Not only かわいい but also…

昼休み、薫が昼食のパンを食べている間に礼真の姿が教室から消えていた。
 礼真が休み時間や、持病があるからと見学している体育の時間にふらっといなくなるのは、気づいていた。
 礼真の仕事を知って、それがサボリとかではないことは察することはできたが、具体的になにをしているかまではわからない。
「礼真くん、どこに行ったんだろ」
パンの袋をゴミ箱に捨てて廊下に出た薫は、思いついて、イヤーカフに触れた。
 マキシの作ったイヤーカフ型インカムは薫からしたら、これどうなってるの?な性能だった。
 囁くほど声もしっかり拾ってくれるし、聞こえる声は鮮明、それなのに音漏れはしない。それに電波状況が悪くても、通話ができるという…この辺まで聞いて、薫は深くは追求しないようにしようと決めた。
 そんなことを考えながら、練習ではなく初めて、イヤーカフをトントンと叩いた。
「礼真くーん、どこで、なにしてるのー?」
囁くほどの声で呼びかけた。
『怪異スポットパトロール』
すぐに礼真から返事が返ってきた。日常で絶対に聞かない単語に好奇心をくすぐられるくすぐられる。
「え?それ、俺もついて行ったらダメ?」
それが遊びではないことはわかっているが、好奇心が抑えられない。
『それはちょ…』
『いいじゃん、ついて行くだけなら。ちょっと見た方がいいかもよ』
断ろうとしているのがわかる礼真の返事が終わらないうちにマキシが会話に割り込んできた。
『大丈夫だよ、レイマできるでしょ?薫ちゃん、レイマは旧校舎に行く渡り廊下のところ。行ってみな』
すっと礼真が息を吸って何か言おうする前にマキシが、軽い口調ながらも礼真に向けては、しっかりと強さがある口調で言う。
 礼真が少し沈黙のあと、 
『良いよ、薫くん待ってる』
返事がきた。
 マキシに「行ってみな」と言われた時点で、走り出していた薫は、階段を最後の5段は飛び降りて、廊下を曲がる。
 そこから真っ直ぐ行くと、旧校舎だ。
 旧校舎に入る渡り廊下のところで、礼真が立っていた。
「ごめん、なんか、わがまま言って」
礼真のそばに駆け寄って、薫は手を合わせて、軽く頭を下げた。ここに走ってきながら、無理を言ってしまったな…と思っていたのだ。
「いいよ。けど俺の言うことは守って欲しい」
礼真はもう気にしている風でもなく、軽く頷いてから、じっと薫を見つめた。
「旧校舎に入ったら絶対に声を出さないこと、俺から離れないこと」
「わかった」
薫がしっかり肯いたことを確認すると、
「じゃあ、行こうか」
と、礼真が薫の手をとって握った。
 薫の手より少し小さいひんやりさらっとした手だ。
 指は細くて長くて、手までかわいい。それに比べて俺の手は…と一瞬、考えて薫は、ぱっと握られた手を引いた。
「礼真くん!手つながなくても俺、怖くないし、礼真くんから離れないよ」
最後に誰かと手をつないだのは、去年別れた彼女との初デート以来。礼真からの気遣いだとは思うが、高校生男子同士の手つなぎは、恥ずかしすぎる。
 薫が焦って声を上げると、礼真が「ん?」と首を傾げてから、ふっと笑った。
「手をつなぐのは、薫くんを俺の霊力の内側に入れるためだから。怪異に薫くんを人認定させないため。人嫌いな怪異もいるからね」
礼真の説明に薫は、目を丸くした。
「あっ…そうなんだ、じゃあお願いします」
勝手に一人で恥ずかしくなっていたのが、余計に恥ずかしい。薫は手を差し出した。
 礼真はくすくすしながら、薫の手を握る。
 霊力の内側に…とは言われたが、特になにも感じないが、本当に今から霊とか怪異とかそんなものがいる場所に行くんだと実感する。
「じゃあ、行くよ」
礼真が薫の手を引いて歩き出した。
 旧校舎の中はひんやりと薄暗かった。
 立ち入り禁止にされているわけではないが、老朽化を原因にして、誰も入ろうとしない場所だ。
 進んで行くと、薄暗い陰の中にうごめくものを見つけて薫は上がりそうになった声を抑えて、代わりに礼真の手を強く握った。
「大丈夫、なにもしてこないから」
礼真は前を向いたままで小さく薫に言って、手を握り返してくれた。
 斜め後ろから見える礼真の顔は、教室にいるときよりも穏やかで静かで、落ち着いて見える。声のトーンも一段低く、マキシの横にいるときの空気に近い。
 礼真が足を止める。 
 薫は、自分たちの前に黒いモヤのようなものがあるのを見て、身構えた。黒いモヤがはっきりとこちらを見ているのを感じる。
 これからどうなるのか、薫は早くなってくる鼓動を感じながら、礼真を見る。
 礼真は、軽い足取りで、モヤに近づいて、
「こんにちは、少しお話し聞かせてください」
散歩ですれ違う人に挨拶するような口調で話しかけた。
 モヤが動く。
