もともとは罪滅ぼしのつもりだった。けれど、いまでは凪たち影祓部隊の役に立ちたいという想いがつよくなってきている。
まさにお弁当を用意してほしいと頼めばいいのだろうが、それには抵抗があった。かといってずっと蔵に閉じこめられていた花野に家事の経験はない。包丁をにぎったことさえないのにお弁当なんて作れるのかどうか。
悩んでいると、それをどう受けとったのか「あの帯留めはすこし待っていてほしい」と凪が云ってきた。「かならず方法を見つける」
「……ありがとうございます」
――やっぱり、凪さまはやさしいひとだ。勇気づけられるように花野は思いきって「お弁当のことなのですが」と切りだす。
「弁当?」
「はい。できたら……旅館から家に移ってもつづけたいと思うのですが」
そんなもの不要だ。でしゃばるな、と切ってすてられるかと思った。だが凪は思案するように自分のあごを指でなぞっている。
「……そうだな。俺としても、日に一度あなたの顔を見るのは悪いことではない」
「え?」
「いや、なんでもない。すこしここから遠くはなるが……あなたさえよければつづけてほしい」
思いがけない言葉だった。
――凪さまが私を必要としてくれている。そう気がついた瞬間、花野の胸にあたたかいものが広がっていく。
何年も感じることがなかった想いを受けとめきれなくて戸惑っていると、「それに」と凪がつづけた。
「あなたが持ってきてくれた弁当は普段の飯よりもうまい気がする。不思議だが」
「……え?」
持ってきたお弁当は部下のひとがかわりに食べているはずだった。たしか。
きょとんとした花野を見て、凪は自分の失言に気がついたらしい。「いや、いまのは――」とあわてて口を開く。
「そう部下が云っていたというだけだ。俺の感想ではない。勘違いしないでくれ」
「……そう、なのですか?」
「ああそうだ。だからべつに、俺としてはどっちでもいいが……なくなると部下がさびしがるだろうからな。つづけてくれ」
「――はい。わかりました」
思いがけないことはそのあとも起こった。「新居まで同行しよう」と凪が俥を二台呼ばせたのだ。
住所を教えるからあとはひとりでいけと云われるものだとばかり思っていたからこれには驚いた。
――ちがう、と俥に揺られながら花野は思う。驚いただけじゃなくて、もっと……。
凪の上官が用意してくれたという借家は西洋風のこじんまりとした二階家だった。
白い外壁にポーチ、チョコレイト菓子のようなドアにはステンドグラスがはまっていて、まるでお伽話のなかからでてきたみたいだ。
家のまえに立ち、「なんともかわいらしい――」ですね、と花野が云おうとしたら凪はひたいを手で押さえていた。
「凪さま? 頭痛でも……?」
「……いや。なんでもない」
隊舎から旅館に連絡したのでまさは荷物をまとめてからあとでくる。
ほんのすこしだけふたりきりになれる、と思ったら胸がどぎまぎした。
――これは……?
花野は胸を両手で押さえて首をひねる。
「どうした。胸が痛むのか?」
「い、いえ。なんでもありません」
かわいらしいドアの向こう側も洋風になっていた。
品のいい家具が取りそろえられたリビングに、使い勝手のよさそうなキッチン。応接間まである。
凪がリビングのソファに座ったので、花野は「上を見てまいります」と声をかけて階段を登った。そして凪が一階に残った理由を知る。
二階には書斎と夫婦の寝室があった。白い清潔なシーツがかけられたベッドは妙に威圧感があり、花野は早々に寝室のドアを閉める。
これからあのベッドに寝るのは自分ひとりだけということは考えないようにして、ふと思いついて下のキッチンへと向かった。
戸棚を探すと紅茶と緑茶の缶があった。すこし悩み、せっかくだから、と紅茶を取りだす。
そして何度も首を傾げながらなんとかやかんに湯を沸かし、同じく戸棚にあったカップに茶葉を入れてそこに熱湯をそそぐ。
――たしか、紅茶はこんな香りがしたはず……
幼い頃の記憶と照らしあわせ、「凪さま」とカップを手に花野はリビングにもどる。自分のまえに湯気の立ったそれを置かれ、彼は背もたれから体を起こした。
「これは……」
「あの……、初めて淹れたのでおいしいかどうかはわからないのですが」
「……いただこう」
凪はカップを持ちあげ、息で冷ましてから一口飲む。その様子をテーブルに傍らに立って花野は見守った。
やがて彼がつぶやく。
「……俺も紅茶の良し悪しはわからないが、うまい、と思う」
「ほんとうですか?」
「ああ」
花野はほっと胸をなでおろす。
そしてふと、こんな光景が明日も見れたらいいのにと思った。
日常の、なんでもない休息の時間。
それをふたりでともにすることができたら――。
「……女中がきたな」
そう思っていると家のまえに俥が止まる音がした。凪は紅茶を飲みほして席を立つ。
「凪さま――」
その背中になにか言葉をかけたくて花野はとっさに呼びとめた。けれど、振りかえった彼になんて云えばいいのかがわからない。
「どうか、お気をつけて」
けっきょく云えたのはそれだけだった。凪は無言でうなずき、玄関へと向かう。花野も見送ることにした。
『どうか、お勤めが終わったらここに帰ってきてください』
自分がほんとうはそう云いたかったことに気がついたのは、まさが乗ってきた俥に入れかわりで凪が乗りこみ、その背も見えなくなるほど遠く彼が遠ざかってからだった。
