誰の特別にもなれなかった俺と、愛が重すぎる一軍王子

 一限目は体育だった。
 更衣室で着替えを済ませ、体育館へ向かおうとした瞬間にデカい影に行く手を阻まれた。

 「今日体育休んで」

 見上げなくても、その声の低さで分かる。
 榊が先日俺に貸したジャージの襟元を整えながら立っていた。俺の体温なんて残っていないはずなのに、袖を通しているのが榊だと思うと落ち着かない。

 「……なんでだよ」
 「頭打ってんだから、当然だろ」

 榊の声が一際低く落ちて、表情がどんどん険しいものに変わっていく。
 心配性すぎるだろ。

 「平気平気。痛くないし」
 「昨日もそれ言ってた……」

 なんで今度は悲しそうな顔してんだよ。
 周りが笑いのネタに変えた昨日の事故が、榊の中では今も警報を鳴らし続けているらしい。

 「……その顔やめろって」
 「じゃあ、お願いだから見学してろ」

 それは、お願いなのか命令なのか。でも、榊が本気で心配してくれているのは確かで。
 真っ向からこんなガチの心配をぶつけられると、どう受け流していいのかがわからない。
 過保護すぎるだろ、と思うのに――なんで俺は、こんなにも嫌じゃないと思ってしまっているんだろう。今まで誰にも心配されたことがないから?

 結局、体育館の隅のベンチで見学させられるハメになった。

 バスケコートの中の榊は、群を抜いて目立っている。いや、目立っているのはいつものことなんだけど。それでも、コートの中の榊は普段の何倍も輝きを放っていた。

 いつの間にかジャージを脱ぎ捨てた榊が、鮮やかな動きでボールを運んでいる。バスケ部の心をへし折るのに十分すぎるくらい上手い。運動神経までいいんだから、あいつに欠点なんてないんじゃないか。
 ……それに。半袖の袖口を肩まで捲り上げた腕は、予想以上に逞しい。これまで意識して見ていなかったが、しなやかな筋肉のラインが、激しい動くたびに躍動していた。

 同じく体育館でバレーをしている女子たちから黄色い声援が飛び、男子の歓声が響くが、あいつはそんなのは全部どうでもいいみたいだ。
 だって、おかしい。あいつ、こっちを見すぎだ。
 ドリブルで抜ける一瞬も、ボールがラインを割った瞬間も、いちいち俺と目を合わせてくる。そんなに見なくても逃げないっての。

 試合の合間。榊がこっちへ歩いてきて、俺の顔を覗き込んできた。

 「ちゃんと座ってろよ」
 「座ってるだろ。どこにも行ってねえよ」
 「ん、いい子」

 満足そうに微笑むと、榊は無造作に体操服の裾をぐいと持ち上げ、額の汗を拭った。
 ……あ、腹筋割れてる。
 チラリと見えた引き締まった腹筋に、思わず目が釘付けになる。
 筋肉までイケメンの味方すんのかよ。ていうか、さらっと腹チラすんのやめろ。その色気で人類の半分くらい倒せるぞ。
 雨の日はあんなに丁寧に俺の髪を拭いてくれたのに、自分の服で乱暴に汗を拭う姿は普段の爽やかな榊とはかけ離れすぎていて、急に目のやり場に困ってしまう。

 「……壱星ってさ、なんか鍛えてんの?」

 目の前の光景に耐えかねて聞くと、榊は「え? 別に。なんで?」と首を傾げた。その仕草すらやけに色っぽい。

 「いや。意外と筋肉あるんだなーって、思いまして」

 俺は毎日筋トレをしてみてはいるものの、一向に筋肉がつく気配がなくて、いつまで経ってもペラくて厚みがないままだ。それに、今の自分は昨日のことを心配されるような、どうしようもなく弱っちい存在に思えて、ちょっと羨ましくなった。

 「そう?」

 榊は、ベンチに座る俺の正面にすっと膝をつき、視線の高さを合わせてきた。
 俺の顔を覗き込むような静かな目でじっと見つめると、ふわりと笑う。

 「毎日走ってるだけ。晴のこと守れるように、ね」
 「……なに、それ」

 そんな理由、聞いたことがない。王子様スマイルでサラッととんでもない殺し文句を吐くな。でも、冗談にしてはガチトーンすぎる。
 ド直球な理由を突きつけられて、思考が一瞬でフリーズする。カッコよさにドギマギさせられているのか、ガチすぎる熱量に圧されているのか、もう自分でも全然わからない。

 固まっていると、榊はふいっと視線を逸らした。

 「少しでもフラッとしたら言って」
 「先生かよ」

 俺が笑うと、榊はまた真剣な顔で俺を見た。

 「今日くらい大人しくして」

 それは命令というより、懇願みたいな響きで。誰にでも同じように笑う俺とは正反対の、圧倒的な一点集中の熱だった。

 どうしてかあいつの首筋を伝う汗のしずくから目が離せなくなってしまって、俺は心の底から頭を抱えたくなった。

 ……ダメだ。そんな顔されたって、どう反応すればいいのか全然分からない。