Not only かわいい but also…

放課後、礼真はほっと息をついた。
「今日は何もなかったね」
薫がパックのジュースを飲みながら言った。
「昨日がなんだったんだって思うわ」
礼真は、昨日の悠司の怪異に対する無防備っぷりを思い出しているらしい。
 十三階段が一段増やした階段にひっかかって動けなくなったり、呪いのピアノに聞き入ったり、危険な怪異にトイレで襲われたりと盛りだくさんだった。
 それが今日は一転して、何も起きなかった。
「なんとかニャンの姿も見ないんだよな」
 礼真は、今日一日空席だった花凜の机を見た。
 あれだけ騒いでいたのに、逆に不気味だ。
「飽きたってことならいいんだけど」
礼真が唇に触れながら呟いていると、飲み終わったジュースのパックをゴミ箱に捨てた薫が、席に戻ってきて鞄を机の上に置いた。
「礼真くん。もう、帰る?」
「悠司先生が帰るなら帰るけど…職員室見てくる。あとは俺らがやるから薫くん帰ってもいいよ」
礼真は立ち上がった。
「ありがとう。じゃあ職員室まではつきあうよ」
鞄を持った薫は、礼真と連れ立って職員室に向かう。
 ほとんどの生徒が下校している校内を歩いていると、
「静かだな」
ポツリと礼真が言った。
『ねっ』
マキシの声がイヤーカフから聞こえて、薫はちょっとビクッしてしまう。
 マキシと礼真は常に回線をオープンにして、隣にいるかのように自然に会話をしているらしいが、たまに、こうやってふいに薫にも聞こえるように話しかけられるのがなかなか慣れない。
『静か過ぎるよねー』
「静か過ぎる?」
続けられたマキシの言葉に薫が聞くと、
「まあ、それが普通と言えば普通なんだけど」
礼真が答える。
『昨日が騒がしすぎたんだろうけど。だから気になるんでしょ、礼真は』 
「うん、マキシなんかわからない?」
『うーん、校内の霊力の流れに異常はないんだけどねー』
「そっか」
いつもこんな風に話しているんだろうなぁということがわかるマキシと礼真の会話。
 横を歩く礼真の顔をそっと見た。
 礼真の表情がほんの少しだけ緩んでいる。笑っているわけではない。
 家にいるときと、外に出たときの差だ。マキシと話しているときの礼真は、家側の顔だと薫は思っている。
 家にいるときのような自然な雰囲気になれる関係っていいな…けど、悠兄ちゃんと俺もけっこう自然体だよな…と、考えていると、
『警戒は続けよう。薫ちゃん、悪いけど引き続き頼むね』
マキシから声がかかった。
「あっ、はい!」
また不意打ち。薫がぴょこっと背筋を伸ばして応えると、
「頼りにしてる、よ!」
と、礼真からポンと背中を叩かれた。
「ありが、と!」
最初にくらべるとかなり気安くなってくれている礼真に、同じように背中を叩いて返して、お互いに肩をぶつけあう。
『なに?なに?なんか仲良ししてない?ずるい!ずるい!混ぜてー』
2人の雰囲気を察したマキシが騒ぐのを、笑って聞きながら、薫と礼真は職員室にむかった。


 職員室を覗くと、悠司の姿はなかった。
「帰ったのかな?」
と、薫と礼真が顔を見合わせていると、国語の清川が職員室から出て来た。
「先生、悠に…奥村先生は、もう帰りました?」
薫は声をかけると、
「奥村くんは社会準備室よ。授業の準備したいからって山方先生に許可とって少し残って作業するって」
にこにこと教えてくれる。
「ありがとうございます。行ってみます。」
「邪魔しちゃだめよー」
礼を言って、礼真と連れ立って小走りで去る薫に清川の声が飛んでくる。
「はーい!」
薫は軽く返事をして、社会準備室へ向かった。
「どうしよう?放課後に悠兄ちゃん一人って危なくない?」
「めちゃくちゃ危ない」
走りながら心配そうに言う薫に、礼真が食い気味に答えて、スピードをあげる。
 その速さに驚きながらも薫もついていく。
 結果、100メートル走か?の勢いで2人は社会準備室の前に到着した。
