どこか狭いところに閉じこめられることにも、ひとりで過ごすことにも慣れている。
でも、凪と暮らすはずだった家の二階の部屋での日々は曇天の下を手ぶらで歩くように心もとなかった。
もうすぐ雨が降る。その予感に怯えるように、心の隙間に恐れが入りこむ。
どうか雨が降るまえにだれかに迎えにきてほしい。傘を持ったあのひとに。そんなことを願ってしまう。
ひとりぼっちで生きて、ひとりぼっちで死んでいく。
それが自分に与えられた宿命のはずなのに。
手慰みに万年筆で紙に凪の似顔絵を描いた。無表情ばかり。
私はあのひとの笑顔を見たことさえない――ふと手が止まって、インクが紙ににじんでいくなかで思う。
――私と一緒にいてもあのひとは楽しくなかっただろう。
――だったら。残りの二ヵ月間、もう会わないようにしたほうがいい。
だれかが花野を愛してくれる。祖母がくれた、お守りのような言葉はあの暗闇のなかで何度も取りだして手でなでているうちにすりきれてしまっていた。
ほんとうはわかっていた。自分をたすけてくれるひとなんてだれもいないことを。自分に幸せになる資格なんてないことを。
――凪さまはもうあの手紙を読んだだろうか。
あなたに会うのに疲れた。弁当を持っていくのは負担だった、そんな内容の手紙。
あれを読んだ凪は傷ついただろうか。だったらはじめから持ってこなければよかったんだ、と怒っただろうか。なんにせよ、もう、『妻』への愛想は尽きたにちがいない。
凪がこの家に帰ってくることは二度とないだろう。
そして花野はまさに監視されていて、俥に乗る金も取りあげられている。会いにいくことはできない。
――せめて、たった一言。
――あなたの無事をお祈りしていますと告げられたら。
だれかに生きていてほしい。こんなことを思ったのは、祖母を亡くしてからはじめてだった。
花野は万年筆を机に置く。
――おばあさまが私にやさしい言葉をかけてくれたように、私も、あのひとにそうできたら。
お金もないのに神社やお寺でお守りをいただいてくることはできない。それでも……。
洋風の部屋にはやや不釣りあいな白い桐箪笥のまえへと行き、白いハンカチを取りだす。部屋には裁縫道具も用意されていた。
カーテンを開けて光をいっぱいに取りいれて、窓のまえのベッドに腰かけてハンカチに鋏を入れる。
じゃき、という音は後ろむきな自分の想いを断ちきってくれるように聞こえた。
――これは凪さまにとって迷惑かもしれない。こんなことしないほうがいいのかもしれない。
――いえ、きっと迷惑なはず。
――でも。それでも、あのひとのためになにかしたい。
――どうせ。……もう、あとは離縁を宣告されるときまで会えないのだから。
ハンカチを切り、小さな袋のかたちに縫いあわせる。そして裁縫箱に一緒に入っていた紅い紐を袋の口に取りつけて蝶結びにした。
――なかに入れるものは……
部屋を見まわした花野の目に机の上の便せんが止まる。
彼女は机のまえに座ると万年筆を手に取った。凪の無事と、彼の孤独を想いながら。
相楽が部屋にいない。
そのことに気がついたのは青木だった。彼は凪とふたりだけの務めを終えて朝方就寝し、昼に起きて、けがをしてからずっと部屋に閉じこもっている相楽のところに飯を持っていった。
今日も受けとってはもらえないだろう。それでも扉をノックし、『相楽副隊長、飯を持ってきました』と声をかける。
いままでは『うるさい、下がれ』と返ってきていた。だが今回はなにも聞こえてない。
不審に思って扉を開けると部屋はもぬけの殻。
しかも壁にかけられていた刀が見つからなかった。
『さ――相楽副隊長……!?』
青木は持っていた盆をひっくりかえすと凪の部屋に駆けこんだ。いつも眠りは浅いため、すぐに目を覚ました凪に事情を説明する。
「……刀を持って消えたなら、自らの意思だろうな」
「は、はい……」
なんらかの事件に巻きこまれた可能性は低い。
夜――『影』が出現する時間に隊舎はほぼ無人となる。その隙をついて逃げだしたのか。
なんのために。
問うまでもない。まだ、あいつに『影』を斬れる刀が必要だからだ。
――なぜそこまでこだわる。
あんな大怪我をしてまでつづけなければならないのか。理解しがたい。
「全員叩き起こせ。俺は柴枝総隊長に報告する」
「はっ」
青木は部屋をでようとして足を止めた。どうした、と凪は問う。
「い、いえ……。相楽副隊長が見つかったらどうするのですか」
「どうもこうもない。刀を取りあげて実家に帰すだけだ」
そう云ってから思いだした。彼の唯一の肉親である母親は死んでいる。



