誰の特別にもなれなかった俺と、愛が重すぎる一軍王子

 なんで俺たちは、今日も一緒に駅まで歩いてるんだ。

 いつも一緒に帰ってるから? 俺が待ってるって言ったから? あいつが黙って俺の後ろ付いてくるから?
 ちがう。あいつの掠れた声が、絶望的な顔が、頭にこびりついて離れなくて、「じゃあな」なんて置いて帰ったら、今度こそ本当に壊れてしまう気がしたんだ。
 俺が空っぽで最低な奴なのは変わりないけれど、だからってこれ以上あいつを傷つけることだけはしたくなかった。

 本当は、今すぐ一人で走って逃げ出したい。
 そんな衝動が何度も頭をよぎるのに、身体がどうしても動かない。
 逆に、数メートルおきに振り返っては、あいつが後ろにいるか確かめちゃってるくらいだ。

 あれから俺たちは一言も口をきいていない。それもそうか。一緒に帰ってる方がおかしいもんな。
 こういう時こそ、いつも通り適当に笑って、何事もなかったみたいに話しかければいい。
 そう思うのに、喉の奥が引き攣って言葉が出てこない。

 ただ歩いているだけなのに、心臓がバクバクする。背後から、静かに榊の足音だけがついてくる。
 めちゃくちゃ気まずい。早く駅に着いてくれ。
 俺だけが、いつもの空気に戻そうと必死で空回りしているみたいだ。
 榊はちっともいつも通りに戻ってくれない。いや、でも怒らせたのも傷つけたのも俺の方なわけで。
 謝って済む話じゃないかもしれないけれど、とりあえず謝ろう。
 振り返ろうとしたら――。

 「……あのさ」

 不意に背後の足音が止まって、低い声が背中に突き刺さった。
 さっきの続きの話でもするつもりか? だとしたら嫌だな。俺が言えた立場じゃないけど。
 おそるおそる振り返ると、逆光のせいで榊の表情はよく見えない。何を考えているのか、これから何を言われるのか分からなくて怖い。

 「一年のとき、覚えてる?」

 ……は?
 あまりにも脈絡のない問いかけに、思わず足を止める。
 一年のとき? クラスも違ったし、接点すらなんにもなかった頃だろ。俺たちその頃、喋ったことあったのか? 入学早々、イケメンって話題になってたこいつと喋ったら、さすがに覚えてるはずだが。

 「……なにを?」
 「俺、体調悪い日あったんだ。でも誰にも言ってなくて」

 榊の声はどこまでも静かだ。
 住宅街のどこかからゴォウゴォウと換気扇の回る音が、やけに大きく聞こえる。

 「廊下で、晴だけ気づいて声かけてきたんだよ」

 一年のとき。廊下。体調悪そうな奴。
 記憶を呼び起こしてみるが、何も出てこない。

 「……あー。そういうの、よくあるし」

 周りのノリに合わせて生きてきた分、昔から他人の顔色を見るのは得意だった。だから俺にとってはただの日常茶飯事だ。たぶん、通りすがりでたまたま見かけて適当に声をかけたんだろう。

 「俺、それで――」

 榊の言葉が、少しだけ詰まった。握りしめられた拳が微かに震えている。

 「助かったんだよ」

 絞り出すような声だった。
 重苦しいその言葉に、ちょっとだけ気圧される。けれど、榊がどれだけ真剣な顔をしていても、俺にとっては思い出すことすらできない有象無象の記憶の一つでしかない。
 ていうか、なんでそんな昔のことを今言ってくるんだよ。

 「へえ、よかったじゃん」
 「……なんで、あの時声かけたの?」

 覚えていないことを責められるのかと思ったら、声はどこまでも静かだった。怒られた方がまだマシなのに、なんでそんな真剣なんだよ。

 「なんでって……」

 あまりにも切実に聞かれるから、思い出そうと記憶を漁ってみる。
 けれどやっぱり何も出てこなくて、自分のいつもの行動パターンから逆算した答えを口にするしかなかった。

 「しんどそうだったからじゃない?」

 答えを聞いた榊は、また黙り込んでしまった。
 なんでまた黙っちゃうんだよ。ただでさえ今、気まずいのに。こんな話続けたって意味がない。

 「誰でもやるでしょ。それくらい」

 適当に笑って話を打ち切ることにした。
 榊は黙り込んだまま立ち尽くしていて、相変わらず逆光で表情はよく見えない。
 これ以上何も言うことはない。というか、何も言わないのが正解な気がする。
 今すぐ帰りたい。でもこいつをここに置いて帰るのも無理だし……。

 どれくらい、そうして立ち尽くしていただろう。
 逆光の中で榊のシルエットが動いた。

 「……そっか」