足袋にも泥がついていたが、彼女の足は一点の染みもなく白い。
それが血で赤く濡れているのが痛々しかった。顔をしかめ、凪はまず清潔なガーゼで血をぬぐう。
「あの、道具さえあれば自分でできますから」
「いいから。――どうした、青木。相楽の行き先に心当たりはないのか」
「え、ええと……」
ふたりの様子にどぎまぎしていた青木は我に返り、口を開く。
「……影祓部隊以外に親しい人間はいないと相楽副隊長はおっしゃっていました。な……なので、だれか知人の家に逃げこんだ可能性はないと思います」
「ほかは」
「わ、わかりません。ただ、もしかしたら故郷に帰ったかもしれません」
「あいつの母親はもう鬼籍に入っている」
「そうですが。故郷の景色を見たい、墓の下で眠っている母親に制服姿を見せたいと考えた可能性も」
相楽の故郷は金沢だ。いまから行って夜までに帰ってこられるか。部下を――青木を向かわせるしかない。
頭のなかでそう算段しながら花野の傷をエタノールで消毒し、小さな親指と人差し指に新しいガーゼを巻きつける。
ありがとうございました、と花野は小声で礼を云ってきた。
そして――
「あの……青木さま」
「えっ? は、はい!」
彼女は肩越しに青木を振りかえる。急に名前を呼ばれて青木は面食らったようだ。
それを気にした様子なく花野は云った。
「相楽さまに恋人はいらっしゃらないのですか?」
「こ……恋人、ですか」
「はい。窮地に追いこまれた殿方が逃げこむのは、まず親しい女性のもとではないでしょうか」
云われてみればそのとおりだった。その可能性を排除していたのは、青木がさっき『親しい人間はいない』と云ったからで――だが、よく思いだせば相楽は青木に自分の女の話をしていた。いないわけがない。
青木はうそをついている。
相楽を、凪からかばうために。
「青木。相楽の恋人の居場所を教えろ」
「……し、知りません」
「おまえがそうやって隠すことで何の罪もない国民が犠牲になるかもしれない。それを承知であいつをかばうのか」
「じ……自分は――」
「――凪さま」
青木をにらみつける凪の名を花野がそっと呼ぶ。
なんだ、と顔を向けた凪に向けて彼女は云った。
「どうして……どうしてそのようにご自身が悪者になるような云いかたをされるのですか?」
「……は?」
青みがかかった瞳で花野はこちらを見ていた。心の奥まで見透かされそうな、不思議な瞳で。
「さしでがましいことを云っているのはわかっています。でも、凪さまは心配なのでしょう? 相楽さまのことが」
「……あいつのことなんて、」
「心配なのは……だれかが犠牲になってしまうことだけでなく、そのせいで相楽さまが処罰されることもでしょう?」
――あなたは、とてもやさしいかたですから。
凍りついた湖のような花野の瞳。それが揺らいだと思ったのは、凪の心の動揺が彼女の目に映りこんだからだったのかもしれない。
自分がやさしい。そんなはずはない。親しい人間を見送るのがいやになって以来、ずっと他人を遠ざけてきたのだから。
だが、花野の云っていることは――
「どうしてあなたにそんなことがわかる」
「わかります。……かりそめでも、あなたの妻ですもの」
凪は云いかえそうとしたが、言葉が見つからなかった。
彼女とはたいした時間も過ごしていない。まだ、その肌にふれてさえいない。なのになにがわかるというのか。
けれど――
自分と同じように笑えなくなった彼女なら。凪が孤独をえらんだ理由も、わかるのかもしれなかった。
「……豆腐店です」
やがて青木がぼそりとつぶやいた。
「三丁目の土橋豆腐店です。そこの娘と相楽副隊長は懇意にしていて……あのひとが行くとしたら、きっとそこだと思います」
豆腐。なにか聞きおぼえがあると思ったら、いつだか相楽が『俺は豆腐でも食ってきます』と云っていた。
あいつは凪に自分のことを知ってほしかったのかもしれない。だから匂わせるようなことを口にした。知ろうとしなかったのは、凪のほうだ。
「……そうか。わかった」
「隊長、あの――」
「あいつを迎えにいってくる」
凪は立ちあがり、青木が云おうとした言葉をさえぎった。そうしてふたりに命令する。
「俥を呼んで彼女を家まで帰してくれ。晴田、おまえは隊員たちに相楽の居場所の見当がついたと連絡を」
「わかりました」
「……、はい!」
ふたりは救護室をでていく。
無人となった部屋のなかで、凪は扉のほうを見ながら「礼を云う」と花野に向けて云った。
「あなたがいなかったらあいつは口を割らなかっただろう」