まさにお弁当を用意してほしいと頼めばいいのだろうが、それには抵抗があった。かといってずっと蔵に閉じこめられていた花野に家事の経験はない。包丁をにぎったことさえないのにお弁当なんて作れるのかどうか。
悩んでいると、それをどう受けとったのか「あの帯留めはすこし待っていてほしい」と凪が云ってきた。「かならず方法を見つける」
「……ありがとうございます」
――やっぱり、凪さまはやさしいひとだ。勇気づけられるように花野は思いきって「お弁当のことなのですが」と切りだす。
「弁当?」
「はい。できたら……旅館から家に移ってもつづけたいと思うのですが」
そんなもの不要だ。でしゃばるな、と切ってすてられるかと思った。だが凪は思案するように自分のあごを指でなぞっている。
「……そうだな。俺としても、日に一度あなたの顔を見るのは悪いことではない」
「え?」
「いや、なんでもない。すこしここから遠くはなるが……あなたさえよければつづけてほしい」
思いがけない言葉だった。
――凪さまが私を必要としてくれている。そう気がついた瞬間、花野の胸にあたたかいものが広がっていく。
何年も感じることがなかった想いを受けとめきれなくて戸惑っていると、「それに」と凪がつづけた。
「あなたが持ってきてくれた弁当は普段の飯よりもうまい気がする。不思議だが」
「……え?」
持ってきたお弁当は部下のひとがかわりに食べているはずだった。たしか。
きょとんとした花野を見て、凪は自分の失言に気がついたらしい。「いや、いまのは――」とあわてて口を開く。
「そう部下が云っていたというだけだ。俺の感想ではない。勘違いしないでくれ」
「……そう、なのですか?」
「ああそうだ。だからべつに、俺としてはどっちでもいいが……なくなると部下がさびしがるだろうからな。つづけてくれ」
「――はい。わかりました」
思いがけないことはそのあとも起こった。「新居まで同行しよう」と凪が俥を二台呼ばせたのだ。
住所を教えるからあとはひとりでいけと云われるものだとばかり思っていたからこれには驚いた。
――ちがう、と俥に揺られながら花野は思う。驚いただけじゃなくて、もっと……。
凪の上官が用意してくれたという借家は西洋風のこじんまりとした二階家だった。
白い外壁にポーチ、チョコレイト菓子のようなドアにはステンドグラスがはまっていて、まるでお伽話のなかからでてきたみたいだ。
家のまえに立ち、「なんともかわいらしい――」ですね、と花野が云おうとしたら凪はひたいを手で押さえていた。
「凪さま? 頭痛でも……?」
「……いや。なんでもない」
隊舎から旅館に連絡したのでまさは荷物をまとめてからあとでくる。
ほんのすこしだけふたりきりになれる、と思ったら胸がどぎまぎした。
――これは……?
花野は胸を両手で押さえて首をひねる。
「どうした。胸が痛むのか?」
「い、いえ。なんでもありません」
かわいらしいドアの向こう側も洋風になっていた。
品のいい家具が取りそろえられたリビングに、使い勝手のよさそうなキッチン。応接間まである。
凪がリビングのソファに座ったので、花野は「上を見てまいります」と声をかけて階段を登った。そして凪が一階に残った理由を知る。
二階には書斎と夫婦の寝室があった。白い清潔なシーツがかけられたベッドは妙に威圧感があり、花野は早々に寝室のドアを閉める。
これからあのベッドに寝るのは自分ひとりだけということは考えないようにして、ふと思いついて下のキッチンへと向かった。
戸棚を探すと紅茶と緑茶の缶があった。すこし悩み、せっかくだから、と紅茶を取りだす。
そして何度も首を傾げながらなんとかやかんに湯を沸かし、同じく戸棚にあったカップに茶葉を入れてそこに熱湯をそそぐ。
――たしか、紅茶はこんな香りがしたはず……
幼い頃の記憶と照らしあわせ、「凪さま」とカップを手に花野はリビングにもどる。自分のまえに湯気の立ったそれを置かれ、彼は背もたれから体を起こした。
「これは……」
「あの……、初めて淹れたのでおいしいかどうかはわからないのですが」
「……いただこう」
凪はカップを持ちあげ、息で冷ましてから一口飲む。その様子をテーブルに傍らに立って花野は見守った。
やがて彼がつぶやく。
「……俺も紅茶の良し悪しはわからないが、うまい、と思う」
「ほんとうですか?」
「ああ」
花野はほっと胸をなでおろす。
そしてふと、こんな光景が明日も見れたらいいのにと思った。
日常の、なんでもない休息の時間。
それをふたりでともにすることができたら――。
「……女中がきたな」
そう思っていると家のまえに俥が止まる音がした。凪は紅茶を飲みほして席を立つ。
「凪さま――」
その背中になにか言葉をかけたくて花野はとっさに呼びとめた。けれど、振りかえった彼になんて云えばいいのかがわからない。
「どうか、お気をつけて」
けっきょく云えたのはそれだけだった。凪は無言でうなずき、玄関へと向かう。花野も見送ることにした。
『どうか、お勤めが終わったらここに帰ってきてください』
自分がほんとうはそう云いたかったことに気がついたのは、まさが乗ってきた俥に入れかわりで凪が乗りこみ、その背も見えなくなるほど遠く彼が遠ざかってからだった。



