約束を違えた少女は、孤独な当主の花嫁に望まれる

 あの日から、私は屋敷で永雅を見かける度に、自分から話しかけに行くようになっていった。月宮家の使用人たちも礼寧の騒動後には、前よりもさらに距離が近づいたように感じる。
 自室で休んでいると、ぱたぱたと軽快な足音が聞こえ、嬉しそうに目を輝かせた美春が扉を開けた。

「莉羅様!」
「あら、美春。どうしたの?」

 足早でやってきたのに、なぜか部屋に入ると美春はそーっと忍び足で私に近づき、耳元に口を寄せた。

「明日、永雅様が久しぶりの休日なのです……!」

 予想していなかった言葉が耳に入り、私は咄嗟に美春を振り返る。驚いた表情の私を見て、美春はにこやかに話を続けた。

「女中仲間から噂で聞いたのです。しかも、先ほど永雅様とすれ違った時に、月宮家での莉羅様の生活で足りないものはないか、と尋ねられたのです!」

 美春は嬉しそうに「着物が少し古くなっていることを伝えました」と付け加える。

「余計なお世話だとは思いつつ、女性の着物は好みもありますので莉羅様と共に選ぶ方が喜ばれると思います、と進言させて頂きました」
「美春、嬉しいけれど……!」
「莉羅様は、素敵なお方です。使用人一同、月宮家に来て下さったこと感謝しかございません」

 気づかないうちに固く握りしめてしまっていた私の両手に、美春が優しく手を重ねてくれる。

「永雅様にどうか甘えて下さいませ。永雅様は誤解されやすいお方ですが、月宮家に仕える人間は、永雅様は月宮家当主に相応しいお方だと信じております」

 美春は目を伏せ、私の両手を握る手に力を込めた。

「きっと永雅様にも莉羅様が必要です」
「美春……」
「どうか、私の願いを叶えてくださるなら……明日、永雅様と共にお出かけを……」
「私に出来ることなら、叶えてあげたいけれど……」

 私がそう述べた瞬間、美春が勢いよく顔を上げる。

「そうと決まれば、この美春、精一杯莉羅様をおめかしさせて頂きますわ! お任せ下さいませ、莉羅様に施(ほどこ)したいお洒落が沢山ございます!」

 美春はいつの間にか先ほどの哀愁(あいしゅう)漂う雰囲気がなくなり、嬉しそうな笑みを浮かべ、今までにないほど目を輝かせている。

「美春、謀(たばか)ったわね!?」
「ふふっ。莉羅様、美春は素直で優しさ溢れる莉羅様が大好きですわ。ただの使用人の言葉にすら、こうして耳を傾けて下さる」
「それは!」
「当たり前に出来ることではございません。それは永雅様にも同じく言えることです」

 美春が棚から簪(かんざし)を取り出しながら、私の前に並べていく。

「お二人にお仕え出来ること、恐悦至極(きょうえつしごく)にございます」

 並んでいく簪の中で、つい黒が基調の簪に目がいってしまう。最近は、黒色の小物を見ると永雅を思い出してしまう。私の視線に気づいた美春が、その簪を手に取り、私の髪に添える。そして、鏡に映る私に目を向けた。

「ほら、とてもお似合いになりますわ」

 もし、明日永雅と出かけられるなら。もし、永雅と会えるなら。

「莉羅様、お嫌でしたか……?」

 ここまで強引に話を進めていた美春は、静かになった私を見て、不安そうに私の顔を覗き込んだ。

「違うの、永雅と出かけられるなら嬉しいな、と思っていたの」
「では!」
「……美春、明日身支度を手伝ってくれる?」
「もちろんです!」

 美春は嬉しそうに着物から髪型、巾着まで選び始める。「莉羅様に一番似合うものを!」と意気込んでくれている。
 本当は、ずっと不安だった。少しずつ心に変化があっても、人はすぐには変われない。まだ穢れ者と呼ばれ続けたあの日々が、私の自信を奪っていく。それでも、こうして私を信じて向き合ってくれる可愛い女中がいる。その喜びを、もし勇気に変えることが出来るなら。

「明日、楽しみね」

 小さく口から零(こぼ)れたその言葉が、きっと私の本心だった。


 *


 その日の夜はなぜかすぐに眠れず、まるで思い出を辿るように記憶を巡らせていた。

 永雅に初めて会ったのは、私が八つの時だった。あの日、お祖父様と前月宮家当主が顔を合わせる予定があり、私も連れて行ってもらっていた。あの頃の私はまだ穢れ者でなく、お祖父様は私を連れ歩くことを嫌わなかった。そこで永雅と出会ったのだ。少し会話を交わしただけですぐに仲良くなった私たちは、隠れて何度も会うようになっていった。短い時間でも永雅と遊ぶ時間は、あの頃の私にとって楽しくて仕方のない時間だった。
 永雅は私より一つ上で、あの頃の永雅は異能の発現が遅れていることに悩んでいた。もしこのまま異能が発現しなければ家を追い出されるとまで思い詰めるほどに苦しんでいた。異能は発現するまで何を持つかも、持っているかどうかすら分からない。実際は月宮家当主に相応しいほどの強力な異能を持つ永雅でも、あの頃は毎日のように泣いていた。月宮家は厳しく、異能の発現が遅れているだけで永雅の扱いは酷いものだったのだろう。だから、私は永雅に伝えた。

『異能があろうとなかろうと関係ないわ』
『でも、家を追い出されたら……』
『うーん、その時は一緒に逃げましょ!』
『そんなの無理に決まってるもん……』
『なんとかなるわよ! 誰かがそばにいるだけで人は無敵になれるものよ!』

 あの頃の私は、自惚れていた。実際は家を出ることがどれだけ難しいことかも知らずに、簡単にそう言ってのけた。そして、私が十歳を迎えた日、永雅はまるで追い出されるように分家に向かわされることが決まった。

『私も一緒に抗議するわ!』

 世間を何も知らない私は、また簡単に言ってのけた。自分も異能が発現していないくせに、月宮家に一人で向かうつもりだった。

『駄目だよ、莉羅が怒られちゃう』
『でも……!』
『いい、大丈夫。でも、いつかまた莉羅に会いたいな』

 永雅は、私よりよほど色んなことを理解していた。私の無謀な行動を止め、それでも、私に願ってくれた。
 それに引き換え私はなんの力もないくせに……本当はなにも出来ないくせに、永雅に沢山期待させる言葉を残した。そして、終いには、あの約束を取り付けたのだ。

『永雅、待っててね。五年後、必ずまた会いに行くから!』

 どこまでも浅慮だったと思う。そして、結果として私は穢れ者となり、永雅を助けるどころか永雅に助けられてばかり。本当に私は浅慮で、愚かだったのだろう。

(許せるはずないわよね……)

 それでも、再会してから何度永雅に助けられ、救われただろう。恨んでいるだろう、と私から距離を置くことは簡単だ。何を考えているかを知ろうとしないことは簡単だ。永雅がどんな言葉を私に向けようと、もう逃げることだけはしたくない。それだけが今の私に出来ることだから。
 そんな決意を決める頃には、自然と眠りについてしまっていた。