「どうするんだよ!滝なんかないし!帰り道もわからないじゃん!」
「そんなこと、言われてもじいちゃんと一緒に行ったときはあったんだ」
「滝なんかもういいよ!帰りたい」
「お腹空いた、もう昼すぎてるよ」
タクマが言いだしっぺのマサキを責めて、マイが泣きそうになって、また、タクマが叫ぶ。
薫はその様子をなにもすることができずに聞いていた。
心の中では、なんとかしないと思っていても、小学5年の薫には、同級生たちの言い合いに、どう口をはさめばいいかわからない。
「ねぇ、九条くん、私たち帰れるよね?」
黙って俯いていたアヤカが薫を見下ろす。
女子の中でも背の高いアヤカの方が、薫より大きい。
薫は男子の中では1番背が低く、小柄で、女の子と間違われるような顔だちをしていて、揶揄われることもある。
が、タクマが秘密の滝を見に行こうって言いだして、それに悪ノリして大人に内緒で勝手に山に入り、道に迷ったこの状況では、アヤカは無意識なのだろう、男子の薫を頼ってくる。
「ねぇ、帰れるよね!九条くん!」
アヤカにつられるように、マイも薫に言ってくる。
涙を浮かべて、じっと自分を見下ろしてくる二人に薫は、一瞬ぐっと奥歯を噛みしめてから、笑ってみせた。
「大丈夫!帰れるよ。俺たちがいないってわかったら大人の人が捜してくれるだろうし。俺たちが滝に行くっていうのは、一応、タケヒトたちにも言ってきたじゃん」
声が震えそうになるのを堪えて薫はなるべく、明るい声を出した。
「なあ、やっぱりさ、さっきの別れ道のところだったんじゃねぇの?」
「さっきのって?」
座り込んでいたタクマが立ち上がると、マサキが身を乗り出す。
「俺わかるから、行こうぜ。絶対あの道」
タクマが言いながら、さっき歩いてきた道を戻ろうと言いだした。
「そうだよな、ここで待っててもしょうがねぇよな!」
マサキもキョロキョロとしながら、タクマに続こうとする。
女子二人は、どうしようというように、顔を見合わせている。
「行こうぜ、暗くなる前に」
みんなもなんとなくタクマについて行く雰囲気になる。
『山で迷子になったとたきむやみに動き回らないこと。そしてーもしものときポーチ!』
薫の頭の中に昨日の母との会話がよみがえってきた。
『迷子ってキャンプ場だよ、なるわけないじゃん』
『まあまあ、薫。本当はママが1番、子ども会のデイキャンプに行きたかったんだよ。ママの用意したポーチをママだと思って』
母が某猫型ロボットのように言って差し出したウエストポーチをいらないと手を振っていると、横から父が笑いながら言ってくる。
『そうそう、備えあれば憂いなしよ!』
母はびしっと言うと、強引に薫にウエストポーチを押し付けてきた。
薫はウエストポーチを見下ろして、
「待って!」
と声をあげた。
歩き出そうとしていた4人が動きを止めた。
薫はマサキの前に行くと、
「山で迷子になったときは、動き回らない方がいいよ」
きっぱりした口調で言った。
普段の薫はあまり自己主張するタイプではない。このメンバーだとマサキがリーダーシップをとる。
「その場で助けが来るのを待った方がいい」
薫が落ち着いた声で続けると、女子二人が顔を見合わせて、
「それ、聞いたことあるかも」
「私もテレビで見たかも」
言いだした。
マサキは顔を赤くすると、
「なんだよ!タクマは行くだろ!」
と、振り向いた。
「いや、俺は…」
マサキに言われたタクマも、気まずそうに俯いた。
「わかったよ!」
さすがに一人で行くことはできないマサキは怒ったように言うと、
「ここにいれば、いいんだろ!」
わざと薫に身体をぶつけて、もとの場所に戻った。
ドンと身体をぶつけられた小柄な薫は、思わずよろけた。
ズリッと草むらの中の段差に足を取られて、ぐりっとひねってしまった。
「いっ」
声を上げかけたが、薫はぐっと声を飲み込んだ。
ここで足を痛めたと言えば、みんなを不安にさせるかもしれない。
薫はひねった足に体重をかけてみた。が、それほど痛みはないことにほっとしながら、改めて母に持たされたポーチを開けてみた。
看護師の母らしく絆創膏、ガーゼハンカチなどが入っていて、飴も入っていた。
薫は、飴を取り出すと、
「はい」
と、不貞腐れた顔で座っているマサキに差し出した。
マサキは飴と薫の顔を交互に見つめてから、
「ありがとう」
と受け取ると、すぐに袋を破って飴を口に入れると、
「うま」
と言ってちょっと笑った。
薫はタクマ、マイ、アヤカにも飴を配った。3人も声を上げて嬉しそうに、飴を口にいれた。
薫はそれを見ながら自分も飴を食べた。
