「壱星、帰ろ――」
「なあ榊、今からカラオケ行こーぜ! 俺アプリのクーポン持ってるからさ!」
ホームルームが終わり、壱星に声をかけようとしたところで騒がしい声にかき消される。
一軍メンバーがドカドカと押し寄せてきて、壱星はあっという間に囲まれてしまった。小向井が当たり前のように壱星の椅子の背もたれに手をかけ、親しげに笑いかけている。
俺の方に足を向けようとした壱星の動きが、ピタリと止まった。一瞬だけ冷ややかな顔をしたけど、速攻でいつもの完璧な王子様スマイルに切り替えて小向井たちに応対し始めてる。
途端に、あいつの周りに眩しい世界が完成して。そこには最初から、俺の居場所なんてない。
……だったら、ちょうどいいや。
あいつはあっち側のキラキラした人間で、俺は影で適当に息をしてるだけの奴。付き合ってるからって毎日当たり前みたいに隣にいて、一緒に帰ってる方がどうかしてたんだ。
あいつが元の世界に戻るなら、俺はここ数日の謎の動悸の理由を認める必要も、どこかへ逃げ出しちゃおうなんてバカな考えもしなくて済む。
小向井たちの騒がしい笑い声に背を向けて、俺は黙って教室を出た。
わざわざ「先帰るわ」なんて割り込んで、会話を中断させてしまうほど野暮じゃない。
昇降口へたどり着くと、ガラス扉の隙間から湿ったコンクリートの匂いが漂ってきた。
また降ってる。朝は降っていなかったのに、いつの間に降ってきたんだろう。
ぼんやり眺めている間に、雨脚は少しずつ強くなってくる。
天気予報をまともに見ていないから、当然傘はない。
けどまあ、走ればいいか。濡れたって、あとはもう家に帰るだけ。制服を乾かすのは少々面倒だが、風邪をひいたって俺一人が困るだけだ。誰にも迷惑はかからない。
雨の中に一歩踏み出そうとしたら――。
「晴っ……!」
手首に、痛いくらいの衝撃が走った。
驚きのあまり視線を上げると、壱星が肩を激しく上下させていた。
掴まれた手首から壱星の激しい脈拍がドクドクと伝わってくる。熱い。
「……なんで先帰んの」
「……いや」
真っ直ぐに突き刺さる視線は真剣そのもので。理由は分からないが、本気で怒ってる目だ。
視線を受け止めきれなくて、俺は水たまりの波紋に目を向けた。
「今日、一緒に帰るのやめん?」
「は?」
いつか聞いた時よりも、もっと低く冷え切った声に思わず怯みそうになる。
「壱星、誘われてたか――」
「関係ない」
遮るのと同時に、バサッと音がした。
「ほら」
手首を引かれ、激しい雨音が一瞬で遠ざかった。
壱星の傘の中にいるのだと、その時ようやく気付く。
「別にいいのに……」
「よくない」
「……なんで」
拒む隙は一切なくて、手首はがっちりつかまれたまま。
傘の中はあまりにも狭くて静かで、まるでこの世界に二人しかいないんじゃないかって錯覚しそうになる。
「……なんで、すぐそうやっていなくなるんだよ」
壱星の目が、普段の余裕なんて欠片もないくらい本気で、必死で。俺は何も言い返せなくなった。
怒ってるのかと思ったら、なんでそんな、怯えたみたいな子供みたいな声で言うんだよ。
手首を掴む指先は、痛いくらいに強くて熱い。
なのに――不思議と、嫌じゃない。
と、不意に手首からぎゅっとかかっていた圧力が消えた。
……あ。
すっと離れていく体温に、胸の奥がキュッと縮こまる。
なんだよそれ。なんで離れただけで寂しいとか思ってんだよ。ガチで意味が分からない。俺、どうしちゃったんだよ。
パニックになりかけた瞬間、離れたはずの熱が、滑るようにして俺の右の手のひらを包み込んだ。
驚いて息を飲んだ時にはもう遅くて、指と指の隙間にあいつの指が押し込まれる。
隙間を埋めるそれを俺はぎゅっと、握り返した。
……は? なんで俺、繋ぎ直されてホッとしてんだよ。っていうか、なに握り返しちゃってんの!?
