あの男に、もう、帰る場所はない。
だから逃げたのか。ほかに居場所がないから。
だが、どこへ。
躊躇している青木の背中を凪は乱暴に押した。そして自分は着替えてから総隊長室へと走る。
空はいまにも雨が降りそうな曇天。いつの間にか梅雨に突入していた。地面はぬかるみ、道がいいとはけして云えない。
凪から報告を受けた柴枝は鼻から息を吐きだした。
「おまえの失態だな、月岡」
「……申しわけございません」
最低でも刀は預かっておくべきだった。あんな怪我ではなにもできないだろうと高をくくっていたのだ。
「相楽を見つけだせ。自暴自棄になって一般人を襲うようなことでもあれば影祓部隊全体が責を問われる」
「……はい」
「おまえの処分はそれからだ」
はい、ともう一度頭を下げて凪は総隊長室を辞した。
刀を取りあげなかったこと。言葉えらびを間違えたこと。後悔は募るが、いまは相楽を見つけるのが先だ。
急ぎ足で隊舎へともどる。
話は全隊員に伝わったらしい。「月岡隊長――」と建物の裏を見てきたらしい二番隊隊長の晴田が駆けてくる。
「相楽くんが消えたというのはほんとうですか」
「……そうだ。いま、柴枝総隊長に報告してきた」
「なんてことだ……」
だれもが最悪の事態を考えているだろう。
やけになった相楽がだれかを斬りつける。その次に最悪なのが、自らの刀で命を絶つことだ。どちらにしても取りかえしがつかない。
「居場所の心当たりはありますか?」
「……わからない。俺より青木のほうが詳しいだろう」
「そうですね。呼んできます」
隊舎のなかへもどっていく晴田と別れ、凪は通りへでた。そのときだれかとぶつかりそうになる。
「あっ――」
相手は花野だった。数日ぶりに見るその顔に凪は驚く。
顔を見せないことには気がついていたが、弁当を届けるのが面倒になったのだろうと深く考えようとしていなかった。なにがあったのか気にするのはまるで彼女の来訪を待ちわびているようだし、相楽のことでそれどころではなかったというのもある。
「すまないが、いまは……」
弁当どころではない。そう思ったが彼女は手ぶらで、立ち姿がどこかおかしかった。
――足に怪我をしている?
凪はすばやく花野に視線を走らせる。
理由はすぐにわかった。足袋の、親指と人差し指のあいだが赤くにじんでいる。
「なぜこんなところを……」
疑問が声になっていた。花野はそう云われてはじめて自分が怪我をしていることに気がついたらしく、「あ……」と足元を見てあわてる。
「すみません――夢中だったもので」
「……まさか、家からここまで歩いてきたのか?」
花野の足では三時間はかかるだろう。
それを、歩きなれていない下駄でくるなんて。それも足場の悪い道を。
「どうして俥を使わなかったんだ」
「……お財布を落としてしまいまして」
「そんなもの、ついてから俺に払わせればいい。……なんて無茶をするんだ」
花野は困ったような顔をする。
ちがう。責めたいわけではない。ただ、自分を大切にしてほしいだけなのに。
「すぐ手当てをする。来てくれ」
「あ、……」
凪は花野の手――花びらのように頼りなく、力を入れたら壊れてしまいそうだった――を取って自分の腕へと導く。
花野は信じられないように凪の顔を見た。どうしてそんな表情をされるのかわからなかったが、とにかく怪我の手当てが先だと隊舎に向かおうとした。
だが、それより先に花野が云う。凪と怒号が聞こえてくる隊舎を見比べながら。
「でも、みなさまいまは忙しいのでは……?」
凪は口ごもった。
『妻』であれど花野は部外者だ。影祓部隊のなかで起きたことを安易に話していいはずがない。
だが、凪はすこし悩んだあとで云っていた。相楽という部下が失踪した、と。
「部屋からは刀が消えている。一刻もはやく見つけなければ間違いが起こるかもしれない」
「……それでは、私にかまっているひまなんて」
ない、のかもしれない。
だが凪は自分のその声を無視した。玄関の扉を開けた晴田と青木に、「彼女を救護室に連れていく。話はそこで」と伝える。
そして花野に泥で汚れた下駄を脱ぐように云い、彼女に腕をしっかりつかませて隊舎のなかへと入った。ふたりが目を丸くしていることには気づかずに。
「――それで? 心当たりは?」
昼間だから医者は不在だ。花野を救護室の椅子に座らせ、足元にひざまずいて足袋を脱がせると小さな足を自分の膝の上に載せた。
「な――凪さま、いけません。制服が汚れてしまいます」
「影祓部隊の制服など汚れるためにあるようなものだ」
