「……ひとつ尋ねていいだろうか」
彼女の体を支え、水を飲ませたあとで凪は気になっていたことを切りだした。花野は顔をこちらに向ける。
「十年まえ。あなたはなぜ、家の外にでていたのか」
「…………」
「霧灯家の結界のなかにいれば安全なはずだ。なのになぜ、あえて夜にひとりで外にでるようなことをしたのか――」
彼女は目を伏せる。
教えてくれ、と凪は彼女の手を取った。
「……凪さまはずるいです。こうされたら、私はうそなんてつけなくなってしまうのに」
「理由があったんだな?」
沈黙。それでも目を逸らさずに花野を見つめていると、やがて彼女はぽつりとつぶやいた。
「私には、病みついた祖母がおりました……」
祖母は私のことをとても可愛がってくれました。目に入れても痛くない、とはあのようなことを云うのでしょう。次期当主としてきびしい修行をつづける日々のなかで、祖母との時間はなによりもの癒しでした。
祖母の病気は不治のものと云われていました。当時の私はその意味はわからなかったけれど、おばあさまが『病気』というとても怖いものに憑りつかれていることはわかっていました。
だから――その『病気』をやっつけたかったのです。
私は時間さえあれば祖母の病気を治す方法を探していました。病院の先生に聞いたり、医学の本をわからないなりに読んだり……。
そんなある日、私のもとにある手紙が届いたのです。
『ソボ ノ ヤマイ ナオシタケレバ
アカキツキノヨル ニ サイタ ツキミソウ ヲ センジテ ノマスベシ』
定規で書いたような奇妙な字でした。それがいつの間にか私の部屋に置かれていたのです。差出人の名前はありませんでした。
ほんとうなら大人に見せるべきだったのでしょう。ですが、手紙にはこのことはだれにも云うな、云えば祖母は命を失うとも書かれていました。月見草はひとりで採りにいかなければならないとも。
おばあさまになにかあったら。私はだれにも相談せず、月が赤く染まる夜を待ちました。そして……ひとりきりで、灯りももたず結界の外にでたのです。
「そこを『影』に襲われた……」
凪の言葉に花野がうなずく。
「幸い……なのかはわかりませんが、私が奪われたのは霊力だけでした。命を奪われるまえに影祓部隊のかたがたすけてくれたから」
「草野中尉だ」
「――え?」
「そのひとの名を。草野陵五、という」
花野は不思議そうに凪を見た。
「お知りあい……なのですか」
「士官学校時代に指導してもらった。……俺の理想の上官だった」
過去形になっていることに気づき、花野は心を痛めたように凪の手をにぎりかえす。
「私の命の恩人です。そのお名前はけして忘れません」
「……ああ」
ふと、この縁は草野が引きあわせてくれたのではないかと感じた。
霊力を失ってしまった霧灯家の長女と、当時はまだ幼かった後輩。草野はふたりのことを心配して――。
感傷的になってしまいそうなのを凪は堪えた。いまは思い出に浸っている場合ではない。
花野の手をにぎりなおし、云う。
「その手紙だが。あなたは、だれが書いたかわかっているのではないか」
「…………」
「答えてほしい。俺の想像では、おそらく――」
「おねえさまが? どうして?」
「そ、そこまでは……」
七月のある日、乙華は自室で手紙を読んでいた。そこに女中がやってきて、花野が夫とともに本家を訪れたことを知らされて顔をこわばらせる。
手紙は花野の夫――月岡凪からだった。
霧灯家がよこした女中はろくなものではなかった。夫が留守中に妻の着物や装飾品を盗み、彼女に暴行をくわえ、さらには二階の寝室に監禁した。彼はこのことを内々に済ませるつもりはなく、すでに警察に引きわたしたという。
――月岡凪はおねえさまのことを放っていたはず。どうして急に。
なにか用があって家に立ちよったのだろうか。そこで寝室にとらわれた花野を見つけ、自身の体面を考えて警察を呼んだ……?