ハチミツとレモンの飴。
(またハチミツレモン…これ好きじゃないんだけど…美味しい)
薫は飴を味わいながら、少し泣きたくなったが、必死で堪えた。
「大丈夫だよな、待ってたらいいんだよな」
マサキが不安そうにつぶやく。
「大丈夫だよ、大丈夫だよね?」
マイが薫に聞いてくる。
「大丈夫だよ」
薫は答えながら、ウエストポーチをあさっていると、体育のときに先生が持っているより派手な色の笛が出てきた。
「笛?」
「笛じゃん!遭難したとき、叫ぶより笛の方がいいんだぜ」
薫が笛を見ているとそれに気づいたマサキが言ってきた。
「へぇーじゃあ、みんなで順番で吹こう」
薫が言うと、
「俺、1番!」
と、さっきより元気がでたらしいマサキが薫の手から笛を取ると、ぴぃーと笛を鳴らした。
想像より大きな音がして、みんな、わぁ!と声を出していた。
いまの状況にはそぐわないが、それが面白くてみんな笑い出していた。
それから、みんなで交代で笛を吹いていると、ほどなく薫たちを探す声が聞こえてきた。
薫たちはわーと声を上げて、抱き合った。
子ども会の役員、キャンプ場の人、保護者に付き添われて、お小言もしっかり受け取りながら薫たちは山を下りた。
マサキ、タクマ、マイ、アヤカの4人は両親のどちらかが参加していて、この捜索にも加わっていた。
4人は大人たちがやってきて、自分の親の顔をみた瞬間、大小の違いはあるが、泣き出した。
特にリーダー格のマサキは母親に叱られながらその母にしがみついて泣いていた。
薫はそれを少し離れたところで、眺めていた。
薫の母も本来なら一緒に参加するはずだったが、急遽出勤になって、その母が一番残念がっていた昨夜のことを薫は思い出して、腰のポーチを見下ろした。
鼻の奥がツンとなったが、気づかないふりをして、笑顔を作ると、前を歩くマサキたちを見ながら、ゆっくり歩く。
「薫」
ふいに名前をよばれて、頭をぐしゃぐしゃとかき回された。
誰?って見上げると、隣の隣の家のお兄さん、奥村悠司が隣を歩いていた。
悠司は中学3年生で、薫とは年は離れているが、よく遊んでくれて、薫はいつも「悠兄ちゃん」と呼んで後をついてまわっていた。
そんな薫を悠司もかわいがってくれた。
今日も子ども会のデイキャンプに、高校受験を控えているにも関わらず、子供たちの世話をする側で参加していた。
心配する周りに、「夏休みずっと家にいたからって、ずっと勉強しているわけじゃないから」と悠司は笑っていた。
母が来ていない中で、悠司の姿を見つけ薫は嬉しかった。
その悠司が横を歩いてくれている。
「薫がいなくなったって聞いたとき、マジで心配したんだからな」
悠司が少し怒った声で言う。
「ご…ごめんなさい」
薫が首を竦めるようにして謝ると、悠司はもう一度、薫の頭をくしゃっとして、
「いいよ、無事だったし。バーベキューの時間には間に合ったし。薫、人参食べられるようになったかー?」
笑いながら、薫の顔を覗き込んでくる。
子供扱いしてくる悠司に薫は、少しむぅと口を尖らせると、
「食べられるよっ、人参もピーマンもなんでも食べるよ」
少しムキになって、答える。
「ふーん…あっちょっと待って、靴の紐ほどけた」
と、立ち止まった。
「うん」
薫は前を歩くマサキたちと距離が開くことを気にしながら、しゃがんで靴紐を直している悠司を見下ろした。
「大丈夫だよ、ここからだったら、キャンプ場まですぐだから、離れても迷子にならないよ」
悠司は言うと立ち上がって、薫の顔をじっと見つめてから、
「泣いちゃえよ」
悠司は言うと、薫の頭を強引に自分の胸というか腹におしつけた。
夕方とはいえ、昼間の熱はまだ残っていて暑い。
悠司の体温も高くて熱い。
けれど、それは不快な暑さではなく、薫には温かくて、鼻の奥の方がつんとしてくる。
そうなると、もう我慢できなくなって、薫はしゃくり上げるように泣き出していた。
「薫ってさ、小さくて、かわいいのに、強いよな。えらいよ」
悠司は薫を抱きしめた。
しばらくして薫が泣き止むと、悠司はいきなり薫を抱き上げた。
「悠兄ちゃん!」
「暴れるなー俺、お姫さまだっこするの初めてだから落とすかも」
「それなら下ろしてよ!」
薫が叫ぶように言うと、
「薫、足痛めてるだろ。痛いの我慢して歩いてるだろ。」
悠司は少し怒ったように睨むと、薫はうっと息を飲んだ。
「どうせ、みんなを不安にさせないようにとか思ってたんだろうけど、泣くのもそうだけどさ、俺には隠すな。がんばった子はお姫さましとけ」
最後の言葉は柔らかく笑いを含んだものになっていた。
