誰の特別にもなれなかった俺と、愛が重すぎる一軍王子

 「なーるみクン。ちょっとお話聞かせてもらおうか」

 ぼんやりとスマホの画面を眺めていると、頭上から声が降ってきた。声をかけてきたのは小向井と川出。
 俺に絡んでくるなんて珍しい。たぶんろくな話じゃない。

 「お前、榊と最近ずっと一緒じゃん。あいつの彼女誰だか知らね?」
 「さあ」

 ここでわざわざ「俺だ」と言う必要はない。俺は彼女じゃないし、勝手に言うのは榊に失礼だろうし。
 スマホに目を落としたまま適当に流せば去っていくかと思ったが、甘かった。

 「あいつ自分のこと全然喋んねーし。いつから付き合ってんのか知らんけど、隠れて付き合ってさ。彼女いるなら言えよなー」

 小向井はブツブツ文句を言いながら、榊がさっきまで座っていた椅子を勝手に向きを変えて跨り、背もたれに顎を乗せた。川出は窓側から俺の肩に馴々しく手を回してくる。
 めちゃくちゃ絡んでくるじゃん。一軍の距離感どうなってんだ。

 ……でも。
 やっぱり、この距離感の方が普通だよな。
 たけぴーだって普通に肩を組んできたり叩いてきたりするし、ほとんど喋ったことのない川出すらこうやって触ってくるんだし。

 「あいつの彼女、絶対爆美女だろ」
 「だから隠してんじゃねえの」

 二人は、俺が会話に入ろうが入らなかろうがどうでもいいらしい。ただ新しいゴシップに興奮しているだけのようで、すぐに勝手な妄想で盛り上がり始めた。だったらどこか別の場所でやってくれ。

 「あいつ意外と面食いっていうか、こだわり強そうだよな」
 「それな。さっきの子もかわいかったのに秒殺だもんな。案外、鳴海の顔みたいなのがタイプど真ん中だったりして」

 突然自分の名前が出て、スマホに向けていた顔をハッと上げると、二人がニヤニヤとこちらを見ていた。

 「お前、榊とタイマン張れるくらいイケメンだし、女装したら絶対かわいいだろ」
 「鳴海晴ちゃん……名前だけでもかわいいもんな。よし、採用!」
 「さすがにそれはキショいって」

 曖昧に笑って打ち切ろうとしたが、二人のゴシップ魂は止まらない。
 小向井がふと声を落として覗き込んできた。

 「つーかさ。あいつ、鳴海といるときめっちゃ機嫌よくね?」
 「いつもあんな感じだろ」
 「ううん、違うね。俺、同中だけどあんな榊初めて見たわ。お前にはなんていうか……すげえ必死じゃん。お前が事故った時とかやばかったし」
 「……あの時だけだろ」
 「いーや、違う! 鳴海がかわいすぎるからだな! 罪な男め!!」

 小向井は立ち上がりざまに俺の頭を適当にくしゃくしゃと撫で回し、川出もぽんぽんと肩を叩いて満足そうに去っていった。一軍のノリはよく分からない。

 乱された髪を直しながら、胸の中にじわじわと不快感が広がっていく。
 榊が必死? 恋人ごっこを完璧に演じようとしてるだけだろ。この曖昧な関係を続けることに何の意味があるというんだろう。

 突然、ピトッ、と冷たい感触が頬に当たった。

 「お待たせ」

 戻ってきた榊が持っていたのは、少し結露した炭酸飲料のペットボトル。

 「晴がコンビニで買ってたやつ、自販機に売ってた」

 それを見つけてわざわざ買ってきたのか。
 俺が黙っていると、榊の表情が分かりやすく不安そうに曇っていく。

 「あれ……違った?」
 「……いや、合ってる。よく覚えてたな」

 そう零すと、榊の顔が一瞬でパッと華やいだ。本当にこいつ、分かりやすいな。

 「初めて晴と一緒に帰った日だし忘れるわけないよ」

 恥ずかしげもなくそう言って、自分の席――小向井がさっきまで勝手に使っていた椅子を丁寧に元の向きに戻し、腰を下ろす。
 たった一回、なんとなく選んだだけの飲み物を、こいつは当たり前のように覚えていたんだ。

 「いちごのは今度買わせて。これはその代わり」
 「代わり?」
 「もうすぐ五限始まっちゃうし」

 首を傾げる俺に、榊はペットボトルのキャップを指さして、ふわりと微笑んだ。

 「蓋あったほうがいいかなって」

 授業中に紙パックを出していると注意されるが、キャップ付きならカバンにしまえる。そんな細かい気遣いまで巡らせて、こいつはこれを選んできたのか。

 「……サンキュ」
 「晴? なんかあった?」

 受け取ると、榊が覗き込んできた。ああ、まただ。俺のことを心配している時の、他のやつらには絶対に見せない、耳の奥を撫でるような声。
 どうして、こいつはすぐ気づくんだ。
 俺はいつも通り、誰に対してもそうするようにヘラヘラ笑っているはずなのに。

 心の中のモヤモヤを見透かされたような気がして、冷や汗が背中を伝う。だけどここで勘ぐられるわけにはいかない。俺は、引きつりそうになる顔を必死で固定して、いつもの軽薄な笑みを張り直した。

 「なんもねーよ。榊は面食いなんだなーって言われただけ」
 「え? 誰に?」
 「小向井たち」

 俺の態度に一瞬だけ目を見開いた榊だったが、すぐに俺が視線で示した方――小向井たちのいる教室の入り口付近へ目を向けた。その瞳に、一瞬だけ冷ややかな温度が宿る。
 だが、俺へ視線を戻したときには、もういつもの柔らかい笑顔に戻っていた。

 「うん、正解。俺、晴の顔も大好きだよ」

 息が溶け合いそうなほど顔を寄せられ、囁かれる。
 笑っているのにそこに冗談は一切感じられなくて、息が止まりそうになった。

 『大好き』なんて言葉を、そんな簡単に口にするな。
 それに、今までの俺なら適当に流せただろ。それなのにこいつの熱量には、適当な嘘すら返せない。

 息が、苦しい。
 何も返せないのに、底なしの優しさと熱量を注がれ続けて、俺はどうすればいいんだ。

 ペットボトルのキャップをもたつく指先でひねると、プシュゥと気の抜けた音が響いた。
 一口含んだ液体はあの時と同じ味がするはずなのに、喉を通っても全然胸のつかえを流してくれない。それどころか、喉の奥がカラカラに乾いていく気がした。

 そのまま五限が始まったが、授業の内容なんて何も頭に入ってこない。
 隣の席からは相変わらず榊の熱視線が突き刺さっていたけれど、俺は完全に気づかないフリを決め込んで、ひたすら黒板を睨み続けていた。