たとえまさがそう云っているだけだとしても。凪を裏切ることは、花野にはできなかった。
震える声でつぶやく。
「ど……どうぞ。好きなだけ、焼いて……ください」
「花野さまがそうおっしゃるのなら仕方ないですね」
まさはにやりと笑う。
絹を裂くような花野の悲鳴が家中に響きわたったのは、その数秒後だった。
ずきずきと襲いくる痛みに花野は必死に耐えていた。
場所は二階。あのあとまさに連れてこられ、着物を脱がされたあと、両手を両足を腰紐で縛られた。足はベッドの脚と繋がっていて逃げられないようになっている。
襦袢姿にしたのはもし腰紐が切れても花野が外へ逃げられないようにだろうか。それとも、花野が持たされた高級な着物に袖を通してみたかったのだろうか。
『あなたにはもういりませんね。私が預かっておきます』――そう云ってまさは花野の着物を両手いっぱいにかかえて持っていってしまった。自分の欲を満たすためと花野を逃がさないようにするため、両方なのかもしれない。
顔も髪もまだしとどに濡れている。熱した菜箸を何度も押しつけられてできた、ミミズが這ったようなやけどの痕にそれを当てるということを思いつかなかった。床に横向きに倒れたまま花野は身をよじり、濡れた髪を腕にいくつもできたやけどにくっつける。
一瞬痛みがましになったが、すぐに熱がもどってくる。痛い、と自分がうわ言のように云っている声が他人の声のように聞こえた。
――こんな痛み、なんでもないはずだったのに。
以前の自分なら耐えられた。表情を変えることなくやりすごせた。
耐えられなくなってしまったのは――痛い、と感じてしまうのは――凪と出会ってしまったからだ。
花野が書かされた手紙を、配送が遅れたかなにかで凪はまだ読んでいないのかもしれない。
凪がすぐに足を怪我していることに気づき、花野の手を自分の腕へと持っていったとき思った。
あの手紙を読まないでください。
あれは、私の本心ではないのです。
花野はそう云おうとした。けれど、けっきょくは自分の心の奥底にしまいこんだ。
『うそつき女』
『あなた以外にだれがいるんです。そんなくだらないうそを吐くなんて』
『ほんとにずるがしこいひとですね』
乙華の人形を壊したのも、彼女の着物を汚したのも、庭の花を無残に切ってまわったのも私じゃない。そう幼い花野は女中たちに説明したが、だれも信じてはくれなかった。むしろ、云いわけしただけ罰は厳しくなって――そのうち、自分の言葉を信じてくれるひとはだれもいないのだと思うようになった。
だから凪にはなにも云えなかった。
うそつき女。彼にそう蔑まれたら、――それはきっと、息の根を止められるよりもつらいと思ったから。
面と向かって非難されるくらいなら、離れたところできらわれたほうがずっとましだった。
それに、と花野はやけどの痛みに顔をゆがめながら思う。
あのひとにお守りを渡せた。もしかしたら、手紙を読んだあとで彼は花野が渡したお守りを捨ててしまうかもしれない。それでも、渡せたという事実だけで充分だった。こんな自分にやさしくしてくれたあのひとに。
凪はあえて他人を遠ざけている。
あのお守りに入れる手紙を書きながら思ったけれど、自分でも気づかなかった傷を治療されているときに確信した。
彼はほんとうはだれよりもやさしくて、だれよりもこまやかな気遣いができるひとだ。でもそうしないようにしている。――なぜ?
