教育実習最終日、最後のホームルーム。悠司はいろんな思いを胸に教壇に立っていた。
「じゃ奥村先生、みんなに挨拶して」
山方に言われて、教卓の前に立った。もうここに立つことはないんだろうなと思うとかなり寂しい。
少し深呼吸して昨日の夜に考えていた挨拶を思い出しながら口を開く。
「2週間って短い間でしたけど、みんなと過ごせて本当に楽しかったです」
悠司は薫を見た。
薫としっかり目が合う。薫はいつものようにふわっと目を細めて笑ってくれる。
この笑顔に何度も助けられたなと思いながら、
「この教育実習は、成長したっていうより、自分の未熟なところと向き合ったような感じでした」
ここでまた悠司の視線は自然に薫を見る。薫はなにか思い出しているのか、さらに笑っている。
やっぱり、かわいいな…と思いながら、悠司は気付く。自分が薫を見たとき、必ずしっかり目が合うのは偶然ではなく、薫がずっとずっと悠司を見ていたから。
「っ!」
それに気付いて、一瞬こみあげてくるモノがあって悠司は言葉を切った。
「あ、その…けど、その未熟だって、できない自分に気付くことが大事だってことも学びました。できないことがわかるから、できるようにしようとするし、どうすればいいか考える。」
薫がうんうんと頷いている。
「だから、みんなもできないことを悪いことにしないで、見つけたらラッキーくらいな気持ちで行ってほしい。今日で実習が終わってさよならだけど、一緒に、がんばろう!ありがとうございました!」
最後に悠司が大きな声で言って頭を下げると、わっ拍手がおこった。涙ぐんでいる女子もいた。
また、薫を見るとやっぱり目が合う。それが当たり前のようでうれしい。
悠司は薫にだけわかるように、
「あとで、また」
という気持ちで頷いてみせた。
薫はそれをどう受け取ったのか、ん?というように首を傾げている。
絶対にわかってない。帰る前に捕まえようと悠司は考えていると、
「あの、先生」
と、悠司の前に女子生徒がやってきた。
「これ、クラスのみんなから寄せ書きです。みんなの願い、こもってます」
二つ折りになっている色紙を手渡してきた。
「ありがとう」
悠司は笑顔で受ける。
「先生ぇーみんなで書いたんだよ、見てみてー」
悠司は言われるままに、色紙を開いた。
その女子生徒がニヤリと笑うと、その顔が花凜に変わった。
その瞬間、礼真がばっと立ち上がると教壇へ向かって駆け出した。
「え?」
薫もつられて礼真に続く。
「うわ!」
悠司が声をあげる。
生徒たちの寄せ書きがぐるぐると渦を巻く。渦はそのまま寄せ書きから竜巻のように立ち上がり、悠司を巻き込む。
「先生!」
礼真が渦に手を入れると、礼真の身体もあっという間に引きずり込まれた。
「悠兄ちゃん!礼真くん!」
薫は叫ぶと躊躇うことなく渦に飛び込んだ。
3人をのみ込んだ渦は、シュルシュルと寄せ書きに収まり、消えた。
教卓に残された寄せ書きを花凜が閉じて、生徒たちを振り返った。
生徒たちが全員、眠っているように、机に突っ伏したり、イスに寄りかかって動かない。
「な、なにが」
目の前の出来事に固まっていた山方が悲鳴のような声を上げて、教室の外に出ようと走り出したが、花凜がその前にすっと立ち塞がる。
花凜が恐怖に歪んだ山方の顔の前に手をかざした。
「あなたもおやすみなさい」
山方はその場に崩れるように倒れた。
花凜は倒れた山方には全く興味がないというようにその身体を跨いで、教卓に残された寄せ書きを撫でながら教室を見渡した。
「みんなの願い、ついでにみんなの生気も私が悠ニャンのためにつかってあげるね」
「いてて」
「なにが…」
空中に放り出されたようになって、床に落ちた薫と悠司は顔をしかめながら立ち上がった。
礼真はすでに、体勢を整えて2人のそばで周囲を警戒している。
「な!なんだこれ、さっきまで教室にいたのに」
悠司は周りを見回して、声をあげている。
「やられた。ここ3日、悠司先生にちょっかいかけてこないからなにかあるとは思ってたけど、こんなことしてくるとは」
「俺?え?なに?」
礼真の言葉の中に自分の名前が出たことに悠司は反応したが、それでも状況は飲み込めていない。
「悠兄ちゃん、実習の間、いろいろ変なことあったって思わなかった?」
「変なこと?変…」
薫の言葉に悠司は、何か思い出したのか一瞬さっと、顔色を変えてから、ははっと笑って、
「あーこれ、夢だ。夢!リアルな夢。」
「悠兄ちゃん」
「先生!」
礼真が悠司の前に立つとその肩をがっとつかんで、しっかりと目をあわせた。
「礼真くん?」
目の奥、さらにその奥まで斬り込むような礼真の眼差しに、悠司の顔から笑いが消えた。
「悠司先生、しっかり見て。わかってるよね?これが夢じゃないことも。ちゃんと見て、薫くんも巻き込まれてるんだ。夢に逃げないで。この状況も、周りもしっかり見て」
礼真の言葉に悠司はごくっと息を飲んだ。
ゆっくりと周りを見回す。
古い建物、薄暗い隅にうごめく影。窓ガラスにだけうつっている女の顔。
怖くてたまらなくて、ずっと見ないようにしてきて、見ても見間違いや気のせいにしてたものに、囲まれている。
頭がその情報を、怖くないものにしようとねじ曲げようとする。
怖いものじゃない。夢だし、悠司の頭がそう思い込もうとしたとき、悠司の目に、不安そうに悠司をみつめている薫が飛び込んできた。
「薫」
「悠兄ちゃん…」
「そうだよ、薫くんは夢でも幻でもない。先生、しっかり見て」
目があった薫は、ぎこちなく笑顔を浮かべる。
こんなときでも、恐怖から逃げようとしている悠司に、自分も怖いはずなのに大丈夫だというように、笑顔を見せてくれる薫に、悠司の頭にかかっていた霧が晴れた。
悠司は礼真に視線を戻すと、しっかり礼真を見据えて、
