保健室の静かさがまさに――“静寂”。
煌人の手の微かな緊張、その振動が俺の手に伝わってくる。
「な?超~触ってんじゃん?俺。」
親指で小さく撫でると、煌人の手はカタカタと震え出した。
ふふ……参ったか。
すっと煌人の顔まで視線を滑らせる。
「――!!」
煌人の顔が……ヤバい。
白目を向きながら小さくまばたきを繰り返し、宙を仰ぐ様は、まるでリアルオカルト。
「ふふふ、風太さん、その手を今すぐっ……離しませんかぁ……?」
煌人を見つめたまま、指と指を絡ませる。
「はわわわわ、ショートしてしまいます。」
「この大根役者。嘘ついてんじゃねぇぞ。」
宙を仰いでいる煌人の瞳がぎょっとしたように俺を捉えた。
「おう……なぜバレたのでしょうかね。」
「バカにすんなよ。それくらい分かるわ。」
大きくため息をつき、煌人の手から奪うようにハンカチを取る。
蛇口を捻り、荒々しくすすぐ。
“空気読めよな……鈍感!”
これでもか!とハンカチを絞る。
かっすかすになるまでギュウギュウに。
「風太?なんか、怒ってません?」
「怒ってねーよ。その変態づら貸せ!」
後頭部に手をかけグンッと引き寄せる。
投げつけるように、ハンカチを煌人の顔に押し付ける。
ガッシガッシと拭き散らかす。
「いてててて……!」
「痛くない!」
「痛いですよ!」
「痛くねぇ!」
ガッシガッシ!!
「マジ痛いって!」
ガッ!!煌人の手が俺の手首を掴む。
一拍遅れて、ふたりの視線がピントを合わせるようにお互いを捕らえた。
煌人のまつ毛が微かに震えている。
「目、逸らして逃げんなよ?」
煌人が小さく息を吐く。
「逃げたりしませんよ。――それよりも。」
「なんだよ。」
「なんだよ、は俺のセリフですね。」
――グンッ!
手首ごと力強く引っぱられる。
咄嗟に煌人の胸に手を置いたのに、なんてこった、機能してない。
ギリギリ保っていた距離が、一瞬でゼロに近くなってしまった。
俺の目の前で煌人の喉が上下する。
「さて、と。ここからどうしますか?」
「どうって……」
「どうするつもりですか?」
「つもりもなにも……」
「後先考えずに、俺を煽ったのですか?」
「……。」
「危険察知能力がないのですか?」
「なんだよ、質問攻めやめろよ。いつもはそんなんじゃないくせに。すぐぶっ倒れるくせに。」
「そうであって欲しいですか?」
「そうじゃなくて……。手、離してくんない?」
ギュッと煌人の指に力が入る。
「なんで握るんだよ。俺は、離してって言ったんだ。」
「今の本音は、“離してはダメ”ですよね?」
しん……っ。
俺、なんでこんなに追い詰められてるんだ?
ただ、心がウズウズして触れたくなっただけなんだ。
煌人の身体に――心に。
ほんの少しだけ、触れてみたくなっただけなんだ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
コンコン!
「入るぞー。……おや?なんか、マズかった?」

遥人ーーーっ!!
救いの神よ!!ムカつくとか思ってごめん!!早く!!早く、助けてっ!!
キラキラとした俺の目に、遥人がニヤリと笑う。
「ほー。さっきと随分と違うじゃん。あなたは誰ですかぁ?」
ニヤついてやがるがこの際、そんなことは
気にしないでおいてやる。
この純粋無垢な俺の目、見て!
俺の弱った手首も、見て!
ぱくっと真一文字に口を閉じた遥人が、鼻の穴をヒクヒクさせている。
くそ……コイツ……心の中で爆笑してやがる。
あー、もう、ムカつく。
ムカつくけどぉ……助けてぇ……
「えーっと……先生が“遅いから見てこい”と。」
「あちゃー。そうだよね。俺、早く教室戻らなきゃね。」
「そうだな。で、煌人が目眩でも?」
「あぁ、少しクラクラとしたもんでね。ごめんね、風太。」
煌人の瞳が、まばたきもせずに俺の手首へと影を落とす。
掴んでる指を一本ずつ外していく。
最後の一本を、つつっ……と俺の指先まで滑らせると、ようやく腕を下ろした。
「先に教室に戻ってもらえます?俺、少し休んでから戻るんで。」
下ろした腕で髪をクシャクシャとやると、煌人はふいっと背中を向けベッドに向かった。
――シャッ!
振り返ることもなく閉められたカーテン。
俺は、
こういう時、
どうしたらいいか……
分からない。
ポスッ。俺の肩に遥人の手が乗っかった。
これは気まずい。
「あ……遥人君……あの、えっと……」
「遥人でいい。ほら、突っ立ってないで教室行くぞ。」
遥人は表情も変えずに俺を保健室から連れ出した。
カツカツ……
ペタペタ……
遥人の背中を追いかけるように歩く。
「で?何をやらかしたんだ?」
「ヒィ……」
「ブハッ!大体、お察し。」
「なぁ遥人。俺、煌人を怒らせちゃったかもしんねぇ。」
肩を落とす。
「アイツは怒ってなんかいないよ。」
「え?」
「バカな弟ですみません、とでも言っておこうかな。」
「バカなのは俺なんだよ。」
「そうなのか?」
遥人が今にも吹き出しそうな顔で俺を覗き込む。
手のひらでその顔を遠ざける。
「その目やめろよ。今は特にやめろ。んでもって棒読みで“そうなのか?”って言うな。」
恥ずかしくてたまらない。これ以上下はないってほど俯いてしまう。
「だから、認めないって言ったんだ。」
――え。
呆れ顔の遥人が、俺の頭からつま先までを指でなぞる。
「見るからに、恋愛偏差値ゼロ。」
「なっ……!?」
「とてもじゃないが、あのド変態弟について行けそうもない。」
「失礼な!偏差値ゼロじゃねーしっ!恋愛経験あるしっ!」
「うそーん!」
「嘘じゃねーし!付き合ったことあるし!」
「ふーん。で?どこまで?」
「え?あぁ、下北までは行った。」
「下北。」
「うん、下北。パフェ食った。」
「下北でパフェ。」
「おうよ。」
ドヤァ。参っただろ、遥人め。
俺様を舐めてんじゃねーぞ。
「ネズネズランドとかでもなく下北なら……、あぁ――ラブホコースか。お前けっこう鬼畜なんだな。せめてネズネズくらい行ってからヤレよ。」
「ブホッ!!ゲホゲホッ!!おまっ……おまえっ……何てこと言うんだ!学校で!廊下で!おおお、俺ら、まだ高校生だぞ!」
遥人が口元に手を当て、目を見開く。
更に見開いて、そして、見開く。
俺の目もギンギンに見開く。
ポンッ……ポンッ……ポンッ……
俺の背中を遥人の手が宥めるように叩く。
ポンッ……ピタ。
止まった瞬間、遥人がしゃがみこんで笑いだした。
「アハハハ!死ぬっ……!ダメだ!やっぱ認めらんねぇわ!」
「ええ!?」
指先で涙を拭いながら遥人が言う。
「いいか、光星。よく考えろ。あいつは超が付くド変態だ。お前が乗りこなせる相手じゃねえよ。――諦めろ。」
俺のことカラカラと笑い飛ばしてるくせに。
その目は――マジだ。



