でもお役に立ててよかったです、と花野はやわらかい声で応える。
その声に心地よさを感じた。すこしまえまではなんとも思わなかったのに。
「――凪さま、これを」
凪もふたりにつづいて救護室をでようとしたとき、花野が背中に声をかけてきた。
振りかえると白い布で作られたお守りが彼女の手のひらに載っている。どうやら手作りらしい。
「これは……」
「私にもう霊力はありませんが。それでも、想いは込めたつもりです」
「…………」
「いってらっしゃい、凪さま」
受けとるとお守りはほのかに温かかった。
ずっとこれを懐に入れて家から歩いてきたのだろう。
凪に渡すため。足の怪我にも気づかないほど、一心に。
凪はお守りをにぎりこんだ。
彼女を愛してはならない。その決意を思いだしながら、うなずく。
「いってくる」
そのあと、凪がでていってひとりになった部屋で花野はぽつりとつぶやいた。
ふたたび、瞳を氷のように冷えきらせて。人形のような無表情にもどって。
――さようなら、と。
「……でも、ほんとによかったの。軍から刀を持ち逃げするなんて」
「しょうがねえだろ。俺がもう役に立たねえのは事実だ。ほかに方法なんてねぇ」
「でも……」
「大丈夫だ。俺がおまえを守ってやる」
「…………」
「二度と母ちゃんみてえに殺させねぇ。二度と――」
凪は土橋豆腐店のせまい階段を登り、声が聞こえてきた部屋のまえに立つ。
そして静かにふすまを開けた。
「つ――月岡隊長、」
「あっ……」
四畳の和室では相楽が女に膝枕されていた。
相楽は飛びおき、自由なほうの右目をいっぱいに見開く。女は凍りついた。
「なん……なんでここが」
「自分のことを新人にぺらぺら話したおまえが悪い」
「……ああ。そうですね。青木か……」
はあ、と大きな溜め息をつく。「刀はどこだ」と凪は問いかけた。
「……ここですよ」
相楽は敷かれていた布団の下から刀をひっぱりだす。そして力なく凪の足元に置いた。
凪は黙ってそれをつかみあげる。
「すんませんでした、隊長。どんな処分でも覚悟します。……いえ、どうせ俺は除隊になった身ですが」
「そうだな」
「とんだご迷惑を――」
そのとき、女が凪と相楽のあいだに入ってきた。「待って、待ってよ!」と相楽をかばうように両手を広げる。
「あたしが刀を持ってきてくれってこのひとに無理に頼みこんだんだ。このひとは悪くない。罰を与えるならあたしにしてください!」
「ゆう。おまえは黙ってろ」
「だって……!」
恋人同士のやりとりには興味がなかった。相楽が刀を持って逃げようとした理由にも。
たしかなのは、最悪の事態は回避できたこと。相楽も、だれも死なずに済んだこと。それだけだ。
「――傷の具合はどうだ」
え、と相楽はぽかんと凪を見上げる。
「部隊を離れても毎日ちゃんと医者に診せろ。いいな」
「は……、はい」
「それと、処分を下すのは俺ではなくて柴枝総隊長だ。口先だけでなにかを保証することは俺にはできない」
「……はい」
「だが、おまえは恋人を守ろうとした。それくらいは云いそえてやる。――柴枝総隊長に頭を下げにいくぞ、こい」
ふたりははっとしたように息を呑んだ。刀が無事であることを確認し、凪は階段のほうへもどる。
「隊長――」と相楽がよろめきながら部屋からでてきた。床に手をついて深く頭を下げる。
「すみませんでした。……わかってました。隊長が、俺が死なないように辞めろって云ってくれたこと」
「…………」
「それでも……それでもこいつのことを守りたかったんです。今度こそ自分の手で守りたかったんです。……ご迷惑をおかけしました。ほんとうに、ほんとうにすみませんでした」
凪は黙って階段を降りていく。
「あ、あの」と下で事態を見守っていた豆腐屋の主人とその妻が怯えたように声をかけてきた。
「隊長さん。あのふたりは……」
「……上にはありのままを伝えます」
「そう、ですか……」
相楽がなにか吹きこんだのか、このふたりは死神と忌避されている凪に悪感情は持っていないらしい。
凪はふたりに小さく頭を下げた。
「あの男のことをよろしくお願いします」
花野は無事に家についただろうか。外にでて、あとからやってきた相楽と軍本部へと歩きだしながら思う。
いままでの自分なら云わないようなことばかり口にした。失態だ。だが、それを後悔するつもりはなかった。
もし花野が横にいたら、きっと――
「……どうかしているな、俺は」
「え?」
「なんでもない」
きっと、あの笑顔にならない笑顔を見せてくれたかもしれない。
そんなことを思ってしまい、頭から振りはらおうとしたが、彼女の姿はなかなか消えてくれなかった。
そして、もう一度総隊長室を訪ねた凪は柴枝に相楽の刀を差しだした。柴枝は刀を抜いて状態をじっくりたしかめ、ふん、と息を吐く。相楽は「申しわけございませんでした」と部屋に入ってすぐ頭を下げ、それからずっと同じ体勢を取っている。
