君を妻にした男の顔を見たら僕は嫉妬でおかしくなってしまうだろうから。
僕が君に送ったシロツメクサの指輪のこと、君はまだ憶えているかな。
あのとき僕は、指輪を君の左手の薬指にはめてこう誓った。君を一生かけて幸せにする。
僕の言葉は心からのものだ。そしていまもそう思っている。
単刀直入に云おう。僕は君を愛している。君以外を愛したことなど一度もない。
乙華嬢との婚約は親に云われてのことだ。僕の心はずっと君にある。親が君との結婚を許してくれたらどんなにいいかと毎日願っていたよ。
でも現実はそうはならない。だから僕は君への想いをしまいこむほかなかったんだ。
このまえ本家に行ったとき、君が夫に冷淡な扱いを受けていると聞いた。
なぜそんなことをするんだろう? 僕には理解できない。君が妻なら、僕は毎日愛情をそそぐのに。
やはり影祓部隊の男などに君を任せてはおけない。
今度の満月の日、朝十時に新橋駅で落ちあおう。そしてふたりで僕たちのことを知るひとがいないところまで逃げよう。
必ず来てくれとは云わない。
でも僕は君を信じているし、いつまでも君を待っているよ。
――睦さん……
視界がぐらりと揺らいだ。
かつての許嫁。いつも上品に微笑んでいた彼は、幼い花野にとってとても特別なひとだった。
『おとなは、けっこんするときにゆびわをおくるんだ』
庭に咲いていたシロツメクサで彼は指輪を作ってくれた。そして花野の目を見つめて云った。きみをいっしょうかけてしあわせにするよ。
花野もそれを信じていた。大人になったら彼と結婚して、たくさん幸せにしてもらうと。
でも彼は乙華の婚約者になった。花野が霊力をなくしてしまったから。
そして――ある日本家を訪れた彼はなぜか花野が化粧台に隠していたシロツメクサの指輪を持っていて、押し花にして大切にしまってあったそれを草履の裏で踏みにじったのだった。
彼の隣には乙華がいた。ああ、乙華がやったのだ、とふたりが去ったあとで花の残骸をかきあつめながら花野は思った。集めようとするそばから風がさらってしまい、花野の手にはなにも残らなかった。
忘れていた――忘れようとしていた記憶だった。
初めて恋というものを教えてくれたひと。彼は妹のものになり、自分自身でその気持ちを踏みにじってみせたのだから。
なのに、あれから十年近く経ったいまほんとうはずっと花野が好きだったという。
手紙を持つ手が震えた。
どうして。どうしていまになって。
彼が乙華の婚約者になったと知ってから何度も思った。
どうかうそであってほしい。睦だけは真実に気づいていてほしい。私のことを想っていてほしい、と。
でもその願いは叶わなかった。
だから恋心も彼との思い出も忘れようとしたのに。
「どうして……」
どうして、いまになって……。
睦と逃げれば楽になれる?
もう、こんな思いをしなくて済む?
彼のやさしい微笑が心に浮かぶ。
花野さん、迷子になるといけないから手をつなごう。花野さん、僕の上着を使って……。睦はいつも許嫁の花野のことを大切にしてくれた。
もし、あの日々が帰ってくるのなら……。
彼の微笑みそのままのような美しくてやさしい字を見つめる。
花野は小さく息を吐きだして――手紙を床に置くと顔をあげた。
「この手紙を燃やしてください」
まさは振りかえる。ぽかんとした顔で。
「はい?」
「私には必要ないものです。燃やして、捨ててください」
なにを云われているか理解し、まさはたじろいだ。
まさは中身を盗み見たのだろう。かつての許嫁からの手紙。それを読んだ花野がどんな反応を見せるか楽しみにしていたにちがない。
夫に冷遇され、女中に虐げられる毎日。
そこに救いの手が差しのべられたらどうするのか、と。
「な――霧灯睦といえばあなたの元許嫁でしょう? も、もっとちゃんとよく読んであげたらどうですか」
「そのような義理はありません。彼は乙華の婚約者であって私とは関係のないひとです。なのにこのような手紙を送ってくるなど不遜以外のなにものでもありません。そして」
花野はその場に座りなおした。
濡れた髪で、顔で、それでも毅然とまさを見据える。かつて、霧灯家の次期当主として尊ばれていた少女の面影をやどして。
「私は凪さまの妻です。ほかの殿方から懸想されても疎ましいだけ。いますぐ霧灯睦へと伝えなさい。二度とこのような手紙を送ってきてはなりません、と」
「…………」
「できないのですか」
「……このっ、」
まさは湯呑を持った手を振りかぶった。
ごん、と鈍い音を立てて湯呑が花野の額にあたったが、彼女は瞬きひとつしなかった。
