【完結/長編版】月影の軍神と愛しの傷嫁~双子の妹にすべて奪われたのに冷酷な旦那さまのもとで妹より愛されてしまいました~

 凪は懐中時計を取りだした。隊長への昇格祝い――なにもめでたいことはない、上がすべて負傷するか死ぬかしただけだ――に柴枝からもらった時計だ。

 相楽なら二十分もあれば片づけるだろう。凪は時計の秒針を見守り、

 ――十分。
 ――十五分。
 ――二十分。
 ――二十五分。

 異常を察知して腰を浮かせた。凪の概算よりも五分多くかかっている。
 千里眼をちらりとふりかえったが、新たな『影』の気配を察知した様子はない。ふたりの様子を見にいかなければ、と凪は詰め所を飛びだした。

 そして、目の当たりにした光景は。

「た、隊長! たすけてください……っ!」

 相楽を背負って駆けてくる青木と、その背中でぐったりしている相楽。そしてふたりの向こうで踊るように跳ねている『影』の姿だった。

「息は?」

 刀の鞘に手をかけて凪は問う。
 青木は一瞬なにを問われたのかわからない顔をしたあと、「あ……あります。で、ですが顔を。顔を、あの、俺をかばって顔と腕をやられて、て、手当てをしないと。し……死んで、死んでしまいます」と錯乱したように云う。

「なら降ろせ」
「え」
「『影』は生きている。相楽を降ろし、刀を持って対峙しろ。背中を向けるな。おまえが逃げれば、次の標的になるのは戦えない国民だ」
「う……っ」

 青木は全身をがくがくと震わせる。「で……ですが! ですが、相楽副隊長が……っ!」とわめくのを無視し、凪は『影』との間合いを測った。

 二歩。
 わずか二歩で『影』に近づき、目にもとまらぬ速さで両断する。

 きん、とつめたい音を立てて刀を鞘に納めるときにはすでに『影』はただの黒い霧となっていた。

「――臆病者め」

 青木は相楽の体を落とさないよう必死にこらえる。

 ――ちがうんです、月岡隊長。逃げようとしたわけじゃありません。相楽副隊長は俺に経験を積ませようとして俺に『影』を倒させようとしました。でも俺がしくじった。だから副隊長は俺をかばって……俺のせいだから……俺が、俺が病院まで連れていかなくっちゃって……

「近辺を見まわってくる。おまえは隊舎にもどれ」
「…………」
「それと、『影』が恐ろしいと感じたならこの仕事は辞めろ。おまえのようなやつがいても足手まといになるだけだ」
「…………」
「返事は」
「……はい」

 隊舎にもどれば救護室に詰めている医者に診てもらえる。青木はうなだれ、月光の降る道をよろよろと駆けだした。
 ちがう、隊長の云ったとおりだ、俺はほんとうは逃げようとしたんだ、と自分の心のなかだけで本音を吐きだしながら。

 ――俺は怖かった。無敵だと思っていた相楽副隊長が怪我をして、動かなくなるところを見て。
 ――これが死と隣りあわせの仕事だって知っちまったんだ。
 ――いままではバケモノと戦う英雄くらいにしか思ってなかった。でもほんとはちがう。使い捨ての、だれがいつ死ぬかもわからない仕事なんだって……。

 そして、と目に入ってきた汗のせいで顔をしかめながら思う。

 ――俺は、『影』だけじゃなくてあのひとのことも怖い。
 ――副隊長がやられたっていうのに顔色を変えなかったあのひとのことが。

 ――月影の軍神……いや、
 ――不死身の男のことが……


「あ……、おいしい……?」

 新居のキッチンで花野はひとりつぶやいた。
 早朝。お弁当に入れる卵焼きを味見したときのことだ。

 最初のうちは料理教本を読んでもなにがなんだかわからなかった。
 卵をボウルに打ちつけてみれば殻は粉々に割れ、野菜を切ろうとすれば指先を切り、羽釜で米を炊こうとすればぶよぶよしたおぞましい物体ができあがる――。

 それでも凪たちの役に立ちたいと思い、一日中教本を読んではキッチンに立った。まさが嘲笑ってくる声も聞こえないほど真剣に。

 そして自分で料理をするようになって一週間目の今日、ようやく食べられるものができた。ほう、と花野は四角いフライパンのなかにある卵焼きを見て息を吐く。

 ――昨日は硬すぎたけれど、どうかしら……

 羽釜のふたを開け、蒸らしておいたお米をしゃもじですくって味見する。
 ……これなら大丈夫そう。芯も残ってないし水っぽくもない。おいしく食べてもらえる……!

 七日目にしてはじめての成功だった。小窓から射しこむ朝陽が急にまぶしくなったように感じながら、花野は竹を編んで作られた弁当箱に白米と卵焼きと煮物を詰めていく。

 店のものにくらべたら質素かもしれない。凪の部下をがっかりさせてしまうかもしれない。完成したものを見て迷ったが、――私にはこんなことくらいしかできないのだから、と決心する。

 ――霧灯家に生まれたのに霊力で凪さまたちをたすけることはできない。みんなが云うとおりの無能だから。