【完結/長編版】月影の軍神と愛しの傷嫁~双子の妹にすべて奪われたのに冷酷な旦那さまのもとで妹より愛されてしまいました~

 相楽との件にけりがついたことを伝えたいのだが、あれから花野は隊舎にきていない。もう四日目だった。

 足が痛むから来られないのだろうか。
 あのあときちんと医者に診せただろうか。化膿などしていないだろうか。青木に病院に送りとどけるよう云いつけるべきだっただろうか。

 不安はあとからあとから生まれてきて、小さく溜め息をついたとき、「月岡サン、こんにちは」と不意に声をかけられた。
『影』の研究員、神薗が白衣の袖をなびかせて歩いてくる。

「……なんだ。おまえか」
「待ち人でしたか」
「ここに用か?」
「月岡サンに用です」

 はい、と神薗は白衣のポケットから白い封筒を取りだす。
 受けとってみると宛名は凪。差出人は花野だった。消印の日付はかすれていて読めない。

「どうしておまえが」
「いや、どうもウチの郵便物にまぎれこんでいたみたいで。でも気づいてすぐ持ってきたんです、文句云わないでくださいね」

 たしかに、文句を云うべきは神薗ではなく配達先を間違えた郵便局員だろう。
「用件はこれだけか」と凪が云うと「まだありますよ」と神薗はすばやく周囲を確認した。
 他人に聞かれたくない話か。

「場所を変えるか」
「ええ。ああ、僕は獣肉は食えないのでどうかご配慮を」
「…………」

 隊舎の近くにある小料理屋の二階の座敷を借りることにした。ひととおり料理が運びこまれたあと、「僕たちは海外の『影祓部隊』――名称はそれぞれですが――と情報交換をしています」と神薗が味噌汁をすすったあとで云う。

「それでこのまえの『白き魔女』の情報を仕入れてきたんだったな」
「はい。や、海外はすごいですよ。『聖なる拳銃(ホーリー・ピストル)』とか云って神通力が宿った銃を街中でばんばんぶっぱなしてるそうですから。一度、交流会とかしてみたいものです」
「で?」
「で。ウチが『影』と呼んでるあの怪異ですが……日本(ニッポン)では『影』。英吉利では『亡霊』。独逸(ドイツ)では『影法師(ドッペルゲンガー)』と呼ばれるそうです」
「……ドッペルゲンガー?」
「直訳すると『二重に歩く者』。どうしてこう呼ばれるようになったか――のまえに、これらの呼び名には共通点がありますね。なんだかわかります?」

『影』。『亡霊』。『影法師』――または『二重に歩く者』。
 食欲は感じなかったが、機械的に焼き魚をほぐしながら答えた。

「人間がもとになっている」
「そうですね。影も影法師も人間がいなければできない。亡霊ももとは人間。二重に歩く者、とやらも本体が存在しなければ生まれないでしょう。ほかの国の呼び名も調べてみましたがどこもだいたい似たようなものでした。月岡サンはどうしてこんなふうに呼ばれるようになったと思います?」
「外見がひとの形に似ているからだろう」
「そうですね――頭、胴体、手、足、があればそりゃもう人間です。万国共通でね。でもこう考えるひともいるんですよ。"あいつらは、僕たち人間から生まれた"って」
「――?」

 凪は箸を止めて神薗を見た。不健康そうな男は卓上の定食をじっと見下ろしている。

「なぜ『影』がこの世に生まれたか。それは自分たちがこの世に生まれたからだ。なぜ『影』が自分たちを襲うのか。それは、本体を殺して成りかわろうとしているからだ。そう提唱している研究者はすくなくありません」
「…………」
「独逸にはもうひとつドッペルゲンガーと呼ばれる存在がいます。自分とまったく同じ姿をした分身のことです。それは自分の行きつけの店や友人宅の周りに現れ……だれとも話をせずに消え……そして、二回見ると見たひとは死んでしまうそうです。これは脳の異常で現実ではないってはっきり片づける医者もいますが、僕は『影』と深いかかわりがあると思いますね」
「……『影』がこうして飯を食ったりその辺を歩いたりすると? 日中に?」
「ふふ。あの真っ黒な外見じゃさすがに無理ですねえ」

 韜晦するように神薗は笑い、湯呑の茶を一気に呷る。
 ごとんと湯呑を卓上にもどしてからふたたび口を開いた。

「でもね月岡サン――ご存じのとおり『影』は写真機に映りません。なので過去の姿を知る手掛かりは絵にしかない。なので昔の『影』を描いた写しをあちこちの国から送ってもらったわけですが……」

 柄にもなく緊張しているのか、ふうぅ、と息を吐きだしたあとで彼は云う。

「昔の『影』はね、もっと不出来でしたよ。云われてみれば人型に見えるって程度。たしかに、夜に見たら恐怖で人間に見えるだろうって程度でね。――そう、何百年もかけて『影』は僕たち人間に近づいてきているんです。ふふ。何百年後の未来では、ほんとうにこうやって人間にまぎれて飯を食っているかもしれませんね」