自分のあまりのチョロさに、一気に顔が熱くなる。が、冷静に考えてこの状況おかしいだろ。昇降口で男同士で手を繋いでるなんて……。さっきから数人の生徒が通り過ぎていく。今すぐ振り払った方がいいのに、この手を振り払うことなんてどうしてもできなくて。気が付けば俺たちは並んで歩き出していた。
「前もさ、なんで傘なかったの」
「……前って?」
ぽつりと漏らした壱星に問い返すと、繋いだ手の力がぎゅっと強くなった。
「ずぶ濡れで学校来たとき」
「あー……」
そういえば、そんなこともあったっけ。確か、駅前で。
「ばあさんにやった」
途端、壱星がピタリと足を止めた。引っ張られる形で、俺の身体も止まる。
「晴……ほんと、そういうとこだよ」
「なにが」
「風邪ひくっつってんの」
珍しく、壱星の声に刺々しい感情が混ざっていた。
そんなに怒らなくてもいいのに。
「平気だったけど」
「……そうじゃないって」
壱星は、はあ、と重たいため息をこぼした。それから、グイっと手を引かれる。
「自分の分くらい残せよ……」
いつもなら「過保護かよ」なんて適当に笑って流せるはずなのに。上手くはぐらかすための言葉が喉に張り付いて出てこない。
初めて壱星と手を繋いだ。たったそれだけなのに俺の心臓はバカみたいに暴れている。今まで誰かと手を繋いだって、何も感じなかったのに。
っていうか、なんでこいつ、離さないんだろ。
……ううん。違う。
本当は、離さないでほしい、なんて思ってる。
俺がどれだけ逃げようとしても、諦めようとしても。
この手だけは、絶対に解いてくれない。
……このまま、駅まで着かなきゃいいのに。
「なあ榊、今からカラオケ行こーぜ! 俺アプリのクーポン持ってるからさ!」
ホームルームが終わり、壱星に声をかけようとしたところで騒がしい声にかき消される。
一軍メンバーがドカドカと押し寄せてきて、壱星はあっという間に囲まれてしまった。小向井が当たり前のように壱星の椅子の背もたれに手をかけ、親しげに笑いかけている。
俺の方に足を向けようとした壱星の動きが、ピタリと止まった。一瞬だけ冷ややかな顔をしたけど、速攻でいつもの完璧な王子様スマイルに切り替えて小向井たちに応対し始めてる。
途端に、あいつの周りに眩しい世界が完成して。そこには最初から、俺の居場所なんてない。
……だったら、ちょうどいいや。
あいつはあっち側のキラキラした人間で、俺は影で適当に息をしてるだけの奴。付き合ってるからって毎日当たり前みたいに隣にいて、一緒に帰ってる方がどうかしてたんだ。
あいつが元の世界に戻るなら、俺はここ数日の謎の動悸の理由を認める必要も、どこかへ逃げ出しちゃおうなんてバカな考えもしなくて済む。
小向井たちの騒がしい笑い声に背を向けて、俺は黙って教室を出た。
わざわざ「先帰るわ」なんて割り込んで、会話を中断させてしまうほど野暮じゃない。
昇降口へたどり着くと、ガラス扉の隙間から湿ったコンクリートの匂いが漂ってきた。
また降ってる。朝は降っていなかったのに、いつの間に降ってきたんだろう。
ぼんやり眺めている間に、雨脚は少しずつ強くなってくる。
天気予報をまともに見ていないから、当然傘はない。
けどまあ、走ればいいか。濡れたって、あとはもう家に帰るだけ。制服を乾かすのは少々面倒だが、風邪をひいたって俺一人が困るだけだ。誰にも迷惑はかからない。
雨の中に一歩踏み出そうとしたら――。
「晴っ……!」
手首に、痛いくらいの衝撃が走った。
驚きのあまり視線を上げると、壱星が肩を激しく上下させていた。