「最近、学校内の空気が騒がしい気がします。なにか心当たりはないですか?」
礼真は丁寧な口調を崩さず質問する。
「あ…あぁ…く…くぅ…空気か…」
黒いモヤの声は最初は聞き取りにくかったが、モヤの形が人の形に近くなると、その声も鮮明になる。
「そうだな、トイレの花子が騒いでいるな。それに便乗して十三階段も騒ぎ始めた。学校中の階段を一段増やすと言ってたが…」
黒モヤの声は予想よりも若い男のもので、困ったものだと言っているようだった。
「学校中のですか?」
礼真が聞き返すと、
「そう、学校中すべての階段だそうだ」
頷いているようにモヤの上の方が動く。
「あーそれは、なんかがっかりですね」
礼真が、眉を潜めて、溜息交じりで言って、さらに続けた。
「十三階段の怪異って、学校の中の階段のどれか一つが一段多い、っていうのが良いんですよねーけど、全部ってなんか違いますよねー」
 礼真の言葉に、ふるふるっとモヤも震えて、
「粋ではない」
と、きっぱりと言う。
「ですね。」
「うむ」
礼真も同意する。それに答えるモヤの声は少し嬉しそうだった。
「お話し聞かせていただいて、ありがとうございました。また、お話し聞かせてください。俺は佐藤礼真と言います」
礼真が名乗ると黒いモヤが大きくふるっと動いた。
「私のような物に名前を名乗っていいのかね?佐藤礼真」
モヤはじっと礼真を見つめているように、動きを止めて、しっかりとした声で礼真に呼びかけた。
「はい。丁寧にいろいろと教えていただいた方にはちゃんと、自己紹介をして礼を尽くせと上司に指導されていますし、俺もそう思いますから」
礼真は、呼びかけに頷いて、気負う風でもなく、自然にそれでいて鮮やかに微笑んだ。
 薫から見ても、はっとするような笑みだった。
 黒いモヤもそれを見て、フワフワとしていた輪郭のモヤまでがぴしっと固まった。
「佐藤礼真。なにかあれば私を呼べ」
また動きだした黒いモヤはそう言うと、最後に、薫には聞き取れない何かの音を発した。
 礼真はその意味がわかったのか、少し眉を上げて、
「ありがとうございます」
丁寧にきれいにお辞儀をした。黒いモヤも縮んで、お辞儀をしているように見えた。
 二人?のやりとりを、ただ呆然と見ているだけだった薫はぐっと礼真に手を引かれて、はっとした。
「戻ろう、振り返らないで」
礼真は薫に囁くと、薫の手を引いて、入ってきたときと同じ速さで、旧校舎を出た。
 渡り廊下まできたところで、
「もう、声出していいよ」
礼真が言った。
 薫ははぁーと大きく息を吐く。無意識に息を詰めていた。
「どうだった?」
はぁーと何度も深呼吸している薫に礼真が少し心配そうに声をかけた。
「こっ怖かったー」
薫は脱力しそうになりながら答えた。
 本当に怖かったのだ。
 薄暗い旧校舎の中。陰に息を潜めるようにして、ひしめきあいながらこちらを窺う者たち。
 黒くうごめくモヤ。
 歪んだ窓ガラスに映る人影。
 絶えず聞こえるヒソヒソ話。
 そのどれもが、薫の住んでいる世界のものではないことは、肌で感じた。
 昔、子どもり頃、自分にしか見えないものが見えたときに感じたものと同じだった。
 思い出すとまたぞくっとする。
 礼真はそんな世界で生きている。そして、悠司もまたあの恐ろしいものが常に見えているのだ。
「悠兄ちゃんもいろいろ見えてるんだよね?」
「うん、薫くんには、さっき俺が話してた人、どんな風に見えた?」
薫が聞くと、逆に聞き返された。
「黒い煙みたいなモヤモヤだったよね?」
薫が答えると、
「薫くんにはそう見えたんだ。あの人はねーお侍。藩校のときからいるんだろうね」
礼真はその姿を思い出しているのか、旧校舎の方へ視線を向けた。
「さ…むらい?!」
薫は驚く。
 藩校とは、江戸時代に各藩が藩に仕える武士を教育するために作った施設で、公立高校の中には、江戸時代の藩校からの伝統を受け継ぐ学校がある。薫たちの通う高校もそんな高校の一つだ。
 けれど、まさかそんな時代からの霊が旧校舎にいるとは思ってもみなかった。
「どうして…いるのかな?その未練とか?」
霊にとっての時間感覚はわからないが、それでもなにか理由があって長い間あの場所にいるのだろう。
「そこまではわからない。けど、悠司先生なら見えてるかも。その…怖いものまで」
礼真は見つめてくる薫から、ちょっと視線を外して、最後は少し濁した。
 薫はそのなにかわからない、怖いものを思い浮かべようとしたが、なにも思い浮かべることができずに、少し俯いた。
「だから悠司先生は頭の中で、怖い物を怖くないように変換するんだ。じゃないと、多分、普通の生活できない」
薫はその言葉に顔を上げた。じっと礼真が薫を見つめている。
 普通の生活ができない…言葉の重さを、薫は噛みしめていた。
 あの空間に行ったからこそわかる。