影祓部隊の男よりも霧灯家のほうが格上だ。もしこれが一族の罪を責めたてるものだったら母はなんとしてももみ消すだろうが、たかが女中ひとり。霧灯家はいつでも切りすてられる、が――
――ちゃんと手紙は処分したんでしょうね。
花野を部屋に閉じこめることをまさに命じたのは乙華だ。
かつての許嫁からの手紙を見た花野は動揺するはずだった。なんとしてでも彼に会いたいと願い、会わせてください、ここをだしてください、と女中相手に懇願するはずだった。
なのに姉はそうするどころか。
その手紙は捨てろと毅然と云いはなったという。月岡凪の妻として。
彼女の体を支え、水を飲ませたあとで凪は気になっていたことを切りだした。花野は顔をこちらに向ける。
「十年まえ。あなたはなぜ、家の外にでていたのか」
「…………」
「霧灯家の結界のなかにいれば安全なはずだ。なのになぜ、あえて夜にひとりで外にでるようなことをしたのか――」
彼女は目を伏せる。
教えてくれ、と凪は彼女の手を取った。
「……凪さまはずるいです。こうされたら、私はうそなんてつけなくなってしまうのに」
「理由があったんだな?」
沈黙。それでも目を逸らさずに花野を見つめていると、やがて彼女はぽつりとつぶやいた。
「私には、病みついた祖母がおりました……」
祖母は私のことをとても可愛がってくれました。目に入れても痛くない、とはあのようなことを云うのでしょう。次期当主としてきびしい修行をつづける日々のなかで、祖母との時間はなによりもの癒しでした。
祖母の病気は不治のものと云われていました。当時の私はその意味はわからなかったけれど、おばあさまが『病気』というとても怖いものに憑りつかれていることはわかっていました。
だから――その『病気』をやっつけたかったのです。
私は時間さえあれば祖母の病気を治す方法を探していました。病院の先生に聞いたり、医学の本をわからないなりに読んだり……。
そんなある日、私のもとにある手紙が届いたのです。
『ソボ ノ ヤマイ ナオシタケレバ
アカキツキノヨル ニ サイタ ツキミソウ ヲ センジテ ノマスベシ』
定規で書いたような奇妙な字でした。それがいつの間にか私の部屋に置かれていたのです。差出人の名前はありませんでした。
ほんとうなら大人に見せるべきだったのでしょう。ですが、手紙にはこのことはだれにも云うな、云えば祖母は命を失うとも書かれていました。月見草はひとりで採りにいかなければならないとも。
おばあさまになにかあったら。私はだれにも相談せず、月が赤く染まる夜を待ちました。そして……ひとりきりで、灯りももたず結界の外にでたのです。
「そこを『影』に襲われた……」
凪の言葉に花野がうなずく。
「幸い……なのかはわかりませんが、私が奪われたのは霊力だけでした。命を奪われるまえに影祓部隊のかたがたすけてくれたから」
「草野中尉だ」
「――え?」
「そのひとの名を。草野陵五、という」
花野は不思議そうに凪を見た。
「お知りあい……なのですか」
「士官学校時代に指導してもらった。……俺の理想の上官だった」
過去形になっていることに気づき、花野は心を痛めたように凪の手をにぎりかえす。
「私の命の恩人です。そのお名前はけして忘れません」
「……ああ」
ふと、この縁は草野が引きあわせてくれたのではないかと感じた。
霊力を失ってしまった霧灯家の長女と、当時はまだ幼かった後輩。草野はふたりのことを心配して――。
感傷的になってしまいそうなのを凪は堪えた。いまは思い出に浸っている場合ではない。
花野の手をにぎりなおし、云う。
「その手紙だが。あなたは、だれが書いたかわかっているのではないか」
「…………」
「答えてほしい。俺の想像では、おそらく――」
「おねえさまが? どうして?」
「そ、そこまでは……」
七月のある日、乙華は自室で手紙を読んでいた。そこに女中がやってきて、花野が夫とともに本家を訪れたことを知らされて顔をこわばらせる。
手紙は花野の夫――月岡凪からだった。
霧灯家がよこした女中はろくなものではなかった。夫が留守中に妻の着物や装飾品を盗み、彼女に暴行をくわえ、さらには二階の寝室に監禁した。彼はこのことを内々に済ませるつもりはなく、すでに警察に引きわたしたという。
――月岡凪はおねえさまのことを放っていたはず。どうして急に。
なにか用があって家に立ちよったのだろうか。そこで寝室にとらわれた花野を見つけ、自身の体面を考えて警察を呼んだ……?
影祓部隊の男よりも霧灯家のほうが格上だ。もしこれが一族の罪を責めたてるものだったら母はなんとしてももみ消すだろうが、たかが女中ひとり。霧灯家はいつでも切りすてられる、が――
――ちゃんと手紙は処分したんでしょうね。
花野を部屋に閉じこめることをまさに命じたのは乙華だ。
かつての許嫁からの手紙を見た花野は動揺するはずだった。なんとしてでも彼に会いたいと願い、会わせてください、ここをだしてください、と女中相手に懇願するはずだった。
なのに姉はそうするどころか。
その手紙は捨てろと毅然と云いはなったという。月岡凪の妻として。