 少し息を弾ませている薫と、まったく呼吸が乱れていない礼真は、扉の前でひそひそ話し合う。
「悠兄ちゃんなにしてるんだろ」
「薫くん、先生の様子見てきてくれる?どのくらいで終わりそうとか」
「おっけー」
「じゃあ」
と、礼真はイヤーカフをトンっと指でタップしてみせた。
 イヤーカフ型のインカムのスイッチを入れて、礼真と薫の間で常に会話が聞こえる状態にしておくという合図だ。
「俺は校内怪異スポットまわってくる。なんかあったらすぐ呼んで」
礼真はそう言うと、散歩するような足取りで、行ってしまった。
 薫は礼真を見送ってから、
「奥村せんせー」
と声を掛けながら、扉をトントンと叩いた。
「はーい、どうぞー」
悠司から返事が返ってくる。
「悠兄ちゃん、まだ帰らないの?」
扉を開けて、顔を出すと、大きな紙に太いマジックでなにか書いていた悠司が、おっと声を上げて手を止めた。
「薫。あーこれ、明日の授業で使うから、仕上げないとなんだよ」
広げている模造紙に目をやって、ため息をついた。
「手伝えることあるなら手伝うよ」
準備室に入ると、悠司が手元を覗き込んだ。
『薫くん、無理するなよ』
「え?いや、生徒にそんな…」
薫の手伝う発言に、イヤーカフからは礼真が、目の前では先生感を出した悠司が、同じようなトーンで言ってくる。
「大丈夫だよ。普通に先生たちもプリント綴じるのとか手伝ってーって言ってくるよ。猫の手くらいにはなるよ、俺」
最初の大丈夫は礼真に、続きは悠司に向けて指を丸めて猫の手を作って、ニャ!として見せると、悠司はふはっと笑い声をあげた。
「じゃあ、猫の手薫。模造紙の裏にこのマグネットシート適当な大きさに切って貼ってくれ」
と、ハサミとシール状になっているマグネットシートと差し出した。
「おっけー、けど、なんか悠兄ちゃんがこんなギリギリって珍しいね。なんでもいつも事前に準備するじゃん」
悠司が書いた模造紙の裏の四つ角に、切ったマグネットシートを貼って、
「こんな感じ?」
と、見せる。
「あーうん、いいよ」
「なにかあった?」
頷いたが、どこか歯切れの悪い悠司に、下を向いて作業をつづけようとしていた薫が顔を上げた。
 悠司はキュキュッと太いマジックを動かす。
「ちょっと、授業の内容とか注意されてさ。で、明日はいろんな先生たちが授業見に来るんだよ。注意されてとことか、授業の構成やり直してたら、ギリギリになった」
たくさん書き込みのあるノートを見ながら、悠司は模造紙に書き写している。
「え?注意されたの?どこが?悠兄ちゃんの授業面白くて良かったと思うけど」
パチン、パチンとマグネットシートを切りながら、2回受けた悠司の授業を思い出す。
 三権分立とか、法律の話とか、学生には興味の薄いところではあったが、悠司の説明はわかりやすかった。  
 悪いところあったっけ?と、薫が思っていると、
「なんか、一方的に自分の興味あるとこばっかり言ってるみたいだって言われた」
少し沈んだ声で悠司が言った。マジックを握っている手の動きが遅くなる。
「うーん、そっかー俺は、悠兄ちゃんが楽しそうに話してからいいなって思ったけどな」
しょんぼりに見える悠司に、薫は自分が感じたままを伝える。
「先生はそれだけじゃダメなんだよ」
「…そっかー」
 薫の中では悠司は、なんでもできて、いつも明るくて楽しいお兄ちゃんだったが、そのイメージが少し変わる。
 悪い方ではない。
 お兄ちゃんも、普通の人間で、悩んだり、落ちこんだりするのは当たり前のことだとは、わかる。けれど、それはどこか遠くぼんやりしたものだった。
 それが、実際に落ち込んでいる悠司を前にすると、急に悠司を近くに感じた。
「俺さ、教育実習とか楽勝とか思ってたんだよね。教員免許はとりあえずとっておこうってくらいだったし、俺は弁護士になるんだって思ってた」
「うん」
「けどさ、実際に教壇に立ってさ、薫とか生徒のみんながさ、まだ先生でもない俺の話聞いて、ノートとってさ、学ぼうとしてくれてるの見たらさ、半端できないなって」
