叫ぶようにしてそう感じた。花野に会いたい。彼女に、たったひとりの妻に、いますぐ会いたい。
ほかの男に心を映すような女がこんな手紙をお守りに入れるとは思いにくかった。たしかめるまでもない。あれは女中がついたうそか、勘違いでしかないだろう。
「月岡隊長、具合は……」
「なんでもいい。服を取ってきてくれ」
「え?」
看護師から凪が目覚めたことを聞いたのだろう、頭に包帯を巻いた青木がやってきて仕切りの向こうから顔を覗かせる。そしてベッドに体を起こしている凪を見て目を剥いた。
「あの……まさか、その傷ででかけるつもりでは」
「このいかにも病人くさい格好では彼女に心配をかける。これ以外ならなんでもいい」
「彼女、って」
「花野だ」
はじめて口にした妻の名は面映ゆかった。唇がやわらかい花びらにふれたかのようだ。
凪は一瞬口ごもり、それから青木を見上げる。
「頼む。花野に心配をかけさせたくない」
「…………」
でかけられるかどうかはもはや論点ではなかった。
青木はたすけを求めるように医院を見まわしたが、都合のいい相手はいなかったらしい。
「本気ですか……」と弱りきったようにつぶやく。
「おまえが行かないなら自分で部屋に行くだけだ」
「……わかりました。わかりましたよ」
青木はうなだれながら凪に背を向ける。
しばらくしてもどってきた彼が持ってきたのは替えの制服だった。
「医者はごまかしておきますけど……無茶しないでくださいね」
「ああ。――手間をかけた」
「いえ、……はい。お気をつけて」
制服に着替えたあとで凪は煙草入れを胸ポケットにしまい、手紙をもどしたお守りもそっとその横にしまう。
いってくる、と青木に声をかけてから医院を抜けだした。
そして俥の揺れにあわせて痛む胸の傷をもてあましながら、一度しか訪れたことのない新居へたどりつくと、車夫の声を聞いた女中があわてふためきながら外にでてきた。
「だ、だ、旦那さまっ? いったいどうなさったんです?」
「理由がなければ自分の家に帰ってきてはいけないのか」
「そ、そんなことはないのですが――」
「花野は?」
「え?」
「花野はどうしている」
女中はごくりとつばを飲みこんだ。
様子がおかしい。凪はドアを乱暴に開ける。
玄関には下駄が一足転がっていた。見覚えがある。花野の――自分が片方の鼻緒を新しく買ってやった、花野の下駄だ。
彼女はこんなふうに下駄を脱ぐのか。ありえない。
よほど急いでいたか……無理やりだれかに家に引きずりこまれたか、だ。
「花野はどうしている」
背後にいる女中にもう一度尋ねた。は、いえ、ばかりで要領を得ない。
凪は舌打ちすると土足のまま家に上がった。片っ端から部屋を見ていく。掃除をさぼっていたのかどこの部屋も散らかっていた。
なにかがあったのだ。彼女に。
自分がくだらない言葉を信じて彼女をひとりきりにしているあいだに――!
「花野っ!」
階段を駆けのぼり、目についた部屋の扉を開けはなった。
そこは夫婦の寝室。凪が一度も眠ったことがないベッドの足元に痩せた少女がぐったりと倒れている。
「花野。しっかりしろ、花野!」
窓が閉じられた部屋は蒸しあつかった。彼女を抱きおこすと熱された鉄のように熱い。
なぜこんな部屋に、と思ったら花野の両手と両足は腰紐で縛られていた。しかも足はベッドに固く結びつけられている。
悪意を感じて背筋が粟立った。
犯人捜しはあとだ。すぐに医者を呼ばなければ、と腰を浮かせたとき花野がからからの声でなにかつぶやいた。
「あ……つ……」
「……しゃべるな。すぐに水を、」
「たす……おかあ、さ……」
「…………」
――たすけて。たすけて、おかあさま。
彼女の頬には幾筋も涙のあとがあった。
ずっと彼女は母親を呼んでいたのだろうか。彼女が霊力をなくして以来、彼女のことを見なくなったという母親のことを。
「……花野、」
凪は花野の手をにぎりしめた。その手は恐ろしいほど痩せている。
もっとはやく帰ってきていればこんなことにはならなかった。唇を噛み、すまなかった、と叫ぶ。
自分は彼女の母親のかわりにはなれない。それでも、
「これからは俺がいる。俺があなたのそばにいる。だから、もう大丈夫だ」
医者はあとすこし発見が遅れていたら危なかっただろうと云った。
老医師は広いベッドに寝かせた花野に点滴をすると、紐がこすれてできた手首と足首のすり傷を消毒し、さらに右腕にやけどがある、と指摘した。
「……やけど、ですか」
