三日後には熱もひき、身体は軽くなっていた。時間が経つにつれ働くようになる頭で、あの日のことを思い出していた。
『莉羅を娶りに来た』
その言葉を頭に浮かべては顔を赤らめ、
『莉羅が約束を破ったことには変わりない』
その言葉を思い出し、冷静さを取り戻す。夢から醒めた感覚になるのだ。
『熱が下がった頃に迎えにくる』
永雅はどんな気持ちを抱いて言葉を紡いだのだろう。永雅の考えていることが何も分からない。くるくると表情が変わっていた幼い永雅はもういない。当主というものがそんなに甘くないことは分かっている。隙を見せれば自分の家を守れない。
『何か勘違いしているようだが、俺は娶った妻に愛情を注ぐような人間でも守り抜くような人間でもない』
冷酷な言い方、冷酷な表情。まるで自分はどこまでも冷たく変わったと私に伝えたいような言い方。確かに永雅は変わった。昔とは全く違う。それでも……。
(熱が下がった頃に迎えにくる、か。お祖父様だったら私の発熱なんて関係なしに嫁がせるわ)
冷酷で最低な人間など下を見ればきりがないほど見つかる。
(……ほんの少しだけ誰かに愛されてみたい気もしたけれど)
そんな感情は無理やり押さえ込んだ。
何も知らずに楽しく過ごした幼少期の思い出。それに、両親と過ごした思い出。それがあれば私は生きていける。そんな思い出を心に巡らせながら、私は残り僅かな離れでの生活をいつも通り過ごした。
*
永雅と再会してから七日経った頃、約束通り永雅は照井家を訪れた。
穢れ者を出来るだけ世に晒したくない照井家は婚儀の規模を小さく行いたいと永雅に申し入れていたようだった。しかし、それを永雅が『行ったことにすればいい』と婚儀自体を蹴ったらしい。永雅は、建前だけの見送りの時も笑顔ひとつ見せなかった。月宮家に向かう牛車に乗ってからも一言も話さない。こちらを見もしないので、つい永雅の横顔をじっと見つめてしまう。
(本当に綺麗な顔。小さい時から可愛らしい顔立ちだったものね)
そんな私の視線に永雅は気づいていないと思っていた。
「なぜ見ている」
「っ!」
突然こちらを振り向かれて身体がびくっと跳ねてしまう。そんな私の様子を見て、永雅が乾いた笑いを浮かべた。
「俺が怖いなら始めから見なければいい」
「ちがっ!」
「婚儀すら挙げない……挙げたふりをすればいいという夫などいないだろうしな」
永雅がそんなことを気にしていたのかと、つい驚いてしまう。
「どうしてそんな顔をする」
「あ、違うの……! そんなことは本当に気にしていなかったから」
「形だけの婚姻だからな」
「っ! 違うから!」
どうも先ほどから永雅との会話が噛み合わない。というより、永雅が少しだけ不貞腐れているように見える。
「ふふっ」
「何を笑っている」
「いや、永雅は昔も拗ねやすかったなぁって」
「は?」
「拗ねて、自分なんかみたいな言い方をして。結局自分を傷つけているのに気づきもしない。だから、私もちゃんと伝えないといけなかったわ。私、婚儀なんか本当にどうでもいいの」
幼い頃の私だったら、美しい白無垢に憧れていた。皆に祝福される婚儀に憧れていた。でも、もう私にそんなものは似合わない。
「あんな家で祝われても吐き気がするだけだわ。むしろ感謝したいくらい」
「……」
「お祖父様に叱られて、礼寧に意地悪されて、使用人に笑われて終わるわ。本当あんな家、最悪」
「……」
「周りも持て囃して何がいいのかしら?」
私のそんな言葉を静かに聞いているだけの永雅。それでも、私をちゃんと見ていた。わずかに険しい表情を浮かべながら。
(これで残っていた愛着も消えてくれたかな。きっと、もう既にないだろうけれど)
月宮家に着いたら、永雅と顔を合わせる機会があるかも分からない。穢れ者として扱われている私の扱いはきっと厳しい。照井家しか知らないが、生まれ育った家ですら冷遇されている娘に他家が優しくするはずがない。私が嫁いだだけで、本当は永雅だって何を言われるか分からない。だから、これは念の為のあとひと押し。
「最後に礼寧の周りに火を出して怯えさせてやれば良かったかしら?」
嘘ではない、悪者を演じているわけでもない。実際にそう思ったことが何度もある。そこで静かに聞いていた永雅は口を開いた。
「静かにしていろ。まず興味がない」
厳しい口調でそう告げられ、口を噤む。心の底が冷えていくのが分かった。それと同時に喉が熱くなる。自分でも意味が分からない。分かりたくもない。滲みかけた視界は気づかなければいいだけの話。
永雅のために私が性悪な人間を演じていたのなら、悲しくなんてなかっただろう。
(……全部本心だものね)
人は時が経てば変わる。礼寧も、永雅も。……そして、私も。
