誰の特別にもなれなかった俺と、愛が重すぎる一軍王子

 四限目のコミュ英が自習になった。
 本来なら教壇で淡々と英文を読み上げる先生の声を子守唄に眠気と戦う、ガチでダルい時間だ。それが急に自習になったんだから、ラッキー以外の何物でもない。

 配られた自習用のプリントを適当に終わらせ、俺はスマホを引っ張り出した。
 回答が多少間違っていようが関係ない。提出時に全部埋まってさえいれば文句を言われる筋合いはないし、テストじゃないんだから赤点を取って追試になる心配もない。

 適当にSNSを見ていると、たまたま流れてきたショート動画が目に入った瞬間、真っ先に隣の奴の顔が頭に浮かぶ。
 ……いやいや、おかしいだろ。なんで俺、スマホ見ながらあいつのこと考えてんだよ。
 でもまあ、あいつこの動画好きそうだし……。
 隣の席のやつはというと、真面目にプリントに向き合っている。
 こいつ、本当に根が真面目だよな……。ちょっと声をかけるのは悪いか、と一瞬頭をよぎるが。

 「なあ、壱星。この動画見た?」

 何気なーく声をかけると、シャーペンを走らせていたあいつの手が、ぴたりと止まる。
 ゆっくり顔を上げて、一瞬だけ目を丸くした。

 「……ん? なに?」
 「これ、壱星好きそうと思って」

 スマホ画面を差し出すと、あいつは椅子ごと距離を寄せてきた。
 いつもこんな近かったっけ!? なんかいつもより近くないか!?
 近くなったことで、あいつの爽やかで少し甘い香りがふわっと漂ってきて心臓がバクバクする。

 「ほんとだ。俺、これ好き」

 動画を見ながら、壱星が嬉しそうに目元を緩める。さっきまで真剣な顔をでプリントの問題と格闘していた奴とは思えない。その顔があまりにも嬉しそうで、甘すぎて俺はなんだか直視できなくなってつい目を逸らしてしまった。
 そっか、よかったな、なんて適当な相槌を打ってスマホを無駄にスクロールする。これ以上、真面目にプリントやってる奴の邪魔をするのは悪いと思った。それだけだ。

 そんなことをしているうちに、あっという間に四限終了のチャイムが鳴った。
 チャイムが鳴ったのに、なぜかあいつは席を立ちかけたままフリーズしている。

 「壱星、昼。早く行かないとパンなくなるぞ」

 いつもなら「晴、早くしないとパン売り切れる」なんて俺より早く購買に走ろうとするくせに。あいつ、自分は母親が作った弁当の日もあるくせに、なんで俺よりパン争奪戦に必死なんだよ。
 自習プリントは頭のいいあいつですら戦意喪失するくらい難しかったのか?

 「……行く」

 ようやく短い返事が返ってきたと思えば、満面の笑みで俺の隣に並んでくる。
 昼休みの混み合う廊下、前方にいた教師を避けようとした瞬間、ドンッと肩がぶつかる。

 「壱星サン、当たり屋っすか?」
 「晴が急に止まるからでしょ」

 それだけで壱星は楽しそうに肩を揺らす。肩がぶつかっただけでどうしてそんなに楽しそうなのかは分からないが、購買から教室に戻るまでの間、何度も何度も、かすかに肩と肩が触れ合った。そのたびに、俺の方は体に電気が走るみたいで落ち着かない。
 肩が当たるくらい、なんてことないだろ。たけぴーたちとだって肩組んで歩くし。
 そう思うのに、教室でパンを食べている時もずっと心臓はバクバクするし、喉はカラカラに乾いてくる。
 ……メロンパンを食べてるからだな。口の水分持っていかれてるだけだ。
 何か飲もう、と思ったが、今日に限って飲み物を買い忘れていたことに気づく。その時ちょうど、壱星が手にしているパックの紅茶が目に入った。

 「壱星、それ一口ちょーだい」
 「……え?」

 壱星は一瞬、動きを止めたけれど、紙パックを渡してくれた。
 手渡されたストローを、そのまま口にくわえると、人工的な甘い桃の香りが喉を通り抜けていく。
 あ、美味い。口の中の水分も戻って生き返った……って、待て。
 ストロー、普通にそのまま吸っちゃったけど。これ、いわゆる間接キスじゃん……!?
 いや、でも壱星も俺の飲み物平気で飲むし、今さら意識するようなことでもない――なのに、なんで俺の心臓は今、破裂寸前なんだ……!?