「佐藤礼真くん、君は人間じゃないね」
きっぱりと言い切った。
礼真はちょっと目を見開いてから、ふっと笑みをつくると、
「さすが、奥村先生が言ったとおり、よく見える目を持ってますね、悠司先生。」
「奥村…先生?」
「悠司先生のお父さんの奥村弁護士ですよ」
「は?おやじ?」
悠司は声をあげた。ここで父の名前がでるとは思わなかったからだ。
「実はお父さんの奥村先生から、教育実習中の悠司先生のボディガードをしてほしいって依頼があったんです」
「なにそれ、全然聞いてないんだけど。ボディガードって…え?ってことは礼真くんは生徒じゃなくて、そのために学校に入り込んでたってこと?」
悠司が聞くと、
「はい、ミロクセキュリティって警備会社で働いてます。」
「けど、おやじ…なんで俺になんも言わないでそんなこと」
礼真と薫は顔を見合わせた。
「それは怪異から守ってほしいって依頼だったんです」
「悠兄ちゃん、怪異って言われたらさ?」
気を使われるように言われて悠司は、あーと声を上げて前髪をかきあげた。
「なんだよ、気ぃつかい過ぎ」
「学校という場所はいろいろたまりやすいから、見えてしまう悠司先生になにかあってはいけないし、教育実習に集中させてあげたいって言われて」
「おやじ…」
「けど、最終日にこんなことになって、薫くんまで巻き込むかたちになってすみません。けど、なんとかしますから」
礼真は2人に頭を下げた。
「いや、そんな、教育実習の間はなんも気付かなかったし」
年下にしか見えない礼真に下げられると困ってしまう。
「俺も、悠兄ちゃん守るの手伝わせてって言ったの俺だし」
横から薫も「気にしないで」と礼真に言っていたが、薫の言葉に悠司は反応した。
「薫?守るの手伝うって…お前そんなこと言ったのか!」
「ご、ごめんなさい」
「もう、薫はいつも人のことばっかりで、少しは自分のこともっ」
「あーすみません。そのへんの話は脱出できてからでいいですか?とりあえずここから出ましょう」
無茶をするなと叱る悠司と、しゅんとしてる薫だが2人の間にある空気は少し甘くて、このまま放っておけばいつまでも話が続きそうで、礼真が2人を促した。
「そうだな。薫、ここ出てから続き、な!」
「はい」
こんな状況ではあるが、どこか微笑ましい二人のやりとり。二人が取り乱したり恐怖に固まってしまっていないことに礼真は少し安心するが、表情はしっかり引き締めて歩きだした。
「ここ、旧校舎だな」
悠司はまわりを見ながら言う。
「そうですね、でも出口の渡り廊下に出ない」
「ずいぶん歩いたのに」
礼真の言葉に薫が首を傾げる。
「マキシ!一通り歩いたけど、なんかわかった?」
ふいに礼真が言った。
いきなり礼真がここにいない誰かの名前を呼んで、普通に話はじめたことに、悠司は驚いて、薫を見た。
薫はあっと声をあげると、
「これで聞こえるかな?」
と自分の耳を悠司の耳にくっつけてきた。
「かっ薫?」
頬を寄せ合うような距離、いきなりの接触に悠司はドキッと鼓動を跳ねさせながら、薫から離れようとしたが、
『モニターしてるよー。完全に結界の中だね。なかなかやるね、ハマチニャン』
耳に聞いたことのない男の声が聞こえて、悠司は動きを止めた。
「なに?誰?」
悠司が薫に言っていると、
『悠ニャン、礼真の仕事の相棒のマキシです。悠ニャンのガード中は礼真のバックアップしてましたー』
「え?なに?」
「これ、このイヤーカフ、通信機なんだよ、インカム」
薫が髪をあげて耳をみせた。
「インカム?」
「薫くんに、手伝ってもらうことになったときに、連絡がとれた方がいいかと思って」
「そう、礼真くんの借りたの」
「インカム…借りた…」
悠司の頭の中に、このイヤーカフをつけて嬉しそうに自分に見せに来た薫と、あのときポケットの中にあった薫にプレゼントしようと買ったイヤーカフが頭に浮かんだ。
「こんなのが通信機とかすごくて、テンションあがったんだよね」
『私が作りました』
「マキシ、それいいから、それより」
薫、マキシ、礼真の会話が続いている横で、悠司は自分の胸の奥がふわっと軽くなるのを感じていた。
(このイヤーカフ、礼真くんからのプレゼントとかそんなんじゃなかったのか)
あのとき感じたもやもやが消える。
そしてあのときのわけわからない嫌な気持ちは、嫉妬だったんだと、薫の横顔を見て実感する。
(俺は、俺がプレゼントしたものを薫に着けてもらいたかったんだ)
悠司が薫の横顔に見入っている間に、礼真とマキシの間では話が進む。
『レイマー到着したから、今から行くねー』
「入れる?」
『余裕ーよゆうー」
インカムから聞こえてきた声が、生で聞こえてきたかと思うと、何もない空間を裂くようにして、金髪のモデルのような男が姿を現した。
「薫ちゃん、久しぶりー。悠ニャンは初めましてーマキシですー」
インカム越しに聞こえてきた声よりさらに、軽い口調でちょっとこのへんにはないようなイケメンがペラペラと話す姿に悠司が唖然としていると、
「さすがっマキシ、結界やぶったのか?」
礼真がどこか嬉しそうにマキシに近づいていく。
「ううん、破ってないよ、この結界入るのは簡単なんだよーただ」
「ただ?」
ニコニコしながら言うマキシの最後のフレーズに礼真の目つきが少し変わった。
「一回入ったら、出られない」
「なんてぇ?!」
へらっと言われたとんでもない一言に礼真は声を上げて、マキシに詰め寄った。
「マキシ、お前ーいつもみたいに俺らだけじゃないんだぞ」
「大丈夫、大丈夫、こういう結界は媒体になるものを壊すか、この現象おこしている元を断てば解けるから」
長身のマキシに対して10センチほど差がある礼真にぐっと見上げるように睨みつけられてマキシは、大丈夫だからともう一度言って、礼真の髪をくしゃっと撫でた。
