そうしてまたあの蔵のなかにもどる。人形にまた利用価値ができるまで。もしくは……死ぬまで。
――かわいそうなおねえさま
――でも、あなたが悪いんだから
「……そうね……」
花野と乙華の霊力は同等……の……はずだった。灯使の家に生まれた双子は例外なく同じだけの力を持って生まれてくるのだから。
けれど、ふたりはそうではなかった。花野のほうが圧倒的につよい霊力を持ち、乙華は平凡なそれしか持たなかった。
だから母は花野をかわいがった。霧灯家の当主として誇りを持ち、家の存続に命をかけている母に、ごくふつうの力しか持たない乙華は我が娘であれど他人も同然だった。
――おかあさまは、乙華のことを見てあげてない……。
そのことは花野も気がついていた。だから自分がもらいすぎた愛情をどうにかして乙華にあげられないかといつも考えていた。
自分だけに与えられたお菓子や振袖、かんざし、舶来ものの人形。
それらを花野は妹にこっそりと貸しあたえ、彼女がほしいと云うのならすべてあげてもいいと思っていた。彼女はたったひとりの妹なのだから。
でもそれでは乙華を満たすことはできなかった。むしろ、彼女にとって花野のその行為は傲慢にしか映らず、余計憎しみを募らせる結果となったのかもしれない。
彼女がほしかったのはたったひとつ。
母からの愛、それだけだったのだから。
――おねえさまなんて生まれてこなければよかったのに
「……そうね。ほんとうに、そうね」
言葉で罵倒されることは日常茶飯事だった。乙華だけではない、あちこちから投げつけられる言葉にはじめはたしかに傷ついていた。
無能の姉。かわいい妹をいじめる底意地の悪い姉。おまえなんて生まれてくるべきじゃなかった……そんな言葉たちに。
でもそのうち心は傷だらけになって、傷つく場所さえなくなってしまって――いつか痛みを感じなくなった。というよりは、ずっと痛んでいるから『痛い』ということがわからなくなったといったほうがただしいのかもしれない。
肉体の痛みは傷があることを脳に知らせるための言葉なき声だというだ。
なら、心が痛むのはなぜなのだろう。つめたい水を裾にかけながら花野は思う。『痛い』と感じるのはだれになにを知らせるためなのだろう?
きっと、と緑茶の色が抜けていくのを見ながら彼女は考える。
――心が痛むのは、きっと、だれかに『たすけて』と云うため。
――だから私はもう自分のことでは痛みを感じなくなってしまったのだろう。
――私をたすけてくれるひとはこの世界にはいないから。
――『たすけて』と云ったところで意味はないから。
なんとか染みにはならなそうだ。花野は息を吐く。
それから、ふと思いだして袂からハンカチで包んだ猫を取りだした。
そう思っているのに、この子を見つけたときずきりと胸が痛んだ気がした。自分のものがどうなろうとどうでもいいはずなのに。
とぼけた顔をした猫に愛着を覚えてしまったからだろうか。それとも。
『細身だからメスだろう』と呆れながらも真面目に返事をしてくれた凪の顔が思いうかんだ。そうか、と花野は気がつく。
――この猫には凪さまとの思い出があるから。だから……。
花野は唇をひきむすぶ。
ばかみたいだ。あのひとにとって自分は迷惑なだけなのに。
しょせん、かりそめの妻。三ヵ月経ったらもとの他人にもどるだけなのに。
そう思っているのになかなか猫をしまえなくて、ひんやりした冷気を井戸のそばで感じながら花野は手のひらのうえにいる猫に片手をそっとかぶせた。
他愛ない、だけど、小さな灯りのようにあたたかい思い出をつつみこむように。
――かわいそうなおねえさま
――でも、あなたが悪いんだから
「……そうね……」
花野と乙華の霊力は同等……の……はずだった。灯使の家に生まれた双子は例外なく同じだけの力を持って生まれてくるのだから。
けれど、ふたりはそうではなかった。花野のほうが圧倒的につよい霊力を持ち、乙華は平凡なそれしか持たなかった。
だから母は花野をかわいがった。霧灯家の当主として誇りを持ち、家の存続に命をかけている母に、ごくふつうの力しか持たない乙華は我が娘であれど他人も同然だった。
――おかあさまは、乙華のことを見てあげてない……。
そのことは花野も気がついていた。だから自分がもらいすぎた愛情をどうにかして乙華にあげられないかといつも考えていた。
自分だけに与えられたお菓子や振袖、かんざし、舶来ものの人形。
それらを花野は妹にこっそりと貸しあたえ、彼女がほしいと云うのならすべてあげてもいいと思っていた。彼女はたったひとりの妹なのだから。
でもそれでは乙華を満たすことはできなかった。むしろ、彼女にとって花野のその行為は傲慢にしか映らず、余計憎しみを募らせる結果となったのかもしれない。
彼女がほしかったのはたったひとつ。
母からの愛、それだけだったのだから。
――おねえさまなんて生まれてこなければよかったのに
「……そうね。ほんとうに、そうね」
言葉で罵倒されることは日常茶飯事だった。乙華だけではない、あちこちから投げつけられる言葉にはじめはたしかに傷ついていた。
無能の姉。かわいい妹をいじめる底意地の悪い姉。おまえなんて生まれてくるべきじゃなかった……そんな言葉たちに。
でもそのうち心は傷だらけになって、傷つく場所さえなくなってしまって――いつか痛みを感じなくなった。というよりは、ずっと痛んでいるから『痛い』ということがわからなくなったといったほうがただしいのかもしれない。
肉体の痛みは傷があることを脳に知らせるための言葉なき声だというだ。
なら、心が痛むのはなぜなのだろう。つめたい水を裾にかけながら花野は思う。『痛い』と感じるのはだれになにを知らせるためなのだろう?
きっと、と緑茶の色が抜けていくのを見ながら彼女は考える。
――心が痛むのは、きっと、だれかに『たすけて』と云うため。
――だから私はもう自分のことでは痛みを感じなくなってしまったのだろう。
――私をたすけてくれるひとはこの世界にはいないから。
――『たすけて』と云ったところで意味はないから。
なんとか染みにはならなそうだ。花野は息を吐く。
それから、ふと思いだして袂からハンカチで包んだ猫を取りだした。
そう思っているのに、この子を見つけたときずきりと胸が痛んだ気がした。自分のものがどうなろうとどうでもいいはずなのに。
とぼけた顔をした猫に愛着を覚えてしまったからだろうか。それとも。
『細身だからメスだろう』と呆れながらも真面目に返事をしてくれた凪の顔が思いうかんだ。そうか、と花野は気がつく。
――この猫には凪さまとの思い出があるから。だから……。
花野は唇をひきむすぶ。
ばかみたいだ。あのひとにとって自分は迷惑なだけなのに。
しょせん、かりそめの妻。三ヵ月経ったらもとの他人にもどるだけなのに。
そう思っているのになかなか猫をしまえなくて、ひんやりした冷気を井戸のそばで感じながら花野は手のひらのうえにいる猫に片手をそっとかぶせた。
他愛ない、だけど、小さな灯りのようにあたたかい思い出をつつみこむように。