だから逃げたのか。ほかに居場所がないから。
だが、どこへ。
躊躇している青木の背中を凪は乱暴に押した。そして自分は着替えてから総隊長室へと走る。
空はいまにも雨が降りそうな曇天。いつの間にか梅雨に突入していた。地面はぬかるみ、道がいいとはけして云えない。
凪から報告を受けた柴枝は鼻から息を吐きだした。
「おまえの失態だな、月岡」
「……申しわけございません」
最低でも刀は預かっておくべきだった。あんな怪我ではなにもできないだろうと高をくくっていたのだ。
「相楽を見つけだせ。自暴自棄になって一般人を襲うようなことでもあれば影祓部隊全体が責を問われる」
「……はい」
「おまえの処分はそれからだ」
はい、ともう一度頭を下げて凪は総隊長室を辞した。
刀を取りあげなかったこと。言葉えらびを間違えたこと。後悔は募るが、いまは相楽を見つけるのが先だ。
急ぎ足で隊舎へともどる。
話は全隊員に伝わったらしい。「月岡隊長――」と建物の裏を見てきたらしい二番隊隊長の晴田が駆けてくる。
「相楽くんが消えたというのはほんとうですか」
「……そうだ。いま、柴枝総隊長に報告してきた」
「なんてことだ……」
だれもが最悪の事態を考えているだろう。
やけになった相楽がだれかを斬りつける。その次に最悪なのが、自らの刀で命を絶つことだ。どちらにしても取りかえしがつかない。
「居場所の心当たりはありますか?」
「……わからない。俺より青木のほうが詳しいだろう」
「そうですね。呼んできます」
隊舎のなかへもどっていく晴田と別れ、凪は通りへでた。そのときだれかとぶつかりそうになる。
「あっ――」
相手は花野だった。数日ぶりに見るその顔に凪は驚く。
顔を見せないことには気がついていたが、弁当を届けるのが面倒になったのだろうと深く考えようとしていなかった。なにがあったのか気にするのはまるで彼女の来訪を待ちわびているようだし、相楽のことでそれどころではなかったというのもある。
「すまないが、いまは……」
弁当どころではない。そう思ったが彼女は手ぶらで、立ち姿がどこかおかしかった。
――足に怪我をしている?
凪はすばやく花野に視線を走らせる。
理由はすぐにわかった。足袋の、親指と人差し指のあいだが赤くにじんでいる。
「なぜこんなところを……」
疑問が声になっていた。花野はそう云われてはじめて自分が怪我をしていることに気がついたらしく、「あ……」と足元を見てあわてる。
「すみません――夢中だったもので」
「……まさか、家からここまで歩いてきたのか?」
花野の足では三時間はかかるだろう。
それを、歩きなれていない下駄でくるなんて。それも足場の悪い道を。
「どうして俥を使わなかったんだ」
「……お財布を落としてしまいまして」
「そんなもの、ついてから俺に払わせればいい。……なんて無茶をするんだ」
花野は困ったような顔をする。
ちがう。責めたいわけではない。ただ、自分を大切にしてほしいだけなのに。
「すぐ手当てをする。来てくれ」
「あ、……」
凪は花野の手――花びらのように頼りなく、力を入れたら壊れてしまいそうだった――を取って自分の腕へと導く。
花野は信じられないように凪の顔を見た。どうしてそんな表情をされるのかわからなかったが、とにかく怪我の手当てが先だと隊舎に向かおうとした。
だが、それより先に花野が云う。凪と怒号が聞こえてくる隊舎を見比べながら。
「でも、みなさまいまは忙しいのでは……?」
凪は口ごもった。
『妻』であれど花野は部外者だ。影祓部隊のなかで起きたことを安易に話していいはずがない。
だが、凪はすこし悩んだあとで云っていた。相楽という部下が失踪した、と。
「部屋からは刀が消えている。一刻もはやく見つけなければ間違いが起こるかもしれない」
「……それでは、私にかまっているひまなんて」
ない、のかもしれない。
だが凪は自分のその声を無視した。玄関の扉を開けた晴田と青木に、「彼女を救護室に連れていく。話はそこで」と伝える。
そして花野に泥で汚れた下駄を脱ぐように云い、彼女に腕をしっかりつかませて隊舎のなかへと入った。ふたりが目を丸くしていることには気づかずに。
「――それで? 心当たりは?」
昼間だから医者は不在だ。花野を救護室の椅子に座らせ、足元にひざまずいて足袋を脱がせると小さな足を自分の膝の上に載せた。
「な――凪さま、いけません。制服が汚れてしまいます」
「影祓部隊の制服など汚れるためにあるようなものだ」