自分を見下ろしてくる悠司の顔も優しくて、薫は自分の頬が熱くなっていくのを感じながら、ジタバタするのをやめて、
「足は…ひねったけど、大丈夫だし…歩ける。それにおっお姫さまとか、俺、男だし」
もごもごとなんとかそれだけ言った。
「薫が男なのはわかってるよ、けどさ、別にいいじゃん」
悠司は楽しそうに言う。
「お姫さまってそういう意味じゃなくってさー今日、みんなのことを守って、優しくできて、がんばった薫はお姫さまになっとけってこと。俺は王子さまっぽくないけどさ」
冗談めかして言う悠司のその言葉を薫はかみしめていた。
お姫さまだっこされているところから見る悠司の顔は、いつもより近くにあって、いつもよりかっこよく見えて、大人のように見えた。
恥ずかしくてたまらないと思った『お姫さまだっこ』が終わらなかったらいいのにと、無意識に思っていた。
悠司の首に回している薫の腕にきゅっと少し力がこめられた。
しばらくそのまま歩いていると、みんなが集まっている姿が見えてきた。
「あーごめん、もう限界、薫ー下りてー」
悠司はうわーと声を上げて、薫を下ろした。
悠司は腕や肩を回している。けっこう無理をしていたらしい。
さっきまで澄ましてかっこよく見えていたのに、今はいつもどおりの楽しいお兄さんで、薫は少し残念だなと思いながらも吹き出していた。
「ぷっ!悠兄ちゃん、俺、姫なんだろー?ちゃんと最後まで運んでよー」
「薫っ無茶言うなよぉ!お前っちっこいくせにけっこう重い」
薫がわざとねだると、悠司は大げさに顔をしかめて、悲鳴のように言う。
二人は言い合ってから顔を見合わせると、笑い声をあげた。
夏の日の午後。セミの声がアブラゼミの忙しないジージーから、ヒグラシの控えめなカナカナカナ…とに変わっていた。
「……くんっおーい」
誰が呼んでいる。
薫の意識は、小学5年生の夏の日から引き離された。
「薫くん、おーい、九条薫ーホームルーム始まるよー」
声がしっかり頭の中に届いて、薫ははっと顔を上げて声がした方を見た。
黒い髪と猫のような目を細めて、楽しそうに薫を見ている男子の姿がある。
薫と同じ制服、ネクタイの色も今の2年生を示す青、隣の席…なのに、薫は咄嗟にその男子生徒の名前が出てこなかった。
「えっと…あ…誰?」
薫の言葉に彼は一瞬目を見開いてから、くすっと笑うと、
「なに?寝ぼけてる?初めましてー佐藤礼真でーすっなんてね。つーか、『誰?』ってひどいなー一緒のクラスになってもう2か月ですけどー」
男子生徒…礼真は冗談めかして言いながら、笑っている。
礼真の言葉を聞いているうちに、だんだんと薫の頭の中もクリアになってくる。
そう、佐藤礼真だった…2年生から同じクラスになって、つい最近、席替えで隣になって…それまではあまり話したことはなくて…。
「珍しいねー九条くんが居眠りなんてさ」
そんなことを考えていると、礼真は前を向いて座りなおした。顔だけはまだ薫へ向けられている。
「あー俺、寝てた?」
「寝てた、寝てた。九条くんの居眠り初めて見た、イメージないよねー九条くんと居眠り」
薫が聞くと礼真は少し首を傾げながら応える。
「うーん、そうだよね、俺、昼寝もできないタイプなのになんでだろ。」
薫は言いながら首を左右に倒してコキコキと音を鳴らす。変な体勢になっていたのか首が痛い。
「はっ?昼寝しないの?マジで?俺めっちゃ昼寝するー」
薫の言葉に礼真は驚いて目を丸くしている。昼寝をしないということがよっぼど衝撃だったらしい。普段は少し鋭い目がそうなると本当に猫のようになって、猫が丸まって寝る姿と礼真が重なる。
「あーなんかわかるー礼真くんは昼寝しそうー陽だまり猫みたいに丸くなってそう」
自分の想像に笑いながら言うと、礼真が眉間にしわを寄せた。
「なに?もしかして、九条くんディスってきてる?」
「褒めてる褒めてる、かわいいーって。それより、薫でいいよ、礼真くん」
「えっ…あぁ…うん、じゃあ…薫くん。かわいいって高校生男子の褒め言葉じゃねーし」
薫の言葉に、礼真はまた少し目を丸くしてから、薫を名前の方で「くん」付で呼んで、ぷいっと前を向いてしまう。
「なんで?かわいいは世界で通用する言葉だよージャパニーズKAWAIー」
薫が笑いながら、アイドルの女の子がするように頬っぺたを掴むポーズをして見せると、礼真がぷっと吹き出した。
「薫くんの方がかわいいよ」
「俺は…かわいくは…ないよ」
礼真に言われた薫はふっと溜息をついて、目を伏せた。
急に元気がなくなった薫に礼真が首を傾げていると、担任の山方と今日から教育実習でこのクラスに入る奥村悠司が入ってきた。
