ある日、ゾンビを助けたら。2


保健室の静かさが、

まさに――“静寂”。


俺が握る煌人の手が
キュッと緊張する。

その振動が
俺の手に伝わってくる。


「な?
 超~触ってんじゃん?俺。」

親指で煌人の手を
小さく撫でる。


カタカタと小さく震え出す
煌人の手。

そこから、ススッと
煌人の顔まで視線を滑らせる。


「――!!」


煌人の顔が……


ヤバい。



煌人は、
白目を向きながら、
小さくまばたきを繰り返し、
宙を仰いでいた。


「ふ、ふ、ふ、風太さん、
 その手を、今すぐ、
 は、は、は、離しませんかぁ……?」


スルッ……
煌人を見つめたまま、
指を絡ませる。


「はわわわわ……
 ショートしてしまいます……」


俺は大きくため息をついた。

「この大根役者。
 お前、嘘ついてんじゃねーぞ。」


宙を仰いでいる煌人の瞳が
ぎょっとしたように
俺を捉えた。

「おう……
 なぜバレたのでしょうかね。」


「バカにすんなよ。
 それくらい分かるわ。」

煌人の手から
奪うようにハンカチを取る。

荒々しくすすぐ。


“空気読めよな……鈍感!”


ギュギュギュウゥ……
ギュウゥゥゥ……

これでもか!とハンカチを絞る。
かっすかすになるまで。



「風太?
 なんか、怒ってません?」


「怒ってねーよ!!

 おら!その変態づら貸せ!」


後頭部に手をかけ
グンッと引き寄せる。

押し付けるように
ハンカチを顔に当てる。


ガッシガッシ!!
拭き散らかす。


「いてててて……!」

「痛くない!」

「痛いですよ!」

「痛くねぇ!」

ガッシガッシ!!



「マジ痛いって!」



ガッ!!
煌人の手が俺の手首を掴む。



遅れて、
ふたりの視線が
ピントを合わせるように
お互いを捕らえた。



煌人のまつ毛が
微かに震えている。



――逃がすか。





「目、逸らして逃げんなよ?」





煌人が小さく息を吐く。

「……逃げたりしませんよ。

 ――それよりも。」



「なんだよ。」



「なんだよ、は
 俺のセリフですね。」

――グンッ!

手首ごと
力強く引き寄せられる。


一瞬のうちに
俺と煌人の距離が近くなる。

トッ……

咄嗟に
煌人の胸に手を置く。


俺の目の前、
煌人の喉が上下する。


「さて、
 ここからどうしますか?」


「どうって……」


「どうするつもりですか?」


「つもりもなにも……」


「後先考えずに
 俺を煽ったのですか?」


「……。」


「危険察知能力がないのですか?」


「質問攻めやめろよ。」


「やめませんよ。
 大事なことなんで。」


「なっ……なんだよっ!
 いつもは
 そんなんじゃないくせに。
 すぐぶっ倒れるくせに。」


「そうであって欲しいですか?」


「そうじゃなくてっ……。

 …………

 手……離してくんない?」


ギュッ……。


「なんで握るんだよ。
 俺は、離してって言ったんだ。」


「今は、“離してはダメ”ですよね。」



しん……っ。



俺、
なんでこんなに
追い詰められてるんだ?

ただ――

心がウズウズして
触れたくなっただけなんだ。


煌人の身体に。


それから、



心に。





ほんの少しだけ、
触れてみたくなっただけなんだ。




┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



コンコン!

「入るぞー。」


――カラカラッ。



「……おや?

 なんか――マズかった?」






遥人ーーーっ!!

救いの神よ!!
ムカつくとか思ってごめん!!
早く!!
早く、助けてっ!!

「遥人君っ!どうしたの?」

キラキラとした俺の目に
遥人がニヤリと笑う。

「ほー。
 さっきと随分と違うじゃん。」

ニヤついてやがるが
この際、そんなことは
気にしないでおいてやる。

このキラキラとした
俺の目、見て!

俺の手首も、見て!