そのあいだに凪は『ありのまま』を柴枝に伝えた。
相楽は母親を『影』に殺されていること。もう二度と親しい人間を失いたくないと思っていたこと。そのため、影祓部隊を除隊されると聞いた彼は自分の手で恋人を守れるよう、間違っていると知りながら刀を持ち逃げしてしまったこと。
「こいつのしたことは許されることではありません。ですが事情を鑑み、どうか寛大なご処置をお願いいたします」
柴枝は無造作に刀の切っ先を凪に向けた。気配に気づき、相楽が頭をあげてぎくりとしたように片目を見開く。
「なら」と柴枝は鬼神の顔で云った。
「おまえが代わりに処分を受けるか」
「それでかまいません」
「な――」
「……変わったな。いや、もどったと云うべきか」
刀が鞘に納められる。
「恋人のために刀を持って逃げる、か。まるで三文芝居だな」と柴枝は吐きすてた。
「なら仕方ない。処分も芝居の程度にあわせるか」
「ということは――」
「相楽、まだおまえは影祓部隊の人間だろう。始末書と減俸で済ます。月岡、おまえも同様だ」
「……ありがとうございます」
「あ……ありがとうございます!」
ふと、柴枝はこのまえ凪が花野のことで面と向かって反論してきたことを根に持っていないのか気になった。まだ処分らしい処分もくだされていないのに。
だが自分から尋ねて藪から蛇をだすこともない。凪と相楽は深く頭を下げて、総隊長室をでる。
「ご迷惑をおかけしました。あの……引かれた給料のぶんは俺が払うので」
「部下が無駄な気を遣うな。おまえから金をもらうなんてぞっとする」
「……すみません」
それと、と彼はこっちが本題とばかりに語気をつよめる。
「月岡隊長、俺をかばってくれてほんとうにありがとうございました」
「事実を述べただけだ」
「はい。だからこそ……、ありがとうございます」
相楽は声をつまらせて云い、いて、と顔をしかめながら笑う。
「男前になったねってねねのやつに笑われちまいましたよ。不気味じゃないのか聞いたら軍人さんなら勲章でしょ、だそうです」
「豪胆な女だな」
「まったくです。さっきだって、俺をかばったあいつが月岡隊長ににらみ殺されたらどうしようかと思ってこっちはびくびくしてたのに」
「そんなことできるか」
部下の負傷による除隊。それはけして好ましい結果ではない。
けれど、年に一度訪れる墓の数が増えなかったことを考えれば。
相楽の人生がこれからもつづくことを考えれば。
『よかった』と胸をなでおろしても許されるだろう。そう、思った。
その声に心地よさを感じた。すこしまえまではなんとも思わなかったのに。
「――凪さま、これを」
凪もふたりにつづいて救護室をでようとしたとき、花野が背中に声をかけてきた。
振りかえると白い布で作られたお守りが彼女の手のひらに載っている。どうやら手作りらしい。
「これは……」
「私にもう霊力はありませんが。それでも、想いは込めたつもりです」
「…………」
「いってらっしゃい、凪さま」
受けとるとお守りはほのかに温かかった。
ずっとこれを懐に入れて家から歩いてきたのだろう。
凪に渡すため。足の怪我にも気づかないほど、一心に。
凪はお守りをにぎりこんだ。
彼女を愛してはならない。その決意を思いだしながら、うなずく。
「いってくる」
そのあと、凪がでていってひとりになった部屋で花野はぽつりとつぶやいた。
ふたたび、瞳を氷のように冷えきらせて。人形のような無表情にもどって。
――さようなら、と。
「……でも、ほんとによかったの。軍から刀を持ち逃げするなんて」
「しょうがねえだろ。俺がもう役に立たねえのは事実だ。ほかに方法なんてねぇ」
「でも……」
「大丈夫だ。俺がおまえを守ってやる」
「…………」
「二度と母ちゃんみてえに殺させねぇ。二度と――」
凪は土橋豆腐店のせまい階段を登り、声が聞こえてきた部屋のまえに立つ。
そして静かにふすまを開けた。
「つ――月岡隊長、」
「あっ……」
四畳の和室では相楽が女に膝枕されていた。
相楽は飛びおき、自由なほうの右目をいっぱいに見開く。女は凍りついた。
「なん……なんでここが」
「自分のことを新人にぺらぺら話したおまえが悪い」
「……ああ。そうですね。青木か……」
はあ、と大きな溜め息をつく。「刀はどこだ」と凪は問いかけた。
「……ここですよ」
相楽は敷かれていた布団の下から刀をひっぱりだす。そして力なく凪の足元に置いた。
凪は黙ってそれをつかみあげる。
「すんませんでした、隊長。どんな処分でも覚悟します。……いえ、どうせ俺は除隊になった身ですが」
「そうだな」
「とんだご迷惑を――」
そのとき、女が凪と相楽のあいだに入ってきた。「待って、待ってよ!」と相楽をかばうように両手を広げる。
「あたしが刀を持ってきてくれってこのひとに無理に頼みこんだんだ。このひとは悪くない。罰を与えるならあたしにしてください!」
「ゆう。おまえは黙ってろ」
「だって……!」