『愛する相手を持ってしまったら太刀が鈍る』
はじめて会った日の夜に彼はそう云った。
仕事優先と取れる言葉だけれど、読みとけばそこには、自分が死んだあとに残す者のことを考えずに死地に飛びこんでいきたいという想いが見てとれる。
だれよりもはやく『影』と対峙するために。
ひとりでも多くのひとを守るために。
もし、そうだとしたら。
ただひたすらに孤独でいようとする彼の姿は、とてもかなしい。
――凪さまの妻が私でなければよかったのに。
こんな壊れた人形のような女ではなくて、彼によりそってあげられるひとだったなら。彼は、もっと……。
……でも、それももう夏までのことだ。
花野と離縁したのち、いつか彼は彼の妻としてふさわしいひとと出逢うだろう。そして花野のことなど忘れる。それでいい。
――だから、と花野は痛みにすすり泣くのをどうにかしてやめようとする。
願ってはいけない。たすけてほしいなんて。
だれにも届かなかったこの手をつかんでほしいなんて。
「凪、さま……」
花野の頬を涙が伝う。
心が痛みを感じなくなって以来、はじめて零れた涙だった。
隊舎のまえの道にでて凪は左右を見渡した。
震える声でつぶやく。
「ど……どうぞ。好きなだけ、焼いて……ください」
「花野さまがそうおっしゃるのなら仕方ないですね」
まさはにやりと笑う。
絹を裂くような花野の悲鳴が家中に響きわたったのは、その数秒後だった。
ずきずきと襲いくる痛みに花野は必死に耐えていた。
場所は二階。あのあとまさに連れてこられ、着物を脱がされたあと、両手を両足を腰紐で縛られた。足はベッドの脚と繋がっていて逃げられないようになっている。
襦袢姿にしたのはもし腰紐が切れても花野が外へ逃げられないようにだろうか。それとも、花野が持たされた高級な着物に袖を通してみたかったのだろうか。
『あなたにはもういりませんね。私が預かっておきます』――そう云ってまさは花野の着物を両手いっぱいにかかえて持っていってしまった。自分の欲を満たすためと花野を逃がさないようにするため、両方なのかもしれない。
顔も髪もまだしとどに濡れている。熱した菜箸を何度も押しつけられてできた、ミミズが這ったようなやけどの痕にそれを当てるということを思いつかなかった。床に横向きに倒れたまま花野は身をよじり、濡れた髪を腕にいくつもできたやけどにくっつける。
一瞬痛みがましになったが、すぐに熱がもどってくる。痛い、と自分がうわ言のように云っている声が他人の声のように聞こえた。
――こんな痛み、なんでもないはずだったのに。
以前の自分なら耐えられた。表情を変えることなくやりすごせた。
耐えられなくなってしまったのは――痛い、と感じてしまうのは――凪と出会ってしまったからだ。
花野が書かされた手紙を、配送が遅れたかなにかで凪はまだ読んでいないのかもしれない。
凪がすぐに足を怪我していることに気づき、花野の手を自分の腕へと持っていったとき思った。
あの手紙を読まないでください。
あれは、私の本心ではないのです。
花野はそう云おうとした。けれど、けっきょくは自分の心の奥底にしまいこんだ。
『うそつき女』
『あなた以外にだれがいるんです。そんなくだらないうそを吐くなんて』
『ほんとにずるがしこいひとですね』
乙華の人形を壊したのも、彼女の着物を汚したのも、庭の花を無残に切ってまわったのも私じゃない。そう幼い花野は女中たちに説明したが、だれも信じてはくれなかった。むしろ、云いわけしただけ罰は厳しくなって――そのうち、自分の言葉を信じてくれるひとはだれもいないのだと思うようになった。
だから凪にはなにも云えなかった。
うそつき女。彼にそう蔑まれたら、――それはきっと、息の根を止められるよりもつらいと思ったから。
面と向かって非難されるくらいなら、離れたところできらわれたほうがずっとましだった。
それに、と花野はやけどの痛みに顔をゆがめながら思う。
あのひとにお守りを渡せた。もしかしたら、手紙を読んだあとで彼は花野が渡したお守りを捨ててしまうかもしれない。それでも、渡せたという事実だけで充分だった。こんな自分にやさしくしてくれたあのひとに。
凪はあえて他人を遠ざけている。
あのお守りに入れる手紙を書きながら思ったけれど、自分でも気づかなかった傷を治療されているときに確信した。
彼はほんとうはだれよりもやさしくて、だれよりもこまやかな気遣いができるひとだ。でもそうしないようにしている。――なぜ?
『愛する相手を持ってしまったら太刀が鈍る』
はじめて会った日の夜に彼はそう云った。
仕事優先と取れる言葉だけれど、読みとけばそこには、自分が死んだあとに残す者のことを考えずに死地に飛びこんでいきたいという想いが見てとれる。
だれよりもはやく『影』と対峙するために。
ひとりでも多くのひとを守るために。
もし、そうだとしたら。
ただひたすらに孤独でいようとする彼の姿は、とてもかなしい。
――凪さまの妻が私でなければよかったのに。
こんな壊れた人形のような女ではなくて、彼によりそってあげられるひとだったなら。彼は、もっと……。
……でも、それももう夏までのことだ。
花野と離縁したのち、いつか彼は彼の妻としてふさわしいひとと出逢うだろう。そして花野のことなど忘れる。それでいい。
――だから、と花野は痛みにすすり泣くのをどうにかしてやめようとする。
願ってはいけない。たすけてほしいなんて。
だれにも届かなかったこの手をつかんでほしいなんて。
「凪、さま……」
花野の頬を涙が伝う。
心が痛みを感じなくなって以来、はじめて零れた涙だった。
隊舎のまえの道にでて凪は左右を見渡した。