 そして、悠司の父が教育実習に集中させてやりたいと、マキシと礼真にボディガードを依頼した意味もわかった。
 その話を聞いたときは、悠兄ちゃんって怖がりだな、くらいに軽く考えていた。
 けれど、あれを見て、あれを感じたら。
 自分にはなにもできないことはわかった。
 それでも、少しでも悠司の力になれたらと改めて強く思って、薫はぎゅっと手を強く握っていた。
「痛てて、薫くん、手、もう離していいよ」
礼真が少し顔をしかめながら、笑っている。
え?と見ると、薫の方がしっかりと礼真の手を握っていた。
「わっごめん!痛かった?」
慌てて手を離して、謝ると、
「いいよ、なんかちょっと懐かしかったし」
「え?」
「俺がまだなんもできないとき、危ないところに行くときは、マキシが手つないでくれてた。」
薫とつないでいた手を、ぐーぱーしながら、礼真はふっと目を細めた。
「礼真くんにもそんなときあったんだ」
薫からしてみれば、礼真は対怪異のプロフェッショナルだ。あの黒いモヤを相手に世間話をするように、落ち着いて話す姿から、最初から特別な力を持っている人だと思っていた。
「そりゃあるよ、いろいろやらかしたことあるし。テンパって…無茶したこともあるし、マキシに迷惑かけてたし」
礼真はなにか思い出したのか、ふふっと笑っている。
「礼真くんてさ、マキシさんのこと好きだよね」
昔のダメな自分のことを話しているわりには、どこか楽しそうな礼真に薫はつい心に浮かんだことを言ってしまっていた。
「は?」
薫の言葉に、礼真の目がまん丸になる。そんな顔をすると驚いた猫みたいになる。
「だってさ、マキシさんの話してるときなんかすごく嬉しそうでかわいい顔になってるよ」
今もかわいいけど…と思いながら、薫が言うと、
「かわい…そんな顔してな…マキシ!うるさい!」
アワアワになって反論してきた礼真が声を上げた。
「え?なに?」
いきなりのマキシへの呼びかけというか、苦情に、薫が驚く。どうして、突然…と薫が思っていると、
「あっごめん。マキシ、俺たちが旧校舎に入るから、モニターしてくれてたから、この会話も聞こえてて。あっでも、通信の回線は俺とだけ繋がっている状態で…今、騒いでる」
礼真が怒っているのか、照れているのか、呆れているのか、なんとも言えない表情になっている。
 と、薫が礼真に謝ろうと声を出す前に、イヤーカフ型インカムから声が飛び込んできた。
『薫ちゃん!今の礼真の顔、撮影してー動画でもいいよー』
マキシである。ものすごく早口で、ものすごくテンションが高い。
「あー」
お願いお願いを連呼するマキシの声を聞きながら、薫は礼真の顔を伺った。
「聞かなくていいから」
スンっ。礼真は完全にさっきまで浮かべていた笑顔を消して、無表情になっている。まだ、礼真の顔の撮影を、頼んでくるマキシに薫は今の現実を伝えてやった。
「すみません、マキシさん、今はけっこう怖い顔になってます」
『ま?』
インカムの向こうでマキシが固まったのがわかって、薫は思わず吹き出していた。



 昼休みが終わりに近づいていて、二人は旧校舎から教室へ戻っていた。
 旧校舎での体験は薫には衝撃的なものだったが、そのあとの礼真とマキシのやりとりはまた別の意味で衝撃だった。
 揶揄うつもりではないが、つい言葉に出てしまう。
「マキシさんも、礼真くんのことすごく好きだよねー」
「…薫くん、それもういいから」
礼真がむぅと顔をしかめている。
 怒っているわけではなく、照れている。
 付き合いは長くはないが、礼真のかわいいを観察している薫は、あまり豊かではない礼真の表情がだんだんわかってきていた。
 薫からしてみたら、礼真とマキシのあまりに遠慮のない関係が衝撃だった。
 自分より年上のマキシと、多分年上の礼真の恋人関係というものは、高校生同士の恋愛とはまた違って、落ち着いていながらも、甘くて、ふわふわで、なんかきっと良い感じだと思っていたのだ。
 薫も告白されて、女子とお付き合いをしたことはあるが、薫は彼女が嫌な思いをしないようにと、いい空気感で、いい感じですごせるようにしていた。
 結果、その彼女からは、
「九条くんは王子様みたいに優しくて、素敵だけど、私だけの王子様でいてほしかった」
と、言われフラれた。
 薫からすれば、彼女に精一杯優しくしていたつもりだったのだが、未だにあのときの正解はわからない。
 そんな中、礼真とマキシである。
 マキシは礼真への「好き」を照れることなく、当たり前に言葉にする。さっきの『画像送ってー』は、冗談ではなく本気だ。
 礼真の方は、そんなマキシに「うるさい!」と遠慮もなく言うし、不機嫌も見せる。
 薫の感覚ならそこで喧嘩になってしまうと思うのに、二人はそうはならない。
(悠兄ちゃんとなら…?)
