【完結/長編版】月影の軍神と愛しの傷嫁~双子の妹にすべて奪われたのに冷酷な旦那さまのもとで妹より愛されてしまいました~




 新月の晩は影祓部隊のものたちの口がわずかに軽くなる。まず『影』はでてこないと知っているからだ。

 無論、凪は普段と変わりない様子で詰め所に向かったが、顔を見るなり相楽が「どうしたんですか」と気安く話しかけてきた。

「なにがだ」
「渋い紅茶を一気飲みしたような顔をしています」

 凪は咳払いをした。
 昼間、花野が淹れてくれた紅茶はおそろしく濃くておそろしく渋かった。カップの底に沈んでいた茶葉も喉にひっかかって飲みにくく、だが、花野がこれを慣れない手つきで淹れてくれたと思えば凪の感想はたったひとつ『うまい』だけだった。

「気のせいだろう。――青木、うるさいからやめろ」
「はっ!」

 隅で腹筋運動をしていた青木に声をかけ、凪は床の上に座る。

 今更ながら柴枝を怒らせたことを思いだした。首を切られるか。いや、この国でもっとも『影』が集まりやすいとされる帝都を守護する凪がいなくなれば影祓部隊は瓦解する。それがわからないほど愚かな男ではない。

 せいぜい減給か、と考えていると「新居への引っ越しは終わりましたか」と相楽が問いかけてきた。柴枝に呼びだされたことは昨日の時点で彼にも伝わっており、内容も夜の任務中に話していた。

 凪は煙草入れから巻き煙草を一本取りだし、相楽が火をつけてこようとするのを断って自分でマッチで火をつける。

「一応な。俺が帰ることはないが」
「またそんなことを。いつでも俺たちはお祝いにいきますよ、なあ」
「もちろんです。たくさん野菜をかかえていきますとも」
「……野菜?」

 聞けば青木の実家は東北で農家をやっているという。だが、跡継ぎの長男以外は食い扶持を減らすだけの邪魔ものでしかない。
 次男についで三男の青木も早々に奉公にでて、ようやく地元の訛りがでなくなった頃、『おまえは頭が悪いから商売には向かない』と雇い主にばっさり云われた。

「士官学校に入る金は工面してやるから今度はお国にお仕えせよ、とのことでして」
「体よく追いだされたのか」

 相楽が自分も煙草を吸いながら笑う。はい、と青木は屈託なく笑いかえした。

「ですが自分が頭を使うのが苦手なことは事実ですし、影祓部隊(ここ)は給料をたくさんいただけるのでたすかります。一番上の兄は子だくさんで金はあってもあっても足りないそうですから」

 単純な青木のことだから初任給はほとんど実家に送ったのだろう。相楽が小さく肩をすくめる。

 彼は芸妓の息子だ。父親はわからない。妾の子と後ろ指を指されるのにうんざりして出自も身分も問わない影祓部隊を志願した。彼が士官学校で訓練している最中、唯一の肉親である母親は『影』に襲われて命を落とした。

 ――ねえ隊長、いったい俺はだれを守ろうとしてたんですかね。

 そう、煙草の煙とともに吐きだすように相楽は云ったのだった。中途半端にふくらんだ半月の晩に。

「おまえはまともでいいなぁ」
「はい、ありがとうございます」

 相楽の言葉の裏には気づかず青木が礼を云う。

 ――おまえみたいなやつが真っ先に死ぬんだよ、と。

 先輩にかけられた言葉の意味に気がつくのは『影』に命を奪われたときだろうと、煙草の先端で燃える赤い火を見つめながら凪は思った。


「と……とても……部下のかたに召しあがっていただけるようなものにはならず……」
「…………」
「これから練習に励みます。す、す、すみません……」

 花野は顔をかすかに赤らめて出来合いの弁当を凪に差しだした。昼時、隊舎のまえで。

 自分で料理本と材料を買いもとめ――それも花野には一苦労だった――さっそく新しいキッチンで料理なるものに挑戦してみた。
 けれど米は芯が残って肉は黒焦げ、反対に野菜は生焼けと散々な結果となり、これはあとで自分で食べることにして近くの弁当屋によってからここへきたのだった。

「……謝ることではない。だれでも初めてはそんなものだろう」
「あと……あの……」
「……?」
「き、きのうの紅茶なのですが」

 料理本には紅茶の淹れ方も載っていた。専用の丸いポットに茶葉と湯をそそいで作るのだが、カップにそそぐときに茶漉しで茶葉を濾すのがただしいやりかたらしい。

 自分の淹れかたは間違っていたのだ。うまい、どころかまともに飲めたものではなかっただろう。でも彼はうそをついてくれた。
 花野は「すみませんでした」と彼に頭を下げた。

「なにがだ」
「淹れ方がぜんぜんちがっていたのです。おいしくなかったでしょう?」
「……ああ、そうだったのか」
「そうだったのかとは――」
「てっきりああいうものなのかと思った」

 凪のつめたいまなざしがかすかにやわらいだ。
 ――ああ、いま、冗談を云われた。花野は彼が気持ちを軽くしてくれようとしているのだと気づく。