僕が君に送ったシロツメクサの指輪のこと、君はまだ憶えているかな。
あのとき僕は、指輪を君の左手の薬指にはめてこう誓った。君を一生かけて幸せにする。
僕の言葉は心からのものだ。そしていまもそう思っている。
単刀直入に云おう。僕は君を愛している。君以外を愛したことなど一度もない。
乙華嬢との婚約は親に云われてのことだ。僕の心はずっと君にある。親が君との結婚を許してくれたらどんなにいいかと毎日願っていたよ。
でも現実はそうはならない。だから僕は君への想いをしまいこむほかなかったんだ。
このまえ本家に行ったとき、君が夫に冷淡な扱いを受けていると聞いた。
なぜそんなことをするんだろう? 僕には理解できない。君が妻なら、僕は毎日愛情をそそぐのに。
やはり影祓部隊の男などに君を任せてはおけない。
今度の満月の日、朝十時に新橋駅で落ちあおう。そしてふたりで僕たちのことを知るひとがいないところまで逃げよう。
必ず来てくれとは云わない。
でも僕は君を信じているし、いつまでも君を待っているよ。
――睦さん……
視界がぐらりと揺らいだ。
かつての許嫁。いつも上品に微笑んでいた彼は、幼い花野にとってとても特別なひとだった。
『おとなは、けっこんするときにゆびわをおくるんだ』
庭に咲いていたシロツメクサで彼は指輪を作ってくれた。そして花野の目を見つめて云った。きみをいっしょうかけてしあわせにするよ。
花野もそれを信じていた。大人になったら彼と結婚して、たくさん幸せにしてもらうと。
でも彼は乙華の婚約者になった。花野が霊力をなくしてしまったから。
そして――ある日本家を訪れた彼はなぜか花野が化粧台に隠していたシロツメクサの指輪を持っていて、押し花にして大切にしまってあったそれを草履の裏で踏みにじったのだった。
彼の隣には乙華がいた。ああ、乙華がやったのだ、とふたりが去ったあとで花の残骸をかきあつめながら花野は思った。集めようとするそばから風がさらってしまい、花野の手にはなにも残らなかった。
忘れていた――忘れようとしていた記憶だった。
初めて恋というものを教えてくれたひと。彼は妹のものになり、自分自身でその気持ちを踏みにじってみせたのだから。
なのに、あれから十年近く経ったいまほんとうはずっと花野が好きだったという。
手紙を持つ手が震えた。
どうして。どうしていまになって。
彼が乙華の婚約者になったと知ってから何度も思った。
どうかうそであってほしい。睦だけは真実に気づいていてほしい。私のことを想っていてほしい、と。
でもその願いは叶わなかった。
だから恋心も彼との思い出も忘れようとしたのに。
「どうして……」
どうして、いまになって……。
睦と逃げれば楽になれる?
もう、こんな思いをしなくて済む?
彼のやさしい微笑が心に浮かぶ。
花野さん、迷子になるといけないから手をつなごう。花野さん、僕の上着を使って……。睦はいつも許嫁の花野のことを大切にしてくれた。
もし、あの日々が帰ってくるのなら……。
彼の微笑みそのままのような美しくてやさしい字を見つめる。
花野は小さく息を吐きだして――手紙を床に置くと顔をあげた。
「この手紙を燃やしてください」
まさは振りかえる。ぽかんとした顔で。
「はい?」
「私には必要ないものです。燃やして、捨ててください」
なにを云われているか理解し、まさはたじろいだ。
まさは中身を盗み見たのだろう。かつての許嫁からの手紙。それを読んだ花野がどんな反応を見せるか楽しみにしていたにちがない。
夫に冷遇され、女中に虐げられる毎日。
そこに救いの手が差しのべられたらどうするのか、と。
「な――霧灯睦といえばあなたの元許嫁でしょう? も、もっとちゃんとよく読んであげたらどうですか」
「そのような義理はありません。彼は乙華の婚約者であって私とは関係のないひとです。なのにこのような手紙を送ってくるなど不遜以外のなにものでもありません。そして」
花野はその場に座りなおした。
濡れた髪で、顔で、それでも毅然とまさを見据える。かつて、霧灯家の次期当主として尊ばれていた少女の面影をやどして。
「私は凪さまの妻です。ほかの殿方から懸想されても疎ましいだけ。いますぐ霧灯睦へと伝えなさい。二度とこのような手紙を送ってきてはなりません、と」
「…………」
「できないのですか」
「……このっ、」
まさは湯呑を持った手を振りかぶった。
ごん、と鈍い音を立てて湯呑が花野の額にあたったが、彼女は瞬きひとつしなかった。



