【長編版】月影の軍神と愛しの傷嫁~妹にすべてを奪われた少女は冷酷な軍人の最愛となる~

 藍色の軍服は夜にまぎれやすい。果たして怪異に視覚があるのかはわからないが、暗闇に溶けこむと落ちつくのはたしかだった。

「こっちだ」

 青木だけを連れ、相楽は詰め所に待機させることにした。いつも青木は相楽と組ませて凪は単独行動を取ることにしていたが、そろそろ彼にも実戦を積ませようと思ってのことだ。

 いつから広まった噂なのか、夜に灯をつけているとその家は狙われると云われていた。なのでどこの家も固く雨戸を閉ざし、死んだように暗く静まりかえっている。

 夜に出歩くのは"影"と影祓部隊だけだ。そのため、街に灯はない。月明かりだけが照らす通りを凪と青木は駆ける。千里眼が指示した場所に向けて。

 次の角を曲がるより短縮したほうがはやい。そう思い、彼は二階建ての商店の屋根まで駆けのぼる。

 羽でも生えているごとき動きに青木は目を瞠った。

「た、隊長!?」
「どうした。はやく来い!」
「そう云われましても……!」

 彼はこれくらいの高さも登れないらしい。凪は舌打ちし、「そこを回ってこい」と命を下す。そして自分は返事を待たずに向こう側の道へと飛びおりた。

 待ちうけるは、"影"ひとつ。

 見た目は夕方に地面の上に落ちる童子の影のよう。まだ幼い。生まれたばかりのものだ。
 これくらいなら青木でも倒せるだろうと凪は刀の柄に手をかけたまま待ち、じきに追いついてきた青木に云う。

「――斬れ」
「は、はいっ!」

 へっぴり腰ながらも青木は刀を振るい、黒い霧のような"影"を両断した。"影"はあっさりと消えていく。
「や、やりました……!」と青木は浮かれそうになる。そこを、「まだだ」と凪は一喝した。

「"影"の気配が重なっているときがあると教えられただろう。近辺を見てまわる。ついてこい」
「失礼いたしましたっ」

 複数の"影"がごく近くで発生している場合、千里眼でも数を見誤るときがある。士官学校でかならず教えることだ。
 逸りがちな新人はあやまって自分を傷つけることが一番怖い。刀を鞘におさめさせ、彼とともに近くを見てまわる。

 霊力が込められた刀を所持していれば暗闇で視界がさえぎられることはない。なので、ふたりとも自由に両手を使える。
 "影"との戦いは夜にかぎられる以上、それは大きな強みだった。

「あっ――」

 果たして、角をふたつ曲がった先に"影"が待ちうけていた。背丈は六尺(約180センチ)はある凪よりも大きく、先程のようにぼんやりしたものとはちがってくっきりとした輪郭を持っていた。奇妙に細長い頭部と両手両足を持ち、おいでおいでをするように片腕を動かしている。

 異様な姿を見て青木は怖気づいた。それを隠すため、「じ、自分が行きます!」とひきつった声で言う。

「待て!」

 止めようとしたが遅かった。この一ヵ月はまず夜の道に慣れさせるつもりだったから彼に剣を振るわせることはしなかった。"影"を斬るのは副隊長の相楽だけ。それがじれったかったのかもしれない。
 刀を抜き、雄たけびをあげると青木は巨大な"影"に向けて走っていく。

 青木が刀を振りかぶったそのとき、"影"がぬるりと姿を変えた。手足を収納して蛇のように一本の細い紐になり、意表をつかれた青木の隙を見逃さず彼に巻きつこうとする。

「あ、あああっ――」

 動転する青木を凪は蹴り飛ばした。すぐに刀を抜いて"影"を一閃する。

 ――それは一瞬。けれど、その光は帝都をくまなく照らすようだった。

 抜き身の刀身に反射した月の光。それは見ているものの目まで斬りつけるようで、青木はとっさにまぶたを閉じる。ほんの数秒。

 次に開けたとき、すべてが終わっていた。

 凪はもう刀を納めていて、"影"は跡形もなく消えさっている。
 ――あんなに巨大な"影"を。
 地面に尻餅をついたまま青木はごくりと唾を飲みこむ。これが影祓部隊。これが月岡凪、と慄きながら。

 彼の噂は士官学校時代から有名だった。平均寿命が三年である影祓部隊で、それを越えて活躍している不死身の青年。

 彼の剣は速すぎて常人には見えず。
 月光を照りかえす刀の光だけが見えるという。

 ついた二つ名が、月影の軍神。

「なにをしている。はやく立て。見回りは終わっていない」
「――はいっ!」

 つめたく見下ろされて青木は急いで立ちあがった。そして、"影"がかすかにふれた制服の袖口が焼けただれていることに気づいてぞっとする。

 "影"がかすめただけでこうなった。もし、あのまま巻きつかれていたら……。

「辞めるならいまのうちだ」

 背中を向けて歩きだしながら凪は云う。「そ、そのようなことは!」と云いながら青木はあわてて後を追いかけた。『月影の軍神』の剣を間近で見られた興奮に頬を上気させながら。

 ――そういえば、このひとは霧灯家のご長女とご結婚されたのだっけ。

 今更ながらにそのことを思う。
 凪の婚姻の話は影祓部隊中に広まっていた。相手は刀に霊力を授けてくれる灯使の娘――それも、もっとも力がつよいとされる霧灯家の長女。そのうえ彼女はこの世のものとは思えないほど美しいという。

 ――行きたかったなぁ、披露宴。

 妻の顔を一目見てみたかった。隊長もさぞタキシードが似合ったことだろう。
 青木の顔がゆるんだのを見逃さず、「なにを考えている」と凪がにらんでくる。すみませんと青木は背筋をただした。

 あまり複雑なことは考えらえない青木の頭でも凪にもう一度妻の話をしたら怒られるであろうことはわかった。
 だがせっかくの新婚初夜なのにこうして任務に励んでいていいのだろうか。いややはりよくないと青木は自問自答し、副隊長の相楽に相談してみようと決める。

 そう、たとえば。
 夜に一緒に過ごせないのなら昼に過ごすのはどうでしょうか、と。