「火箸かなにか押しつけたのかもしれん。きれいな肌なのにのう……」
ほかの男に心を映すような女がこんな手紙をお守りに入れるとは思いにくかった。たしかめるまでもない。あれは女中がついたうそか、勘違いでしかないだろう。
「月岡隊長、具合は……」
「なんでもいい。服を取ってきてくれ」
「え?」
看護師から凪が目覚めたことを聞いたのだろう、頭に包帯を巻いた青木がやってきて仕切りの向こうから顔を覗かせる。そしてベッドに体を起こしている凪を見て目を剥いた。
「あの……まさか、その傷ででかけるつもりでは」
「このいかにも病人くさい格好では彼女に心配をかける。これ以外ならなんでもいい」
「彼女、って」
「花野だ」
はじめて口にした妻の名は面映ゆかった。唇がやわらかい花びらにふれたかのようだ。
凪は一瞬口ごもり、それから青木を見上げる。
「頼む。花野に心配をかけさせたくない」
「…………」
でかけられるかどうかはもはや論点ではなかった。
青木はたすけを求めるように医院を見まわしたが、都合のいい相手はいなかったらしい。
「本気ですか……」と弱りきったようにつぶやく。
「おまえが行かないなら自分で部屋に行くだけだ」
「……わかりました。わかりましたよ」
青木はうなだれながら凪に背を向ける。
しばらくしてもどってきた彼が持ってきたのは替えの制服だった。
「医者はごまかしておきますけど……無茶しないでくださいね」
「ああ。――手間をかけた」
「いえ、……はい。お気をつけて」
制服に着替えたあとで凪は煙草入れを胸ポケットにしまい、手紙をもどしたお守りもそっとその横にしまう。
いってくる、と青木に声をかけてから医院を抜けだした。
そして俥の揺れにあわせて痛む胸の傷をもてあましながら、一度しか訪れたことのない新居へたどりつくと、車夫の声を聞いた女中があわてふためきながら外にでてきた。
「だ、だ、旦那さまっ? いったいどうなさったんです?」
「理由がなければ自分の家に帰ってきてはいけないのか」
「そ、そんなことはないのですが――」
「花野は?」
「え?」
「花野はどうしている」
女中はごくりとつばを飲みこんだ。
様子がおかしい。凪はドアを乱暴に開ける。
玄関には下駄が一足転がっていた。見覚えがある。花野の――自分が片方の鼻緒を新しく買ってやった、花野の下駄だ。
彼女はこんなふうに下駄を脱ぐのか。ありえない。
よほど急いでいたか……無理やりだれかに家に引きずりこまれたか、だ。
「花野はどうしている」
背後にいる女中にもう一度尋ねた。は、いえ、ばかりで要領を得ない。
凪は舌打ちすると土足のまま家に上がった。片っ端から部屋を見ていく。掃除をさぼっていたのかどこの部屋も散らかっていた。
なにかがあったのだ。彼女に。
自分がくだらない言葉を信じて彼女をひとりきりにしているあいだに――!
「花野っ!」
階段を駆けのぼり、目についた部屋の扉を開けはなった。
そこは夫婦の寝室。凪が一度も眠ったことがないベッドの足元に痩せた少女がぐったりと倒れている。
「花野。しっかりしろ、花野!」
窓が閉じられた部屋は蒸しあつかった。彼女を抱きおこすと熱された鉄のように熱い。
なぜこんな部屋に、と思ったら花野の両手と両足は腰紐で縛られていた。しかも足はベッドに固く結びつけられている。
悪意を感じて背筋が粟立った。
犯人捜しはあとだ。すぐに医者を呼ばなければ、と腰を浮かせたとき花野がからからの声でなにかつぶやいた。
「あ……つ……」
「……しゃべるな。すぐに水を、」
「たす……おかあ、さ……」
「…………」
――たすけて。たすけて、おかあさま。
彼女の頬には幾筋も涙のあとがあった。
ずっと彼女は母親を呼んでいたのだろうか。彼女が霊力をなくして以来、彼女のことを見なくなったという母親のことを。
「……花野、」
凪は花野の手をにぎりしめた。その手は恐ろしいほど痩せている。
もっとはやく帰ってきていればこんなことにはならなかった。唇を噛み、すまなかった、と叫ぶ。
自分は彼女の母親のかわりにはなれない。それでも、
「これからは俺がいる。俺があなたのそばにいる。だから、もう大丈夫だ」
医者はあとすこし発見が遅れていたら危なかっただろうと云った。
老医師は広いベッドに寝かせた花野に点滴をすると、紐がこすれてできた手首と足首のすり傷を消毒し、さらに右腕にやけどがある、と指摘した。
「……やけど、ですか」
「火箸かなにか押しつけたのかもしれん。きれいな肌なのにのう……」