「…なんか前にも同じような会話したことあるような…まぁ、マキシがそう言うなら…そうなんだろうけど…」
礼真はぼそっと言って、悠司と薫に向き直った。
「俺たちから離れないようにして。あと、なんかあったときはマキシの方へ行ってください」
礼真は二人に真剣な口調で言う。
「じゃあ、行こうか。とにかく霊力が一番強く集まっているところに行ってみよう。レイマ真っすぐ」
「了解、行こう」
マキシの指示で礼真が歩き出す。
悠司と薫も並んで礼真に続く。その後ろからマキシがついてくる。
歩いていると、ときどき悠司がびくっとする。
薫にはよく見えないが、多分、悠司の目にはしっかり何か見えているのだろう。
「悠兄ちゃん大丈夫?」
だんだん顔色が悪くなっている悠司に薫はそっと声をかけた。
「悠ニャン、目に入っても、意識しないようにした方がいいよ」
後ろからマキシが声をかけてくる。マキシにも悠司と同じものが見えているらしい。
「わかってるんですけど」
はぁ…と悠司は息をついた。
「えっと…手、つなぐ?」
薫はおずおずと言った。
「へ?」
悠司から「へ」「え」の中間のような間抜けな声があがる。
「あの、俺もここに来た時、礼真くんに手つないでもらったんだ。そのときは礼真くんの霊力の中に入れてもらうためだったんだけど。けど、手握ってもらってたらなんか安心したから、だから…えっとごめん、今のなしっ」
薫は顔を赤くして、早口で言うと悠司から目を反らした。
悠司は真っ赤になっている薫の横顔を見つめた。
こんなときなのに、こんなに怖いのに、こんなにかわいい。
「なしは、なし」
悠司は少し笑って言うと、横に並んで歩く薫の手を握った。
「ありがとな、薫」
悠司が言うと、今度は薫の方がさっきの悠司のような、間が抜けた声を上げてから、
「ううん、俺もちょっと怖いから…から、おあいこだよ」
と、小さく言って俯いた。
悠司の知っている薫の手は小さくて、やわらかくて、力を入れると潰してしまいそうだったのに、今の握っている薫の手は、大きさも悠司と変わらないし、しっかり男の手になっている。
それでも、あのころの温かさと、この手を放したくないという思いは変わらなかった。
「いいなー。俺も手つなぎたいなーねぇレイマー」
それを見ていたマキシが、前を行く礼真に声をかけると、
「そうか、じゃあ、薫くんと悠司先生と手つないで、マキシの霊力の中にいれてやれよ」
ちらっと振り向きもしないで、スンとした礼真の声がかえってくる。
「そういうんじゃないのに、レイマ、冷たい…」
大げさにマキシが悲し気な声を出す。
「なに?いいの?」
「いいの、いつもマキシさんと礼真くんってこんな感じだから。礼真くんツンデレ」
喧嘩になってしまうんじゃないかと悠司が心配していると、薫が少し笑ってこそっと悠司に耳打ちした。
「薫くん、聞こえてるよ。俺、デレないから」
ちらっと振り向いた礼真がむぅと言ってくる。
「えー本当にぃ?」
礼真が本気で怒っていないのはその表情からもわかって、薫が笑いながらさらに言っていると、
「デレな…」
さらに、むむっとなっていた礼真が言葉を切って立ち止まった。さっと悠司と薫を背中に隠す。
「いいなー仲良しでぇ。悠ニャン、花凜ニャンとも手つなごうよー」
どこから現れたのか、2メートルほど先に花凜が立っていた。
「お前っ」
礼真が身構える。
「お前じゃなくって花凜ニャンって呼んで欲しいニャン」
花凜はぷっとわざとらしく頬を膨らませる。
「悠ニャン、そんなところにいないで、こっちに来てよ。一緒にいこう、みんな待ってるよ」
花凜は礼真の後ろにいる悠司に声をかけて、おいでおいでと手招きしながら近づいてくる。
「ひっ…」
悠司は固まった。薫の手を握っている手に力は入っている。
「悠ニャンは、ハマチニャンのこと怖いから行きたくないってさ」
「ハマチニャン?ハマチ??」
マキシの自分に対する呼び方が気になったらしい花凜が近づいてくる足を止めて、首を傾げた。
「だって、ブリブリしてるからハマチでしょ?」
「えっそれって、ブリの子がハマチだから…?」
固まっていた悠司が、マキシの言葉に反応してほとんど無意識なのだろう、答えを出した。
「「ブリっ子…」」
礼真と薫が同時に言った。花凜がひくっと口元をひきつらせた。
「ブリっ…子…ニャーっ花凜ニャンはブリっ子なんかじゃないニャン。本当にかわいいんだからっだから、悠ニャンは声をかけてくれて、花凜ニャンのこと好きになってくれたんだよ。ねっそうだよね。悠ニャン」
祈るように胸の前で手を組んで、少し首を傾げるようにしながら、甘え声で言ってくる花凜に、さっきのやりとりで怪異を目の前にした恐怖を少しだけ、横に置けた悠司は、
「いや、ただ生徒だと思って声をかけただけで、特別な気持ちとかは…」
「うそうそー照れなくてもいいよ。花凜ニャンがずっとここにいられるようにしてあげるから」
「マキシ」
「かこまれてる。結界作るから、いい?」
「おっけ、時間稼ぐ」
花凜が話している間に、マキシと礼真の間で短く会話が交わされる。それを聞いた薫は、悠司と繋いでいた手を放して、礼真の横に並んだ。
「薫くんっ下がって」
「ごめん、下がっていられない、悠兄ちゃんを守りたい」
「薫!」
悠司が声を上げて、薫に手を伸ばした。
その瞬間、薫の足元の床がぐにゃっと動いたかと思うと、薫が声を上げる間もなく、スライム状のものが薫の足から、胴、腕、首、顔まで覆ってしまう。
「薫くん!」
あまりに一瞬の出来事。
「悠ニャンがいいお返事くれないから、薫ニャンもらっていくねーじゃあねー」
花凜はにっこり笑って言うと、スライムに包まれた薫も一緒に消えた。