恋人同士のやりとりには興味がなかった。相楽が刀を持って逃げようとした理由にも。
たしかなのは、最悪の事態は回避できたこと。相楽も、だれも死なずに済んだこと。それだけだ。
「――傷の具合はどうだ」
え、と相楽はぽかんと凪を見上げる。
「部隊を離れても毎日ちゃんと医者に診せろ。いいな」
「は……、はい」
「それと、処分を下すのは俺ではなくて柴枝総隊長だ。口先だけでなにかを保証することは俺にはできない」
「……はい」
「だが、おまえは恋人を守ろうとした。それくらいは云いそえてやる。――柴枝総隊長に頭を下げにいくぞ、こい」
ふたりははっとしたように息を呑んだ。刀が無事であることを確認し、凪は階段のほうへもどる。
「隊長――」と相楽がよろめきながら部屋からでてきた。床に手をついて深く頭を下げる。
「すみませんでした。……わかってました。隊長が、俺が死なないように辞めろって云ってくれたこと」
「…………」
「それでも……それでもこいつのことを守りたかったんです。今度こそ自分の手で守りたかったんです。……ご迷惑をおかけしました。ほんとうに、ほんとうにすみませんでした」
凪は黙って階段を降りていく。
「あ、あの」と下で事態を見守っていた豆腐屋の主人とその妻が怯えたように声をかけてきた。
「隊長さん。あのふたりは……」
「……上にはありのままを伝えます」
「そう、ですか……」
相楽がなにか吹きこんだのか、このふたりは死神と忌避されている凪に悪感情は持っていないらしい。
凪はふたりに小さく頭を下げた。
「あの男のことをよろしくお願いします」
花野は無事に家についただろうか。外にでて、あとからやってきた相楽と軍本部へと歩きだしながら思う。
いままでの自分なら云わないようなことばかり口にした。失態だ。だが、それを後悔するつもりはなかった。
もし花野が横にいたら、きっと――
「……どうかしているな、俺は」
「え?」
「なんでもない」
きっと、あの笑顔にならない笑顔を見せてくれたかもしれない。
そんなことを思ってしまい、頭から振りはらおうとしたが、彼女の姿はなかなか消えてくれなかった。
そして、もう一度総隊長室を訪ねた凪は柴枝に相楽の刀を差しだした。柴枝は刀を抜いて状態をじっくりたしかめ、ふん、と息を吐く。相楽は「申しわけございませんでした」と部屋に入ってすぐ頭を下げ、それからずっと同じ体勢を取っている。
そのあいだに凪は『ありのまま』を柴枝に伝えた。
相楽は母親を『影』に殺されていること。もう二度と親しい人間を失いたくないと思っていたこと。そのため、影祓部隊を除隊されると聞いた彼は自分の手で恋人を守れるよう、間違っていると知りながら刀を持ち逃げしてしまったこと。
「こいつのしたことは許されることではありません。ですが事情を鑑み、どうか寛大なご処置をお願いいたします」
柴枝は無造作に刀の切っ先を凪に向けた。気配に気づき、相楽が頭をあげてぎくりとしたように片目を見開く。
「なら」と柴枝は鬼神の顔で云った。
「おまえが代わりに処分を受けるか」
「それでかまいません」
「な――」
「……変わったな。いや、もどったと云うべきか」
刀が鞘に納められる。
「恋人のために刀を持って逃げる、か。まるで三文芝居だな」と柴枝は吐きすてた。
「なら仕方ない。処分も芝居の程度にあわせるか」
「ということは――」
「相楽、まだおまえは影祓部隊の人間だろう。始末書と減俸で済ます。月岡、おまえも同様だ」
「……ありがとうございます」
「あ……ありがとうございます!」
ふと、柴枝はこのまえ凪が花野のことで面と向かって反論してきたことを根に持っていないのか気になった。まだ処分らしい処分もくだされていないのに。
だが自分から尋ねて藪から蛇をだすこともない。凪と相楽は深く頭を下げて、総隊長室をでる。
「ご迷惑をおかけしました。あの……引かれた給料のぶんは俺が払うので」
「部下が無駄な気を遣うな。おまえから金をもらうなんてぞっとする」
「……すみません」
それと、と彼はこっちが本題とばかりに語気をつよめる。
「月岡隊長、俺をかばってくれてほんとうにありがとうございました」
「事実を述べただけだ」
「はい。だからこそ……、ありがとうございます」
相楽は声をつまらせて云い、いて、と顔をしかめながら笑う。
「男前になったねってねねのやつに笑われちまいましたよ。不気味じゃないのか聞いたら軍人さんなら勲章でしょ、だそうです」
「豪胆な女だな」
「まったくです。さっきだって、俺をかばったあいつが月岡隊長ににらみ殺されたらどうしようかと思ってこっちはびくびくしてたのに」
「そんなことできるか」
部下の負傷による除隊。それはけして好ましい結果ではない。
けれど、年に一度訪れる墓の数が増えなかったことを考えれば。
相楽の人生がこれからもつづくことを考えれば。
『よかった』と胸をなでおろしても許されるだろう。そう、思った。