それから月宮家に着くまでは、お互いに顔を合わせず、ただぼんやりと座していた。
『莉羅を娶りに来た』
その言葉を頭に浮かべては顔を赤らめ、
『莉羅が約束を破ったことには変わりない』
その言葉を思い出し、冷静さを取り戻す。夢から醒めた感覚になるのだ。
『熱が下がった頃に迎えにくる』
永雅はどんな気持ちを抱いて言葉を紡いだのだろう。永雅の考えていることが何も分からない。くるくると表情が変わっていた幼い永雅はもういない。当主というものがそんなに甘くないことは分かっている。隙を見せれば自分の家を守れない。
『何か勘違いしているようだが、俺は娶った妻に愛情を注ぐような人間でも守り抜くような人間でもない』
冷酷な言い方、冷酷な表情。まるで自分はどこまでも冷たく変わったと私に伝えたいような言い方。確かに永雅は変わった。昔とは全く違う。それでも……。
(熱が下がった頃に迎えにくる、か。お祖父様だったら私の発熱なんて関係なしに嫁がせるわ)
冷酷で最低な人間など下を見ればきりがないほど見つかる。
(……ほんの少しだけ誰かに愛されてみたい気もしたけれど)
そんな感情は無理やり押さえ込んだ。
何も知らずに楽しく過ごした幼少期の思い出。それに、両親と過ごした思い出。それがあれば私は生きていける。そんな思い出を心に巡らせながら、私は残り僅かな離れでの生活をいつも通り過ごした。
*
永雅と再会してから七日経った頃、約束通り永雅は照井家を訪れた。
穢れ者を出来るだけ世に晒したくない照井家は婚儀の規模を小さく行いたいと永雅に申し入れていたようだった。しかし、それを永雅が『行ったことにすればいい』と婚儀自体を蹴ったらしい。永雅は、建前だけの見送りの時も笑顔ひとつ見せなかった。月宮家に向かう牛車に乗ってからも一言も話さない。こちらを見もしないので、つい永雅の横顔をじっと見つめてしまう。
(本当に綺麗な顔。小さい時から可愛らしい顔立ちだったものね)
そんな私の視線に永雅は気づいていないと思っていた。
「なぜ見ている」
「っ!」
突然こちらを振り向かれて身体がびくっと跳ねてしまう。そんな私の様子を見て、永雅が乾いた笑いを浮かべた。
「俺が怖いなら始めから見なければいい」
「ちがっ!」
「婚儀すら挙げない……挙げたふりをすればいいという夫などいないだろうしな」
永雅がそんなことを気にしていたのかと、つい驚いてしまう。
「どうしてそんな顔をする」
「あ、違うの……! そんなことは本当に気にしていなかったから」
「形だけの婚姻だからな」
「っ! 違うから!」
どうも先ほどから永雅との会話が噛み合わない。というより、永雅が少しだけ不貞腐れているように見える。
「ふふっ」
「何を笑っている」
「いや、永雅は昔も拗ねやすかったなぁって」
「は?」
「拗ねて、自分なんかみたいな言い方をして。結局自分を傷つけているのに気づきもしない。だから、私もちゃんと伝えないといけなかったわ。私、婚儀なんか本当にどうでもいいの」
幼い頃の私だったら、美しい白無垢に憧れていた。皆に祝福される婚儀に憧れていた。でも、もう私にそんなものは似合わない。
「あんな家で祝われても吐き気がするだけだわ。むしろ感謝したいくらい」
「……」
「お祖父様に叱られて、礼寧に意地悪されて、使用人に笑われて終わるわ。本当あんな家、最悪」
「……」
「周りも持て囃して何がいいのかしら?」
私のそんな言葉を静かに聞いているだけの永雅。それでも、私をちゃんと見ていた。わずかに険しい表情を浮かべながら。
(これで残っていた愛着も消えてくれたかな。きっと、もう既にないだろうけれど)
月宮家に着いたら、永雅と顔を合わせる機会があるかも分からない。穢れ者として扱われている私の扱いはきっと厳しい。照井家しか知らないが、生まれ育った家ですら冷遇されている娘に他家が優しくするはずがない。私が嫁いだだけで、本当は永雅だって何を言われるか分からない。だから、これは念の為のあとひと押し。
「最後に礼寧の周りに火を出して怯えさせてやれば良かったかしら?」
嘘ではない、悪者を演じているわけでもない。実際にそう思ったことが何度もある。そこで静かに聞いていた永雅は口を開いた。
「静かにしていろ。まず興味がない」
厳しい口調でそう告げられ、口を噤む。心の底が冷えていくのが分かった。それと同時に喉が熱くなる。自分でも意味が分からない。分かりたくもない。滲みかけた視界は気づかなければいいだけの話。
永雅のために私が性悪な人間を演じていたのなら、悲しくなんてなかっただろう。
(……全部本心だものね)
人は時が経てば変わる。礼寧も、永雅も。……そして、私も。
それから月宮家に着くまでは、お互いに顔を合わせず、ただぼんやりと座していた。