「薫…」
「クソっ俺のせいだ!」
バンっと横の壁に礼真が拳をぶつけた。
「礼真、痛いから止めてね。」
すっと礼真の横に立ったマキシが、壁にうちつけたままの礼真の手をとって、そっと下ろした。
「礼真のせいじゃないから。俺が床に十三階段が擬態してるの見落とした」
「それは、あれだけ怪異に囲まれてたら、ジャミングかけられてるみたいな状態だったじゃん!」
礼真はマキシの腕を掴んだ。
「俺を、守ろうとしたからだ」
悠司がポツリと言って俯いた。
「俺が怖がりだから!薫は無理して俺を守ろうとして!俺のせいだ!」
俯いたままで叫ぶと、やり場のなさをぶつけるように、握った拳を自分の太股に何度もうちつけた。
「悠ニャンも、痛いからね、やめな」
マキシが柔らかい動きで、悠司の手をとめた。
「あのさ、だいたいさ、誰が悪いってさー」
マキシは悠司から手を放すと、ガシガシと金髪をかきまわして、
「あの勘違い、思い込み、ストーカー、ハマチニャンが悪いんだよね?」
「は?」
「え?」
いきなり高速で話し始めたマキシに同意を求められ、礼真と悠司は顔を見合わせた。
「怪異的にはさ、自分を見える人がいて、認識してくれて、優しい声かけてくれたらテンションブチ上がるのわかるよ!で、ちょっとお近づきになりたいから、記憶操作しちゃいましたくらいはセーフだよ」
「セーフなんだ」
「まぁ、怪異からすればそのくらいは」
止まらないマキシに悠司が控えめに突っ込んだが、礼真からヒソヒソと補足説明された。
「けどさ!怪異側の世界にひっぱりこんで、閉じ込めて、自分理論で好き勝手して、さらに関係ない子を人質にとるとかってさー違うよね!これ!誰が悪いって、ハマチが一番悪いだろ!俺ら悪くないよね!」
「その通り」
すごい勢いでまくし立てるマキシに、礼真でも悠司でもない声が同意した。
「え?」
「ひえ!」
その声がした方を見て、礼真はぱっと顔を輝かせ、悠司は真っ青になった。
侍が立っていた。
礼真と薫が旧校舎に情報収集をしにきたとき、礼真と話した侍だった。
「そう、佐藤礼真の責任でも、貴殿の責任でもない」
「秋正様!」
礼真は、あのとき礼真が名乗ったあとに告げられていた侍の名前を呼んだ。
「なにかあれば呼べと言うたに」
「すみません、でも」
「よい、佐藤礼真も気持ちはわかる。そういうところがまた好ましいな」
礼真が、ちょっと困ったからと言ってすぐに侍の名前を便利に使うということはしないだろうと、侍の霊、秋正はわかっているらしくふっと微笑んだ。
秋正と礼真が話している横で、悠司は秋正の姿にガクガク震えていた。
時代劇でよく見るちょんまげに、着物、袴姿の秋正の腹には、短い刀が深く突き刺さっていた。
「腹、腹に、か、かた、刀刺さって」
「悠ニャン、悠ニャン。死因はデリケートな問題だから言わないであげて」
後からこそっとマキシが言う。
「は?え?」
死因はデリケートな問題?単体ではありがちな言葉が、一緒になると理解の範囲を超える言葉になるんだな…と、恐怖で固まっている悠司の頭の中の、かろうじて動いている部分がなんとかマキシの言葉を理解する。
霊にとっては、死因はデリケートな問題…覚えておいて今後役立てようと、悠司は思いながら、
「すみません…」
と、頭を下げた。
「ん、よい」
秋正が鷹揚に答えてから、礼真に向き直った。
「こちら側にはこちら側の取り決めがあるゆえ、表立った助太刀をすることはできぬ。許せ」
「それは、わかります」
頷いた礼真を見て、秋正も頷き返すと、礼真に背を向けた。
「…だが、私が独り言を言うくらいはかまわぬであろう」
「?」
「佐藤礼真の友は、志延館だ。あの場所はわれらの共同の場であるのに、困ったものだ…」
真っすぐに背筋を伸ばしすーっと滑るように歩きながら言うと、そのまま秋正は消えた。
「ありがとうございます!」
礼真がなにもないところへ頭を下げる。悠司もそれに倣って頭を下げた。
悠司には恐ろしく見えたが、自分たちのルールを曲げて、薫の居場所を教えにきてくれたのだ。
そう思うと、恐怖は消えないが、ありがとうの気持ちしかない。
「また、仲良くなってるとは思ったけど、本当に礼真って霊たらしだよね」
「たらしてないし、それより、志延館だって。急ごう」
マキシの言葉に、むうっと眉をしかめた礼真だったが、二人を促した。
「志延館、講堂だったよな、こっちだ」
在校生だった悠司は当然その場所を知っていた。旧校舎の中でもひと際古い元講堂だった建物だ。
こっちだと悠司に言われてすぐに礼真が走り出す。悠司もそれに続いて走りながら、
「あの!薫は人質のようなもんですよね?俺と引き換えの。だから、あいつら薫にはなんにもしないですよね」
前を行く礼真と、後ろのマキシに言った。
「人間の理屈ならねー」
後ろのマキシが答える。
えっと声を上げた悠司に、
「怪異ってさ、言葉が通じるからなんとなく意思の疎通ができるって思っちゃうんだけど、こっちの常識とか、当たり前がまったく通じないから。さっきの時代劇の人もいい人だけどあの人もあの人なりのルールで動いてるし、ハマチニャンなんかはあれはもう理解の範囲を越えてるから、本当になにするかわからない」
「マキシ、時代劇の人じゃなくって、秋正様っ」
マキシの説明に、礼真が冷静にツッコミを入れるが、悠司はそこはもう聞いていなかった。
「急ごう!」
薫になにかあったら…そう思っただけで、胃のあたりがぎゅっとなる。
悠司の足は無意識に早くなり礼真を追い越す。
「ちょっ、悠司先生、俺より前に出ないで」
礼真が慌てて、速度を上げて悠司に並ぶ。
「悠ニャン、気持ちわかるけど」
と、後ろからマキシの声がかかる。
そんな二人の注意も悠司にはほんど聞こえていなかった。
