【完結/長編版】月影の軍神と愛しの傷嫁~双子の妹にすべて奪われたのに冷酷な旦那さまのもとで妹より愛されてしまいました~

 で、いまから百年まえに四歳の女の子がほんのいたずら心で夜に魔女たちが住む館から抜けだしてしまった。彼女は魔女たちのなかでも強大な力を持つとされていましたが、『亡霊』に襲われてそれをすべて奪われてしまったと」

 花野と同じだ。
「一命はとりとめたのか」と聞くと神薗はうなずく。

「魔力を喰らったことで満足したんでしょうね。その子は夜に外にでてはならないという掟を破ったとして魔女たちのコミューンから追放されてしまった。ですがとある田舎の村にやさしく迎えいれられ、それからはなんの力も持たない平凡な女として一生を終えたそうです」

 凪が聞きたいのはそういうことではない。

「力を取りもどすことはなかったのか?」
「みたいですね。村の男と結婚したそうですが、彼女の子供も魔力は持たなかったと手紙には書いてありました」
「……そうか」

 柴枝の顔が脳裏をよぎる。花野に霊力を持つ子供を産ませろと云ったあの男。
 このことを知ったら柴枝は激昂するだろうか。まさか、それで花野を霧灯家に返すような真似はしないだろうが。

「…………」

 凪は自分で自分の思考に疑問を持つ。
 上官命令で花野が実家に帰ってくれたらありがたいはずなのに。なぜ、そのことに不快感をいだいたのか……

「もうすこし手紙のやりとりをつづけてみます。そういえば知ってましたか、月岡サン」
「……なんだ」

 凪が手紙を机にもどしながら聞きかえすと、「十年まえ、霧灯花野をたすけたという影祓部隊の人間ですが」と神薗は細い目をさらに細めて云った。

「草野サンでしたよ。たしか、月岡サンも士官学校時代にお世話になったんじゃなかったですか」
「……間違いないのか」
「当時の報告書を読みました。いや、懐かしい名前ですね」
「そうだったのか……」

 草野陵五。士官学校時代に稽古をつけてくれた先輩だ。快活な笑顔と凛々しい眉が印象的な青年だった。
 階級は中尉。二階級特進したあとは、……知らない。

 いつか彼と肩をならべて戦うことを夢見ていたが、草野は凪が学校を卒業するまえに『影』との交戦で命を落とした。月が青く輝く九月の夜のことだった。

「まだ墓参りはつづけているんですか」
「……ああ」

 草野だけではない。士官学校と影祓部隊で知りあった人間の命日にはかならず墓を訪れることにしている。

 凪に酒の味を覚えさせた学校時代の同期。家族を守りたいとだれよりも真面目に稽古にいそしんでいた後輩。影祓部隊としての心得を教えてくれた隊長に、適度な怠け方を教えようとした別部隊の上官。

 年々、その数は増えてゆく。

 はじめのうちは彼らの死を嘆いた。どうしてあいつが、と泣きながら酒に逃げた日もあった。
 だが、憧れの上官も気の置けない同期もまだ少年のような顔をした後輩も死は残酷に平等に奪っていく。凪ができることなどなにもなかった。

 できたのは、親しい人間ができないようだれかと深くかかわることをやめることだけ。
 どうせみんな死んでゆく。情を覚えるだけ無駄だ。

 表面上はそう取りつくろっていながらも、葬式で高給取りがいなくなったことを嘆く親たちを殴りつけたい気持ちを我慢しながら棺を見送るたびに凪の心は血を流した。

 やるせなさで。或いは、なにかにたいする怒りで。

「ああスミマセン、ここで煙草は吸わないでください。本に臭いがついちまうもんで」
「……そうか」

 無意識に手がポケットのブリキの煙草入れを探っていた。
 べつに吸うつもりはなかったが凪はうなずき、これをきっかけにして椅子から立ちあがる。

「あ」と思いだしたように神薗がつぶやいた。

「そういえばご結婚おめでとうございます、月岡サン。アナタは結婚する気がないものだとばかり思ってました」
「柴枝総隊長の命令だ。逆らえるものか」
「そうですか?」

 なにがそうですかなのか目で問いかければ、「なんとなくですけど」と神薗は左肩の付け根を服越しに掻きながら答える。

「楽しそうに見えますよ。僕が影祓部隊を辞めたときに比べたら、ずっと」
「俺が?」
「ええ」

 神薗は興味深そうに笑う。

「ご存じですか、世の中には運命の相手というものがいるそうです。仏蘭西(フランス)語ではこれをラム・スールといいます。それが上官命令で娶った女だとしたら、かえってロマンチックではありませんか」
「ばからしい」

 吐きすてて外にでた。俥を待つあいだ、煙草入れを取りだして一服する。

 このブリキの煙草入れは草野の遺品だった。形見分けの際にもらってきた。まだ煙草を吸ったこともなかったのに。

 憧れていた。煙草をふかすその大人びた仕草に。訓練の際はきびしく、それ以外のときはやさしく後輩たちを指導するその姿に。

 訓練がとりわけ厳しかった日、彼が奢ってくれた牛鍋の味はいまもまだ覚えている。あの甘辛い出汁に、歯ごたえのある牛肉。店をでて煙草を吸いながら、『うまかったなぁ、月岡。またみんなで行こう』と笑う少年のような彼の笑顔も。

 彼が死ぬはずはないと当時は思っていた。だが、影祓部隊として何年も過ごしてきたいまならわかる。
 彼はだ(・)か(・)ら(・)死んだのだと。やさしすぎるから。まともすぎるから。

『俺にはこれくらいしかできないからな』

 彼は人々を愛していた。この国に暮らすものを自分の刀で守りぬくつもりだった。自らの命とひきかえにしても。

 愛するものができたら剣が鈍る。花野に云ったことは半分は本心で、半分は偽りだった。

 だれもがみな凪を置いて死んでゆく。
 だから愛するものを持たないと決めた。いずれ失うものならはじめから持たないほうがいい。また――あんな喪失感を味わうくらいなら。

 そうだ、と凪は自分の決意を新たにする。

 自分が彼女を愛することはない。
 三ヵ月。それだけ待って離縁すれば、彼女にはまたべつの男との縁談が舞いこむだろう。そして凪のことなど忘れるだろう。それでいい。

 孤独に生き、孤独に死んでゆく。
 それが――それだけが、死ぬまで刀をにぎりつづけると決めた凪の覚悟だった。