【完結/長編版】月影の軍神と愛しの傷嫁~双子の妹にすべて奪われたのに冷酷な旦那さまのもとで妹より愛されてしまいました~




「帯留めですか。まあ及第点としましょう」
「いつからおまえは俺を採点できるほどえらくなった」

 夜、影祓部隊の詰め所にて。
 待ってましたと云わんばかりに相楽に奥さまとのでぇとはどうでしたかと聞かれ、凪は渋々答えた。べつにどうもこうもない、ただ帯留めを買ってやった、と。

「ご安心ください、隊長。自分が隊長の奥さまだったら一生大切にします」
「気味の悪いことを云うな」
「いやほんと、人材の確保は急務ですねえ。新婚を狩りだすなんて」

 胸を張る青木とへらへら笑う相楽。
 もし自分になにかあったときこのふたりに一番隊を任せなければならないのかと思うと、たしかにひとを増やしてほしいと思うのが本音だ。それももうすこしまともな人材を。

 影祓部隊の『寿命』の平均は三年。自分はそれをとうに過ぎている。いつ死んでもおかしくない身だ。

「でもね隊長」と薄笑いをしまって相楽が云う。「真面目な話、そろそろ新月です。『影』がでにくいときくらいは休んでもいいと思うんですよ」

『影』は満月のときに現われやすく、新月のときに現れにくくなる。
 満月の夜ともなると一夜にして三体を超える『影』を相手にすることもめずらしくないが、新月とその周辺は一体もでないことが多い。相楽の云うことは理解できるが――

「それは俺の帰りを待つものがいる場合だろう」
「は、いるじゃないですか。ご結婚されたばかりの立派な奥さまが」
「ただのお飾りだ。あんな……」

 そう云いかけたとき、大事そうに帯留めの猫を手のひらに載せている花野の姿が脳裏をよぎった。
 あんな……なんだ?

「――どのみち、彼女ともう会う予定はない。家の用意ができても俺は隊舎で寝泊まりするつもりだからな」
「えぇ、もったいない。柴枝《しばえだ》総隊長が泣きますよ」

 柴枝とは影祓部隊の総括者だ。かつては実働部隊として前線に立っていたが、足を負傷して司令部の椅子に座った。
 凪が士官学校を卒業して着任したときにはすでに総隊長となっており、彼に持ってこられた縁談はたとえ相手が猿だろうがなんだろうが受けなければならないのである。

 泣かせておけ、と凪はつぶやく。ほとんどぼやくように。

「ですが隊長のおかげで霧灯家と影祓部隊の縁ができたと聞きます」と青木が話に入ってくる。

 今夜は詰め所のなかを逆立ちして走りまわっていたので早々にやめさせた。こいつは士官学校ではなく尋常小学校に通うべきではなかったのか、と真剣に凪は思った。

「自分たちが持っている刀は霧灯家の加護を受けたものなのですよね。このおかげで"影"を斬れるし夜目が効くようになると習いました。その霧灯家と良好な関係を結んでおくことは我々にとって利益しかありません。それに、隊長は奥さまからも直接なにかをいただけるのではありませんか」
「……は?」

 どうやら青木は花野が霊力を失っていることを知らないらしい。相楽は知っていて知らないふりをしているようだが。
 なんのことだ、と凪は尋ねる。

「ご加護ですよ。いかがですか、隊長。奥さまとすごしてご自身がよりつよくなったような感覚は」
「…………」
「おぉ、そうですよ隊長。愛の力で太刀筋がさらに速くなったり体力がついたなんてことはありませんか」
「愛の力で!」
「愛の力で。どうなんですか、隊長」

 凪は無言で刀の鯉口を切る。
 ちゃり、という物騒な音にふたりはあわてて壁のほうを向いた。



 旅館の離れで花野は机に載せた白猫をじっと眺めていた。耳が欠けて、胴体にひびが入ってしまった陶器製の猫。

 ……痛かった?

 笑っているように目を細めている猫に尋ねてみる。猫は答えないけれど、傷ついたときの痛みは想像できた。花野自身がよく知っているぶんだけ。

 ――凪さまになんて云えば……

 せっかく買ってもらったものを壊してしまったなんて。凪は花野に関心はないが、それでもいい気持ちはしないだろう。

 女中がやったと説明するつもりはなかった。そんな不誠実な女中をよこしたとわかったら霧灯家の心証が悪くなるし、どのみち、説明したところで彼はなにも思わないだろうというあきらめもある。
 無残に髪を切られた幼い花野を見ても母がなにも表情を変えなかったように。

 買いだしという名目でまさはでかけていた。旅館で寝泊まりしている身でいったいなにが必要になるのか、花野にはわからない。おおかた実家から預かった金で芝居でも観にいったのだろう。

 猫の欠けた耳をなで、花野はそれをハンカチでくるんで着物の袂に入れた。せめて、もう"彼女"が傷つかないように。

 ずっと室内にいることは苦にならないが、このままだと気持ちがどこまでも沈んでしまいそうだった。花野は離れの外へとでる。