山方は少しぽっちゃりの中年男性で、社会担当だ。悠司も社会で山方につくことになったのだろう。
悠司の他に、国語の女子、理科の男子、体育の男子、音楽の女子が今日から2週間この高校で教育実習に入ることが、朝の全校集会で説明された。
薫は、悠司の母と自分の母がスーパーで偶然会ったときに、その話を聞いていて事前に知っていたので、驚きはしなかったが、それでも実際に体育館で、生徒の前に立つ悠司の姿を見たときは、胸が高鳴った。
悠司が高校に入学するタイミングと、悠司の父の仕事の都合で、奥村家は薫の家の隣の隣から引っ越してしまって、それ以来疎遠になって、悠司の姿を見るのは6年ぶりくらいになる。
悠司は変わっていなかった。
いや、変わってはいた。ちゃんとスーツが似合う大人になっていたが、笑顔は変わっていなくて、薫はすぐにあの日の夏のことを思い出していた。
「だから…あんな夢見たのかな…」
教室に入ってきた悠司を見つめながら、薫は記憶の中の悠司と教壇に立つ悠司を比べていた。
「ホームルーム始めるぞ。全校集会でも言ったが、今日から教育実習の先生がこのクラスにも入る。じゃあ、悠司…じゃないわ。奥村先生、自己紹介して」
山方の「悠司」呼びにクラスがどっと笑い声を上げる。
どうやら、山方と高校時代の悠司は、名前を呼び捨てにするくらいの関係性だったらしい。
「先生、俺、高校生じゃないからねー」
「うるせぇよ、本当お前は変わらん」
そんなことを言い合いながら、悠司が教壇の真ん中に立って、にっこり笑った。
女子たちが、きゃっと声を上げた。
ちょっとわかるな…と薫は声をあげた女子を見て思った。
子供心にも、かっこいいお兄ちゃんと思っていたが、今こうやってスーツ姿の悠司を見ると、笑顔の明るさはあの頃のまま、けれどその中にしっかりと大人になった余裕のようなものがあって、本当にかっこいい。
「学校のことは生徒としてはよくわかっているけど、先生の立場だと何もわからないので、みんなに迷惑かけることもあるかもしれませんが、よろしくお願いします」
悠司が教室を見まわしながら挨拶をしている。
と、悠司の視線が薫に止まった。
目が合った。
悠司は薫にだけわかるようにちょっと目を細めて、頷いた。
わかっているよと言っているようなその仕草に、忘れられてはいないとは思ってはいたが、それでもその特別はたまらなく嬉しい。
「悠兄ちゃん…」
薫は俯いて口の中で、本当に久し振りにその言葉を口にした。
ホームルームが終わったら、昔みたいに話がしたい…そう思いながら、薫はそわそわと休み時間が来るのを待った。
が、現実は甘くない。
「奥村先生ー」
「先生ってなに学部?」
休み時間になると、女子たちが一斉に悠司を取り囲んだ。
薫の入り込む隙間など当然ない。
呆然としている薫に、
「薫くん…どうした?」
横から礼真が声をかけてくる。薫の視線が廊下で女子に囲まれている悠司を見ていることに気付いた礼真は、
「奥村先生…めちゃくちゃ女子に囲まれてるじゃん。イケメンだし優しそうだしそうなるよなー」
笑っている。
「ただイケメンで優しいだけじゃないよ、悠兄ちゃんは…」
自分だけの悠兄ちゃんが、世間に発見されてしまった気分だ。
「俺と悠兄ちゃ…奥村先生さ、昔ご近所でさ、よく遊んでもらってたんだ」
「へぇー幼なじみ?」
「5歳違うからそこまでいつも一緒って感じじゃなかったけど、それでも会ったときは、いろいろ話して遊んでくれたんだ。俺、一人っ子だしそれが嬉しくってさ。悠兄ちゃん…も多分、弟みたいに思ってくれてたと思う」
女子たちと悠司が楽しそうに話している声が教室の中まで届いてくる。
「そんな顔してないで、次の休み時間に話に行けばいいよ」
礼真に言われて、薫は思わず礼真を見た。
「えっ俺どんな顔してた?」
「んー置いてかれた子犬?」
礼真がくすくす笑う。
「あっいや、子犬じゃなくって、ゴールデンレトリバーだ」
「ゴールデン…どっちにしても犬じゃん!礼真くんディスってる?」
さっきの薫が礼真の猫に例えた自分たちの会話の再現。
「褒めてる褒めてる、かわいいーって」
薫の言葉を礼真が真似ると、思わず薫は笑ってしまっていた。
休み時間もそこで終わって、一限目の英語の男性教師、能見が入ってきて、
「Good morning。みなさん。Open your textbooks to page 25. 授業をはじめますよ。Let's begin today's lesson.」
いつもの日本語と英語が絶妙に混ざった挨拶をする。
いつも通り、いつもの学校。けれど薫の中ではいつもとは違う一日が始まった。