「いえ、そのようなことは……」
それが血で赤く濡れているのが痛々しかった。顔をしかめ、凪はまず清潔なガーゼで血をぬぐう。
「あの、道具さえあれば自分でできますから」
「いいから。――どうした、青木。相楽の行き先に心当たりはないのか」
「え、ええと……」
ふたりの様子にどぎまぎしていた青木は我に返り、口を開く。
「……影祓部隊以外に親しい人間はいないと相楽副隊長はおっしゃっていました。な……なので、だれか知人の家に逃げこんだ可能性はないと思います」
「ほかは」
「わ、わかりません。ただ、もしかしたら故郷に帰ったかもしれません」
「あいつの母親はもう鬼籍に入っている」
「そうですが。故郷の景色を見たい、墓の下で眠っている母親に制服姿を見せたいと考えた可能性も」
相楽の故郷は金沢だ。いまから行って夜までに帰ってこられるか。部下を――青木を向かわせるしかない。
頭のなかでそう算段しながら花野の傷をエタノールで消毒し、小さな親指と人差し指に新しいガーゼを巻きつける。
ありがとうございました、と花野は小声で礼を云ってきた。
そして――
「あの……青木さま」
「えっ? は、はい!」
彼女は肩越しに青木を振りかえる。急に名前を呼ばれて青木は面食らったようだ。
それを気にした様子なく花野は云った。
「相楽さまに恋人はいらっしゃらないのですか?」
「こ……恋人、ですか」
「はい。窮地に追いこまれた殿方が逃げこむのは、まず親しい女性のもとではないでしょうか」
云われてみればそのとおりだった。その可能性を排除していたのは、青木がさっき『親しい人間はいない』と云ったからで――だが、よく思いだせば相楽は青木に自分の女の話をしていた。いないわけがない。
青木はうそをついている。
相楽を、凪からかばうために。
「青木。相楽の恋人の居場所を教えろ」
「……し、知りません」
「おまえがそうやって隠すことで何の罪もない国民が犠牲になるかもしれない。それを承知であいつをかばうのか」
「じ……自分は――」
「――凪さま」
青木をにらみつける凪の名を花野がそっと呼ぶ。
なんだ、と顔を向けた凪に向けて彼女は云った。
「どうして……どうしてそのようにご自身が悪者になるような云いかたをされるのですか?」
「……は?」
青みがかかった瞳で花野はこちらを見ていた。心の奥まで見透かされそうな、不思議な瞳で。
「さしでがましいことを云っているのはわかっています。でも、凪さまは心配なのでしょう? 相楽さまのことが」
「……あいつのことなんて、」
「心配なのは……だれかが犠牲になってしまうことだけでなく、そのせいで相楽さまが処罰されることもでしょう?」
――あなたは、とてもやさしいかたですから。
凍りついた湖のような花野の瞳。それが揺らいだと思ったのは、凪の心の動揺が彼女の目に映りこんだからだったのかもしれない。
自分がやさしい。そんなはずはない。親しい人間を見送るのがいやになって以来、ずっと他人を遠ざけてきたのだから。
だが、花野の云っていることは――
「どうしてあなたにそんなことがわかる」
「わかります。……かりそめでも、あなたの妻ですもの」
凪は云いかえそうとしたが、言葉が見つからなかった。
彼女とはたいした時間も過ごしていない。まだ、その肌にふれてさえいない。なのになにがわかるというのか。
けれど――
自分と同じように笑えなくなった彼女なら。凪が孤独をえらんだ理由も、わかるのかもしれなかった。
「……豆腐店です」
やがて青木がぼそりとつぶやいた。
「三丁目の土橋豆腐店です。そこの娘と相楽副隊長は懇意にしていて……あのひとが行くとしたら、きっとそこだと思います」
豆腐。なにか聞きおぼえがあると思ったら、いつだか相楽が『俺は豆腐でも食ってきます』と云っていた。
あいつは凪に自分のことを知ってほしかったのかもしれない。だから匂わせるようなことを口にした。知ろうとしなかったのは、凪のほうだ。
「……そうか。わかった」
「隊長、あの――」
「あいつを迎えにいってくる」
凪は立ちあがり、青木が云おうとした言葉をさえぎった。そうしてふたりに命令する。
「俥を呼んで彼女を家まで帰してくれ。晴田、おまえは隊員たちに相楽の居場所の見当がついたと連絡を」
「わかりました」
「……、はい!」
ふたりは救護室をでていく。
無人となった部屋のなかで、凪は扉のほうを見ながら「礼を云う」と花野に向けて云った。
「あなたがいなかったらあいつは口を割らなかっただろう」
「いえ、そのようなことは……」



