「後輩が喜ぶ。いつもありがとうと伝えてくれ、だそうだ」
「……はい。あの、私も精進いたしますので」
「ああ」
弁当箱を持ちあげ、凪は短くうなずくと隊舎へもどっていく。
そっけない対応は変わらない。けれど、それがすこしだけやさしくなっているような気がした。花野が慣れてきただけかもしれないけれど。
――凪さまのお役に立てるようにしなくちゃ。
俥で家に帰りながら花野は思う。
人々のために命をかけて毎夜戦っている彼。そんな彼のために、自分でもなにかできたら。
――ほんとうは……霊力さえあれば……
彼に力をわけあたえることができたかもしれない。花野は自分の両手のひらを見つめ、陽の光に負けるようにしてまぶたを閉じる。
『なんだ、死んじゃえばよかったのに』
七歳のとき、花野は『影』に襲われた。だれにも云わずに夜に家から抜けだしたせいで。
あのとき花野はしばらく高熱に苦しんでいた。だからこれはあとから周りの話を聞いて作りだした記憶だろうが――
『たすけて、おかあさま……たすけて……』
七歳の花野は自室の布団の上でうなされている。部屋の隅には影祓部隊の青年がいて、花野の母の叱責を受けていた。
『あんたが遅いから花野が『影』に襲われることになったのよ。どう責任取ってくれるの!?』
『……申しわけございません』
『謝って済むわけないでしょう!? いい? あんたたち影祓部隊とちがって花野にはかわりがいないの。将来はこの子が当主になって国をお守りするのだからね。刀を振るうだけのあんたたちとは……』
『奥方、どうかそのあたりで』
呼びだされた医師が苦々しそうに云う。花野の母はふんと鼻を鳴らした。
『彼がいなければ花野さまは命を落としていたのかもしれないのですよ』
千里眼の指示で青年は霧灯家の近くへとやってきた。そこには『影』と地面に倒れている花野がいたので、すばやく『影』を片づけて花野を霧灯家へと運びこんだのだった。
ふつうなら彼のおかげで花野が一命をとりとめたと思うだろう。
だが、まっさきに花野の母は『この役立たず!』と青年を罵倒したのだった。
『あんた、名前は?』
『……草野陵五と申します』
『このことは軍の上層部に報告するわ。覚悟しておきなさい』
青年――草野は黙って頭を下げつづける。
花野に解熱剤を投与しながら医師はなんて母親だと内心呆れかえっていた。目のまえには苦しんでいる娘がいるのに、それより先に彼女をたすけてくれた青年をなじるとは。
『おかあ……さ……』
そこでようやく花野の声が聞こえたように母は草野をにらみつけるのをやめた。膝で布団のそばににじりより、『ああ、花野』と声をかける。
『くるし……たす……け……』
うなされながら花野は母に片手を伸ばす。
だが母はその手が見えていないかのように無視をした。花野には指一本ふれようとせず、『あぁ、かわいそうな花野。無能な軍人しかお国にいないばっかりに』と草野にあてこすりを云う。
そしてその場にいただれもが耳を疑うようなことを口にした。
『で、先生。花野の霊力は無事なんでしょうね?』
『……はい?』
『霊力ですよ。彼女は霧灯家でも類を見ない霊力の持ち主。次の当主はもう花野に決まっております。そんな花野の霊力になにかあったら一大事でしょう? さっさと調べてくださいます?』
なにが霊力だ。娘が苦しんでいるのが見えないのか。
医師は怒鳴りつけてやりたいのを堪え、『専門外ですから』と答える。怒鳴ったところで火に油をそそぐだけだとわかっていた。
『それもそうね……』
母はあっさりうなずくと、自らのまとめ髪に挿していたかんざしを引きぬいた。
『医者風情に霊力の有無がわかるはずがございませんわね――』
小さな水晶の玉がついたかんざしだった。水晶は泉のようにどこまでも透きとおっている。
母はそれを花野の額へと近づけた。すると、みるみるうちに透明な玉が霧でもかかったかのように曇っていった。
『ああ!』と母は悲痛な声で叫ぶ。医師と草野はその声にぎょっとした。
『こんなのなにかの間違いだわ。――おかあさまを呼んでちょうだい! はやく!』
母は自分の母親――花野にとっては祖母である先代を呼ぶ。
やがて付きびとの肩を借りてつれてこられた祖母は、濁った水晶を見ると表情を一変させた。
『なんてこと……!』
母が髪につけていたかんざしは代々の当主が受けつぐもの。
霊力を持つものが持っていると水晶は美しく透きとおり、逆に霊力がないものが持つと先程のように醜く濁ってしまう。女ふたりが青褪めた理由はそこにあった。