(薫、頼む。無事でいてくれ)
「じゃ奥村先生、みんなに挨拶して」
山方に言われて、教卓の前に立った。もうここに立つことはないんだろうなと思うとかなり寂しい。
少し深呼吸して昨日の夜に考えていた挨拶を思い出しながら口を開く。
「2週間って短い間でしたけど、みんなと過ごせて本当に楽しかったです」
悠司は薫を見た。
薫としっかり目が合う。薫はいつものようにふわっと目を細めて笑ってくれる。
この笑顔に何度も助けられたなと思いながら、
「この教育実習は、成長したっていうより、自分の未熟なところと向き合ったような感じでした」
ここでまた悠司の視線は自然に薫を見る。薫はなにか思い出しているのか、さらに笑っている。
やっぱり、かわいいな…と思いながら、悠司は気付く。自分が薫を見たとき、必ずしっかり目が合うのは偶然ではなく、薫がずっとずっと悠司を見ていたから。
「っ!」
それに気付いて、一瞬こみあげてくるモノがあって悠司は言葉を切った。
「あ、その…けど、その未熟だって、できない自分に気付くことが大事だってことも学びました。できないことがわかるから、できるようにしようとするし、どうすればいいか考える。」
薫がうんうんと頷いている。
「だから、みんなもできないことを悪いことにしないで、見つけたらラッキーくらいな気持ちで行ってほしい。今日で実習が終わってさよならだけど、一緒に、がんばろう!ありがとうございました!」
最後に悠司が大きな声で言って頭を下げると、わっ拍手がおこった。涙ぐんでいる女子もいた。
また、薫を見るとやっぱり目が合う。それが当たり前のようでうれしい。
悠司は薫にだけわかるように、
「あとで、また」
という気持ちで頷いてみせた。
薫はそれをどう受け取ったのか、ん?というように首を傾げている。
絶対にわかってない。帰る前に捕まえようと悠司は考えていると、
「あの、先生」
と、悠司の前に女子生徒がやってきた。
「これ、クラスのみんなから寄せ書きです。みんなの願い、こもってます」
二つ折りになっている色紙を手渡してきた。
「ありがとう」
悠司は笑顔で受ける。
「先生ぇーみんなで書いたんだよ、見てみてー」
悠司は言われるままに、色紙を開いた。
その女子生徒がニヤリと笑うと、その顔が花凜に変わった。
その瞬間、礼真がばっと立ち上がると教壇へ向かって駆け出した。
「え?」
薫もつられて礼真に続く。
「うわ!」
悠司が声をあげる。
生徒たちの寄せ書きがぐるぐると渦を巻く。渦はそのまま寄せ書きから竜巻のように立ち上がり、悠司を巻き込む。
「先生!」
礼真が渦に手を入れると、礼真の身体もあっという間に引きずり込まれた。
「悠兄ちゃん!礼真くん!」
薫は叫ぶと躊躇うことなく渦に飛び込んだ。
3人をのみ込んだ渦は、シュルシュルと寄せ書きに収まり、消えた。
教卓に残された寄せ書きを花凜が閉じて、生徒たちを振り返った。
生徒たちが全員、眠っているように、机に突っ伏したり、イスに寄りかかって動かない。
「な、なにが」
目の前の出来事に固まっていた山方が悲鳴のような声を上げて、教室の外に出ようと走り出したが、花凜がその前にすっと立ち塞がる。
花凜が恐怖に歪んだ山方の顔の前に手をかざした。
「あなたもおやすみなさい」
山方はその場に崩れるように倒れた。
花凜は倒れた山方には全く興味がないというようにその身体を跨いで、教卓に残された寄せ書きを撫でながら教室を見渡した。
「みんなの願い、ついでにみんなの生気も私が悠ニャンのためにつかってあげるね」
「いてて」
「なにが…」
空中に放り出されたようになって、床に落ちた薫と悠司は顔をしかめながら立ち上がった。
礼真はすでに、体勢を整えて2人のそばで周囲を警戒している。
「な!なんだこれ、さっきまで教室にいたのに」
悠司は周りを見回して、声をあげている。
「やられた。ここ3日、悠司先生にちょっかいかけてこないからなにかあるとは思ってたけど、こんなことしてくるとは」
「俺?え?なに?」
礼真の言葉の中に自分の名前が出たことに悠司は反応したが、それでも状況は飲み込めていない。
「悠兄ちゃん、実習の間、いろいろ変なことあったって思わなかった?」
「変なこと?変…」
薫の言葉に悠司は、何か思い出したのか一瞬さっと、顔色を変えてから、ははっと笑って、
「あーこれ、夢だ。夢!リアルな夢。」
「悠兄ちゃん」
「先生!」
礼真が悠司の前に立つとその肩をがっとつかんで、しっかりと目をあわせた。
「礼真くん?」
目の奥、さらにその奥まで斬り込むような礼真の眼差しに、悠司の顔から笑いが消えた。
「悠司先生、しっかり見て。わかってるよね?これが夢じゃないことも。ちゃんと見て、薫くんも巻き込まれてるんだ。夢に逃げないで。この状況も、周りもしっかり見て」
礼真の言葉に悠司はごくっと息を飲んだ。
ゆっくりと周りを見回す。
古い建物、薄暗い隅にうごめく影。窓ガラスにだけうつっている女の顔。
怖くてたまらなくて、ずっと見ないようにしてきて、見ても見間違いや気のせいにしてたものに、囲まれている。
頭がその情報を、怖くないものにしようとねじ曲げようとする。
怖いものじゃない。夢だし、悠司の頭がそう思い込もうとしたとき、悠司の目に、不安そうに悠司をみつめている薫が飛び込んできた。
「薫」
「悠兄ちゃん…」
「そうだよ、薫くんは夢でも幻でもない。先生、しっかり見て」
目があった薫は、ぎこちなく笑顔を浮かべる。
こんなときでも、恐怖から逃げようとしている悠司に、自分も怖いはずなのに大丈夫だというように、笑顔を見せてくれる薫に、悠司の頭にかかっていた霧が晴れた。
悠司は礼真に視線を戻すと、しっかり礼真を見据えて、
「佐藤礼真くん、君は人間じゃないね」