「そんなこと、言われてもじいちゃんと一緒に行ったときはあったんだ」
「滝なんかもういいよ!帰りたい」
「お腹空いた、もう昼すぎてるよ」
タクマが言いだしっぺのマサキを責めて、マイが泣きそうになって、また、タクマが叫ぶ。
薫はその様子をなにもすることができずに聞いていた。
心の中では、なんとかしないと思っていても、小学5年の薫には、同級生たちの言い合いに、どう口をはさめばいいかわからない。
「ねぇ、九条くん、私たち帰れるよね?」
黙って俯いていたアヤカが薫を見下ろす。
女子の中でも背の高いアヤカの方が、薫より大きい。
薫は男子の中では1番背が低く、小柄で、女の子と間違われるような顔だちをしていて、揶揄われることもある。
が、タクマが秘密の滝を見に行こうって言いだして、それに悪ノリして大人に内緒で勝手に山に入り、道に迷ったこの状況では、アヤカは無意識なのだろう、男子の薫を頼ってくる。
「ねぇ、帰れるよね!九条くん!」
アヤカにつられるように、マイも薫に言ってくる。
涙を浮かべて、じっと自分を見下ろしてくる二人に薫は、一瞬ぐっと奥歯を噛みしめてから、笑ってみせた。
「大丈夫!帰れるよ。俺たちがいないってわかったら大人の人が捜してくれるだろうし。俺たちが滝に行くっていうのは、一応、タケヒトたちにも言ってきたじゃん」
声が震えそうになるのを堪えて薫はなるべく、明るい声を出した。
「なあ、やっぱりさ、さっきの別れ道のところだったんじゃねぇの?」
「さっきのって?」
座り込んでいたタクマが立ち上がると、マサキが身を乗り出す。
「俺わかるから、行こうぜ。絶対あの道」
タクマが言いながら、さっき歩いてきた道を戻ろうと言いだした。
「そうだよな、ここで待っててもしょうがねぇよな!」
マサキもキョロキョロとしながら、タクマに続こうとする。
女子二人は、どうしようというように、顔を見合わせている。
「行こうぜ、暗くなる前に」
みんなもなんとなくタクマについて行く雰囲気になる。
『山で迷子になったとたきむやみに動き回らないこと。そしてーもしものときポーチ!』
薫の頭の中に昨日の母との会話がよみがえってきた。
『迷子ってキャンプ場だよ、なるわけないじゃん』
『まあまあ、薫。本当はママが1番、子ども会のデイキャンプに行きたかったんだよ。ママの用意したポーチをママだと思って』
母が某猫型ロボットのように言って差し出したウエストポーチをいらないと手を振っていると、横から父が笑いながら言ってくる。
『そうそう、備えあれば憂いなしよ!』
母はびしっと言うと、強引に薫にウエストポーチを押し付けてきた。
薫はウエストポーチを見下ろして、
「待って!」
と声をあげた。
歩き出そうとしていた4人が動きを止めた。
薫はマサキの前に行くと、
「山で迷子になったときは、動き回らない方がいいよ」
きっぱりした口調で言った。
普段の薫はあまり自己主張するタイプではない。このメンバーだとマサキがリーダーシップをとる。
「その場で助けが来るのを待った方がいい」
薫が落ち着いた声で続けると、女子二人が顔を見合わせて、
「それ、聞いたことあるかも」
「私もテレビで見たかも」
言いだした。
マサキは顔を赤くすると、
「なんだよ!タクマは行くだろ!」
と、振り向いた。
「いや、俺は…」
マサキに言われたタクマも、気まずそうに俯いた。
「わかったよ!」
さすがに一人で行くことはできないマサキは怒ったように言うと、
「ここにいれば、いいんだろ!」
わざと薫に身体をぶつけて、もとの場所に戻った。
ドンと身体をぶつけられた小柄な薫は、思わずよろけた。
ズリッと草むらの中の段差に足を取られて、ぐりっとひねってしまった。
「いっ」
声を上げかけたが、薫はぐっと声を飲み込んだ。
ここで足を痛めたと言えば、みんなを不安にさせるかもしれない。
薫はひねった足に体重をかけてみた。が、それほど痛みはないことにほっとしながら、改めて母に持たされたポーチを開けてみた。
看護師の母らしく絆創膏、ガーゼハンカチなどが入っていて、飴も入っていた。
薫は、飴を取り出すと、
「はい」
と、不貞腐れた顔で座っているマサキに差し出した。
マサキは飴と薫の顔を交互に見つめてから、
「ありがとう」
と受け取ると、すぐに袋を破って飴を口に入れると、
「うま」
と言ってちょっと笑った。
薫はタクマ、マイ、アヤカにも飴を配った。3人も声を上げて嬉しそうに、飴を口にいれた。
薫はそれを見ながら自分も飴を食べた。
ハチミツとレモンの飴。