遥人がパクッと
口を一文字に閉じる。

鼻の穴がヒクヒクしている。


コイツ……
心の中で爆笑してやがる。
あー、もう、ムカつく。

ムカつくけどぉ……
助けてぇ……



「あー……えーっと……、
 先生が“遅いから見てこい”と。」


「あちゃー。そうだよね。うん。
 俺、早く教室戻らなきゃね。」


「そうだな。
 で、煌人が目眩でも?」

ん、と目だけで
煌人が掴む俺の手首を指す。


煌人がまばたきもせず
遥人を見つめる。



「あぁ、
 少しクラクラとしたもんでね。

 ごめんね、風太。」

掴んでいる指を
一本ずつ、
俺の手首から外していく。

最後の一本を
つつっ……と
俺の指先まで滑らせ、
ようやく腕を下ろした。

「先に教室に戻ってもらえます?
 俺、少し休んでから戻るんで。」

下ろした腕で
髪をクシャクシャとやると、
煌人は
ふいっと背中を向け
ベッドに向かった。



――シャッ!

振り返ることもなく、
カーテンが閉められた。





俺は、

こういう時、

どうしたらいいか




――分からない。




ポスッ。
俺の肩に遥人の手が乗っかった。

気まずい。

「あ……遥人君……あの、えっと……」


「遥人でいい。
 ほら、突っ立ってないで
 教室行くぞ。」


遥人は、表情も変えずに
俺を保健室から連れ出した。


カツカツ……

ペタペタ……

遥人の背中を
追いかけるように歩く。


「で?何をやらかしたんだ?」

「ヒィ……」

「ブハッ!大体、お察し。」




「なぁ、遥人。
 俺、煌人を
 怒らせちゃったかもしんねぇ。」

肩を落とす。



「アイツは
 怒ってなんかいないよ。」



「え?」



「バカな弟ですみません、
 とでも
 言っておこうかな。」


「バカなのは俺なんだよ。」


「そうなのか?」

遥人が俺を覗き込む。
今にも吹き出しそうな顔で。

手のひらで
遥人の顔を遠ざける。

「その目やめろよ。
 今は、特に、やめろ。

 んでもって棒読みで
 “そうなのか?”って言うな。」

恥ずかしくてたまらない。
これ以上、
下はないってほど俯いてしまう。



「だから、認めないって言ったんだ。」



――え。

顔を上げる。


呆れ顔の遥人が
俺の頭からつま先までを
指でなぞる。

「見るからに、恋愛偏差値ゼロ。」


「なっ……!?」


「とてもじゃないが、
 あのド変態弟に
 着いて行けそうもない。」


「失礼な!
 偏差値ゼロじゃねーしっ!
 恋愛経験あるしっ!」


「うそーん!」


「嘘じゃねーし!
 付き合ったことあるし!」


「ふーん。で?どこまで?」


「え?あぁ、下北までは行った。」


「下北。」


「うん、下北。パフェ食った。」


「下北でパフェ。」


「おうよ。」

――ドヤァ。
参っただろ、遥人め。
俺様を舐めてんじゃねーぞ。



「ネズネズランドとかでもなく
 下北なら~……

 ――ラブホコースか。

 お前、結構、鬼畜なんだな。
 せめてネズネズくらい
 行ってからヤレよ。」



「ブホッ!!ゲホッゲホッ!!

 おまっ……おまえっ……

 何てこと言うんだ!
 学校で!廊下で!

 俺ら、まだ高校生だぞ!」


口元に手を当てた
遥人の目が見開く。

見開いて、

そして、見開く。


その遥人を見る俺の目も

ギンギンに見開く。




ポンッ……ポンッ……
俺の背中を
遥人の手が宥めるように叩く。

ポンッ……ピタ。

その手が止まった瞬間、
遥人がしゃがみこんで笑いだした。


「アハハハ!死ぬっ……!

 ダメだ!
 やっぱ認めらんねぇわ!」


「ええ!?」


指先で涙を拭いながら
遥人が言う。

「いいか、光星。よく考えろ。

 《《アイツ》》は超が付くド変態だ。

 お前が
 乗りこなせる相手じゃねえよ。

 ――諦めろ。」


しん……。


遥人の目がマジだ。