きっぱりと言い切った。
礼真はちょっと目を見開いてから、ふっと笑みをつくると、
「さすが、奥村先生が言ったとおり、よく見える目を持ってますね、悠司先生。」
「奥村…先生?」
「悠司先生のお父さんの奥村弁護士ですよ」
「は?おやじ?」
悠司は声をあげた。ここで父の名前がでるとは思わなかったからだ。
「実はお父さんの奥村先生から、教育実習中の悠司先生のボディガードをしてほしいって依頼があったんです」
「なにそれ、全然聞いてないんだけど。ボディガードって…え?ってことは礼真くんは生徒じゃなくて、そのために学校に入り込んでたってこと?」
悠司が聞くと、
「はい、ミロクセキュリティって警備会社で働いてます。」
「けど、おやじ…なんで俺になんも言わないでそんなこと」
礼真と薫は顔を見合わせた。
「それは怪異から守ってほしいって依頼だったんです」
「悠兄ちゃん、怪異って言われたらさ?」
気を使われるように言われて悠司は、あーと声を上げて前髪をかきあげた。
「なんだよ、気ぃつかい過ぎ」
「学校という場所はいろいろたまりやすいから、見えてしまう悠司先生になにかあってはいけないし、教育実習に集中させてあげたいって言われて」
「おやじ…」
「けど、最終日にこんなことになって、薫くんまで巻き込むかたちになってすみません。けど、なんとかしますから」
礼真は2人に頭を下げた。
「いや、そんな、教育実習の間はなんも気付かなかったし」
年下にしか見えない礼真に下げられると困ってしまう。
「俺も、悠兄ちゃん守るの手伝わせてって言ったの俺だし」
横から薫も「気にしないで」と礼真に言っていたが、薫の言葉に悠司は反応した。
「薫?守るの手伝うって…お前そんなこと言ったのか!」
「ご、ごめんなさい」
「もう、薫はいつも人のことばっかりで、少しは自分のこともっ」
「あーすみません。そのへんの話は脱出できてからでいいですか?とりあえずここから出ましょう」
無茶をするなと叱る悠司と、しゅんとしてる薫だが2人の間にある空気は少し甘くて、このまま放っておけばいつまでも話が続きそうで、礼真が2人を促した。
「そうだな。薫、ここ出てから続き、な!」
「はい」
こんな状況ではあるが、どこか微笑ましい二人のやりとり。二人が取り乱したり恐怖に固まってしまっていないことに礼真は少し安心するが、表情はしっかり引き締めて歩きだした。
「ここ、旧校舎だな」
悠司はまわりを見ながら言う。
「そうですね、でも出口の渡り廊下に出ない」
「ずいぶん歩いたのに」
礼真の言葉に薫が首を傾げる。
「マキシ!一通り歩いたけど、なんかわかった?」
ふいに礼真が言った。
いきなり礼真がここにいない誰かの名前を呼んで、普通に話はじめたことに、悠司は驚いて、薫を見た。
薫はあっと声をあげると、
「これで聞こえるかな?」
と自分の耳を悠司の耳にくっつけてきた。
「かっ薫?」
頬を寄せ合うような距離、いきなりの接触に悠司はドキッと鼓動を跳ねさせながら、薫から離れようとしたが、
『モニターしてるよー。完全に結界の中だね。なかなかやるね、ハマチニャン』
耳に聞いたことのない男の声が聞こえて、悠司は動きを止めた。
「なに?誰?」
悠司が薫に言っていると、
『悠ニャン、礼真の仕事の相棒のマキシです。悠ニャンのガード中は礼真のバックアップしてましたー』
「え?なに?」
「これ、このイヤーカフ、通信機なんだよ、インカム」
薫が髪をあげて耳をみせた。
「インカム?」
「薫くんに、手伝ってもらうことになったときに、連絡がとれた方がいいかと思って」
「そう、礼真くんの借りたの」
「インカム…借りた…」
悠司の頭の中に、このイヤーカフをつけて嬉しそうに自分に見せに来た薫と、あのときポケットの中にあった薫にプレゼントしようと買ったイヤーカフが頭に浮かんだ。
「こんなのが通信機とかすごくて、テンションあがったんだよね」
『私が作りました』
「マキシ、それいいから、それより」
薫、マキシ、礼真の会話が続いている横で、悠司は自分の胸の奥がふわっと軽くなるのを感じていた。
(このイヤーカフ、礼真くんからのプレゼントとかそんなんじゃなかったのか)
あのとき感じたもやもやが消える。
そしてあのときのわけわからない嫌な気持ちは、嫉妬だったんだと、薫の横顔を見て実感する。
(俺は、俺がプレゼントしたものを薫に着けてもらいたかったんだ)
悠司が薫の横顔に見入っている間に、礼真とマキシの間では話が進む。
『レイマー到着したから、今から行くねー』
「入れる?」
『余裕ーよゆうー」
インカムから聞こえてきた声が、生で聞こえてきたかと思うと、何もない空間を裂くようにして、金髪のモデルのような男が姿を現した。
「薫ちゃん、久しぶりー。悠ニャンは初めましてーマキシですー」
インカム越しに聞こえてきた声よりさらに、軽い口調でちょっとこのへんにはないようなイケメンがペラペラと話す姿に悠司が唖然としていると、
「さすがっマキシ、結界やぶったのか?」
礼真がどこか嬉しそうにマキシに近づいていく。
「ううん、破ってないよ、この結界入るのは簡単なんだよーただ」
「ただ?」
ニコニコしながら言うマキシの最後のフレーズに礼真の目つきが少し変わった。
「一回入ったら、出られない」
「なんてぇ?!」
へらっと言われたとんでもない一言に礼真は声を上げて、マキシに詰め寄った。
「マキシ、お前ーいつもみたいに俺らだけじゃないんだぞ」
「大丈夫、大丈夫、こういう結界は媒体になるものを壊すか、この現象おこしている元を断てば解けるから」
長身のマキシに対して10センチほど差がある礼真にぐっと見上げるように睨みつけられてマキシは、大丈夫だからともう一度言って、礼真の髪をくしゃっと撫でた。