(またハチミツレモン…これ好きじゃないんだけど…美味しい)
薫は飴を味わいながら、少し泣きたくなったが、必死で堪えた。
「大丈夫だよな、待ってたらいいんだよな」
マサキが不安そうにつぶやく。
「大丈夫だよ、大丈夫だよね?」
マイが薫に聞いてくる。
「大丈夫だよ」
薫は答えながら、ウエストポーチをあさっていると、体育のときに先生が持っているより派手な色の笛が出てきた。
「笛?」
「笛じゃん!遭難したとき、叫ぶより笛の方がいいんだぜ」
薫が笛を見ているとそれに気づいたマサキが言ってきた。
「へぇーじゃあ、みんなで順番で吹こう」
薫が言うと、
「俺、1番!」
と、さっきより元気がでたらしいマサキが薫の手から笛を取ると、ぴぃーと笛を鳴らした。
想像より大きな音がして、みんな、わぁ!と声を出していた。
いまの状況にはそぐわないが、それが面白くてみんな笑い出していた。
それから、みんなで交代で笛を吹いていると、ほどなく薫たちを探す声が聞こえてきた。
薫たちはわーと声を上げて、抱き合った。
子ども会の役員、キャンプ場の人、保護者に付き添われて、お小言もしっかり受け取りながら薫たちは山を下りた。
マサキ、タクマ、マイ、アヤカの4人は両親のどちらかが参加していて、この捜索にも加わっていた。
4人は大人たちがやってきて、自分の親の顔をみた瞬間、大小の違いはあるが、泣き出した。
特にリーダー格のマサキは母親に叱られながらその母にしがみついて泣いていた。
薫はそれを少し離れたところで、眺めていた。
薫の母も本来なら一緒に参加するはずだったが、急遽出勤になって、その母が一番残念がっていた昨夜のことを薫は思い出して、腰のポーチを見下ろした。
鼻の奥がツンとなったが、気づかないふりをして、笑顔を作ると、前を歩くマサキたちを見ながら、ゆっくり歩く。
「薫」
ふいに名前をよばれて、頭をぐしゃぐしゃとかき回された。
誰?って見上げると、隣の隣の家のお兄さん、奥村悠司が隣を歩いていた。
悠司は中学3年生で、薫とは年は離れているが、よく遊んでくれて、薫はいつも「悠兄ちゃん」と呼んで後をついてまわっていた。
そんな薫を悠司もかわいがってくれた。
今日も子ども会のデイキャンプに、高校受験を控えているにも関わらず、子供たちの世話をする側で参加していた。
心配する周りに、「夏休みずっと家にいたからって、ずっと勉強しているわけじゃないから」と悠司は笑っていた。
母が来ていない中で、悠司の姿を見つけ薫は嬉しかった。
その悠司が横を歩いてくれている。
「薫がいなくなったって聞いたとき、マジで心配したんだからな」
悠司が少し怒った声で言う。
「ご…ごめんなさい」
薫が首を竦めるようにして謝ると、悠司はもう一度、薫の頭をくしゃっとして、
「いいよ、無事だったし。バーベキューの時間には間に合ったし。薫、人参食べられるようになったかー?」
笑いながら、薫の顔を覗き込んでくる。
子供扱いしてくる悠司に薫は、少しむぅと口を尖らせると、
「食べられるよっ、人参もピーマンもなんでも食べるよ」
少しムキになって、答える。
「ふーん…あっちょっと待って、靴の紐ほどけた」
と、立ち止まった。
「うん」
薫は前を歩くマサキたちと距離が開くことを気にしながら、しゃがんで靴紐を直している悠司を見下ろした。
「大丈夫だよ、ここからだったら、キャンプ場まですぐだから、離れても迷子にならないよ」
悠司は言うと立ち上がって、薫の顔をじっと見つめてから、
「泣いちゃえよ」
悠司は言うと、薫の頭を強引に自分の胸というか腹におしつけた。
夕方とはいえ、昼間の熱はまだ残っていて暑い。
悠司の体温も高くて熱い。
けれど、それは不快な暑さではなく、薫には温かくて、鼻の奥の方がつんとしてくる。
そうなると、もう我慢できなくなって、薫はしゃくり上げるように泣き出していた。
「薫ってさ、小さくて、かわいいのに、強いよな。えらいよ」
悠司は薫を抱きしめた。
しばらくして薫が泣き止むと、悠司はいきなり薫を抱き上げた。
「悠兄ちゃん!」
「暴れるなー俺、お姫さまだっこするの初めてだから落とすかも」
「それなら下ろしてよ!」
薫が叫ぶように言うと、
「薫、足痛めてるだろ。痛いの我慢して歩いてるだろ。」
悠司は少し怒ったように睨むと、薫はうっと息を飲んだ。
「どうせ、みんなを不安にさせないようにとか思ってたんだろうけど、泣くのもそうだけどさ、俺には隠すな。がんばった子はお姫さましとけ」
最後の言葉は柔らかく笑いを含んだものになっていた。
自分を見下ろしてくる悠司の顔も優しくて、薫は自分の頬が熱くなっていくのを感じながら、ジタバタするのをやめて、
