【完結/長編版】月影の軍神と愛しの傷嫁~双子の妹にすべて奪われたのに冷酷な旦那さまのもとで妹より愛されてしまいました~




「乙華、今日は機嫌がいいのね」
「そうかしら。ふつうよ」

 朝食の場で母にそう問われ、乙華はそうかわした。母はもう姉になんの関心も持っていないとはいえ、彼女が家に監禁されていることを教えるわけにはいかない。

 夫には花野に男がいることをちらつかせたそうだ。昨日届いたまさの手紙にあったその記述を読んだとき、意外と機転の利く女中だと感心した。そして乙華の都合のいいように動いてくれる。

 花野が離縁されるのも時間の問題だと思った。
 そうしたらどうしてくれよう。意に沿わない結婚のせいでぼろぼろになった彼女のまえで、彼女のかつての許嫁と式を挙げるのもいいかもしれない。

 そう考えるとつい乙華の口元はゆるむのだった。

 座敷で箱膳のまえに座っているのは母と乙華だけだ。
 この家ではだれよりもまず当主が、その次に次期当主が優先される。たとえ当主の夫であっても食卓に同席することはない。

 乙華にとっても父親はいないも同然だった。婚約者――睦のことも特段好意を持っているわけではない。隣に置いておく男として見た目がよくて、家柄も申しぶんなくて、そして、姉のものだったから奪っただけ。

 睦の家は霧灯家の分家だ。彼が乙華に逆らうことはまずない。

 ほんとうはずっとおねえさまにいじめられていたの。乙華が大粒の涙を零しながらそう訴えれば、そうか、ぜんぜん気づかなかったよ、僕はずっと騙されていたんだね……そう云って自分のなかでの真実を歪めていった。

 彼はやさしいけれど自分の意思を持っていない。それはある意味では、霧灯家の当主の夫としてふさわしいと云えたが。

 ――睦さんがおねえさまに贈った花の指輪。あれを踏みにじらせたときの表情は傑作だったわ

 右手の薬指で輝く金の指輪を見ながら思いだす。
 シロツメクサで作った、愛らしい指輪。睦からもらったそれを花野は押し花にして自分の部屋の化粧台の引きだしにしまっていた。

 その指輪を乙華は持ちだして、自分の婚約者となった睦に花野のまえで踏みつけさせたのだった。

 睦はにこにこ微笑んでいた。
 乙華は着物の袖で口元を隠しながら唇を引きつらせるように笑っていた。
 花野は涙も流さず呆然としていた。

 あとはなにを奪えるだろう。旬の食材をふんだんに使った朝食を味わいながら思う。
 私が当然与えられるものを奪っていた姉から、あとはなにを奪える?

「……おかあさま。この蕗(ふき)の煮物苦いわ」
「あら、そう? ならおかあさまが食べてあげましょうね」
「うん――」

 乙華は斜向かいにいる母親に煮物の器を渡す。

 ――私、これ食べたくない。昔はそう云っても『甘えるんじゃありません』としか返されなかった。母は乙華を愛していなかったから。母は姉しか見ていなかったから。

 いまは愛されている。姉が、不幸になってくれたおかげで。


 残飯が入った皿を花野は両手首が縛られた手で持とうとする。
 うまく力が入らない。何度も取りおとして、やっと胸の高さまで持ちあげたとき、「はい、おしまいです」と横からまさの手が皿を取りあげた。

「あ……、」
「私だって忙しいんですから、花野さまにばかりかかずらっているわけにはいかないんですよ」

 ここにとらわれてからずっと野菜の切れ端や固くなった米を混ぜたものしか与えられていない。それも無事に食べられるときのほうがすくなく、大抵は花野の口に入るまえにまさに取りあげられていた。

「水くらいはあげますよ?――ほら!」

 湯呑に入った生ぬるい水を頭からかけられ、花野は目を閉じた。女中相手にこの扱いを受けて、心はさざ波立っているのに、それでも唇を濡らす滴を救いのように感じてしまう。

 いつの間にか梅雨が明け、外はぎらぎらと輝く太陽が照りつけるようになった。
 窓が閉めきられたこの部屋には風も入らない。体の水分は確実に奪われていた。

「随分お痩せになりましたね、骸骨みたいですよ。旦那さまに離縁されたら見世物小屋にお勤めするのはどうですか? いまのあなたなら化粧もいらないですし」
「…………」
「また無視ですか。つまらないひと。――そういえば、今朝、こんな手紙が届いていましたよ」

 ――手紙。凪さま……?

 水を滴らせたまま花野は顔をあげる。
「はい」とまさは封筒から便せんを取りだすと床に足を崩して座っている花野の膝元に放った。

 花野はそれを両手で取りあげる。
『式に行けなくて御免』――そんな書きだしではじまる手紙の差出人がだれか読みすすめているうちに気づき、彼女は顔色を変えた。


 式に行けなくて御免。君の花嫁姿はきっと美しかっただろうね。
 一目見たかったが、でも行かなくてよかったとも思う。