「うん」
ひとりごとのような悠司の話に、薫は小さく相槌を打つ。
 悠司の中にあるものを、こっそり見せてもらっているような感覚。
 楽しいことを話してもらうのはもちろん嬉しい。けれど、自分の中で決して楽しいとはいえないことを、話してもらうことも、嬉しい。
 薫は自分が感じているその感覚に少し驚いていた。
 悠兄ちゃんのこと知ることが嬉しいんだ…俺。少し鼓動が早くなった。
「で、ギリギリになってるわけ。」
薫がそんなことを考えていることを、知るよしもない悠司はふっと息をついてから、はっとして顔を上げた。
「あっごめん、薫に愚痴みたいなこと言った」
気まずそうに視線を泳がせる。
 薫は悠司のその様子に、逆に驚く。
 愚痴だった?と思う。薫からしてみれば、隠すことのない悠司の思いを聞かせてもらったという気持ちだった。
 薫はペタとマグネットシートを貼り付ける。
「ううん、いいよ。ちょっと、うれしいっていうか。悠兄ちゃん、俺にいつも無理するな、任せろ、お姫さましとけって言ってくれるじゃん?だからさ、俺も悠兄ちゃんになんか返せたらなーって。」
考え、考え、丁寧に言葉を選んでいるのがわかる。悠司は思わず手を止めてその顔に見入っていた。 
 薫は悠司に見られているとは気づかず模造紙を裏返した。 
『グループ考えよう』と書かれている。それを見て、薫の顔がぱっと輝いた。
「あっ明日、グループ討議するんだ」
「うん、やってみようかなって」 
 一方的ではない授業と、言われて考えた明日のメインだ。実際に授業を受ける側の薫の反応が気になる。
 薫は模造紙に書かれているグループ討議の内容を見ながら、
「楽しそう!楽しみ!」
と、声を上げている。その言葉に悠司はほっとする。
 さっきの言葉も、いまの言葉も嬉しい。
「薫…ありがとうな。」 
悠司がいろんなものに対して言うと、薫はちょっと首を傾けて、
「ん?ヨルディでいいよ」
いたずらっぽく笑う。
 ヨルディ…悠司の頭の中に、在校時代から校内の売店で売られている青いパッケージのパックジュースが浮かぶ。
 S嶺高校の売店でしか売られているのを見たことがない、悠司からしてみれば久しぶりに聞いた懐かしい名前だ。
「それだけでいいのか?遠慮すんな」
今もワンコイン100円の学生に優しい謎ジュースだが、いろいろ手伝ってもらって100円のパックジュースでは悠司の気がすまない。
「じゃあー毎日ヨルディ。」
模造紙にマグネットシートを貼る作業を続けながら薫が速攻で返してくる。
 何も考えてないなと、ふふっと悠司は笑っていた。
「結局、ヨルディかよ!」
ツッコミを入れながら、明日の授業に向けて固くなっていた自分が少しとけていくのを悠司は感じていた。


『俺さ、教育実習とか楽勝とか思ってたんだよね。… 』
薫のイヤーカフが拾っている悠司の声が聞こえてくる。
 薫と悠司の異変にすぐ対応できるように、相互の回線をオープンにしていたが、礼真はトントンと通信を切った。
 ここから先は悠司が薫にだけ、聞かせたいことだと思ったからだ。
 校内怪異スポットのひとつ、昨日悠司が引っかかっていたピアノで呪いの調べを奏でる怪異がいる音楽室を覗いていると、
『レイマー俺、もうお迎え来てるんだけどー』
裏門でうろうろしてるのだろうマキシの声が聞こえてくる。
「まだ、しばらく帰れないと思う。悠司先生残って授業の準備してるから」
礼真が答えると、
『え?悠ニャン一人で?』
マキシが眉をひそめているのがわかる声。
「いや、薫くんが猫の手してる」
礼真が言うと、マキシは少し沈黙した。
『へー、アオハル?』
「そっアオハル」 
わずかな沈黙のあとの、マキシの少し含みのある言い方に、礼真はふっと笑って答える。
 社会準備室まで戻ってきた礼真はそっと中を伺った。中から二人の笑い声が聞こえてくる。
 礼真は扉の前から静かに離れると、少し離れた階段に腰を下ろした。