「足は…ひねったけど、大丈夫だし…歩ける。それにおっお姫さまとか、俺、男だし」
もごもごとなんとかそれだけ言った。
「薫が男なのはわかってるよ、けどさ、別にいいじゃん」
悠司は楽しそうに言う。
「お姫さまってそういう意味じゃなくってさー今日、みんなのことを守って、優しくできて、がんばった薫はお姫さまになっとけってこと。俺は王子さまっぽくないけどさ」
冗談めかして言う悠司のその言葉を薫はかみしめていた。
お姫さまだっこされているところから見る悠司の顔は、いつもより近くにあって、いつもよりかっこよく見えて、大人のように見えた。
恥ずかしくてたまらないと思った『お姫さまだっこ』が終わらなかったらいいのにと、無意識に思っていた。
悠司の首に回している薫の腕にきゅっと少し力がこめられた。
しばらくそのまま歩いていると、みんなが集まっている姿が見えてきた。
「あーごめん、もう限界、薫ー下りてー」
悠司はうわーと声を上げて、薫を下ろした。
悠司は腕や肩を回している。けっこう無理をしていたらしい。
さっきまで澄ましてかっこよく見えていたのに、今はいつもどおりの楽しいお兄さんで、薫は少し残念だなと思いながらも吹き出していた。
「ぷっ!悠兄ちゃん、俺、姫なんだろー?ちゃんと最後まで運んでよー」
「薫っ無茶言うなよぉ!お前っちっこいくせにけっこう重い」
薫がわざとねだると、悠司は大げさに顔をしかめて、悲鳴のように言う。
二人は言い合ってから顔を見合わせると、笑い声をあげた。
夏の日の午後。セミの声がアブラゼミの忙しないジージーから、ヒグラシの控えめなカナカナカナ…とに変わっていた。
「……くんっおーい」
誰が呼んでいる。
薫の意識は、小学5年生の夏の日から引き離された。
「薫くん、おーい、九条薫ーホームルーム始まるよー」
声がしっかり頭の中に届いて、薫ははっと顔を上げて声がした方を見た。
黒い髪と猫のような目を細めて、楽しそうに薫を見ている男子の姿がある。
薫と同じ制服、ネクタイの色も今の2年生を示す青、隣の席…なのに、薫は咄嗟にその男子生徒の名前が出てこなかった。
「えっと…あ…誰?」
薫の言葉に彼は一瞬目を見開いてから、くすっと笑うと、
「なに?寝ぼけてる?初めましてー佐藤礼真でーすっなんてね。つーか、『誰?』ってひどいなー一緒のクラスになってもう2か月ですけどー」
男子生徒…礼真は冗談めかして言いながら、笑っている。
礼真の言葉を聞いているうちに、だんだんと薫の頭の中もクリアになってくる。
そう、佐藤礼真だった…2年生から同じクラスになって、つい最近、席替えで隣になって…それまではあまり話したことはなくて…。
「珍しいねー九条くんが居眠りなんてさ」
そんなことを考えていると、礼真は前を向いて座りなおした。顔だけはまだ薫へ向けられている。
「あー俺、寝てた?」
「寝てた、寝てた。九条くんの居眠り初めて見た、イメージないよねー九条くんと居眠り」
薫が聞くと礼真は少し首を傾げながら応える。
「うーん、そうだよね、俺、昼寝もできないタイプなのになんでだろ。」
薫は言いながら首を左右に倒してコキコキと音を鳴らす。変な体勢になっていたのか首が痛い。
「はっ?昼寝しないの?マジで?俺めっちゃ昼寝するー」
薫の言葉に礼真は驚いて目を丸くしている。昼寝をしないということがよっぼど衝撃だったらしい。普段は少し鋭い目がそうなると本当に猫のようになって、猫が丸まって寝る姿と礼真が重なる。
「あーなんかわかるー礼真くんは昼寝しそうー陽だまり猫みたいに丸くなってそう」
自分の想像に笑いながら言うと、礼真が眉間にしわを寄せた。
「なに?もしかして、九条くんディスってきてる?」
「褒めてる褒めてる、かわいいーって。それより、薫でいいよ、礼真くん」
「えっ…あぁ…うん、じゃあ…薫くん。かわいいって高校生男子の褒め言葉じゃねーし」
薫の言葉に、礼真はまた少し目を丸くしてから、薫を名前の方で「くん」付で呼んで、ぷいっと前を向いてしまう。
「なんで?かわいいは世界で通用する言葉だよージャパニーズKAWAIー」
薫が笑いながら、アイドルの女の子がするように頬っぺたを掴むポーズをして見せると、礼真がぷっと吹き出した。
「薫くんの方がかわいいよ」
「俺は…かわいくは…ないよ」
礼真に言われた薫はふっと溜息をついて、目を伏せた。
急に元気がなくなった薫に礼真が首を傾げていると、担任の山方と今日から教育実習でこのクラスに入る奥村悠司が入ってきた。
