体が熱い。
全身が燃えている。
「あ……つ……」
苦しい。喉が渇いて痛い。頭がひび割れそう。
たすけて。たすけて。……たすけて。
「たす……おかあ、さ……」
七歳の少女にもどって花野は声を絞りだす。
自分の世界の中心だった母親に向けて、手を伸ばす。
――たすけて。たすけて、おかあ――
「花野、」
「……?」
ひやりとした手が花野の手をにぎりしめた。
力強いその手は母のものではない。重たいまぶたをこじ開けるようにして開くと、そこには涼しげな相貌の青年がいた。いまにも泣きだそうな顔でこちらを見ている。
七歳の花野は知らない。彼のことを。
それなのに、彼に手をにぎっていてもらうとつらいものがなくなっていくような気がした。
「すまなかった、花野。花野……っ!」
片手をにぎりしめたまま、彼が花野の体を抱きしめる。
彼がだれか知らない。どうして謝るのかもわからない。けれど抱きしめられると安心して、花野はまぶたを閉じると彼の腕に自分の体を預けた。
――ああ、きっと、と思いながら。
きっと、私はずっと彼のことを待っていたんだ。
こうして手をつかんでくれるひとのことを。
ここから救いだしてくれるひとのことを……。
二体目の『影』を祓ったあと、血を流しすぎて気を失った凪を青木がかついで医院まで運びこんだらしい。
目が覚めると隊舎に併設された医院のベッドの上だった。窓の外は明るいから翌日の昼だと思ったが、看護師によると丸一日眠っていたらしかった。制服は白い浴衣に替わっており、傍らの机にはブリキの煙草入れとお守りが置かれていた。
「あ、煙草はしばらく吸わないでくださいね。胸に大きな穴が開いてますから。吸ったら煙がそこからでちゃいますよ」
凪の視線に気づいて看護師が云う。そんなはずあるかと云いかえす気力はなかった。
医師の診察が終わってから凪は煙草入れを手に取った。
どこも傷ついてはいないようだ。隅に赤黒い汚れがあり、指でこすると錆の匂いとともにぱらぱらと剥がれおちた。自分の血だった。
布巾かなにかで拭けば取れるだろう。そう思い、ほとんど無意識に蓋を開けて紙巻き煙草を一本引きぬく。
咥えようとして、看護師の云ったことを思いだして、憮然とした顔で煙草入れにもどした。ふう、と息を吐きだす。
それから花野のお守りに視線をやった。
窓からの光に照らされてほのかに輝いているように見える。持ちあげるとかすかにあたたかい。
昨夜……いや、二晩まえか。
これをにぎったら生命力が湧いてきたような気がした。ただの錯覚だったのか。
――それに、隊長は奥さまからも直接なにかをいただけるのではありませんか
青木がいつだか云っていた軽口を思いだした。まさか。
血溜まりに落としたはずなのにお守りはどこも汚れていなかった。ふつうの布にしか見えないが。
いったいどこの護符が入っているのか。にわかに気になり、好奇心のままに口を結んでいる紐をほどく。そして中に入っていた紙をつまみだした。
ちいさくたたまれたそれを広げる。
凪さまへ、と自分の名前が飛びこんできて凪ははっとした。それは護符ではなく、花野から凪にあてた手紙だった。
私はいつまでもあなたの帰りをお待ちしています。
だからどうか、どうか、生きてかえってきてください。
ですが、私も軍人の妻ですから。
そのときの覚悟はできております。
ひとりきりで戦うあなたをひとりにはさせません。
最期まで、花野はおそばにいます。
――月岡花野
軍人の妻としての覚悟。それは、夫が死んだとき妻の自分も彼のあとを追うということだった。
国に命を捧げた夫に殉死するため――いや、それだけではない。
花野は凪がかかえていた孤独に気がついて。
それによりそうと云っていた。
いつかは訪れるつめたい死。その先ですら、そばにいると。
「――――」
美しい草書体で書かれたその文字がにじんだ。自分が涙ぐんでいることはわかったが、その涙をこらえることは凪にはできなかった。
だれもが凪のそばから消えてゆく。慕っていた上官も、可愛がっていた後輩も。だから心を凍てつかせてだれにも情を移さないようにしていた。
周りだけではない。いずれ凪自身も夜の闇のなかで散るのだから、残された人間がかなしまないように冷酷な男を演じていた。
それなのに。
それなのに、花野は。
夏がくれば離縁する妻だった。お互いのあいだにはなんの感情も生まれないはずだった。だれよりも凪がそう望んでいた。
けれど――いま、凪が願うことは。
――会いたい。