「…なんか前にも同じような会話したことあるような…まぁ、マキシがそう言うなら…そうなんだろうけど…」
礼真はぼそっと言って、悠司と薫に向き直った。
「俺たちから離れないようにして。あと、なんかあったときはマキシの方へ行ってください」
礼真は二人に真剣な口調で言う。
「じゃあ、行こうか。とにかく霊力が一番強く集まっているところに行ってみよう。レイマ真っすぐ」
「了解、行こう」
マキシの指示で礼真が歩き出す。
悠司と薫も並んで礼真に続く。その後ろからマキシがついてくる。
歩いていると、ときどき悠司がびくっとする。
薫にはよく見えないが、多分、悠司の目にはしっかり何か見えているのだろう。
「悠兄ちゃん大丈夫?」
だんだん顔色が悪くなっている悠司に薫はそっと声をかけた。
「悠ニャン、目に入っても、意識しないようにした方がいいよ」
後ろからマキシが声をかけてくる。マキシにも悠司と同じものが見えているらしい。
「わかってるんですけど」
はぁ…と悠司は息をついた。
「えっと…手、つなぐ?」
薫はおずおずと言った。
「へ?」
悠司から「へ」「え」の中間のような間抜けな声があがる。
「あの、俺もここに来た時、礼真くんに手つないでもらったんだ。そのときは礼真くんの霊力の中に入れてもらうためだったんだけど。けど、手握ってもらってたらなんか安心したから、だから…えっとごめん、今のなしっ」
薫は顔を赤くして、早口で言うと悠司から目を反らした。
悠司は真っ赤になっている薫の横顔を見つめた。
こんなときなのに、こんなに怖いのに、こんなにかわいい。
「なしは、なし」
悠司は少し笑って言うと、横に並んで歩く薫の手を握った。
「ありがとな、薫」
悠司が言うと、今度は薫の方がさっきの悠司のような、間が抜けた声を上げてから、
「ううん、俺もちょっと怖いから…から、おあいこだよ」
と、小さく言って俯いた。
悠司の知っている薫の手は小さくて、やわらかくて、力を入れると潰してしまいそうだったのに、今の握っている薫の手は、大きさも悠司と変わらないし、しっかり男の手になっている。
それでも、あのころの温かさと、この手を放したくないという思いは変わらなかった。
「いいなー。俺も手つなぎたいなーねぇレイマー」
それを見ていたマキシが、前を行く礼真に声をかけると、
「そうか、じゃあ、薫くんと悠司先生と手つないで、マキシの霊力の中にいれてやれよ」
ちらっと振り向きもしないで、スンとした礼真の声がかえってくる。
「そういうんじゃないのに、レイマ、冷たい…」
大げさにマキシが悲し気な声を出す。
「なに?いいの?」
「いいの、いつもマキシさんと礼真くんってこんな感じだから。礼真くんツンデレ」
喧嘩になってしまうんじゃないかと悠司が心配していると、薫が少し笑ってこそっと悠司に耳打ちした。
「薫くん、聞こえてるよ。俺、デレないから」
ちらっと振り向いた礼真がむぅと言ってくる。
「えー本当にぃ?」
礼真が本気で怒っていないのはその表情からもわかって、薫が笑いながらさらに言っていると、
「デレな…」
さらに、むむっとなっていた礼真が言葉を切って立ち止まった。さっと悠司と薫を背中に隠す。
「いいなー仲良しでぇ。悠ニャン、花凜ニャンとも手つなごうよー」
どこから現れたのか、2メートルほど先に花凜が立っていた。
「お前っ」
礼真が身構える。
「お前じゃなくって花凜ニャンって呼んで欲しいニャン」
花凜はぷっとわざとらしく頬を膨らませる。
「悠ニャン、そんなところにいないで、こっちに来てよ。一緒にいこう、みんな待ってるよ」
花凜は礼真の後ろにいる悠司に声をかけて、おいでおいでと手招きしながら近づいてくる。
「ひっ…」
悠司は固まった。薫の手を握っている手に力は入っている。
「悠ニャンは、ハマチニャンのこと怖いから行きたくないってさ」
「ハマチニャン?ハマチ??」
マキシの自分に対する呼び方が気になったらしい花凜が近づいてくる足を止めて、首を傾げた。
「だって、ブリブリしてるからハマチでしょ?」
「えっそれって、ブリの子がハマチだから…?」
固まっていた悠司が、マキシの言葉に反応してほとんど無意識なのだろう、答えを出した。
「「ブリっ子…」」
礼真と薫が同時に言った。花凜がひくっと口元をひきつらせた。
「ブリっ…子…ニャーっ花凜ニャンはブリっ子なんかじゃないニャン。本当にかわいいんだからっだから、悠ニャンは声をかけてくれて、花凜ニャンのこと好きになってくれたんだよ。ねっそうだよね。悠ニャン」
祈るように胸の前で手を組んで、少し首を傾げるようにしながら、甘え声で言ってくる花凜に、さっきのやりとりで怪異を目の前にした恐怖を少しだけ、横に置けた悠司は、
「いや、ただ生徒だと思って声をかけただけで、特別な気持ちとかは…」
「うそうそー照れなくてもいいよ。花凜ニャンがずっとここにいられるようにしてあげるから」
「マキシ」
「かこまれてる。結界作るから、いい?」
「おっけ、時間稼ぐ」
花凜が話している間に、マキシと礼真の間で短く会話が交わされる。それを聞いた薫は、悠司と繋いでいた手を放して、礼真の横に並んだ。
「薫くんっ下がって」
「ごめん、下がっていられない、悠兄ちゃんを守りたい」
「薫!」
悠司が声を上げて、薫に手を伸ばした。
その瞬間、薫の足元の床がぐにゃっと動いたかと思うと、薫が声を上げる間もなく、スライム状のものが薫の足から、胴、腕、首、顔まで覆ってしまう。
「薫くん!」
あまりに一瞬の出来事。
「悠ニャンがいいお返事くれないから、薫ニャンもらっていくねーじゃあねー」
花凜はにっこり笑って言うと、スライムに包まれた薫も一緒に消えた。
「薫…」
「クソっ俺のせいだ!」