山方は少しぽっちゃりの中年男性で、社会担当だ。悠司も社会で山方につくことになったのだろう。
悠司の他に、国語の女子、理科の男子、体育の男子、音楽の女子が今日から2週間この高校で教育実習に入ることが、朝の全校集会で説明された。
薫は、悠司の母と自分の母がスーパーで偶然会ったときに、その話を聞いていて事前に知っていたので、驚きはしなかったが、それでも実際に体育館で、生徒の前に立つ悠司の姿を見たときは、胸が高鳴った。
悠司が高校に入学するタイミングと、悠司の父の仕事の都合で、奥村家は薫の家の隣の隣から引っ越してしまって、それ以来疎遠になって、悠司の姿を見るのは6年ぶりくらいになる。
悠司は変わっていなかった。
いや、変わってはいた。ちゃんとスーツが似合う大人になっていたが、笑顔は変わっていなくて、薫はすぐにあの日の夏のことを思い出していた。
「だから…あんな夢見たのかな…」
教室に入ってきた悠司を見つめながら、薫は記憶の中の悠司と教壇に立つ悠司を比べていた。
「ホームルーム始めるぞ。全校集会でも言ったが、今日から教育実習の先生がこのクラスにも入る。じゃあ、悠司…じゃないわ。奥村先生、自己紹介して」
山方の「悠司」呼びにクラスがどっと笑い声を上げる。
どうやら、山方と高校時代の悠司は、名前を呼び捨てにするくらいの関係性だったらしい。
「先生、俺、高校生じゃないからねー」
「うるせぇよ、本当お前は変わらん」
そんなことを言い合いながら、悠司が教壇の真ん中に立って、にっこり笑った。
女子たちが、きゃっと声を上げた。
ちょっとわかるな…と薫は声をあげた女子を見て思った。
子供心にも、かっこいいお兄ちゃんと思っていたが、今こうやってスーツ姿の悠司を見ると、笑顔の明るさはあの頃のまま、けれどその中にしっかりと大人になった余裕のようなものがあって、本当にかっこいい。
「学校のことは生徒としてはよくわかっているけど、先生の立場だと何もわからないので、みんなに迷惑かけることもあるかもしれませんが、よろしくお願いします」
悠司が教室を見まわしながら挨拶をしている。
と、悠司の視線が薫に止まった。
目が合った。
悠司は薫にだけわかるようにちょっと目を細めて、頷いた。
わかっているよと言っているようなその仕草に、忘れられてはいないとは思ってはいたが、それでもその特別はたまらなく嬉しい。
「悠兄ちゃん…」
薫は俯いて口の中で、本当に久し振りにその言葉を口にした。
ホームルームが終わったら、昔みたいに話がしたい…そう思いながら、薫はそわそわと休み時間が来るのを待った。
が、現実は甘くない。
「奥村先生ー」
「先生ってなに学部?」
休み時間になると、女子たちが一斉に悠司を取り囲んだ。
薫の入り込む隙間など当然ない。
呆然としている薫に、
「薫くん…どうした?」
横から礼真が声をかけてくる。薫の視線が廊下で女子に囲まれている悠司を見ていることに気付いた礼真は、
「奥村先生…めちゃくちゃ女子に囲まれてるじゃん。イケメンだし優しそうだしそうなるよなー」
笑っている。
「ただイケメンで優しいだけじゃないよ、悠兄ちゃんは…」
自分だけの悠兄ちゃんが、世間に発見されてしまった気分だ。
「俺と悠兄ちゃ…奥村先生さ、昔ご近所でさ、よく遊んでもらってたんだ」
「へぇー幼なじみ?」
「5歳違うからそこまでいつも一緒って感じじゃなかったけど、それでも会ったときは、いろいろ話して遊んでくれたんだ。俺、一人っ子だしそれが嬉しくってさ。悠兄ちゃん…も多分、弟みたいに思ってくれてたと思う」
女子たちと悠司が楽しそうに話している声が教室の中まで届いてくる。
「そんな顔してないで、次の休み時間に話に行けばいいよ」
礼真に言われて、薫は思わず礼真を見た。
「えっ俺どんな顔してた?」
「んー置いてかれた子犬?」
礼真がくすくす笑う。
「あっいや、子犬じゃなくって、ゴールデンレトリバーだ」
「ゴールデン…どっちにしても犬じゃん!礼真くんディスってる?」
さっきの薫が礼真の猫に例えた自分たちの会話の再現。
「褒めてる褒めてる、かわいいーって」
薫の言葉を礼真が真似ると、思わず薫は笑ってしまっていた。
休み時間もそこで終わって、一限目の英語の男性教師、能見が入ってきて、
「Good morning。みなさん。Open your textbooks to page 25. 授業をはじめますよ。Let's begin today's lesson.」
いつもの日本語と英語が絶妙に混ざった挨拶をする。
いつも通り、いつもの学校。けれど薫の中ではいつもとは違う一日が始まった。



