約束を違えた少女は、孤独な当主の花嫁に望まれる

「莉羅」

 懐かしい声が聞こえる気がする。もう忘れてしまっていたはずの声が。
 重い瞼(まぶた)を上げると、見慣れた離れの天井が広がっていた。照井家の一員と認められず離れに追いやられようと、両親と過ごせたこの場所は私が一番安心出来る場所。熱が少し引いたのか、朦朧としていたはずの意識ははっきりとしていた。

「目が覚めたか?」

 一人きりのはずの離れに凛とした声が響いた。声の方に視線を向けると、先ほど顔を合わせた見目麗しい青年が水桶を抱えて部屋に入ってくる。

「っ……」

 先ほど「誰?」と無作法に聞いてお祖父様に叱責された記憶が蘇り、すぐに言葉が出て来ない。

「気楽に話せばいい。初対面でもないのだから」

 青年の言葉と先ほど見間違えてしまった記憶が合わさり、この青年の正体に一つの推測が芽生える。

「え、いが……?」
「そうだ。何故そんな不思議そうな顔を浮かべる?」

 永雅は私が確信を持てていないことを不服に感じているようだった。しかし、私からすれば信じられないのも無理はないと思う。顔貌(がんぼう)こそ幼少期の面影を感じるが、小柄だったあの頃とは違い、今は背丈も一般的な成人男性より大きいだろう。そして、なにより雰囲気が……いや、表情が違う。天真爛漫でくるくると表情が変わっていたあの頃とまるで違っている。無愛想なだけでなく、鋭(するど)い視線が合わさって冷酷な雰囲気を纏(まと)っていた。
 しかし、それよりも私には気になることがあった。

「なんでここにいる、の?」

 永雅は昔のように優しさが籠っている瞳で私を見ていなかった。不機嫌であるのか上機嫌であるのかすら分からない表情で私を見つめている。

「莉羅を娶(めと)りに来た」
「え……?」
「婚姻の申し入れで照井家を訪れた」

 きっと私は困惑を隠しきれていないだろう。そのことに永雅も気づいているようだった。

「二年前、俺は月宮家の当主を継いだ。そして今年、月宮家当主の妻として照井家の令嬢を迎え入れることが決まった」
「嘘よ、ね……?」
「そんな嘘をつくほど俺は暇ではない」

 照井家の娘であれば、家同士の繋がりのため婚姻を結ぶことは当たり前である。私だって昔はそう理解していた。いや、今だって理解はしている。だが……

「私は『穢れ者』よ?」

 照井家の娘であるから当主が見合いや婚約を持ってくるのだ。今の私は照井家の者として認められていない。私はもう照井家の娘ではない。しかし、私の言葉に永雅は目をわずかに細めただけで表情は変えなかった。

「そんなものは関係ない。これは月宮家当主である俺と照井家当主が決めたものだ」
「関係なくないわ! 穢れ者を娶れば永雅だって何を言われるかっ!」
「既に俺の評判は悪い。そんなものはどうでもいい」

 永雅の評判が悪い? あんなに優秀で天真爛漫だった永雅が?
 しかし、今の永雅に幼い頃の面影を感じないもの事実だった。

「照井家当主は月宮家の権力に取り入りたいが、いつ寝首をかくかも分からない俺に大事な照井家の娘は預けれないと思ったのだろう」

 大事な照井家の娘は預けられない、それは礼寧は嫁がせられないということ。お祖父様なら、血筋としては照井家の令嬢である私を差し出してもおかしくはない。

「永雅はそれでいいの?」
「照井家の娘であればいい、と述べたはずだ」

 永雅が評判を気にしなくても、穢れ者を娶れば何を言われるか分からない。離れに追いやられてから世間に疎い私でもそれくらいは知っている。

「お祖父様に礼寧を嫁がせるよう進言してくる。あの子の性格は悪いけれど、永雅に害を及ぼしたり不利益を与える子ではないわ。それに伴侶に害を与えないのは永雅も同じでしょ」

 勢いよく布団から出て立ち上がった私の腕を永雅が掴んだ。

「おい! 勝手に話を進めるな!」
「離して」

 私がそうはっきり述べると、永雅が険しく苦しい表情に変わった気がした。しかし、すぐに冷静な表情に戻る。

「自惚れるな、俺は月宮家当主だ。たかが照井家の娘が俺に命令出来る立場ではない」
「っ!」
「布団に戻れ」

 そう言われて離れを飛び出すことはやめたが、布団に戻れないまま立ちすくんでしまう。そんな私を永雅が無理やり抱き上げた。

「降ろして!」
「先程も言ったが、俺には莉羅の命令を聞く必要がない」

 そのまま永雅は私を布団に降ろした。

「何か勘違いしているようだが、俺は娶った妻に愛情を注ぐような人間でも守り抜くような人間でもない」

 冷たい言い方だった。

「……莉羅、あの約束を覚えているか」

 永雅の言葉に一瞬息が止まった気がした。心臓が急激に速く動き始める。そんな私の反応を見ても、永雅は言葉を止めなかった。


「あの日、莉羅が十歳を迎えた日。しばらく会えなくなる俺に莉羅は『五年後、必ずまた会いに行く』と言った」


 そう、私は永雅と離ればなれになる時に約束した。私が十五歳になる時にまた会いに行く、と。
 あの頃、私はまだ穢れ者ではなかった。むしろ永雅が辛く苦しい日々を送っていたからこそ私は約束した。その約束が永雅の希望になるように。
 しかし、それからしばらくして私は穢れ者であることが判明し、離れに追いやられた。外出など許可されるはずがなかった。

「莉羅の状況は当主になって知った。それでも、莉羅が約束を破ったことには変わりない」

 永雅の言っていることは正しい。自分が永雅を支えられていると自惚れ、勝手に約束を取りつけ、そして反故(ほご)したのだ。例え自惚れであろうと、あの頃の永雅にとってその約束が希望になることは容易に想像が出来たはずなのに。

「この婚姻は決定事項だ。莉羅も俺のような人間に嫁ぎたくないだろうが贖罪(しょくざい)だと思え。せめて月宮家での安全な生活は保証してやる」

 私が永雅に嫁ぐことで迷惑をかけようと、約束を破った贖罪だと言われて言い返すことが出来なかった。口をつぐんだ私の目を永雅がそっと片手で覆(おお)った。

「とりあえず今は身体を休めろ。熱が下がった頃に迎えにくる」

 こんな形で再会したくなかった、そんな感情が浮き出た気がした。そんな気持ちを自覚するより前に勝手に涙は零れ、私の目を覆っている永雅の手を濡らす。

(穢れ者の涙なんて永雅に触れさせたくないのに)

 それでも、なぜか永雅は手を離さなかった。
 こんな状況でも熱のある私の身体は、気づけば眠りに落ちていた。