次期当主である花野から霊力が消えた。
「……はい。あの、私も精進いたしますので」
「ああ」
弁当箱を持ちあげ、凪は短くうなずくと隊舎へもどっていく。
そっけない対応は変わらない。けれど、それがすこしだけやさしくなっているような気がした。花野が慣れてきただけかもしれないけれど。
――凪さまのお役に立てるようにしなくちゃ。
俥で家に帰りながら花野は思う。
人々のために命をかけて毎夜戦っている彼。そんな彼のために、自分でもなにかできたら。
――ほんとうは……霊力さえあれば……
彼に力をわけあたえることができたかもしれない。花野は自分の両手のひらを見つめ、陽の光に負けるようにしてまぶたを閉じる。
『なんだ、死んじゃえばよかったのに』
七歳のとき、花野は『影』に襲われた。だれにも云わずに夜に家から抜けだしたせいで。
あのとき花野はしばらく高熱に苦しんでいた。だからこれはあとから周りの話を聞いて作りだした記憶だろうが――
『たすけて、おかあさま……たすけて……』
七歳の花野は自室の布団の上でうなされている。部屋の隅には影祓部隊の青年がいて、花野の母の叱責を受けていた。
『あんたが遅いから花野が『影』に襲われることになったのよ。どう責任取ってくれるの!?』
『……申しわけございません』
『謝って済むわけないでしょう!? いい? あんたたち影祓部隊とちがって花野にはかわりがいないの。将来はこの子が当主になって国をお守りするのだからね。刀を振るうだけのあんたたちとは……』
『奥方、どうかそのあたりで』
呼びだされた医師が苦々しそうに云う。花野の母はふんと鼻を鳴らした。
『彼がいなければ花野さまは命を落としていたのかもしれないのですよ』
千里眼の指示で青年は霧灯家の近くへとやってきた。そこには『影』と地面に倒れている花野がいたので、すばやく『影』を片づけて花野を霧灯家へと運びこんだのだった。
ふつうなら彼のおかげで花野が一命をとりとめたと思うだろう。
だが、まっさきに花野の母は『この役立たず!』と青年を罵倒したのだった。
『あんた、名前は?』
『……草野陵五と申します』
『このことは軍の上層部に報告するわ。覚悟しておきなさい』
青年――草野は黙って頭を下げつづける。
花野に解熱剤を投与しながら医師はなんて母親だと内心呆れかえっていた。目のまえには苦しんでいる娘がいるのに、それより先に彼女をたすけてくれた青年をなじるとは。
『おかあ……さ……』
そこでようやく花野の声が聞こえたように母は草野をにらみつけるのをやめた。膝で布団のそばににじりより、『ああ、花野』と声をかける。
『くるし……たす……け……』
うなされながら花野は母に片手を伸ばす。
だが母はその手が見えていないかのように無視をした。花野には指一本ふれようとせず、『あぁ、かわいそうな花野。無能な軍人しかお国にいないばっかりに』と草野にあてこすりを云う。
そしてその場にいただれもが耳を疑うようなことを口にした。
『で、先生。花野の霊力は無事なんでしょうね?』
『……はい?』
『霊力ですよ。彼女は霧灯家でも類を見ない霊力の持ち主。次の当主はもう花野に決まっております。そんな花野の霊力になにかあったら一大事でしょう? さっさと調べてくださいます?』
なにが霊力だ。娘が苦しんでいるのが見えないのか。
医師は怒鳴りつけてやりたいのを堪え、『専門外ですから』と答える。怒鳴ったところで火に油をそそぐだけだとわかっていた。
『それもそうね……』
母はあっさりうなずくと、自らのまとめ髪に挿していたかんざしを引きぬいた。
『医者風情に霊力の有無がわかるはずがございませんわね――』
小さな水晶の玉がついたかんざしだった。水晶は泉のようにどこまでも透きとおっている。
母はそれを花野の額へと近づけた。すると、みるみるうちに透明な玉が霧でもかかったかのように曇っていった。
『ああ!』と母は悲痛な声で叫ぶ。医師と草野はその声にぎょっとした。
『こんなのなにかの間違いだわ。――おかあさまを呼んでちょうだい! はやく!』
母は自分の母親――花野にとっては祖母である先代を呼ぶ。
やがて付きびとの肩を借りてつれてこられた祖母は、濁った水晶を見ると表情を一変させた。
『なんてこと……!』
母が髪につけていたかんざしは代々の当主が受けつぐもの。
霊力を持つものが持っていると水晶は美しく透きとおり、逆に霊力がないものが持つと先程のように醜く濁ってしまう。女ふたりが青褪めた理由はそこにあった。
次期当主である花野から霊力が消えた。