同性同士だからっていうのもあるのかな…と、悠司を頭に浮かべてみた。
 悠司に対して、礼真のように「悠兄ちゃん、うるさい!」という自分を想像してみた。
(ないな…それに、悠兄ちゃんがマキシさんみたいに、騒ぐのが想像できない…)
薫ははぁ…と溜息をついた。
「あっ…悠司先生…」
「ええっ!」
今、まさに考えていた悠司の名前を礼真に出されて、薫はびくっとしたが、礼真は薫の方ではなく、前を見ている。
 薫も礼真の視線の先を見ると、悠司が階段を登っているところだった。授業に向かうところなのだろう。
 が、様子がおかしい。
「えっ悠兄ちゃんなにやってるの?足踏みしてる?」
「多分、十三階段が増やした一段を認識はしているけど、踏みたくない意識が働いて、増えた一段の前で足踏みしてるんだ」
礼真が冷静に状況を分析する。
「十三階段の力にもちょっと影響受けてて、意識があっちに持っていかれてる可能性もあるから、まずは普通に声かける。こっちに意識が向いたところで、両側から二人で先生持ち上げるようにして、一段踏ませないで階段登らせてしまおう」
礼真はさらに、悠司救出の為の作戦を説明する。
「強引だけど…それしかないかーもうチャイム鳴るし」
「じゃ、それで」
「了解」
二人はたっと階段を駆け上がると、悠司を挟んだ。
 薫は、一点を見つめて、足踏みをしている悠司の顔を見て、くっと息を飲んだ。
 いつもはなにか面白いことはないかというように、キラキラと周りを見ている悠司の瞳が、ぼんやりと暗く膜がかかったようになっている。
 表情も怖いくらいに、なにもない。
「奥村先生、なにしてるんですか?」
最初に礼真が声をかける。
 悠司は、ギギと軋むような動きで、礼真の方を見たが、それ以外に反応はない。
 礼真は、きゅっと眉をしかめて、薫を見た。声をかけてということだろう。
 大きく聞こえた方がいいかな…と考えながら、薫は悠司に顔を近づけて、耳元で、 
「悠兄ちゃん!授業始まるよー!」
と、おーい、と呼びかけるように、声をかけた。
 その瞬間、悠司の目に光が戻って、はっとして薫を見た。
 いつもの悠司の顔だ。
 それを見た礼真は、薫に小さく頷いてみせた。
 それを合図に、薫と礼真は悠司の肩に腕を回して、ぐっと持ち上げて、一段飛ばした。
「うわっなにっなに?」
いきなり、薫と礼真に持ち上げられた悠司はなにごとかと目を丸くしている。
「今、一段飛ばしとか、二段飛ばしとかで階段上るの流行ってるんだよ」
薫は、咄嗟に思い付いた適当なことを、いたずらっぽく言って笑って見せる。
 それを見て、礼真もそれに乗る。
「下りるときは、五段くらい飛び降りる」
「そうそう、俺さっきやった」
礼真の言葉にさらに薫が被せると、
「お前ら、小学生かよ」
悠司は苦笑する。それでも、どこか楽しそうだ。
「あんまり危ないことすんな、飛び降りるならせめて三段くらいにしとけー」
「はーい」
先生らしくない注意に、薫と礼真は顔を見合わせて笑いながら、答えていると、チャイムが鳴った。
「あっ…やべ」
悠司は言うと駆け出した。
「ちょっ悠兄ちゃん、廊下走っちゃだめだって」
「まだ予鈴ですよー」
バタバタと走る悠司を追いかけるようにしながら、薫と礼真も駆け出して、3人揃って授業前に山方に注意されることになった。