掴まれた手首から壱星の激しい脈拍がドクドクと伝わってくる。熱い。
「……なんで先帰んの」
「……いや」
真っ直ぐに突き刺さる視線は真剣そのもので。理由は分からないが、本気で怒ってる目だ。
視線を受け止めきれなくて、俺は水たまりの波紋に目を向けた。
「今日、一緒に帰るのやめん?」
「は?」
いつか聞いた時よりも、もっと低く冷え切った声に思わず怯みそうになる。
「壱星、誘われてたか――」
「関係ない」
遮るのと同時に、バサッと音がした。
「ほら」
手首を引かれ、激しい雨音が一瞬で遠ざかった。
壱星の傘の中にいるのだと、その時ようやく気付く。
「別にいいのに……」
「よくない」
「……なんで」
拒む隙は一切なくて、手首はがっちりつかまれたまま。
傘の中はあまりにも狭くて静かで、まるでこの世界に二人しかいないんじゃないかって錯覚しそうになる。
「……なんで、すぐそうやっていなくなるんだよ」
壱星の目が、普段の余裕なんて欠片もないくらい本気で、必死で。俺は何も言い返せなくなった。
怒ってるのかと思ったら、なんでそんな、怯えたみたいな子供みたいな声で言うんだよ。
手首を掴む指先は、痛いくらいに強くて熱い。
なのに――不思議と、嫌じゃない。
と、不意に手首からぎゅっとかかっていた圧力が消えた。
……あ。
すっと離れていく体温に、胸の奥がキュッと縮こまる。
なんだよそれ。なんで離れただけで寂しいとか思ってんだよ。ガチで意味が分からない。俺、どうしちゃったんだよ。
パニックになりかけた瞬間、離れたはずの熱が、滑るようにして俺の右の手のひらを包み込んだ。
驚いて息を飲んだ時にはもう遅くて、指と指の隙間にあいつの指が押し込まれる。
隙間を埋めるそれを俺はぎゅっと、握り返した。
……は? なんで俺、繋ぎ直されてホッとしてんだよ。っていうか、なに握り返しちゃってんの!?
自分のあまりのチョロさに、一気に顔が熱くなる。が、冷静に考えてこの状況おかしいだろ。昇降口で男同士で手を繋いでるなんて……。さっきから数人の生徒が通り過ぎていく。今すぐ振り払った方がいいのに、この手を振り払うことなんてどうしてもできなくて。気が付けば俺たちは並んで歩き出していた。
「前もさ、なんで傘なかったの」
「……前って?」
ぽつりと漏らした壱星に問い返すと、繋いだ手の力がぎゅっと強くなった。
「ずぶ濡れで学校来たとき」
「あー……」
そういえば、そんなこともあったっけ。確か、駅前で。
「ばあさんにやった」
途端、壱星がピタリと足を止めた。引っ張られる形で、俺の身体も止まる。
「晴……ほんと、そういうとこだよ」
「なにが」
「風邪ひくっつってんの」
珍しく、壱星の声に刺々しい感情が混ざっていた。
そんなに怒らなくてもいいのに。
「平気だったけど」
「……そうじゃないって」
壱星は、はあ、と重たいため息をこぼした。それから、グイっと手を引かれる。
「自分の分くらい残せよ……」
いつもなら「過保護かよ」なんて適当に笑って流せるはずなのに。上手くはぐらかすための言葉が喉に張り付いて出てこない。
初めて壱星と手を繋いだ。たったそれだけなのに俺の心臓はバカみたいに暴れている。今まで誰かと手を繋いだって、何も感じなかったのに。
っていうか、なんでこいつ、離さないんだろ。
……ううん。違う。
本当は、離さないでほしい、なんて思ってる。
俺がどれだけ逃げようとしても、諦めようとしても。
この手だけは、絶対に解いてくれない。
……このまま、駅まで着かなきゃいいのに。