バンっと横の壁に礼真が拳をぶつけた。
「礼真、痛いから止めてね。」
すっと礼真の横に立ったマキシが、壁にうちつけたままの礼真の手をとって、そっと下ろした。
「礼真のせいじゃないから。俺が床に十三階段が擬態してるの見落とした」
「それは、あれだけ怪異に囲まれてたら、ジャミングかけられてるみたいな状態だったじゃん!」
礼真はマキシの腕を掴んだ。
「俺を、守ろうとしたからだ」
悠司がポツリと言って俯いた。
「俺が怖がりだから!薫は無理して俺を守ろうとして!俺のせいだ!」
俯いたままで叫ぶと、やり場のなさをぶつけるように、握った拳を自分の太股に何度もうちつけた。
「悠ニャンも、痛いからね、やめな」
マキシが柔らかい動きで、悠司の手をとめた。
「あのさ、だいたいさ、誰が悪いってさー」
マキシは悠司から手を放すと、ガシガシと金髪をかきまわして、
「あの勘違い、思い込み、ストーカー、ハマチニャンが悪いんだよね?」
「は?」
「え?」
いきなり高速で話し始めたマキシに同意を求められ、礼真と悠司は顔を見合わせた。
「怪異的にはさ、自分を見える人がいて、認識してくれて、優しい声かけてくれたらテンションブチ上がるのわかるよ!で、ちょっとお近づきになりたいから、記憶操作しちゃいましたくらいはセーフだよ」
「セーフなんだ」
「まぁ、怪異からすればそのくらいは」
止まらないマキシに悠司が控えめに突っ込んだが、礼真からヒソヒソと補足説明された。
「けどさ!怪異側の世界にひっぱりこんで、閉じ込めて、自分理論で好き勝手して、さらに関係ない子を人質にとるとかってさー違うよね!これ!誰が悪いって、ハマチが一番悪いだろ!俺ら悪くないよね!」
「その通り」
すごい勢いでまくし立てるマキシに、礼真でも悠司でもない声が同意した。
「え?」
「ひえ!」
その声がした方を見て、礼真はぱっと顔を輝かせ、悠司は真っ青になった。
侍が立っていた。
礼真と薫が旧校舎に情報収集をしにきたとき、礼真と話した侍だった。
「そう、佐藤礼真の責任でも、貴殿の責任でもない」
「秋正様!」
礼真は、あのとき礼真が名乗ったあとに告げられていた侍の名前を呼んだ。
「なにかあれば呼べと言うたに」
「すみません、でも」
「よい、佐藤礼真も気持ちはわかる。そういうところがまた好ましいな」
礼真が、ちょっと困ったからと言ってすぐに侍の名前を便利に使うということはしないだろうと、侍の霊、秋正はわかっているらしくふっと微笑んだ。
秋正と礼真が話している横で、悠司は秋正の姿にガクガク震えていた。
時代劇でよく見るちょんまげに、着物、袴姿の秋正の腹には、短い刀が深く突き刺さっていた。
「腹、腹に、か、かた、刀刺さって」
「悠ニャン、悠ニャン。死因はデリケートな問題だから言わないであげて」
後からこそっとマキシが言う。
「は?え?」
死因はデリケートな問題?単体ではありがちな言葉が、一緒になると理解の範囲を超える言葉になるんだな…と、恐怖で固まっている悠司の頭の中の、かろうじて動いている部分がなんとかマキシの言葉を理解する。
霊にとっては、死因はデリケートな問題…覚えておいて今後役立てようと、悠司は思いながら、
「すみません…」
と、頭を下げた。
「ん、よい」
秋正が鷹揚に答えてから、礼真に向き直った。
「こちら側にはこちら側の取り決めがあるゆえ、表立った助太刀をすることはできぬ。許せ」
「それは、わかります」
頷いた礼真を見て、秋正も頷き返すと、礼真に背を向けた。
「…だが、私が独り言を言うくらいはかまわぬであろう」
「?」
「佐藤礼真の友は、志延館だ。あの場所はわれらの共同の場であるのに、困ったものだ…」
真っすぐに背筋を伸ばしすーっと滑るように歩きながら言うと、そのまま秋正は消えた。
「ありがとうございます!」
礼真がなにもないところへ頭を下げる。悠司もそれに倣って頭を下げた。
悠司には恐ろしく見えたが、自分たちのルールを曲げて、薫の居場所を教えにきてくれたのだ。
そう思うと、恐怖は消えないが、ありがとうの気持ちしかない。
「また、仲良くなってるとは思ったけど、本当に礼真って霊たらしだよね」
「たらしてないし、それより、志延館だって。急ごう」
マキシの言葉に、むうっと眉をしかめた礼真だったが、二人を促した。
「志延館、講堂だったよな、こっちだ」
在校生だった悠司は当然その場所を知っていた。旧校舎の中でもひと際古い元講堂だった建物だ。
こっちだと悠司に言われてすぐに礼真が走り出す。悠司もそれに続いて走りながら、
「あの!薫は人質のようなもんですよね?俺と引き換えの。だから、あいつら薫にはなんにもしないですよね」
前を行く礼真と、後ろのマキシに言った。
「人間の理屈ならねー」
後ろのマキシが答える。
えっと声を上げた悠司に、
「怪異ってさ、言葉が通じるからなんとなく意思の疎通ができるって思っちゃうんだけど、こっちの常識とか、当たり前がまったく通じないから。さっきの時代劇の人もいい人だけどあの人もあの人なりのルールで動いてるし、ハマチニャンなんかはあれはもう理解の範囲を越えてるから、本当になにするかわからない」
「マキシ、時代劇の人じゃなくって、秋正様っ」
マキシの説明に、礼真が冷静にツッコミを入れるが、悠司はそこはもう聞いていなかった。
「急ごう!」
薫になにかあったら…そう思っただけで、胃のあたりがぎゅっとなる。
悠司の足は無意識に早くなり礼真を追い越す。
「ちょっ、悠司先生、俺より前に出ないで」
礼真が慌てて、速度を上げて悠司に並ぶ。
「悠ニャン、気持ちわかるけど」
と、後ろからマキシの声がかかる。
そんな二人の注意も悠司にはほんど聞こえていなかった。
(薫、頼む。無事でいてくれ)