 急に焦りが出てきて顔が熱くなる。けど、今さら動揺を見せるのも悔しくて、何事もなかったフリをして「さんきゅ」とパックを返した。

 喉を過ぎても鼻の奥に残る桃の甘さに、頭をぼーっとさせられたまま。
 気づけばあっという間に放課後になり、帰る準備をしようと引き出しに手を突っ込んで引き抜いた瞬間、視界に飛び込んできた大量のプリントに一気に現実へ引き戻された。

 「なあ、壱星。数学の課題多くね?」

 カバンに課題プリントの束を押し込みながら思わず愚痴をこぼすと、隣でチャックを閉めようとしていた壱星の手がピタリと止まった。

 「……晴くん?」
 「なに?」
 「今日めっちゃ名前呼ぶじゃん」
 「そうだっけ」
 「うん」

 くん、なんて付けて、ちょっとからかってくるような声なのに、当の本人は口元がゆるゆるに緩んでいて、嬉しさを全く隠しきれていない。
 名前呼ばれただけでそんなに嬉しいのかよ。いつも呼んでんじゃん。

 ……ん? 待てよ。
 俺、今日……一日のうちに何回『壱星』って呼んだ?
 それどころか、いつもならあいつから話しかけてくるのに、今日は俺から何度も話しかけ……てた?
 いつの間にか、壱星と呼ぶのが当たり前になっていた。
 今さら榊、なんて遠くて、なんだか寂しい。

 視線を感じて顔を上げると、壱星はまだ俺の顔をまじまじと見つめていた。

 「……な、なんだよ」

 じっと見つめられるのに耐えきれなくなって、俺は思わずそっぽを向きながら低めの声で威嚇してみせる。
 けど、壱星はそんなの気にしてないみたいで、ふっと目を細めた。

 「別に。……すごく、嬉しかっただけ」

 ……やめろ。
 その笑顔は、ズルすぎるだろ。そんな……そんな、綺麗な笑顔ですげえ嬉しそうにされたら心臓が締め付けられるみたいで苦しい。
 まともに視線を受け止めていられなくなって、喉はまたカラカラに乾いてきて、自分の心音が耳障りなほどうるさく鳴り響き出した。

 やばい、近い。
 並んで歩く帰り道、いつもと変わらないはずの距離なのに、今はその数センチが世界のすべてみたいに気になって気が狂いそうだ。

 人間関係も恋愛も、どうせみんな適当に始まって適当に終わるものだと思って生きてきた。
 いつでも傷つかずに手を引けるように、最初から誰の体温にも期待しないでおこうと決めていたはずだった。
 だけど――壱星は違った。
 あいつの『好き』は、今まで俺に向けられてきた適当な好意なんかとは、到底比べ物にならないくらいデカくて、重い。
 俺がどれだけ壁を作っても、真っ直ぐな熱で簡単に溶かして入ってくる。

 ……なんなんだよ、本当に。

 隣を歩く壱星は、いつもの穏やかな顔で、真っ直ぐ前を見つめている。
 胸の奥が、甘く焼けるみたいに疼く。

 ――もう、とっくに手遅れだ。

 頭の中に不意に浮かんだけれど、俺は慌ててぶんぶんと首を振って打ち消す。

 ダメだ。絶対に認めるな。
 こんなのただの勘違いで、あいつのペースに流されてるだけだ。
 好きなんかじゃない。絆されているだけ。絶対そうに決まっている。
 こんなデカい好意、ガチで好きだって認めちゃったら最後、もう二度と元の安全な場所には戻れなくなる。
 あいつなしじゃいられなくなったら、どうすんだよ。