけでも他人の空似を疑う理由にはなる。
彼が連れて現れたのは、ミレーヌと遠くかけ離れた理性的な印象の異国の女性だった。
黒い髪はまるで黒曜石のように神秘的で、同じ色をした猫目からは静かな意志の強さを感じる。
改めて腰を据えて見つめると彼女が纏う神職のような装いにステラが反応したことは理解しつつも不思議で仕方ない。神殿の人間のような狂信的な空気は一切感じられなかった。
ーーーーどこかヒリついた空気を割って口火を切ったのはバルトレッドだった。
「――おっしゃる通り、俺は魔王討伐部隊にいたバルトレッドです」
セレスティーナは僅かに目を見張った。
聞き間違いではないだろうが、俄かには信じられない言葉だったのだ。
まさか自分と同じ人間が居るとでもいうのだろうか。
「では、死んだというのは?」
「魔王城に取り残されたため、そのような報告となったのでしょう。しかしようやく出てくることができました」
問えばバルトレッドは迷いなく答え、店先で紗希と名乗った女性を一度見た。
その視線は一瞬だったが、しかしかつて見たことのない優しさを秘めている。
これがあの氷の勇者かとセレスティーナのバルトレッドを見つめる瞳は剣呑な眼差しとなっていた。
「勇者様の功績は存じておりますが、凱旋から七年ですよ。普通に考えて魔王城で七年も生きているわけがない。そう考えるのが妥当かと思いますけれど……仮に本当だとして、どうして今になって?」
七年前、確かに魔王討伐部隊は国王に勇者の訃報と共に魔王消滅の報告をした。
尊い犠牲の上に平和が訪れたのだと、勇者の霊魂を鎮めるという名目を加えた慰労パーティーが盛大に執り行われた事は昨日の事のように覚えている。
しかし目の前の彼は、その前提を覆す発言をしたのだ。事実だったとして、疑問は次々と浮上し選別すらも惜しい。
慎重に吟味した結果、根本的なところを聞くべきだと思い尋ねると、返ってきたのはなんとも予想し難い新たな衝撃的なもの。
「俺が彼女を……聖女様を異なる世界から召喚したからです」
言葉を咀嚼するのには時間がかかった。
“異なる世界”その単語には馴染みがあったが、まさかこの場で出てくるとは。
眉を顰めセレスティーナが扇子で口元を隠したのは殆ど無意識だった。
「セレスティーナ様」
落ち着いた声音で紗希に呼びかけられハッとしたセレスティーナは続く言葉を待つ。
彼女は何を発するのだろう。
「改めまして、紗希と申します。バルトさんは七年間、魔王城に取り残され肉体の時が止まっていました。私達はあなたにも何か同じような事が起きているのではないかと思って状況を調べにきたんです」
「状況を調べに……?」
これはまた突拍子のない話である。
突拍子のないことには慣れた気でいたが、しかし全くの他人に打ち明けられた内容はセレスティーナの身体を強張らせた。
なにせ、肉体の時が止まる――神殿の言葉では“状態回帰”と名付けられた現象にヴァレリア家はこの七年散々振り回されてきたのだから。
「王都には行かれたの?」
「いいえ、まだ行っていません」
「ではわざわざヴァレリアに……なぜ私なのでしょう?」
勇者バルトレッドがヴァレリア家と同じ状態回帰をする不死者であるとして、しかし自分を訪ねてきた事は謎である。
隣りに着座するステラは叱責後のしおらしさは既に霧散していたものの、口を挟む余裕がないほどに衝撃を受けているようだ。
一方、紗希はセレスティーナの問いに対し何か考えあぐねているようだった。
そんな彼女の躊躇を断つようにバルトレッドが言う。
「それは、この世界が物語の一部だと聖女様がおっしゃるからです。その筋書きでは俺とあなたは惹かれ合うとか……だからこそ物語の因果によって俺が魔王城に幽閉されていたなら、あなたの身にも同じことがあってもおかしくないという理屈です」
淡々と語る。
その表情はまるで他人の話をしている様だった。
それはセレスティーナも同じで、告げられた言葉をひとつひとつ丁寧に飲み込みながらも、けして自分ごととは思えない。
ーー自分と勇者が惹かれ合う?あり得ない。ステラという麗しい一番星が居るのに?
ステラは明らかに動揺していた。
「物語……?惹かれ合うって、あなたとセレスが?何言ってるの……?」
彼女がやっと発した言葉は震えていた。
セレスティーナの七年をずっと間近で見ていたステラはもしかすると真面目に受けているのかもしれない。
動揺するステラを無視してバルトレッドは更に面白いことを告げた。
「つまり、彼女もまた花雫の乙女の予言に似た知識を持っているのですよ」
忌々しい女の代名詞である花雫の乙女。
ミレーヌは以前から何度か予言をアデル王国にもたらした。
その内容は大小様々だが外れたことはなく、七年前の慰労パーティーで王太子の婚約者を辞退するよう迫られた時にも予言をしていた気がする。
「あの雌猫と同じ力を……?」
セレスティーナは紗希を見遣った。彼女があの女と同じ?
「そうです」
確信めいたバルトレッドの言葉に、嫌な記憶が蘇る。
『あんたは悪役令嬢なの。大人しく殿下を譲ってくれないと天罰が下るわよ』
あのパーティーの日にミレーヌに言われた言葉だ。



