【完結/長編版】月影の軍神と愛しの傷嫁~双子の妹にすべて奪われたのに冷酷な旦那さまのもとで妹より愛されてしまいました~

 離れから旅館につづく道をほうきで掃いていた仲居が「おはようございます」と笑顔を見せてきた。

「これからおでかけですか? よろしければお弁当をお作りしますが」
「いえ、お庭を散歩するだけですので……」

 いつでもお申しつけくださいね、と仲居は云う。
 街のひとたちは凪を恐れていて、その目は妻である花野に向けられてもおかしくはないはずだけれど、彼女の場合、新婚の客にたいする親愛の情のほうが勝っているようだ。ふたりが夫婦らしいことをなにもしてないことは知らないのだろう。

 ふと、凪は昼食はどうしているのだろうと思った。
 影祓部隊の仕事は夜にはじまり朝に終わる。それから昼頃まで眠り、訓練のあと、また仕事にいくと聞いていた。食事の時間はひとそれぞれらしい。

 ――なにかあったら電話か手紙をよこすように云われていたけれど……

 すこしでも罪滅ぼしをしたい。そう思い、花野は仲居に「あの」と声をかけた。


「愛の力ですねぇ、隊長」
「……俺がいま帯刀していないことに感謝するんだな」

 隊舎の玄関で。
 仏頂面の凪は相楽にひやかされていた。原因は手に持った弁当。

 いまからすこしまえ、三階の自分の部屋で眠っていたら隊舎のまえを行ったり来たりする不審な足音を聞いた。念のため窓から覗いてみたら花野である。
 なにごとか、と服を着替えてから外にでてみたら『これを――』と風呂敷で包まれた長方形のなにかを差しだしてきた。

『これは……?』
『お弁当です。旅館のかたに用意してもらいました。せめて……あの……すこしでも凪さまのお力になれないかと思いまして』
『不要だ。そんなもの捨てろ』
『…………』

 凪の返事を聞いた花野が目を伏せる。
 なぜそんな顔をする、と凪は苦々しく思った。

 ――弁当の差しいれ? 冗談じゃない。そんな恋人か夫婦みたいなことされてたまるか。このひとは自分たちの立場をわかっているのか。八月には離縁しているのだからこんなことをしたところで無駄だというのに。

 ――こんな。絆を紡ぐようなことをしたところで。

 花野は『……さしでがましい真似をいたしました』と頭を下げる。
 周りが見たら淡々と――無表情に――けれど、凪から見たらとてもさびしそうに。

 彼女の下駄の先が凪から向きを変え、そのまま俥屋に向かうところを見届ける、はずだった。花野の細い背中を見たとたん凪は『待て』と云っていた。

『やはり食料を無駄にするのはよくない。せっかく用意したのだから、おいていくといい』
『ですが……』
『だれか腹を空かせている後輩にでもやる』

 差しだした凪の手と風呂敷包みを見比べ、それでは、と花野は弁当を預けてきた。
 中身が詰まっているのだろう、ずしりと重い。『たくさん詰めてください、厳しい仕事ですから』――彼女が旅館の従業員にそうお願いするところが頭に浮かび、凪を戸惑わせた。

『お弁当箱はあした取りにまいります』
『……ああ』

 もう一度頭を下げ、花野は荘厳な建物がならぶ通りを歩いていく。
 足早に歩くスーツ姿の男と曲がり角でぶつかりそうになってひやりとしたが、直前で男のほうが気づき、花野との衝突は避けられたのでほっとする。もし転んだらすぐにたすけにいかなければと思っていたところだった。

 彼女の姿が見えなくなるまで見送ってから凪は隊舎に入った。すると、相楽がにやにやしながら待ちうけていたのである。

「しかし、わざわざお弁当を届けてくれるなんていい奥さま――なんですか隊長」
「やる」
「はい?」

 突きだされた風呂敷包みを見て相楽は怪訝な顔をする。冗談やめてくださいよ、と押しかえしてきた。

「愛妻弁当をかっさらうなんて恐れおおいことできませんて。隊長だって霞食って生きてるわけじゃないし、ありがたくもらえばいいじゃないですか」
「彼女が作ったわけじゃない。旅館の人間だ」
「細かいことはいいんですよ。食べないなら柴枝総監に云いつけますからね」

 こんなことを云いつけられても総監だって困るだろう。いや、彼が持ってきた縁談であることを考えればもっとも効果的かもしれない。

「……"影斬り"の時代がうらやましい」
「お気の毒ですが、個人が用心棒やって稼げてた時代はとっくのむかしに終わってます。にしてもあんなにいい奥さまがいるのに帰らないなんてもったいない。俺だったら長期休暇をもらって家に入りびたるのになあ。隊長も長期とは云わず一日くらい」
「しつこいぞ」
「――どうせみんな死ぬんじゃないですか。子供、残しといたらどうですか」

 急に笑顔を消して相楽が云った。凪は無表情を保つ。

「そうしたら夫のいない妻だけでなく父親のいない子供までできあがるだけだ。だったら、はじめからなにも残さないほうがずっといい」